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NO.855             Ryo Onishi              9/30/2012  

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雑貨屋のひとり言

涼しくなってきて身体が楽になりました。でも鼻がグズグズして、くしゃみが出ます。季節の変わり目は、よくこうなります。もしかしたら花粉症なのではないかと思ったりしています。台風17号が日本列島を直撃しています。みなさんに大きな被害がないことをお祈りします。
≪R.O≫

 

スペースシャトルのラストフライト

昨年の飛行を最後に現役引退した米国のスペースシャトル「エンデバー号」がロサンゼルスにやってきました。10月30日からロサンゼルスのカリフォルニア・サイエンス・センターで一般公開され、余生を送るためです。「エンデバー号」は先週の金曜日(9月21日)、改造ジャンボ機の背中に載せられ、ケネディ宇宙センター(フロリダ州)からまさに「ラストフライト」を終えたのでした。私たち夫婦も偶然ですが、この「ラストフライト」を目撃しました。

この日(9月21日)の朝、私は昨年受けた癌手術の経過観察のため、ロサンゼルス・ダウンタウンの病院まで妻の運転で出かけました。病院で私は手術担当医から直接、術後の経過について診療をうけ、今回もおかげさまで特に術後の問題はないと告げられ、気をよくして昼少し前に病院を後にしました。

私たちの車がロサンゼルス・ダウンタウンからフリーウエイ#110にはいった頃、前方近くの空に見慣れぬ大きな飛行機が左から右前方へ向かって飛んでいるのを見つけました。なんと全長約37メートル、重さ約75トンの「エンデバー号」を背中に乗せたジャンボ・ジェット機でした。『アッ!、スペースシャトルだ!』助手席で思わず叫ぶ私に、ハンドルを握っていた妻もあわててスピードを少し落とし、上を見上げ、気づいたようでした。いつものように混雑していたフリーウエイでしたが、すべての車がしばらくの間、アクセルを緩めて空を見上げていました。

私は「エンデバー号」がその2日前の19日、ケネディ宇宙センター(フロリダ州)を発ち大陸を横断、カリフォルニア州のエドワード空軍基地に到着していたことはニュースで知っていたのですが、その後のニュースから離れていたので、ロサンゼルスへ着く日やその飛行ルートは知りませんでした。偶然とはいえ、実物が上空を飛ぶ雄姿に遭遇し、一気にテンションがあがる思いでした。

この日の夕方から夜にかけてのローカルテレビ・ニュースの時間では、この「エンデバー号」到着ニュースが当然のようにトップで報じられ、夜8時の「チャンネル9ニュース」は15分以上がこの話題に費やされていました。

このニュース報道によると、この日、「エンデバー号(を背中に搭載したジャンボ機)」はサンフランシスコのゴールデンゲート・ブリッジやシリコンバレーのNASA基地上空などを周回し、多くの市民の歓迎を受けたあと、ロサンゼルスへ向かい、ロサンゼルス周辺でも、戦闘機2機をお供にハリウッド、ディズニーランド、ユニバーサル・スタジオ、サンタモニカ、クインメリー(ロングビーチ)、グリフィスパーク、JPL(Jet Propulsion Laboratory ―― NASAの研究所)、ロサンゼルス高層ビル街などの上空などを周回し、多くの人々からの歓迎と歓声を受けながら、午後1時ごろ、ロサンゼルス国際空港に無事到着したのだそうです。リトル東京を含むロサンゼルス高層ビル街では正午直前と、さらにそれから約20分後の昼休み時間の2度にわたって低空で通過し、人々の喝采を受けたそうです。空港近くの 高速道路でも一時、通行止めとなり、車を降りて着陸する「エンデバー号」を見守るドライバーらの姿がみられたようです。

そういえば、私たちが昼前に病院の建物を出て付属の駐車場ビルへ向かう途中、道端の看護師さんや病院関係者など多くの人々が一方向の空を見上げて騒いでいるのを見かけましたが、そのとき私は知らずにいたので無視して通り過ぎていましたが、「エンデバー号」が周遊した観光地や住宅地の人々にとって今回の「エンデバー号」到着は生涯二度と見ることの出来ない世紀の航空ショーであり、演出効果も素晴らしかったと思います。

また、ダウンタウンのオフィスビル街はちょうど昼休み時間に重なっており、ビジネス関係者が屋上などから歓声を上げたそうで、これらの人々を集計すると何万どころか、何十万人にも達したのではないでしょうか。「素晴らしい演出」に加え、「粋(いき)な演出」だったともいえるのではないでしょうか。私たち夫婦もそんな航空ショーの目撃者の仲間に加わることが出来、光栄でした。

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スペースシャトル「エンデバー号」は1992年5月に初飛行して以来、昨年(2011年)5月〜6月の最終ミッションまで、計25回のミッションをこなしました。日本人宇宙飛行士では、毛利衛さん(1992年)、若田光一さん(996年)、土井隆雄さん(2008年)の3人が搭乗しました。

なお、米国(NASA)が宇宙との往復に使ったスペースシャトルは5機でした。このうち、「チャレンジャー号(1986年打ち上げ直後に爆発)」と「コロンビア号(2003年大気圏に再突入時、空中分解)」の2機が事故で失われたのは痛恨の限りです。現存する3機のうち「ディスカバリー号」はすでに バージニア州の博物館で展示されています。「アトランティス号」はケネディ宇宙センターで展示される予定となっています。したがってスペースシャトルの飛行は今回をもって正真正銘、最後となったことになります。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


いいことがあったか手話の笑い声

ドングリがよきライバルを得て発芽

回転の皿を元気が積んでいる

僕の壁後輩が来てひょいと越え

二十歳の君にまるまる二十一世紀


( ニュースやぶにらみ )


「オスプレイ」
沖縄への配備反対 −台風17号

「興石幹事長留任」
石の上に三年 −野田代表

「457億円のムダ」
たれ流した −89の下水処理施設


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(248)「時は巡り、雪辱なるか安倍新総裁」

5年前(2007年9月26日)、あまりにも突然、政権を放り投げた前代未聞の無責任な宰相がいた。その男の名は安倍晋三 ――

小泉内閣(2001年4月26日〜2006年9月26日)のあと、自民党のホープ、政界のプリンスともてはやされ期待されて颯爽と自民党総裁の座に就いた安倍は(2006年9月26日)公明党との連立内閣を樹立“保守の再構築”“戦後レジーム(体制)からの脱却”“美しい日本”などという曖昧なスローガンにもかかわらず、発足当時は51.4%の支持率を得た。外交面では(小泉内閣の靖国神社参拝問題などで)冷え切っていた日中・日韓関係の改善や拉致問題解決を含めた北朝鮮との関係正常化などに取り組んだ。内政面では教育改革や格差是正、財政再建(当面歳出削減)を目指し、早々に首相自らの給与30%削減、閣僚の給与10%削減を表明した。また憲法改正手続きの準備、具体的には国民投票法を成立させた。これらは大いに評価されたものの閣僚の相次ぐ政治資金問題、事務所費不正問題や失言、更には社会保険庁のずさんな年金事務処理問題が浮上し国民の支持率は(22.6%にまで)下落した。2007年7月の参議院議員選挙で自民党は大敗したものの安倍首相は続投を表明し改造内閣を発足させた。しかし、党内部からは“安倍降ろし”が出始め、この頃から安倍の体調不良が著しくなり、8月のインドネシア、インド、マレーシアの3カ国訪問後は症状が一段と悪化してきた。それでも安倍は、2007年9月10日の臨時国会で「職責を全うする」との決意を述べた。ところが、内政・外交共に重要課題が山積している最中で、かつ所信表明を行なって僅か2日後に“首相辞任“。これには政界は勿論のこと国民全てが唖然とし怒った。各方面から「無責任の極み」と批判された。当然であろう、翁も呆れ、猛烈に怒った1人である。

何故に翁が怒り心頭を発したか――翁が安倍晋三に親近感を持つようになったのは、彼が副官房長官時代からである。直接、ではない、安倍のブレーンと近しかったのだ。そのブレーンを通して翁は安倍にいろいろと物申した。「(美しい日本などはどうでもいい)この男なら日本を変えられる、強い日本を創れる」と期待を膨らませた。なのに、その期待は一瞬にして裏切られた。前述の相次ぐ閣僚の不祥事、降って沸いたような社会保険庁問題、健康問題(後に、特定疾患“潰瘍性大腸炎”と発表)など不運な状況が重なったが、いかなる理由があろうとも、あのブザマな辞め方は許せない。辞めるべき時は“参院選敗北の時”だったのだ。「ああ、この男もまた(途中で政権を放棄した細川護煕と同様)温室育ちの軟弱なお坊ちゃんだったのか」翁の落胆と並行して国民の自民党離れが加速し出した。

時は巡って、安倍晋三は再び自民党総裁に返り咲いた。翁は正直なところ、不安と期待が
交錯して(今は)手放しで声援を送る気にはなれないのだが、1つ言いたのは「早期に政権交代を」である。翁は野田佳彦に対してかなりの好感を持っていた。ところが「民主党が無くなろうと、自分の政治生命が絶たれようと、国家国民のために・・・」ときれいごとを言っていた矢先、先日の民主党代表選で勝利した野田は、輿石を幹事長留任させた。党の分裂を避けることが最大の理由であろうが、翁、そういうは野田の内向きの姿勢に落胆した。おまけに翁は、かねてより(小沢一郎に近い)輿石を忌み嫌っていた。理由は(輿石は)戦後の日本をダメにした元凶・日教組を背景に山梨から旧社会党公認で出てきた男。外国人の地方参政権推進、教員免許更新制反対、靖国神社反対など、ことごとく翁と考えが異なる上に(生理的に)顔が嫌い。その点、自民党幹事長に就任した石破茂は(目つきはともかく)安倍新総裁と共に思考回路は翁と同じで実に頼もしい。早く“安倍・石破コンビ”の与党(政権)運営を見たいものだ。

さて、安倍新総裁に何を期待するか――彼は(中国や韓国との戦略的互恵関係の推進を強調しながらも)まず「日本領土・領海、国民の生命を守る」ことを明言した。そのために
『日米同盟の再構築』『集団的自衛権の行使』を訴えた。集団的自衛権とは、同盟国など日本と密接な関係がある国が攻撃を受けた場合、自国の攻撃と見做して反撃する権利のことだが、現憲法下では自衛のために必要最小限度の武力行使しか出来ない。そこで出てきたのが『憲法改正論』、自民党は昨年“新憲法草案”を発表し、民主党も昨年“憲法提言”をまとめた。公明党は“新しい権利”と称する“加憲”を提唱している。このように憲法問題に触れると薄っぺらな平和主義者は直ぐに“戦争”へと結びつけたがるが、けっしてそうではない。(安倍が言うように)“日本固有の領土・領海、国民の生命を守る”ために国民にも考えて貰わなくてはならない重要案件である。安倍新総裁はまた(根拠もなく慰安婦募集の強制を認めた)“河野談話”の見直しや靖国神社参拝なども明らかにし注目を集めている。(安倍が首相になって本当に靖国参拝を断行するか否かは不明だが・・・)

“翁は正直なところ不安と期待が交錯して(今は)手放しで声援を送る気にはなれない”と書いたものの、事実上、次の首相と目される安倍晋三自民党新総裁に(もう一度)日本の未来を託そうか、という気になっている。マスコミも5年前のブザマ辞任劇を批判するばかりでは能が無さ過ぎる。「政権奪還は、けっして私のためでも、自民党のためではない、まさに日本を取り戻し、日本人が日本に生まれたことを幸せと感じ、子どもたちが誇りを持てる日本を創っていくためだ」とする“安倍の覚悟”に期待しようではないか。

安室奈美恵が歌う『Tempest』の中に♪時は巡り再来の風に吹かれて、その願いは遠く誰かの明日を照らすだろう・・・という歌詞がある。時は巡り再来の風に吹かれて再登場した安倍新総裁よ、5年前の雪辱なるか、今度こそ死ぬ気で国家国民のために“日本の明日を照らす”リーダーになって貰いたいと熱望するのは翁だけではあるまい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

畑のアーティスト 命を繋ぐ人

久しぶりに夜が開ける前の真っ暗なうちに家を出てオックスナードの畑へと向った。去年の3月11日に起きた日本での悲惨な地震と津波と原発事故後、居ても立ってもいられない気持ちになってそれが引き金になってこのオックスナードの畑のオーナーと知り合う事になるとは、どこでどんな縁が紡がれていくのか不思議なものだ。

311が起きてから今後の日本の食糧事情は、どうなるのだろう。日本の農業の未来はあるのだろうか…この数年、スパイスに対する興味から始まって食や水や土や私たちが住んでいる環境に関心が広がり始めた私の中でいろんな思いが交錯していた。311が起きる前に日本に行った時に参加した土のセミナー会場付近に、たまたまあった二宮金次郎(尊徳)のミュージアムを訪れてから益々農業に情熱を傾けて仕事をしている人に尊敬の気持ちが高まっていった頃だった。

そんな時、アメリカで成功している日本の食品会社の雑誌をパラパラ見ていて目に留まったのが全米で80%のシソの販売をしているこのN社長の記事だった。読んでいるうちに、どうしてもこの人に会いたいという強い思いに駆り立てられた。
自分でもわけもわからずN社長のオフィスを訪れた。平日は畑仕事全般をオックスナードで見ている社長は金曜日の午前中しかダウンタウンのオフィスには来ない。その代わり奥様がオフィスの仕事は全部の指揮をとっている。とりあえず、そこで奥様が先に会ってくださることになった。

何の目的で何の為にオフィスまで私が来たのかわからないままに奥様は熱心に取り留めのない私の食に対する思いを忙しい最中1時間も聞いてくれた。実は私も何故そのオフィスまでノコノコ訪ねていったのか自分でも良くわからなかった。時々気持ちが先に立って頭で考えるより行動が先に出てしまう事がある。その時もそんな感じだった。それが縁でN社長の奥様からオーガニックのお野菜作りを実験的に作っている人を紹介されそこで4ヶ月ほどお手伝させていただく事になったのが昨年の事だった。初めて経験する種蒔きから始まって農業という仕事の奥深さに感銘した。

ともかくそんなこんなでこのN社長の畑に今回2度目の訪問をさせていただく事になった。当初友達2人と行く予定だったのが行きたい人が増えて4人の女性でN社長の畑に押しかける事になった。
社長は起きるのがとんでもなく早い。まだ真っ暗な宵っ張りの人が寝る時間ぐらいに起きて日が沈んだら間もなく寝てしまう。太陽と共に生きる太古の人間のライフスタイルなのだ。そんなわけで突然訪問者が増えるという連絡も気がついたら前日の夜9時だったので睡眠中の社長を起こすわけもいかずそのまま翌朝、畑に直行してしまった。

私たちが到着するなり社長は″あれっ?2人だと思ったから今日は巻き寿司を2人ぶんしか作ってないよ ″と言われた。社長は私たちに食べさせるお昼の巻き寿司まで作っていてくれたのだ。畑の周りには店もないだろうからと私たちも社長と一緒に食べるお昼を其々手作りで持ち寄ってきたのだ。ところが社長もすでにこの時にお昼を用意して何やらいろいろ料理していたようだった。私たちが到着した時にはすでに社長は犬を連れて(私よりも背丈の大きい)朝の散歩も済ませ万歩計はすでに一万歩以上に達していた。朝からパワー全開だ。

ずは畑の見学からという事で車を降りた途端、目の前に美味しそうなイチジクがなっていた。皮がはちきれそうに割れかけたのが熟して美味しいそうだ。なるほど食べてみると美味しい。枝からもぎたてのフルーツは即エネルギーになりそうな感じだった。時々鳥がついばんだものもある。一番美味しい食べごろの時期を鳥は知っているのだ。採るか取られるかまるで人間と競争だ。ふと目をやると今度は柚子やスダチの木があった。なかなか手に入らない日本の柑橘に歓声をあげる私たちに社長はその実を選別してお土産用に採ってくれた。

社長の家の周りには柿や梅や葡萄やゴーヤなどいろいろ食べられるものがある。それらは自分が食べたり、人にあげたりするもので楽しみとして作っているらしい。もう少しで色付く柿を見て″あっ柿もある! ″と私が言うと″これは、神様が先、この初物は神様のお供え物だよ ″とコツンと頭を突かれた。五穀豊穣の神様もいる。自然からの恵みに感謝の気持ちを持ってお供えものをするのが礼儀だし、そういう事をこの社長は大切にしているのだなと思った。

そしてビジネスとしてシソ、大根、キュウリ、小松菜、水菜、春菊、茗荷と日本のお野菜に特化したものをたくさんここの畑では育てている。

圧巻なのはシソの畑、流石、全米の80%がこの畑から出荷されるだけあってすごい量のシソがハウスの中に青々と広がっていた。″客が欲しいと思った時に無ければ他に行かれてしまう。それでは駄目だ。いつも客が必用な時に必要なだけ出せるようにしておかないとならない ″と。社長は言った。アメリカでシソがデビューしたのは、この畑からなのだ。ここが最初の原点だったのだ。
″自分が食べたいと思ったから作り始めたんだ。別に金儲けをしようと思ったわけではない″とN社長は言った。自分がやりたいと思った事と世の中が求めているものとピッタリ合わさった時に、物事はスムースに動いていくのかもしれない。
もちろん人並みならぬ努力や苦労はあったにせよ、その根性には頭が下がる。50数年前に農業従事の仕事人として3年契約で九州から1人で志願してこのアメリカにやってきて当時は一部屋のタコ部屋で18人もの人が寝泊りする不便な暮らしを3年も耐えその中でせっせと節約してお金を貯め3年後に日本に帰りまたアメリカに戻ってきた時は自分の畑を購入してビジネスをスタートさせた。今がどんなに苦しくても先に確かな目標と夢があったから頑張れたのだと思う。それに加えて元々その人の気質というか性分がいい方向に向いたのだと思う。ただ、誰でもが出来るとは思わない。そういう卓越した強さがこの社長には元々備わっていたのだと思う。

今でも社長の目は鋭い。″農業はやってもやっても、これで終わりという事はない。まだまだ勉強する事がたくさんある″そう言う社長は今でも新しい作物を育てていて試行錯誤チャレンジしている。最近はシソの需要が増えたようでまたシソの畑を増やしたそうだ。

そのシソと練り梅で作った社長の海苔巻きは絶品だった。ただのシソと梅なのに余計なものは加えない素材そのものが一番引き立つ食べ方を実に良く研究している。柚子が香る酢飯ご飯に白身のお刺身がのった丼も、しし唐辛子のグリルしたものにポン酢をかけただけのものも、ここで採れた桃太郎で作った色鮮やかなサルサもアボガトディップも何もかもが美味しくて、どこのグルメレストランで食べるより贅沢で心の底から満足した。

私はこの社長を見ていて彼は畑のアーティストだと思った。彼らこそが私たちの命を繋いでいる人なのだと、そして日々日常、毎日天候や畑の作物とコミュニケーションをはかってそういう努力を惜しみなくしている人に本当に感謝する気持ちで一杯になった。

また、押しかけよう、そして、まだまだ聞き足りない社長の話を聞いてみたい、そう思いながらたくさんのお野菜の手土産を頂いて私たちはオックスナードを後にした。


茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

秋の夜長に静かにジャズを聴くのは良いですね。Eric Legnini Trioの"Ballads"はいかがでしょう。どの曲もゆっくり、じっくり聴くのにちょうどいい良い感じです。

"Ballads" Eric Legnini Trio

01-Don't Let Me Be Lonely Tonight
02-Trastevere
03-I Fall In Love Easily
04-Amarone
05-Portrait In Black And White _Zingaro_
06-I Can't Get Started
07-Folk Song #1
08-Night Fall
09-In A Sentimental Mood
10-It Could Happen To You
11-Prelude To A Kiss
12-Willow Weep For Me
13-Smoke Gets In Your Eyes
14-Darn That Dream
15-Folk Song #2

エリック・レニーニ(p)
トマ・ブラメリ(b)
フランク・アギュロン(ds)


ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

iPhone5をはじめとしてスマホが普及してきています。携帯からスマホに替えるといろいろ楽しめたり便利になりますが通信費がぐっと上がり、支出が増えます。収入がほとんど上がらず、むしろ目減りしている現状では、他の支出を抑えなくてはならなくなります。この結果、ある業界が大きな利益を得ている半面、他の業界では利益を減らす構造になっているのかもしれません。

Androidスマホ
ときどき面白いスマホ用のアプリがないかとチェックするのですが、初めてiPadを手にした時ほどの、感動がありません。でも「しゃべってコンシェル」は便利で面白いですね。周りに誰もいないところでやった方がいいと思います。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.855

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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