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NO.838             Ryo Onishi              6/3/2012  

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雑貨屋のひとり言

久しぶりに一泊で温泉に行きました。兵庫県の日本海側にある香住というところです。城崎温泉から4つ目の駅です。ウィークデーで、ちょっと季節外れだったこともあって人も少なくのんびりできました。次の日、播但線の竹田駅に下車しました。そこから標高354メートルの古城山(虎臥とらふす山)の山頂にある"天空の城"竹田城跡を訪れるためです。駅から見える登り口から、急峻な道を汗だくで息を切らしながら歩き、たどり着いた山頂は想像以上に広いので驚きました。1431年築城の竹田城の石垣はほぼそのままの状態で残っています。戦国時代、354メートルの山頂にこんな大きな城を築く力と技術があったということに感心させられます。季節と時刻を選べば、雲海の中に浮かび上がる天空の城が出現します。竹田城跡はここ2〜3年で有名になり、今年の連休にはものすごい人が押し寄せたそうです。心に残る、楽しい二日間でした。
播但線JR竹田駅 竹田城跡登山口 天守台付近から見た南千畳方面
南千畳からみた天守台 頂上から見た竹田の町 竹田駅から竹田山頂を見る

≪R.O≫

 

ペット名入りのライセンス・プレート

アメリカ合衆国では車のライセンス・プレート(ナンバー・プレート)は車両管理局(DMV:Department of Motor Vehicles)が発行します。ここカリフォルニア州では乗用車の場合、ライセンス・プレートは州の名前および、7文字のアルファベットと数字が表記されたものが使用されています。たとえば『6ABC123』といった感じです。古いプレートの中には7文字より少ないものもあったりします。特殊プレートとして、州、市などが所有する公用車(警察車両を含む)や領事や外交官専用のナンバープレートが別にあるのは日本と同じです。

この文字・数字は、追加料金を支払うことによって好きな組み合わせを選ぶことができる仕組みになっています。自分の名前や会社名をそのまま使っている例をしばしば見かけます。また、一部の特殊記号も使用がO.K.で、たとえば『#』、『ハートマーク』、『手のひらマーク』なども追加料金込みで使用できます。これらの記号を使って『Tom ハートマーク Sue(Tom Love Sue)』、『JOE IS #1(JOE IS NO.1)』などといったプレートが恥ずかしげもなく堂々と(?)街中を走っています。

カリフォルニア州ではこの5月からペットの名前を入れたライセンス・プレートの使用が認められることになりました。5月2日には、カリフォルニア州のブラウン知事が愛犬サターと一緒にウエスト・ロサンゼルスを訪れ、新たに追加されるペット愛好家のための車両ライセンス・プレートの普及キャンペーンに参加したと報道されていました。プレートには犬のイラストが描かれ、車両管理局(DMV)が発行するプレートの場合は50ドル。自分のペットの名前などを入れる特別注文の場合は、98ドルとなり、2?6文字を選ぶことになるのだそうです。

今回新たに新設されたカリフォルニア州のライセンス・プレートのデザインのひとつに加わった「ペット・ラバース・ライセンス・プレート」は、シェルターで殺処分される犬や猫の数を減らすことを目的としています。収益はシェルターに預けられたペットの避妊去勢費用に充てられ、無計画に生まれてくる子犬や子猫の数を減らすのが狙いということです。

このプレートが実際に街中に出現するには、申し込み件数が7,500件に達してからだそうですが、購入希望者はオンラインでも事前申し込みができ、5月初旬にはすでに5千件を超えているそうで、ペットの名入りのライセンス・プレートをつけた車に出会うのも意外と早そうです。ペットのプレートを装着した車を覗いたら、実際にかわいいワンちゃんやお犬様が悠然と乗っていたりして、思わず顔が緩むのではないでしょうか。愛犬を乗せて運転する人の得意そうな顔が今から目に浮かびます。

アメリカでは諸事情でシェルターに預けられ、殺処分されるペットは年間何百万匹といわれます。動物愛護の国アメリカでこの現状を食い止めるために考え出された策と思われますが、動物愛護と虐待のはざまで苦悩するアメリカの現状をよく現していると思います。それにしてもカリフォルニア州とDMVはなかなか粋な妙案をひねり出したものです。 
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

さくらの独り 言 「」

今週はお休みです。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


じいちゃんは便秘も下痢も正露丸

キーを打つ指など俺の手にはない

じいちゃんが満開になる夏祭り

男気に火中の栗の火傷跡

江戸っ子の血が老骨の髄までも

( ニュースやぶにらみ )

「それでも心配」
震度と信度 −大飯原発

「三本の矢」
折れない −野田、小沢、輿石

「スカイツリー」
−何が見えた
−人人人


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(233)「スパイ天国・ニッポン」
 

まことに個人的な古い話で恐縮だが、今から約35年前あたりの数年間、翁が台湾との教育文化交流活動を行なっていた頃、ある日、突然、“警視庁外事課”の佐々木という警部が翁の自宅にやって来た(もう35年も前のことだから実名を出しても問題はないだろう)。当時、翁は“外事課”というのを知らなかったので(好奇心旺盛だった翁は)佐々木氏に来訪目的を聞く前に“外事課とは”を教えて貰った。“警視庁外事課”は警視庁公安部(公安警察)に所属。公安警察は、政治犯やカルト(反社会的宗教団体)、暴力団、右翼団体、左翼団体、テロリズムなど、国家の治安、体制を脅かす事案、事態に対処するための捜査・情報収集を行なう。傘下の“外事課”は国際テロリスト、国際スパイ、日本国及び日本人が絡む国際犯罪等の捜査、また各国大使館や国外の情報機関(特にアメリカ中央情報局や連邦捜査局、イギリス情報局秘密情報部など)と常時、緊密な連携を行ない、テロやゲリラなど国家治安維持に関する警戒態勢を敷いている。“外事”には3課あり、第1課は在外大使館関係、欧米関係外事(スパイ、犯罪)捜査、第2課はアジア関係外事捜査、第3課は国際テロ関係捜査を担当する、などの説明を受けた。佐々木警部は外事第2課、つまりアジア全域のスパイ、犯罪捜査担当のチーフだったと記憶する。

1972年9月、時の総理大臣田中角栄が中国共産党の毛沢東主席と握手し、周恩来首相と日中国交正常化の署名を行なって以来、日本政府はそれまでの中華民国(台湾)との国交を断絶、政財界、文化教育関係団体など日本中がこぞって中国へなびいている時、翁は逆に台湾の政財界、文化教育関係団体との交流を(いっそう緊密に)行なっていた。そんな時の“警視庁外事第2課“の来宅である。”さては翁が台湾において日本と中国共産党の動きに関する諜報活動を行なっているのではないか、との嫌疑で探りに来たか?“と思い、彼に言った「佐々木さん、来訪の目的がそういうことなら、とんでもない誤解だよ」彼、慌てて否定した。「お願いがあって参りました。ご承知の通り日中国交回復によって日本と台湾との公的関係が閉ざされました。しかし、国際犯罪は国交の有る無しに関係なく起こります。日本人、台湾人が絡む事件は後を絶ちません。そこでお願いというのは(政府レベルを超えて)台湾の警察機構との協力関係を継続するため、仲介の労をとっていただきたいのです」翁より少し年上に見えた彼だったが、あくまでも低姿勢だった。

「政府レベルを超えて」とはいうものの、こんな大事を翁ごとき野に在る人間に依頼するだろうか?これはやはり“探り”だろう、といぶかったが、別に翁は探られても何の後ろめたさもないので請われるままに、早速(台湾の要人の協力を得て)行政院(内閣)経由で中華民国法務部調査局と台北警察のトップを佐々木氏に紹介した。その後、台湾(警察)当局と警視庁外事第2課がどのような協力関係を図ったか詳細は知らされていないが、これを機に、翁は“外事“の任務、つまり国際テロ事件やスパイ(諜報活動)事件捜査に格別の興味を持つようになった。昭和50年以降、今日に至るまで主なスパイ(及び類似)事件だけでも約90件を数え、翁、1つ1つの事件の内容・背景・結末を注視して来た(具体的な事件名や内容は割愛)。そのほとんどが中国、ロシア、北朝鮮がらみ。翁が『余話』で(過去・現在の)日本政府の国家危機管理意識・能力の低さ、未熟さ(脇の甘さ)に怒り、特に「中国・ロシア・北朝鮮を警戒せよ」と吼え続けるのも、元をただせば前述の佐々木氏との出会いに始まる。だから古い話なのだ。

さて、近頃、在日中国大使館の1等書記官だった李春光(45歳)が外国人登録証明書を不正に使って銀行口座を開設するなど、ウイーン条約で禁じられている外交官の商業活動をした疑いが強まり警視庁公安部が外務省を通じて中国大使館に李の出頭を要請していたところ、同大使館ぐるみで李をさっさと帰国させてしまった。公安部は国内法の公正証書原本不実記載や外国人登録法違反(虚偽申告)容疑で書類送検した。読売新聞によると、この男はもともと中国人民解放軍総参謀部出身で、大使館員として赴任する以前からたびたび来日、外交官としての身分を隠して諜報活動を行なっていたらしい。驚いたことに、彼は、農水省の筒井副大臣に接近、同副大臣が主導する中国への農産物輸出事業に深く関わっていたようで、頻繁に副大臣室に出入りし、中国国有企業を紹介したりなどしていたという。中国諜報員との癒着が事実であれば、筒井副大臣はもとより鹿野農相の責任も免れまい。また李は、一部の防衛関連企業とも関係を持ち、同企業の社員が中国大使館をたびたび訪れていたとも伝えられている。忍び寄る者に何ら警戒心も持てない政治家や官僚、自社のビジネスだけに血まなこになり国家の利益・損失を考えない企業に『国家的危機管理意識』を説いても仕方ないか――所詮、日本はスパイ天国なのだ。

日本に『スパイ防止法』がないというのも驚き呆れる。1980年代から自民党は『スパイ防止法』整備の必要性を論じ国会に法案提出を図ったが、この法案が国民の権利制限に直結する法律であるとか、報道の自由が侵害される、などの理由で大多数のマスメディアが反対した。国家的視点に立てないで偏ったジャーナリズム(エゴ)を主張するマスコミの悪癖が、この国家的重要法案を潰してしまった。それでも自民党は1985年6月に議員立法として当法案を衆議院に提出したが、当時の野党(社会党、公明党、民社党、共産党ほか)が断固反対、結局、廃案に追い込まれた。なお、近年では2008年結成の改革クラブ(現・新党改革=舛添要一代表)が公約として『スパイ防止法』の成立を掲げたし、また2011年10月、現政権の野田内閣が『秘密保全法』という名で提案している。更に今回のスパイ疑惑で、松原仁国家公安委員長は、スパイ行為を直接取り締まる法律がないことについて「国益を守る上で重要な課題であり国会などで広く議論されるべきだ」と述べている。内外難問山積のこの機に翁、野田首相に物申す。ここにきて小沢に振り回される時間などない。乾坤一擲は小沢ごときを相手に使うのではない。早く獅子身中の虫を退治して国家国民のためにのるかそるかの大勝負に出よ!・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

木材祭り A本番と打ち上げパーティー

木材祭り当日の夜明けは地平線の向こうから太陽が力強く昇り始め茜色の空が広がった。
今年のスタッフの黒いTシャツの背中には燃えるような炎の赤い文字が英語で ″かしの木スピリット ″と描かれてあった。そのイメージとその日の朝に見た太陽が重なり合った。昨日の雨に洗われて本番当日は雲ひとつない気持ちのいい青空が広がった。

″いつも木材祭りは、お天気に恵まれて雨が降っていてもイベントが始まる頃にはピタリと雨が止み終わるまで待っていてくれるのですよ ″とスタッフの女性が話してくれた。そしてその日もスタッフの気持ちが天に届いたように見事にお天気は回復してくれた。
特に雨上がりの朝は清清しく空気が澄んだ感じがして晴れのち晴れより雨のち晴れが私は好きだ。7時からの早朝ミーティングと最後の準備に間に合うようにスタッフの方がホテルに迎えに来てくださり会場に母と向った。一昨年前はお客様としてマイクロバスで送迎していただいたが今年はこの木材祭りのスタッフとして参加出来る事がとても嬉しく思えた。

かしの木建設は昭和39年に設立された会社だ。現在は27人もの大工さんを抱える大所帯だ。先代の社長は若い頃、岩手で大工職人として修行し経験を積んでこの千葉に移ってきたそうだ。
″昔の親方は何にも教えてくれなかったから自分で先輩の仕事を見て自分なりに覚えるしかなかったよ。でも今の若い大工さんに昔のやり方でやったらすぐに辞められちまうよ ″と苦笑いしていた。今は社長から会長になられ3年前から息子さんが社長になられ若手の大工さんを率いて頑張っている。それにしても1代でここまで会社を大きくしてきた会長のエネルギーと情熱には頭が下がる。この世代の人たちが其々の分野で頑張り猛烈に働いて今の日本をひっぱり支えてきたのだなーと感慨深い気持ちで胸が一杯になった。

一年に一度の木材祭りを盛り上げる為大人も子供も社員全員の家族が揃ってその準備をテキパキ手伝っているのを見ていて気持ちが良かった。大人と同じ大工服を着ている子供に″将来は大工さんになるの?″と聞いたら、コクリとうなずいて″なるかもしれない ″と言っていた。
未来の担い手を育てる為にも父親の会社や仕事ぶりを見せるというのは素晴らしい事だと思う。
父親の後姿を見て育った子供たちが今またこのかしの木建設でも会社の担い手になっている。

スパイスのブースの準備も終わり時間があったので会場の中を探索してみた。会場には一昨年と同様餅つき用の新しい杵も用意されバーベキューコンロも用意されていた。大工さん達が忙しい仕事の合間に作った木の作品のテーブルやイス、和風スタンドや書類入れ、木琴や食器棚まで一品ものがズラリと並んでいる。その中の作品の一部は販売され今年はその一部が復興金に当てられる。そしてその作品の一部がたくさんのお客様にくじ引きでお土産としてプレゼントされる事になっていた。
 


そしていよいよ幕開け10時半の受付開始と同時にマイクロバスや自家用車で続々お客様がやってきた。
オープニングセレモニーは、賑やかなアップテンポの音楽で″まぐろの解体ショー ″が始まった。
席から立ちあがってお客様がその周りに集まり、いきなり会場は熱く盛り上がった。それから開会の挨拶、社長の挨拶に続き社員家族全員が舞台に上がり1人1人自己紹介するシーンもなかなか良かった。皆其々に個性があり元気で、お客様からの拍手や爆笑で益々舞台は盛り上がった。
そしていよいよランチスタート、カレースープの前にも行列が出来た。ちょっとドキドキしながら自分でも味見をしてみた。昨日より味が馴染んで味わいが出てきたような気がした。″カレースープというより

はかぼちゃスープに近い感じになりました。 ″と説明しながら会社のスタッフの方と、どんどんカレースープを配った。″甘口カレースープとやや辛口がありますが、どちらがいいですか?″と聞くと″辛い方 ″と答えるお客様が多かった。″美味しかったですよ、″と何人かのお客様が声をかけてくださった時は本当に嬉しかった。社長が″もう今年は木材祭りを止めようかなと思う時もありましたが喜んでくれるお客様がいると思うと、またその喜んでくれる笑顔を見たくて頑張っちゃうんですよ″と話してくれたその気持ちが良くわかった。

一昨年のアトラクションイベントでは其々の親方と弟子のグループでいかに早く材木を切れるか腕を競い合い観客席からは応援や掛け声が飛び交った。人を育て一人前にするのは本当に大変な事だ。その信頼関係は上司との尊敬がないと出来ないし続かない。今まで米国日系企業で営業として働いてきた私には皆で一致団結して協力しあい何かをやるといった事は無かったのでとても新鮮な感動を覚えた。以前の会社ではミーティングや研修以外はどこで何をしようと売り上げだけあげていれば誰も何も言わなかった。その代わり売り上げが無ければ容赦なく切り捨てられる競争社会の中で孤独はつきもの、同じ会社であってもグループごとの競争もあり同じグループでもテリトリーの問題や売り上げがあって其々が一匹狼で戦わなければならなかった。それに外の敵よりも内側にも敵がいるという事も厳しい現実だった。組織が大きすぎて社員の声が届かない。上からは現場が見えないという事も多々あった。
この数年、会社を辞めてから農業や土に関わりあって仕事をしている人、建築関係の人、職人の人と知り合う機会があり皆、元気で生き生きとした顔をしているな〜と感じた。
27人の侍大工たちも実に1人1人いい顔をしていた。気骨が入っていて英語で言うとクールな(かっこいい)存在に見えた。そして最後は木遣り唄と手締めで木材祭りは終了した。木遣り唄とはウィキぺディアによると労働歌の一つで1202年に栄西上人が重いものを引き上げる時に掛けさせたた掛け声が起こりだとされるそうだ。また他の説明では民謡の一で大木や岩を大ぜいで運ぶときに歌う仕事歌で地突き、棟(むね)上げ、祭りの山車(だし)を引くときなどにも歌われるとあった。
一昨年初めてこの唄を聞いてその意味もわからなかったけれど何かとても感動した。

先週の土曜日はこの木材祭りに関わったスタッフの打ち上げパーティーがあり母と一緒に招待していただいた。今日は皆いい顔しているなーいつも仕事中もそういう顔をして仕事してくれよ。先週は忙しくて皆食べる時間がなかったと思う。俺も実はマグロを一口も食べる時間がなかった。だから今日は食いたいだけ腹一杯たくさん食ってくれ!こんな社長の挨拶で乾杯が始まり、その後、どのテーブルからもジュージューモクモク勢いよく出る煙と炎に包まれながら皆、豪快に焼肉を食べまくった。その勢いにつられて私もガツガツ遠慮なく、たくさん食べた。
27人の侍大工とその家族も入れると総勢62人の大家族、その家族の中で暖かいぬくもりに包まれ楽しく美味しい時間を過ごさせていただいた。

かしの木の会社のホームページに ″呼吸する家、木の持つ力で暮らし方が変わります。″と言うキャッチフレーズがあったが私の場合のキャッチフレーズは ″植物の持つ力で体が変わります ″こういう啓蒙活動をやっていこうと思っている。

社長が ″また、来年も是非手伝ってください。″と声をかけてくださった。とても嬉しかった。
今年の木材祭りは今までの最高で420名ものお客様がいらっしゃった。″来年はスパイスを使ったデザートだ!″かしの木スピリットに負けないように私もまた頑張ろうと思った。来年はどんなギネスが生まれるのだろう…そう思って心の中がワクワクした。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

今週はMからピックアップしました。Manhattan Jazz Quintetは略称がMJQになりますが、Modern Jazz Quartetと同じで紛らわしいです。ジャズにはManhattanとつく曲名が多いことに気が付きます。今週はアルバム名がManhattan Bluesです。家でじっくり聴くのにいいです。
"Manhattan Blues"  Manhattan Jazz Quintet

1 Blues March
2 St. Louis Blues
3 Manhattan Blues
4 Sweet Basil Blues
5 Blues In The Night
6 Basin Street Blues
7 Bag's Groove
 
ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

 

編集後記

息子がタイに仕事で行き、バーツが安くなっていて驚いたそうです。今月中旬にハワイ行きを計画している私たちにとってもドル安でありがたいのですが、ほとんどすべての通過に対して円高になっている日本の 輸出関連企業はつらいですね。

iPad

OSのバージョンアップをしました。iOS5.1です。特に何が良くなったのかわかりません。OSのバージョンアップがあると、毎日のようにアプリの更新を知らせるマークがアイコン上に点灯します。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.838

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com