龍翁余話(230)「根津・千駄木を往く」
年齢を重ねるごとに人混みや車の渋滞を避ける傾向が強くなり、近年は“連休=お宅族”になっている翁である。先頃のゴールデン・ウイークもまた自宅でごろごろ、と決め込んでいたが、某紙のコラム欄に紹介された“根津神社のツツジが満開”の記事に誘われて、雨切れの5月4日の朝、急に思い立って“ツツジ見物”に出かけることにした。実は翁、かねてより(根津に隣接する)“千駄木散策”の機会を狙っていた。千駄木には、夏目漱石、林芙美子、川端康成、永井荷風ら文人の居住の跡がある。昨年3月配信の『龍翁余話』(169)「馬込文士村」にも書いたが、東京には“文士村”と呼ばれる地域があちこちにある。例えば(馬込をはじめ)早稲田、新宿、田端、本郷など。千駄木を文士村と呼ぶ記録(記述)はどこにも見当たらないが、著名文士たちが千駄木に居住していたのは確かだから、翁は敢えて“千駄木文士村”と呼びたい。翁が千駄木散策の機会を狙っていた理由(わけ)は、“千駄木文士村散策”そのことであった。翁は早稲田、新宿、田端、本郷、そして馬込の文士村については比較的知っているほうだが千駄木にはまだ一度も行ったことがなかった。そこで“根津神社のツツジ”見物のあと千駄木を歩くことにしたのだが、果たして・・・
台東区上野の谷中、文京区根津、千駄木を総称して『谷根千(やねせん)』と呼ぶそうだ。
いずれも山手線の内側にありながら、あまり戦災を受けず、また大規模開発を免れたため、
ひと昔前の街並み(大正・昭和のレトロの雰囲気)が残っていることと政治・経済・文芸の歴史を偲ぶことが出来る点が共通しているとのこと。谷中については、かつて『余話』で散策記事を記したことがあり、谷中霊園には徳川慶喜(15代将軍)、横山大観(日本画家)、渋沢栄一(実業家)、長谷川一夫(俳優)、鳩山一郎(第52〜54代内閣総理大臣)らが眠っていることを紹介した。新しくは森繁久弥(俳優)も。
さて、根津の地名の由来を調べると、何と、その昔(いつ頃か知らないが)この近くまで海が入り込んでいて(入り海)、その根っこに津(船着場)があったことから“根津”と命名された、とある。その歴史を偲ぶ面影は見当たらないが、根津と言えば根津神社、ここには確かな歴史が今も大勢の人々に親しまれている。社殿は宝永3年(1706年)、徳川5代将軍・綱吉が養子の6代将軍・家宣(3代将軍・家光の孫)のために屋敷地を献納して天下普請したと伝えられている。社殿7棟が国の重要文化財に指定されており、東京十社(明治天皇によって鎮護と万民の平安を祈願する勅祭神社として指定された王子神社、氷川神社、白山神社、亀戸天神社、根津神社、富岡八幡宮、神田神社、芝大神宮、日枝神社、品川神社」)の1つ。翁、拝殿で“国家繁栄”、“我が身、我が社、家族、友人知人の安泰”など盛り沢山の願い事をして、すでに盛りを過ぎようとしている(境内の)ツツジ路を歩いた後、神社で貰った地図を頼りに、神社の裏門(千駄木口)を出て“根津裏門坂”から千駄木エリアに入る。
“文士村”と呼ばれる場所は不思議と共通するムードがある。坂道が多く、高台と下町の混成地、あちこちに自然が残る佳境に包まれ、明治・大正・昭和を駆け抜けた文士や芸術家たちが燃え、輝き、慟哭した場所・・・“馬込文士村”を思い出しながら“藪下通り”を往くと左右に森鴎外、夏目漱石(この地で『我輩は猫である』が執筆された)、林芙美子らの居住跡があるはずなのだが、いっこうに見当たらない。この地の住人らしき年配の男性に訊いてみたら「立て札はあるようですが、どの場所か定かではありません」との返事、いささかガッカリ。でもまあ、“団子坂”を越えると佐藤春夫、江戸川乱歩、川端康成、高村光雲・高村光太郎(いずれも彫刻家・詩人)親子の宅跡がある(と、地図に書かれてあるので)それを期待して歩き回った。が、結局は住人が言ったように「立て札だけ」。ああ、これなら“文士村”とは言い難いだろう。だが、前述の文士たちが居住したことは事実。ならば行政よ、地元民よ、これだけの“文化財(歴史)”を埋める(放置しておく)ことはもったいない、この際、かの文士・芸術家たちの遺徳を偲ぶ“千駄木文士村”を立ち上げてはいかがだろう、そんなことを考えながら最後の目的地『旧安田楠雄邸』に向かう。
『旧安田楠雄邸』というのは、日本四大財閥の1つ、安田財閥の創始者・安田善次郎(1838年〜1921年、東大“安田講堂”生みの親)の孫にあたる安田楠雄(安田財閥3代目)の旧邸だ。1919年(大正8年)の建築。趣のある玄関、クラッシックな応接間、市松模様(格子模様)の格天井、長い廊下と縁側、特殊加工のガラス戸、眺望のいい2階の和室、家族の生活空間(茶の間・台所・洗面所・風呂場)など、どこもかしこも見ごたえはあるが、翁が一番興味をもったのは、江戸時代の御所や将軍家の御用人形司の流れをくむ永徳齋(えいとくさい)3代目・山川保次郎作の“五月飾り”(写真中央)。“3代目永徳齋”の研究者である圓佛(えんぶつ)須美子さんの判りやすく説明で、翁、その豪華で精巧な、そして雅な一つひとつの作品に魅せられた。これぞ日本の美術工芸・伝統文化の粋と言うべきか。機会があれば『人形司四代の技と美の世界』を追求したみたいという新たな意欲を掻き立てられた『旧安田楠雄邸』見学であった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |