Zakkaya Weekly No.86

Ryo Onishi 1/4/98 No.85 バックナンバー  Homepage

1998年になりました。新年あけましておめでとうございます。今年もお役に立つ情報を発信していきたいと思いますのでご声援のほどよろしくお願いします。 年末年始は読者のみなさんからEメールでたのしいクリスマスカードと年賀状をいただきました。ありがとうございました。私は1月2日に一人でロスに帰ってきました。日本では今年の冬は暖冬だと言われていましたが、それでも私にとってはちょっと寒かったです。 ロスに帰ってくるとここがかなり暖かいところだと思いました。今日もずいぶん雨が降って、水はけの悪い道路は水浸しになってましたね。これからロスも雨を気にしなければなりませんね。日本では当り前のことなんですが… (R.O)

愛 と 恋 と の 差(3)前号よりの続き

前号まで 「愛」と「恋」の違いについての私論を述べてきましたが、日本語にはこの二つを一緒にした 「恋愛」 という言葉がありますが、これはどう理解したら良いのでしょうか。ここに作家の笹沢左保氏のエッセイ集(「恋する女たちへ」 講談社文庫)の中に興味ある記述があるので、これを参照、引用しながらこの 「恋愛」 について以下書いてみます。

「恋愛」 という言葉は一種の合成語であり、「恋」と「愛」を一つにしたものと考えられ、通常 男女間の関係で生ずるものです。男女間の感情としては 「愛」 だけでは今一つ人間味が出て来ません。確かに相手に対し強い精神的な結びつきを感じ、その人のために尽くしたいという気持ちもあるのだから それは 「愛」 であることには間違いないでしょう。でも人は異性に対し常に精神的・肉体的に何かを求めるものです。特に若いうちは相手を欲する気持ちの方が与える気持よりまさることがあります。これは 「愛」 というより 「恋」 に近いものではないでしょうか。初恋から始まって、男も女も何度か 「恋」 を経験します。前号のこの欄で書いたように 「恋」 が現象・衝動である以上、始まりと終りがある筈です。(生涯一度だけの 「恋」 とは、一回目の恋が一生続いた幸せなケースと言えましょう)「私はもう、何度も恋をしたけれど、愛した人は一人きり。」 というセリフは一見矛盾しているようですが、決して矛盾はしていません。 このように男女の感情を 「愛」 という概念だけで表現するのは不適切であるので 「恋」 も加えて 「恋愛」 という合成語が生まれたのだと思います。 「恋愛」 とは「愛の要素を含んだ恋」 という解釈ではいかがでしょうか。 夫婦も年の経過とともに男と女という関係よりお互い肉親のような精神的な絆で結ばれるようになりますが、男女の関係もここまで来てようやく「夫婦愛」という領域に到達出来るのではないでしょうか。

★ここで恋愛と結婚に関して私が仕入れたコメント(コント)をいくつかご紹介します。

恋愛には 「結婚」 というハッピーエンドと 「良き友人」 というハッピーエンドの二通りがある。

恋愛は若い時だけに許される感動ではなく、生涯にわたって追求すべき人間の生き方そのものである。

「好きになること」 は やさしいが、「好きでいつづける」 ことはむつかしい。

恋人とは富士山みたいなものである。遠くから眺めているから素晴らしいが・・

ソクラテスいわく、「結婚はしても良いし、しなくても良い。どちらにしてもどうせ後悔するだけだから。」

ソクラテスいわく、「結婚とはいいものだ。良い妻にめぐりあえば 幸せになれるし、悪妻だったら 私のような偉大な哲学者になれるからだ。」

良い結婚というのはあるが、楽しい結婚というのはない。

愛妻家は自分の妻の年齢を忘れていても彼女の誕生日は覚えている。非愛妻家は自分の妻の誕生日は忘れ、彼女の年齢だけを覚えている。

一般に一家の妻はギャンブルは嫌いである。なぜなら結婚という人生最大のギャンブルで失敗して、ギャンブルには懲りたからだ。

一般に一家の夫はギャンブルが好きである。なぜなら結婚という人生最大のギャンブルに失敗しても一向に懲りないからだ。

「愛」 の反対語は 「無関心」

河合将介 skawai@wakao.com

健康の方程式 「感動する生き方こそ遺伝子のONの生き方」 西尾誠一郎

私の両親は高知県の足摺岬を含む幡多群で中学校と小学校の教師をしていました。私は学校から帰った時、風邪で学校を休んだ時、冬、親戚の家に預けられていいる妹・弟を迎えに行き3人で家に帰った時、母が家にいないのがどんなにさみしいか小3か小4の時、くわしく作文に書いたことがあります。母もその作文を読んで悩んだようです。母が家にいないのは母が先生だからだと何となく先生という職業に嫌悪感を持っていた私が、先生になろうと決意したのは小5の担任の谷先生の涙でした。高知県の田舎の小学校で男の子13人女の子14人総勢27人のクラスで修学旅行の費用の一部をクラス全員でいろいろ工夫して稼いでいる楽しいクラスでした。私たちがどんな悪いことをしたかは、今 全然記憶にないのですが、ある日、先生はクラス全員の前でボロボロ涙を流しながら私たちを叱らないで自分を叱ったのです。女子は全員泣き出すし、私たち男子は涙を押さえるのに必死でした。あの大きな、ちょっといかつい顔をした男の谷先生が、私たち生徒の前で「こんなことになったのは、私が悪い」と私たちを一言も責めないで流した涙を私は昨日のことのように時々思い出すのです。その頃から私は大きくなったら先生になろうと決めたのでした。

さて、遺伝子と私の決意がどう結びつくのでしょう。それは「遺伝子のはたらきは、それをとりまく環境や外からの刺激によって変わってくる」と前回お伝えしました。バイオテクノロジーの第一人者、村上和雄先生は、2010年頃までには人の遺伝子のはたらきのすべてが解明されるだろうが、遺伝子のはたらきは心の持ち方によって大きく変わってくると断言しています。

遺伝子といわれると、親から子へ、子から孫へと伝わるといったイメージ強く、日常の生命活動には関係ないと思われがちですが、これはとんでもない誤解です。私たちの体の中で起こるすべてのことは遺伝子のはたらきによるものなのです。たとえば私たちが毎日いろいろなものを食べますが、それらを消化・分解し、人体に合う蛋白質につくりあげるのに酵素がはたらきます。その酵素に司令を出すのが遺伝子なのです。生体内で約10億分の1グラムという小さな細胞のなかで、数千という化学反応が酵素と遺伝子のお陰で、整然と素晴らしいスピードで行われています。

よい遺伝子をONにし、悪い遺伝子をOFFにするのに村上先生がすすめているのは「感動する」ということです。そのとき、とても「感動」できる状態でなかったら、以前に経験した感動を心の中に呼び戻してみるだけもいいと先生はおっしゃっています。

私はこのクリスマス・イブにサンノゼのくもんの指導者大塚先生ご夫妻を妻と友人の3人で訪ねました。大塚正子先生の幼児コースを午前と午後の2回、見学しましたが、先生は「飛べないホタル」の紙芝居を読む時、2度とも声をつまらせていました。私も同じ経験が何度もあるので先生の気持ちがよく分かりましたが、先生の感動は2歳児、3歳児にもちゃんと伝わるのです。

私は終戦直後の高知県の先生方の中には生徒に感動を与える先生がたくさんいたと思います。いや全国にたくさんいたことでしょう。

私が東京で教師になったのも、そして13年後に教師をやめたのも、その後幼児教育に携わったのも、15年前にアメリカに来たのも、そしてくもんの指導者になったのも、「感動する心を大切にしたい」という想いからだったと思います。その生き方が遺伝子ONの生き方と村上先生に保障され、こんな嬉しいことはありません。“感動は伝播する”今年はこれを合い言葉に、さわやかにがんばってまいりましょう。

あとがき

HTMLファイルでお送りしています雑貨屋ウィークリーはほとんどの方は良好に読めているようで安心しました。うまく読めない方のためにも何とかできるようにしたいと思います。

Zakkaya Weekly No.86

雑貨屋店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net