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NO.834             Ryo Onishi              5/6/2012  

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雑貨屋のひとり言

連休後半は天気が荒れましたね。大雨や竜巻まで発生して大変なところもあるようですが、みなさんのところは大丈夫でしたでしょうか?
日本中の原発がすべて停止し、今年の夏は電力事情が不安定になりそうです。
私たちは電気によって便利さ快適さを享受していますが、便利さや快適さと引き換えにリスクがあるということをまじめに考えていなかったですね。まじめに考えましょう。≪R.O≫

 

ロサンゼルス暴動20年

日本企業の駐在員として私がロサンゼルス(郊外のトーランス市)へ着任したのは1885年6月でした。トーランス市は明るいきれいな街並みで、ジャカランダの木に魅惑的な紫色の花が一面に咲いていました。現地の人々は陽気で明るく親しめそうでした。

しかし、そんな私も日本では考えられなかった人種差別の現実を目の当たりにすることになります。1992年4月29日から約1週間にわたり発生した「ロサンゼルス暴動」です。あれから満20年が経過しました。

この暴動の直接の引き金は「ロドニー・キング事件」ですが、それ以外にもアフリカ系アメリカ人の高い失業率、韓国人店主による黒人少女射殺事件とその判決に対する不満などが重なり、鬱積した不満がロサンゼルスのサウスセントラル地区の黒人社会に渦巻いていたのでした。そこに「ロドニー・キング事件」裁判の陪審員表決が出て一気に爆発したのでした。この事件とは、その前年にロドニー・キング氏という黒人男性がスピード違反でパトカーに追われ逮捕された際、LAPD(ロサンゼルス市警察)の白人警官数人に殴る蹴るなどの暴行を受け、その様子が近隣の住人のビデオ・カメラに収められ、映像がテレビ・ニュースで全米に放映されたため大騒ぎになったものです。

警官隊の暴力に対する裁判で、陪審団は白人警官たちに無罪判決を下したため、人種差別があったとして黒人たちが怒り、暴動となりました。一週間近くに及ぶ騒動で、死者が53人、およそ2千人が負傷、各地で火災が多発、建物などの被害総額は10億ドル相当にも達したといわれています。

当時私は駐在員としてトーランス(ロサンゼルス郊外)のオフィスに勤務していました。私にとって「ロドニー・キング事件」とその裁判についての関心度は、警官暴行の様子がTVニュースで何度も流されていたので、それなりの関心はありましたが、本音ベースでは自分の駐在員としての業務に追われていたのが精一杯の毎日でした。

4月29日午後、なんとなく周囲の雰囲気がおかしな感じでした。実はこの日、裁判でキング氏に対し暴行を実行したロス市警の白人警官へ陪審団による無罪評決が下されたのでした。この評決に対し、怒ったサウスセントラル地区などの黒人たちが暴徒と化し、白人の乗った乗用車を横転させ、商店を襲い、放火や略奪など、市街地の秩序が失わる事態となったのでした。
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その日の夕方までは、私のオフィスがあったトーランス地域は特に騒がしい様子はありませんでしたが、自宅へ戻ると主要テレビはどのチャンネルも暴動騒ぎの実況中継を流しており、わが目を疑うばかり、まさに内乱状態そのものといった様子でした。

実は暴動が始まった翌日(4月30日)、ロサンゼルス・ダウンタウンにある日系ホテル(ホテル・ニューオータニ)で、たまたま来米中の日本の前総理だった海部俊樹氏の講演会が予定されており、私も参加の登録をしていました。当日朝、主催者側に確認したところ、予定通りとのことでしたので私も午前10時過ぎに車でオフィスを出ました。

私の勤務先のオフィス(トーランス市)は講演会場(ロサンゼルス・ダウンタウン)まで約18マイル(約30km)南にあり、♯110のFWY(フリーウエイ)を北上します。オフィス近くのFWYの入口は問題なく通過しましたが、北上するにしたがってFWYの両側は燃え広がる建物の火炎と黒煙に包まれ、とても昨日まで走っていた道とは思えない状態でした。これでは進むほどに我が身の危険を感じ、途中で引き返そうかと思いましたが、FWYの出口はすべて閉鎖されており、Uターンも出来ない状態でした。ひたすら黒煙で空が黒く染まったロサンゼルス・ダウンタウン方面へ北上する以外に方法はなくなっていたのでした。

ようやくロサンゼルス・ダウンタウンまで走り、FWYの出口を見つけ一般道路に下りましたが、それから先がまたたいへんです。どちらへ曲がってもいたるところ通行止めです。私は今日の会場(ホテル・ニューオータニ)まで行くのをあきらめ、またFWY#110を南下し、トーランスへ戻ってきた次第でした。

結果論ですが、海部元首相の講演会は行われたそうですが、私自身は安全第一で戻って良かったと思っています。この日、ロサンゼルス市のトム・ブラッドリー市長は非常事態宣言を発令しました。比較的安全といわれていた私たちのオフィスのある郊外の市もその直後、夜間外出禁止令が出され、緊張はほぼ一週間近く続きました。
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

さくらの独り 言 「」

今週はお休みです。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


夫婦別姓 ピンクの糸で結ばれる

白内障手術 明日が見えてくる

黒ネコに郵便ポスト齧られる

灰色無罪 政界を闊歩する

公約の嘘 堂々の多色刷り

( ニュースやぶにらみ )

「叫び」
負けたぁー −ピカソ
「各地で大雨」
水を差された −ゴールデンウイーク

「背比べ」
1年でこんなに伸びた −スカイツリー


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(229)「ハナミズキ逸話」

毎年のことだが、翁は4月中旬から5月中旬にかけて街路や公園などに咲く『ハナミズキ』を鑑賞するのが好きだ。白色や薄いピンク色の花が可憐、なのに、どこか(意思の)強さ、気高さを感じる。花言葉の中に“返礼(礼節)”がある。3月4日配信の『龍翁余話』(220)「美しい日本語」にも書いたが、1912年(明治45年=大正元年)に当時の東京市長だった尾崎行雄(1858年安政5年〜1954年昭和29年、のちに憲政の神様、議会政治の父と謳われた政治家)が米国へ桜(ソメイヨシノ)の苗木3000本を贈った。その返礼として1915年(大正4年)に米国政府から(北アメリカ原産の)ハナミズキが日本に贈られた、それが日本でのハナミズキ植栽の始まりだとか。今年は日本からの桜の寄贈100周年にあたる。その桜は後年、ワシントンDCのポトマック河畔に見事な“桜並木”を形成、毎年、開花の時期には全米から“花見客”が訪れ日米親善の『桜祭り』が開かれるなど、ワシントンDCを代表する春の風物詩となっている。

野田首相が4月末に訪米してオバマ大統領と首脳会談を行ない、6年ぶりとなる包括的な共同文書を発表した。その付属文書の中に“日本から米国への桜の寄贈100周年を記念してオバマ大統領から日本にハナミズキの苗3000本が贈られる”ことが盛り込まれた。これらのハナミズキは、日米両国の永続的な友好の象徴として、東京や東日本被災地など日本の各地に植樹される、としている。 
大田区・洗足池のハナミズキ 調布市・神代植物公園のハナミズキ

さて、今号のタイトルに『ハナミズキ逸話』としたのは、実は(私的な話だが)インターネットで『ハナミズキ』を検索していたら、何と“逸話”としか言いようのない事実が明らかになったからだ。その“事実”とは――どこから、どう話せばいいのだろうか?とにかく話は30年以上も前にさかのぼる――翁が台湾と文化・教育面で深い交流関係を持っていた頃、台湾五大財閥の1つ“基隆(キールン=台湾北端の大都市・基隆市)の鉱山王・顔家”の一員に迎えられ(理由は長くなるので割愛)翁の名も“顔 龍(イエン ロン)”と、顔家の名を頂戴して翁の台湾での活動を支援して貰っていた(時代があった)。
ところで、台湾の重要な国定祝日の1つに10月10日の“国慶節”がある(中国=中華人民共和国の国慶節は10月1日)。台湾の正式な国名は中華民国、“国慶節”は中華民国建国記念日である。この日を前後して外国に居住しているほとんどの台湾出身者は台湾に帰る。大ファミリーの顔一族には政治家、教育者、医者、財界人、法律家、芸術家、マスコミ人、文化人などが多数おり、台湾国内だけでなく世界各国で活躍しているが、国慶節にはその人たちが一堂に会して一族の結束(絆)を確認する(当時は、そうであった)。翁が初めて顔ファミリーのビッグ・パーティ(約600人)に参加したのは確か1979年の国慶節だった。場所は総統府の近くの台北植物園。約8ヘクタールもの広大な敷地に約1500種類もの植物が栽培され、台北市民のオアシスとして親しまれているその植物園を借り切っての一大パーティだから、それだけでも顔家の勢力と繁栄ぶりが窺えるというもの。顔財閥の創設者は雲年、2代目は雲年の弟・国年、3代目は雲年の長男・欽賢、欽賢氏は当時、すでに80歳を超え、顔一族の最長老に君臨していた。翁も氏に長寿の祝詞を述べた。その時、欽賢氏の長男で顔財閥の4代目・恵民氏と夫人を紹介された。お二人とも流暢な日本語、それもそのはず、恵民氏は早稲田大学を卒業、夫人は日本人(石川県出身)。恵民夫妻には(当時、9歳と3歳の)2人の娘がいた。名前は忘れてしまったが、2人とも、いかにも良家のお嬢さんらしく気立てのよさそうな礼儀正しいお子たちであった(と記憶する)。

翁がインターネットで『ハナミズキ』を検索していたら突然、歌手・作詞家・女優の一青窈(ひとと よう)の名が出て来た(彼女の歌に『ハナミズキ』がある)。同時に、舞台女優・ナレーター・歯科医として活躍している姉の一青妙(ひとと たえ)の名も。更に調べると、何と、2人の姉妹は台湾・顔財閥の血筋、父親の名は顔恵民、とあるではないか。翁は唖然とした。2人の名前の“一青”は母親の出身地、石川県中能登町一青の“一青”を使っているとのこと。もしかしてこの姉妹は、1979年の国慶節、台北植物園での顔財閥パーティで出会った、あの幼いお嬢さんたちなのか?だとしたら、まさに“逸話”。まるでテレビドラマのような話。“事実は小説よりも奇なり”とは、このようなことかも知れない。(なお、恵民氏は1985年に逝去。その9年後、夫人も他界した。)

早速、顔ファミリーの一員で長年、翁と義兄弟関係にある志豪君(IT企業の経営者)に問い合わせたら「妙・窈の姉妹は、間違いなく私のイトコ(従姉妹)です」即ち、志豪君の母上・顔碧仙さん(故人)は、顔恵民氏の姉上なのだ。しかも、翁を顔一族に招き入れたのは碧仙女史、翁にとって、とてもお世話になった“台湾の姉”であった。志豪君いわく「是非、彼女たちに会ってやって下さい、喜びますよ」だが翁、実は彼女たちのこと、よく知らないのだ。今回の『ハナミズキ』のことで確かに彼女たちを身近に感じるようにはなったが、すでに翁は(映像プロデューサー)引退の身、今更会っても仕方ないから、せめて遠くから彼女たちの活躍と大成を見守ってあげることにする。まずは『ハナミズキ』が収録されているCD購入から・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

ハミングバード(1)

初めてこの鳥を見たのは1995年の春。アパートの食卓テーブルの窓から見えるいつもの木に何だかブンブン蜂のようなものが飛んでいるなーと見ていたらそれは小さな鳥だった。体長が大人の人さし指ぐらいの大きさで、それがものすごい勢いでブーンと羽音をたてて上下左右縦横無尽に飛ぶのだ。おまけに空中停止状態で花の蜜を吸いながら浮遊している様はまるでUFOのような動きだ。良く見ていないと瞬間遠隔移動なので見失ってしまう。

やけに今日はハミングバードが騒がしくその木の周りをブンブン飛んでいるなと思っていたら木と木の枝の間に巣が作られていた。外からは隠れるように巣が作られていたのだが、こちらの家の中からはガラス窓越しに良くその巣を観察する事が出来た。それから毎日その卵が雛にかえるのを楽しみに毎朝朝食をしながら窓越しに見ていた。

その巣の中を覗いてみたら小さな卵が2個、本当にかわいらしいサイズのものがあった。ある日、その巣を見たら何か針のようなものが2本見えた。それが何と雛の嘴だった。毎朝、親鳥がやってきては雛に餌をやるたびに段々成長していくのがわかり、やがてその巣から嘴だけしか見えなかったのがやがて顔が見えるようになり姿が見えるようになった。

雛は母親から餌をもらった後は朝食後ほぼ同じ時刻に用足しをする。モゾモゾお尻を巣から半分出してピューっと勢い良く外に向けて用足しをする。巣の中を汚さないという習性も生まれつき備わったものなのだろうか…そんな愛らしい親子の様子を見るのが毎朝の日課になった。

ある日、いつもの時間に親が来ない時があった。もしかしたら猫にでもやられたのかもしれないと心配になった。その翌日もその時間に親は現れなかった。雛の様子を見にちょっと覗いてみたら2羽とも動いていない。堅く閉じた口は天に向ってじっと閉じたままだ。もしかしたら空腹で死んでしまったのかもしれないとドキドキしながら意を決して指先に砂糖水をつけて雛の口元に持っていった。その途端パカッと口を開いて一羽がその砂糖水のしずくを飲んだ。驚いたけれど生きていたのだ!と少しホットした。
でも片方の雛は嘴を全く開かない。こっちはもうお陀仏かな…せめて生きている方にもう一回と砂糖水を嘴に持っていったら今度は全く動かない。これが死に水になってしまったらどうしようと慌てた。余計な事をしたかもという後悔で親鳥がいるか見回したが見当たらない。その日は諦めて雛のことが気になりながら仕事に出かけた。その日仕事が終わって急いで家に戻ってみたら雛は生きていた。親が近くで花の蜜を吸って雛に与えていたのを見て本当にホットした。

そして、その雛の初めての巣立ちを感動しながら見るチャンスに恵まれた。それから月日は流れ私はそのアパートを移動して2度目のハミングバードの雛の巣立ちに立ち会える事が出来たのが2009年4月会社を辞める準備に明け暮れていた頃、知り合いの家のキッチンからだった。

しばらく定期的に日本とアメリカを往復しなければならなくなったので自分の荷物を知り合いの人の倉庫に預け私は友達の家に数週間滞在させてもらう事になった。

その友人の滞在先から日本に帰る前にコロラドに引っ越した友達に会いに行く予定を立てていた。コロラド在住の彼女とはシエラクラブのハイキングで知りあって以来シエラクラブの主宰するデイハイキングやキャンプやバックパックなどいろいろな所に出かけた。″コロラドは山がたくさんあるし、田舎だけど、いい所だから遊びにいらっしゃいよ ″そう言ってくれた。
ずっと行きたかったコロラドの生活を体験してみるのも面白そうだと思い旅をしながらサンタフェ経由でコロラドに行ってみようとトリプルAで地図をもらって車で行く事にした。

私がコロラドに向けて出発する前までにハミングバードの雛の巣立ちが見られるだろうか…巣からはみ出るくらいに成長してもなかなか飛び立とうとしない2羽の雛を見ながらそう思った。

″何だか親より雛の方が大きく見えるけれどあれはうぶ毛のせいかしら ″そう彼女に問いかけると友人も ″そうね、もういい加減、巣立ちしないとあの子たち巣から落ちそうじゃない ″そんな会話をしながら巣立ちの日を待っていた。

ある日の朝、いつものようにキッチンでお湯を沸かしていると2羽のハミングバードが忙しそうにその巣の周りでブンブン飛び回っていた。今日はやけに騒がしい様子だ。いつもは母鳥だけなのに今日は2羽が巣の回りで飛び回っている。あれは、お父さんからしらと思って見ていたら友人もキッチンに来てその様子を見ていた。それにハミングバードも気がついて今度は空中浮遊しながら私たちをじっと見つめた。何か強く訴えているような不思議な光景だった。窓ガラス越しに私たちはハミングバードとアイコンタクトをしていた。その間、数十秒だったと思う。友人も私も彼らたちが″ありがとう、今までこの子たちを見守ってくれて本当にありがとう ″そう言っている様に同時に感じたのだ。ハミングバードから視線を友人に向けると彼女の目にも涙が一杯溢れていて私も感動で胸が一杯になった。
そしてその30分後、ピーちゃんとハッちゃん(勝手に雛の名前をつけた)は巣立ちしたのだ。それもすぐ近くの枝に。その日がちょうど私がコロラドに向けて出発する前日の日だった。

ハミングバードが何を訴えていたのか本意はわからないけれど毎朝、蜜を取り替えるのを彼らは見ているので私たちの存在は知っているはずだ。″あなたがハミングバードを連れてきたのよ ″そう友人から言われた。たまたま偶然だったのか本当にハミングバードは友人の庭にどんどん来るようになっていた。そして私たちは益々蜜を毎朝、毎夕取り替える作業に追われた。最後にはその蜜のビーカーグラスも数十本に増え、友人の庭の木のあちこちにハミングバードの蜜の瓶が増えていった。そのうち蜜を取り換えに行ってもハミングバードは逃げなくなっていた。近くまで来て空中浮遊しながら、こちらの様子を興味深気に見ている。こちらも其々のハミングバードのカラフルな模様がまるでアートのようで見ていて楽しいし、自然に其々のハミングバードの顔を覚えていった。


コロラド行きはアルバカーキまで友達が同行してくれる事になった。ルートは15番でバーストウまで向かいそこから40番でフラッグスタッフに一泊して翌日アルバカーキに入る予定にした。
アルバカーキに到着したら友達は飛行機でロスアンジェルスに戻り私はしばらくニューメキシコを見てから25番で友人のいるコロラドに向うことにした。

アルバカーキに到着したらワインでも飲もうと何気なく頂き物のワインを車の後方に積んだ。車にはこの先数ヶ月滞在になるかもしれない生活必需品を詰めるだけ積んで出発した。

その時に持っていったワインがこのワイン ″New Direction ″アルバカーキにたどり着いて初めてそのワインラベルを友達としみじみ見ながらワインで乾杯した。
何か私の旅のはじまりにピッタリのイメージのワインラベルだった。それに、この絵のモチーフは巣立ちしたピーちゃんの姿のようにも私には見えた。

(続きは次の週に)

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

素晴らしいピアノジャズをご紹介します。とてもきれいな音を出しています。残念ながらピアニストの柴田敬一さんは2009年8月、50歳の若さでこの世を去っています。
"Planet" Kei Shibata

01-Native Traveler
02-The Believer's Town
03-Planet
04-Memories Of Love
05-Afternoon In Central Park
06-Water Colors
07-The Sea Of The Clouds

 
ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

 

編集後記

ジーンズの後ろポケットに長財布を入れ、財布がはみ出したまま、歩いている若者を結構観ます。あれがファッションなんでしょうか?何がいいのか理解に苦しみます。犯罪を挑発する危険な行為にしか見えません。こんな格好をしているのはおそらく日本だけだと思います。
iPad

今週はありません。

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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.834

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com