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NO.853             Ryo Onishi              9/16/2012  

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雑貨屋のひとり言

2年前に体型を維持するためにウェストがちょっときつめのジーンズを買いました。(本当はちょっとしゃれたジーンズが破格の値段だったので買ったのですが。)お腹周りに贅肉がつくとすぐきつくなります。昨年の暮れまではスムースに穿けていたのですが、今年になってかなりきつくなっています。もう一度無理なく穿けるようにしたいと思います。ジーンズやズボンがきつくなり、ウェストサイズの大きいものに替えたら、そこからメタボ体型に向かいます。そこで気がついて生活習慣を変えることをしないとそれ以降ウェストが戻らなくなってしまいます。スポーツジムのロッカールームにいると、なぜここにきているのかわかるような人がたくさんいます。人の振り見て・・・です。≪R.O≫

 

幸せのピークはいつ?

人の一生で何時がいちばん幸せな時期か? ――― この答えは、人それぞれであり、その人によって違うと思います。それこそ棺おけに足を入れたときに答えが出るのかもしれません。またその前に『幸せ』とは何か、という定義によっても考え方が異なるでしょう。

一般的に歳を重ねると「若い時代は良かった。幸せだった」と感じがちですが、必ずしもそうではなく、実は中年以降の方が満足度や幸せ度が増加する傾向にあり、幸せのピークはなんと85歳であるとの研究結果があるのだそうです。

先日、レンタル店で借りてきたDVD「ホンマでっか!?TV、2012年5月9日」によると、最近ロンドン大学の調査で、全国の科学アカデミーに出された論文があるそうです。これによると、10代から80代までの人、34万1千人にアンケート調査したところ、その中でいちばん幸福の割合が多かったのは実は85歳だったとのこと。

10代、20代で人生における楽しみや充実感で一度ピークを迎え幸福と感じる人の割合は結構多かったのですが、30代から40代前半にかけて、仕事や育児で忙しくなり、人生の重圧に押しつぶされるように感じ、幸福ではないという人の割合が増え、40代の後半からまた幸福感が徐々に上がっていって85歳がピークを迎えるという結果だったそうです。

この番組での専門家の解析によると、歳をとると収入が安定しているとか、友人関係が良くなるとか、健康であるとかが大切なことになり、幸福感をもたらす要因となるからだろうということです。健康で長生きできる幸せに勝るものはないのかもしれません。85歳で健康に恵まれこの種のアンケートに答えている人は毎日を活動的に過ごしている人たちだともいえそうです。

若いうちは良くも悪しくも身の程以上で、到達不能の夢や目標があり、その夢や目標が達成できなかったとき、自分の能力不足を悔やみ、不幸を恨むこともありますが、年齢を重ねるとともに、おのれを知り余計な心のさざ波を立てることもせず、満たされた心境になることもあるのでしょう。つまり、年をとることで、いかに生きるかの知恵もつき能力も増した結果ともいえそうです。

いずれにしても「幸せ」とは、人それぞれの主観の問題であり、相対的なものでしょう。「私は幸せだ」と実感すれば幸せなのだといえるものではないでしょうか。今の私は、自分と家族など周囲の人が健康でつつがなく日々を過ごせることが出来たら(これがそう簡単ではありませんが)最高の幸せなのだろうとつくづく感じる今日この頃です。
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


歯ぎしりの音が譲歩を迫られる

カウンターパンチ我慢の果ての果て

お立ち台 涙も長い二軍歴

手の届く頃は高嶺の花も枯れ

残像にまだ酔っている夢芝居


( ニュースやぶにらみ )


 「近いうちに」
総裁の交代だった −自民党

「尖閣諸島国が買い取る」
後出しじゃんけんにしてやられた ー石原都知事

「節水対策」
値上げが一番です。水道局殿 −電力会社


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

句会場(千駄木)周辺散歩(63)

*蔵石家の店子A−後藤貞行(1850〜1903)
 『谷根千28号』より。「土地は千坪ばかりで、地所内に高村光太郎夫妻、後藤貞行、(略)村松梢風、画家の難波田龍起さんもいた」(佐々木安正さんー蔵石徳太郎氏子息)
紀州藩士の二男として生まれ、東京などで版画、写真術などを学び、後、高村光雲を知り木彫を学び、天皇の乗馬金華山号を銅像にして馬の貞行といわれるようになります。
光雲作といわれている、皇居前広場の楠正成像、上野公園の西郷隆盛像の乗馬と供の犬は貞行が作りました。
 楠正成像の馬についてこんな話があります。高村光太郎著『回想録』より。「後藤さんは馬の解剖も委しいし、馬のことは馬学的によく知っている訳だが、原型の彫刻的気持は解らないものだから、父は困って《脚のところをもう少し曲げたらよくはないか。》と話すと、後藤さんは、《馬の其処はそんな風に曲りません。》という。そうすると父は一遍に参って了って、《それじゃあ仕方がないが、何とか曲るようになりませんか、彫刻には勢いがなくてはいけないのだから、何とかして下さい》という談判をよくしていた。」
 西郷像の犬にもこんな話があります。五代夏夫『薩摩秘話』参照。 あの犬は薩摩犬で小型犬です。西郷の巨体とはバランスが取れないので、貞行に犬を大きくするように光雲が指示しますが、芸術家であると同時に動物学者でもあり、リアルさを追求する貞行は聞き入れません。それでもなんとか《芸術作品には虚構はつきものであり虚構を使うことによってかえって真実以上のものを伝えることもできるのだ》との説得に貞行は不承不承犬を大きめに作りました。

龍翁余話

龍翁余話(246)「尖閣、中国の実力行使に備えよ」

11年前の9月11日は『米国同時多発テロ事件』勃発の日。前号の『龍翁余話』(245)でも取り上げたが、アメリカにとってこの『9.11』は“国論を1つにした愛国の日”である。偶然ではあるが、政府が尖閣諸島の国有化を決定(公表)したのも(2012年)9月11日。多少こじつけだが、翁は、この日を”日本が国論を1つにした愛国の日”と呼び、政府の勇気ある決断を高く評価したい。

政府の、この“勇気ある決断“を促したきっかけは、言うまでもなく石原都知事の「東京都が尖閣諸島を買う」発言からだ。政府は”領土を守る責任は国にある“という当然の論理をやっと(内外に)公言し、早々に地権者との交渉を本格化させた。勿論、野田首相は石原都知事との会談も重ねた。石原都知事も「(最終的には)尖閣諸島は国家護持にすべきである」と言っていたから内心は政府の動きを歓迎した。そして都知事は「国が買い取る際、島に灯台や漁船の避難施設(船泊まり)などを整備せよ」と求めた。しかし首相は(中国の反発を懸念して)首を縦に振らなかったのと、都には島の購入代金14億円余が集まっていることもあり、石原知事は最後まで(都が購入する)姿勢を崩さなかったそうだ。その証拠に今月2日、都は海上からの現地調査を行なったのに続いて、10月には国の許可がなくても自ら島に上陸して再調査を行なう考えを示していた。

石原都知事が尖閣諸島購入を表明して以来、中国の漁業監視船と称する“武装船”が尖閣諸島周辺海域を“威嚇航行”しているほか、先月、香港の愚連隊どもが尖閣諸島に不法上陸するなど中国の愚行が相次いだので、政府は日中間の対立が先鋭化するのを避けるため島の国有化を急ぐ必要があると判断し、国が算定した購入価格20億5000万円を提示して地権者との合意を得るに至った。石原都知事は「うっちゃりを食らった」と言ったが、所詮、落ち着く所へ落ち着いたわけだ。余計な心配だが、都に集まった14億円余の寄付金の使い道が気になる。東京都の(尖閣)購入計画が変更されたのだから寄付してくれた人たちに返却するか、寄金者の理解が得られるなら尖閣諸島に何らかの施設(インフラ)整備を行なう際の基金とするか、どうするのだろう?

尖閣諸島が歴史的にも国際法上でも日本の固有の領土であることは今更言うまでもないことだが、念のため概要だけ確認しておこう。1895年(明治28年)の閣議決定で尖閣諸島が日本領であることを内外に示しただけでなく、実際に魚釣島を中心に羽毛採取や鰹節製造等の事業を営むなど実効支配をして来た。第2次大戦後、尖閣諸島は沖縄の一部としてアメリカ政権下に置かれたが1972年(昭和47年)沖縄返還に伴い尖閣諸島も日本領土に復帰した。ところが少し前の1968年(昭和43年)にエカフェ(国連の下部組織・アジア極東経済委員会、のちにエスカップ、アジア太平洋経済社会委員会と改称)が「尖閣諸島周辺の大陸棚に石油資源が埋蔵されている可能性がある」と発表、それからというもの、貪欲で卑しい中国は目の色を変えて「魚釣島は中国固有の領土だ」と騒ぎ出した。滑稽千万な話だ。何が固有の領土だ?それを証明する歴史的事実はない。それどころか先頃「尖閣は琉球(沖縄)」と明記した中華民国政府発行の公文書が見つかった。中華民国というのは、1911年(明治44年)に中国で起きた辛亥革命によって清王朝が滅亡した後に成立した中国の国名。1949年(昭和24年)に共産党(毛沢東)との内戦で敗れた国民党政府(蒋介石)は台湾に逃れ、中華民国の名称は現在も台湾において用いられている(内戦に勝利した共産党は現在の中華人民共和国を国名としている)。さて、中華民国政府発行の公文書とは、1920年(大正9年)に魚釣島に漂着した多数の中国漁民を石垣の人たちが救助した。その人道的行為に(当時の)中華民国駐長崎領事は石垣市民へ感謝状を贈った。その文中に「日本国八重山郡尖閣列島」と記されている。そればかりではない。今から約330年前の古文書(清国の地理書『大清一統志』)の中に「清国領は台湾北東端(現在の基隆市)まで」と定めている。なお、終戦後、“対日平和条約”で日本が放棄した台湾には、尖閣諸島は含まれていない。

『尖閣諸島は日本固有の領土』であることは、これらの歴史的・国際的見地から明々白々であるのに、日本はこれまでに中国のウソと言いがかりに対して“甘い対応”をして来た。それが“成熟した国家の、おとなの外交”と勘違いしていた、のと、本音の部分では中国と事を構えたくなかった。姑息で卑劣で未成熟な中国は、そのような日本を“弱腰”と判断し威張りをエスカレートさせた。挙句の果てに「尖閣は中国の核心的権益」を国是とし、なりふり構わず覇権主義を露骨化して来た。冷静だの国際常識・倫理だのを求めても(彼らは)聞く耳も心も持たない。それどころか、今後、日本に対して更なる実力行使をもちらつかせている。ならば日本は、中国の恥知らずの無法行為にどう対応すべきか。

翁が愚考するに、まずは国際社会に(あらゆる手段を講じて)『尖閣諸島は歴史的にも国際法上も日本国固有の領土である』ことを訴え、国際世論を味方にするためのインターナショナルPR活動を継続的に展開すること。一方、中国の実力行使(領海侵犯、不法上陸)に備えるべく(かねてより翁が主張しているように)法改正に伴う海保の権限(活動)強化、巡視船や保安官の増強、装備のグレードアップ、並びに集団的自衛権をもって陸・海・空自衛隊の海保支援活動態勢強化などを確立すること。そしてもう1つ、やはり何と言っても『日米安全保障条約』に基づく米軍の支援態勢強化を求めること。そのためには普天間基地問題もオスプレイ問題も(国家の危機的側面から)政府は沖縄に理解を求める命がけの説得を急がねばならない。この秋以降、日中両国の政局がどう変わるか分からないが、むろん、日本は中国に対して従来の戦略的互恵関係(日中の平和共存・世代友好・互恵協力・共同発展)という崇高なる目標をもった外交努力は続けなければならない。しかし、尖閣諸島の“一寸の砂利”も踏ませてはならない・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

スパイススナック

米国のマーケットのスナック菓子売り場を見ていたらスパイス味のクラッカーがあった。粗引き黒胡椒、ローズマリー、ディル、ガーリック、キャラウェイ、パルメザンチーズとガーリック、ガーデンハーブローストトマトと、どれも試してみたくなる味だ。とりあえず今回はキャラウェイと粗引き黒胡椒を試してみる事にした。

スパイスとしてキャラウェイは種の部分を使う。よくライブレットにも入っている茶色の細長いゴマぐらいの大きさのもので噛むと少し野生的な香ばしい香りが口の中で広がる。クセのある味なので好きな人と嫌いな人がいると思うが私はドイツの黒パンに入っているあのキャラウェイの味が何となくエスニックな感じがして好きだった。

それに比べると黒胡椒は料理にもっとも多く使われる一番馴染みのある万人に受けるスパイスだ。これは期待以上の味だった。粗引き黒胡椒のピリッと引き締まった味と軽いオリーブオイル風味と塩見のバランスがいい。口の中で全粒粉小麦のサクサクした歯ざわりも気に入った。オードブルとして生ハムやサーモンやチーズなどいろいろなものに合いそうで利用範囲もたくさんありそうだ。もちろん、そのまま食べても充分美味しいスナックだ。

他のアメリカのスナック菓子などのように変に塩見が強かったり変に後を引いたりすることもない。素朴な味わいで健康的にも良さそうだ。

日本では、この胡椒、黒より白の胡椒を良く使う。子供の頃は胡椒と言えば白胡椒しか使っていなかったように思う。ラーメンや野菜炒めなど頻繁に白胡椒が登場した。米国に来てフレンチフライポテトに黒胡椒を使うのを見てそれがだんだん当たり前になり久しぶりに日本に帰ってマクドナルドのフレンチフライをオーダーした時に黒胡椒が無いと言われ驚いた。
注意してみると日本のレストランではあまり黒胡椒をおいてある所が多くなかったと思う。

黒胡椒に慣れると何となくあのパンチの効いた胡椒が無いと何だか物足りないような気がする。
もう少し、塩見が欲しいなとか、もう少し味のアクセントが欲しいなと思った時、いつでも手軽に使えるようにと今はマイソルト&ペパーと称して小さなボトルにヒマラヤのピンクソルトと黒胡椒をバックに入れて持ち歩くようになった。

この白胡椒と黒胡椒は同じものなのだが黒胡椒の方は未熟果のものを乾燥させたもので白胡椒の方は完熟した実を水につけてから表皮をはがし乾燥させたものなのだそうだ。だから白胡椒の方が手間隙かかっているぶんだけ値段が黒胡椒に比べるとやや高くなる。

ただ胡椒の芳香成分の精油は表皮にかなり含まれているので黒胡椒の香りの方が強い。黒胡椒は野性味のある辛さでピリッとしていて白胡椒の方はマイルドで上品な辛さだ。グラタンやホワイトソースなど白っぽい料理によく使われている。

昔、この胡椒はなかなか手に入らない貴重なスパイスだったらしい。金と同様の価値があって中世の頃は結婚の持参金や税金にもスパイスを使った記録があるようだ。やがて、このスパイスを巡ってスパイス戦争が起きたくらいなのだから胡椒が歴史のドラマに一役買っていたのは面白い事実だと思う。

中国では漢の時代にシルクロードから胡椒が伝わって日本には奈良時代に伝来したらしい。やがて陸から海への海路が出来今では空路が広がって時間と空間を短縮出来るようになった。

3000年前のサンスクリット語の医学書にも胡椒に関しての医学的な効能が書かれてあるそうだ。
ブラックペパーは胃液の分泌を刺激し消化を促進する役目があるので肉料理やフライ料理にも合うわけだ。また治療として下痢やコレラ、関節炎にも使われていたようだ。

そう言えば西洋の伝説に面白いエピソードがあって怪獣から逃れる時に女神が怪獣の目に持っていたペパーの粉を投げつけて難を逃れたというのを読んだ。今でもこのペパースプレイが護身用として店でも売られている。

数年前に山仲間の友達から熊と遭遇した時に使うスプレーをもらったが、それもペパースプレーだった。これはチリペパーも入っているようだが、まだ1度も使った事がない。小型の消火器のようで
結構重いのでキャンプにはいいけれどバックパックには重過ぎる。
バックカントリーを歩きたい私にとっては、料理用とは別に、念の為に一握りの胡椒をポケットに忍ばせて持ち歩く方がいいのかな〜などと思ったりしている。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

Yesterdayはビートルズの有名な曲ですが、JazzではYesterdaysという曲がスタンダードになっていて、たくさんのアーティストが演奏しています。
今日はその中から、Manhattan Trinityが演奏するYesterdaysを選びました。
このグループのアルバムはTSUTAYAにたくさんあるので、音の響きがきっと日本人受けするのだろうと思います。大変聴きやすく私も好きなアーティストです。雑貨屋593号でLove Lettersというアルバムを紹介しています。

"Best Master Qualities"  Manhattan Trinity

01-Yesterdays
02-Gentle Rain
03-Charade
04-Stolen Momants
05-Alfie
06-I Remember Clifford
07-You And The Night The Music
08-Love Letters
09-Misty
10-NTB
11-St_ Thomas
12-Take The _A_ Train
13-Everything Must Change


ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

スマホやタブレット型PCがものすごい勢いで普及していて、従来のPCは売れなくなってきています。スマホやタブレットPCはモバイル性に優れていて、かなりのことが出来るので、従来のパソコンを使っている人も、そうでない人にとっても便利に使えるからだと思います。
かつて、ウィンドウズが発売されPCが普及し始めたころ、サウスベイのパソコン教室で、「PCで何ができるのか?」と聞かれたことがあります。「どんなことでも出来ると思います。ただし、あなたに何かをしたいという意思がなければただの箱になってしまいます。」と応えたことがあります。あれから27年が経ち、目的をもってPCを使っている人は今でも便利に使っていると思います。従来のPCであれスマホであれ、やはり何がしたいのかということが、大事なのではないでしょうか?


雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.853

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com