龍翁余話(214)「大師参り」
大寒(今年は1月21日)の前後には“初“がつく宗教行事が相次ぐ。『初観音』=18日、その年最初の観世音菩薩の縁日、東京で有名な観音様は言うまでもなく浅草寺。『初大師』=21日、その年最初の弘法大師(空海)の縁日、東京周辺で有名なのは川崎大師。『初地蔵』=24日、その年最初の地蔵菩薩の縁日、東京では巣鴨のとげ抜き地蔵が有名。地蔵信仰は、苦を代わって受ける身代わり地蔵、子供を守り救う子安地蔵など
中世から民間に広まった。余談だが、翁が15歳で故郷を離れ神戸へ遊学した時から翁の身体と周辺(部屋や車の中など)は今も、郷土の高塚愛宕地蔵尊(大分県日田市)の”身代わり地蔵“に守られている。戦時中、県内や近県の出征兵士が必ず参詣したと言われるお地蔵様だ。翁がかつて世界のあちこちを飛び回って、何回か危険な目に遭遇したが、何とか命拾いをしたのは(もちろん、科学的・理論的根拠はないが)この”身代わり地蔵“のお蔭だと思いたい。そうかと言って格別に熱心な信者ではなく、帰省の折に参詣してお札を買い換える程度だが・・・『初天神』=25日、その年最初の天神様(菅原道真公)を祀る天満宮・天神社の縁日、天神様と言えば、大宰府天満宮(福岡)が有名だが、東京では湯島天神、亀戸天神が学問の神様として知られている。そして『初不動』=28日、その年最初のお不動様の縁日、東京では(池波正太郎の小説『剣客商売』などで頻繁に登場する)目黒不動尊が有名だが”江戸五色不動”と言って目黒のほかに目白(豊島区高田)、目赤(文京区本駒込)、目青(世田谷区太子堂)、目黄(台東区三ノ輪と江戸川区平井)の各不動尊が知られている。翁は信仰心も薄いし、特別な宗教を持っている訳ではないが時々、有名無名、大小にかかわらず(宗派を問わず)神社やお寺を訪ね、俄か神官や僧侶の気分になる。外国に行った時は、自由に中に入れる教会に足を運んで俄かクリスチャンになる。荘厳な雰囲気の教会や神社仏閣の幽玄の佇まいが好きだし、心が洗われるようで清々した気分になれるから。
先日、川崎大師へ出かけた。何十年ぶりかの参詣だ。大駐車場で車を止めて約10分、京急川崎大師駅方面へ歩き“厄除門”を抜けると表参道(仲見世通り)に入る。両側に葛餅屋、ダルマ屋、饅頭屋などが軒を並べ、あちこちの土産店から呼び込み声、飴屋の「トントントコトン」と包丁でリズミカルに俎板を叩きながら飴を(均等に)切っていく“妙技”に(翁)しばし足を止める。山門に辿り着くまでの約100メートルの“音風景”が楽しい。正月3ケ日には300万人を超える参拝客で賑わい、21日の『初大師』でもかなりの人出だったそうだが、今日は2日前(19日)で参拝客は比較的少なかった。
川崎大師のご本尊は空海(弘法大師)。空海(774年〜835年)は遣唐使として長安(今の西安市)に行き(804年〜806年)真言密教を学んで帰国後、真言宗の開祖となる。同じ遣唐使として空海と一緒に長安に渡った最澄(伝教大師)は天台宗を学び帰国後、日本天台宗の開祖となる。その後2人は(密教理解の相違から朝廷まで巻き込んで)いがみ合ったという話は面白いが長くなるので、いずれかの機会に。なお“大師”とは、偉大なる高僧の死後、朝廷から(当高僧に)贈られる尊称である。
大本堂には、ご本尊の弘法大師を中心に不動明王・愛染明王などが奉安されているそうだが真っ暗で中が見えない。由緒によると古来より勅願寺(ちょくがんじ)として国家鎮護、皇室繁栄などを祈願する寺格に列せられているから大本堂大棟には菊花の紋章が許されている。とりあえずお賽銭を奉じ我が身の健康を祈願してから境内散策へ。まず目に付くのが八角五重塔。八角は最も円に近い建造物であり、包容力、完全性を象徴しているとのこと。そう言えば五重塔は全国各地で見られるが八角塔は珍しく、ほとんどが四角塔のような気がする。五重塔と言えば、まず思い浮かぶのが築1300年以上も経つ日本最古の法隆寺の五重塔(木造建築としては世界最古)、もう一つは京都のランドマークタワー的存在の東寺の五重塔(高さ約55メートル、木造としては日本一の高さ)、この五重塔には弘法大師が唐から持ち帰った仏舎利(入滅した釈迦の遺骨または灰塵)が納められているそうだから、川崎大師とは縁続きと言うべきか。八角五重塔の裏側に遍路大師尊像があり、健康、健脚を祈念して献水・お祈りをする大勢の善男善女が順番待ちをしていた。境内の見所としては、ほかに不動堂、中書院、鐘楼堂、解脱門などあるが、当日、あまりの寒さに手足が凍え、歩く意欲を失って山門脇の食堂に飛び込んだ。
弘法大師が残した名言集の中から「人間は本来叡智・徳・神通力・仏心・清浄心を宿している。願わくば、生きているうちにそれらの花を咲かせよ」という言葉を見つけた。そして思った“知徳・清浄の心宿れども、磨かずば花咲かず”――若年の頃から老域に至る今日まで磨きを怠った罰か、翁、いまだ花咲かず。遅ればせながらも練磨の心奮えばまだ間に合うだろうか――そういう自己反省が出来たことが大師参りのご利益だった、と言うべきか・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |