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NO.815               Ryo Onishi              12/25/2011  

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雑貨屋のひとり言

今年最後の雑貨屋ウィークリーとなりました。2011年は忘れられない出来事がたくさんあった一年でした。でも私は今日もこうして元気で、雑貨屋が発行できることに感謝しています。執筆者の河合さん、成近さん、長尾さん、さくらさん、原稿をありがとうございました。来年もよろしくお願いします。読者のみなさん、これからも毎週発行し続けますのでごひいきに願います。あとわずかとなった2011年を元気に、そしてよいお年をお迎えください。

12月21日から自由人を始めました。新米の自由人です。自由人ってなんだろうと考えました。それは心配事を持たないというか、しないようにできることではないかと思います。自由人として気楽に生きていきたいと思います。もちろん好奇心とチャレンジ精神はこれまでどおり、変わりません。≪R.O≫

 

2011年の暮れに

毎年、年末になるとその年を振り返って感慨が深いのですが、今年は特にその思いが強い年末です。

ニュースメディア恒例の「十大ニュース」をチェックするまでもなく、3月11日の東日本大災害や福島原発事故の惨害は言語に絶するものであり、日本の歴史年表には今後いつまでも掲載されることでしょう。この大災害をただ、悲しみ悼むだけでなく、これを将来への踏み台として、より良き日本につなぎたいものです。

私の身のまわりでは、暮れも押しつまった12月20日、私たちが直接指導をいただいていた詩吟の奥村国鉦先生が病のため86歳をもって逝去されました。五年前、最愛の奥様であった国城先生を亡くされ、寂しさをこらえて詩吟道の指導を続けられていたのでしたが、病には抗えませんでした。訃報に接し、先生の詩吟クラスに毎週通う一人として、大星がまたひとつ消えてしまい、心の灯台を見失った思いです。

奥村先生は米国において半世紀以上にわたり吟道をおさめられ、国峯流詩歌吟詠・峰月流吟舞「尚道会」総師・主席師範として詩吟の普及につとめ、吟士を数多く育てられました。また、漢詩つくりの面でも米国奥汲会を主宰され、漢詩作品集「飛翔(1、2)」を日英両語で出版するなど「アメリカに根ざした漢詩、詩吟」の普及につとめ貢献されました。先生の詩は本場中国でも優秀作品として入賞、表彰されているほどです。私に漢詩と詩吟の深遠を教えてくださった奥村先生のご冥福を心からお祈りしたく思います。

私自身の健康に関しても、たいへんな一年でした。4月はじめのメディカル・ チェックの際、私の十二指腸周辺に癌が見つかり、4月18日にロサンゼルス・ダウンタウンの病院で手術をうけました。5時間以上にわたる大手術でした。

事前に手術担当医から“ビック・オペレーション(大手術)になるよ”と聞かされていたので、長期の入院を含む覚悟と準備をし、私の自宅不在中に不都合がないよう、妻に諸支払い処理方法、緊急連絡先と連絡方法などを説明し、普段は私が管理している金庫やロッカーの鍵まで渡しました。

また、入院中はパソコンを使えず、この雑貨屋ウイークリー用の原稿作成と発信が不可能になるため、雑貨屋原稿を事前にまとめて雑貨屋店主の大西さんへ送ることにしました。原稿は連載で書き始めていた「サウスベイ経営セミナー15年を振り返る」というテーマ全15回分のうち12回分(約3ヶ月分)の原稿を大西さんへ事情説明を添えて送ったのでした。結果的には入院は約1ヶ月で済みました。

病院での手術と術後の処置が無事終了し、5月14日、27日ぶりの退院となりました。私の手術については特に友人たちに連絡していなかったので、後日、私が「雑貨屋ウイークリー」や「羅府新報、磁針コラム」に書いた「手術体験記」を読んでくれた多くの友人から「河合さんがたいへんな手術で長期間入院したなんて知らなかったヨ。だって毎週雑貨屋に河合さんの原稿が載っていたじゃない」といわれました。

お蔭様で手術後の経過はほぼ順調で、いまは定期的に癌検査の専門医のもとで経過観察をおこなっているところです。

今年は日本にとっても、私自身にとっても決して良好な年ではありませんでしたが、日本も私もこのままでは終わりません。ことわざに“禍を転じて福となす”というのがあります。日本は戦後の荒廃、オイル危機、急速な円高などの危機に対し、国をあげて智恵を出し合い、省エネ技術や効率化、コストダウンに取り組み、危機を克服しました。日本は危機に直面したとき、その危機をむしろ糧として強固な体質を作る“クライシス・イーター”としての素質があるのです。

危機が去ったあとには以前にまして強固になるのが日本です。まさに“禍を転じて福となす”体質があるのです。日本はこれから力強く立ち上がります。私は日本の将来について決して悲観していません。同時に私自身についても“クライシス・イーター”に徹し、しぶとく生き抜き、さらに成長したいと念じているところです。

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当「雑貨屋ウイークリー」も1996年5月の創刊(予告)号以来15年半、2011年を締めくくることになりました、この間、今回の815号まで一度の休刊もなく、楽しい話題満載のメルマガを毎週発行されてきた店主 大西さんのたゆまぬ努力に心から敬意を表します。みなさん、今年もお付き合いいただきありがとうございました。どうか良い新年をお迎えください。
 河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

さくらの独り 言 「祈りに代えて」・・・新しい年を迎える前に

毎週もしくは隔週に一度の通院を始めて5カ月が過ぎようとしている。『さくらの独り言』も筆を止めたまま、ふと気がつくと『雑貨屋』はすでに815号、今年最後の発行を迎えてしまった。この2011年、いいこともそうでないこともいっぱいあった。本音を洩らせば、辛く悲しいことが多かった。しかし、その様々な出来事や想いの全てを“祈りに代えて”今年最後の『さくらの独り言』を呟いてみたい。

毎年、夫婦で交わす年初の挨拶に、新しくスタートする1年の抱負や気合を漢字一文字で表現する遊びを入れている。兎年だった今年、主人は”夢“、私は”笑“。皮肉なことに今年を振り返れば、今までの人生で最も”笑“が少なく、”夢”や希望を持てないことが多かった年であったかもしれない。しかし、だからこそ、主人と息子や娘、私の実姉や実兄、母、その姉妹・姉弟(私の叔母・叔父)、そして親しい友人や友人夫婦が、全てを祈りに代えて支えてくれ、私たち夫婦の“夢”と“笑”の復活を待っていてくれることを実感し学ぶことが出来た。茨城に住む友人夫妻は「何の気兼ねもなく出ていらっしゃい」と自然な心を配ってくれ、東京の老友は「とにかく、自分たち夫婦を支えてくれる人たちを信じて、気丈に頑張れよ」と老爺心熱く励ましてくれる。母の姉妹・姉弟たちは、私の夫をねぎらいながら、あれやこれやと私の力に代わる文(ふみ)や特産品を送ってくれ、実兄は不安を知識と忍耐で見守り、実母と実姉は涙を絞りつつも全てを信じて、癒しと感謝の祈りをしてくれている。不思議なことに、これらの人たちに通じることが沢山あることを知る。その中でも特記すべきは、次の2つ――

人間というものは、仕事社会、地域社会、人間社会、そして家族社会でも、「自分−(ひく)**(なにそれ)=???」ということに左右される場合がある。仕事社会では社名やタイトルなど、地域社会では有名無名・現役か引退、年齢、性別など、人間社会では好き嫌いの感情や趣味など、そして家族でも、何かが出来る・出来ないとか。昔から亡き父がよく言っていた。「自分−(ひく)**(タイトル、仕事、経済力や影響力、有名無名等)=ゼロ」であってもいけない。だが、「自分−(ひく)**(タイトル、仕事、経済力や影響力、有名無名等)=ゼロ」のように周りから批評される家族や親しい友人には、ゼロの丸円に隠された宝物があるのだと言い切れる勇気ある付き合いをしろと。私は今、前述した方々に最も共通する点は、どんなに小さな私、たいしたことも出来ない私であっても、この人たちは常に真正面から向かい合ってくれていること。私がいい時もそうでない時も、人を介さず直接私に、叱咤激励や慰めを与えてくれることだ。そしてもう1つ、そのようにその人たちが実行できるのは、その人たちが自分自身の世界を持ち、故に“自分・自我”や体裁などに捉われず、むしろ年齢や経験の中心に“全てを祈りに代える”勇気と無条件の愛があるからだと、私は確信している。ここに私は、私の大好きな詩――イタリア中部の小さな町アッシジに生誕した(イタリアで最も愛される聖人)『聖フランチェスコの祈り』を書き留めたい。
「“聖フランチェスコの祈り”より
主よ、貧困と飢えのうちに生き死ぬ世界中の同胞のために働く私たちを 
そのことにふさわしい者にしてください
私をあなたの平和の道具としてお使いください
憎しみのあるところに愛を  争いのあるところに許しを  
分裂のあるところに一致を  疑いのあるところに信仰を
誤りのあるところに真理を 絶望のあるところに希望を
闇に光を 悲しみのあるところに喜びを もたらす者としてください
慰められるよりは慰めることを  理解されるよりは理解することを  
愛されるよりは愛することを 私が求めますように
私たちは与えるから受け 許すから許され 自分を捨てて死に
永遠の命を頂くのですから」

さて、今年もあとほんの1週間。新しい年を迎える準備をしたいもの。その中心は、前述した家族・親戚や友人たちのように、「いいこともそうでないことも沢山あった。だから幸せだった」と言えるように、さらに、沢山あったいいこともそうでないことも、全てを“祈りに代える”明日にできる自分を準備したい。無理や無茶ではなく、静かに確かにと自分に言いきかせながら。雑貨屋は、来春、桜の蕾がほころぶ頃に、元気な“さくら”で再デビューしたい・・・っと、呟く、さくらの独り言。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

職を退く先ずは丈夫という宝

定年でなく卒業という明日の夢

定年の酒を妻とも分かち合い

年金に泥水飲んだ過去もあり

花の種蒔いて自分史第二章


( ニュースやぶにらみ )

「節電対策」
値上げが一番 −東電

「実質国有化」
国電になるのかな −東電

「5%→8%→10%」
失業率も心配だ −消費税


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(210)「年の瀬の新宿御苑」

師走の某日、近県から上京する友人に「新宿御苑へ行きませんか?」と誘われた。「こんな冬場、しかも気ぜわしい年の瀬に、風邪引きのリスクを冒してまで、花も実もない殺風景な庭園へ出かける“風流な奴”はいまい」と躊躇したが、考えてみれば、若い頃、一度花見に行った記憶があるだけで、もう何十年と行っていないから、御苑の歴史も中味もほとんど無知である自分に気付く。“もしかして友人の誘いは、エッセイ(『龍翁余話』)のための学習の機会かもしれない”と散策目的を明確にして“風流人”を気取ることにした。2011年の最後を飾るテーマにしてはいささか物足りないが・・・

幸いにも、風のない、時折、暖かな日差しを浴びる昼下がり。1人200円の入園チケットを買い園内マップを貰って、まずは日本庭園へ。あ、紅葉だ、今年最後の紅葉を見ることが出来た、と、(友人と2人で)やや興奮気味。パンフレットによると“クライマックスを迎えた紅葉と色づいた草木が織りなすハーモニー、冬鳥たちとの出会いをお楽しみ下さい”とある。なるほど、耳を澄ませば小鳥の囀りが聞こえる。あれはツグミかジョウビタキか(いずれもスズメによく似たスズメ・ツグミ科の小鳥)。それに、広さ約58haの中にバラ園、プラタナス並木(写真右)、スイセン、イチョウ、ハナノキ、カエデ、ヤツデ、ビワ、カンツバキ、サザンカなどが適所にレイアウトされており、確かに調和のとれた草木の色づきが散策を飽きさせない。おや?来ているではないか、数こそ少ないが“風流人”たちがあちこちに・・・

散歩の途中、友人から新宿御苑の歴史を問われた。が、翁、ここは戦前、皇族専用の庭園であたったこと以外はほとんど知らない。「調べておくね」と約束した結果が以下の通り。
新宿御苑は江戸時代、信州高遠藩(長野県上伊那郡高遠町=現伊那市)の藩主だった内藤家の下屋敷跡。明治12年に皇室の御料地・新宿植物御苑、明治39年に皇室の庭園・新宿御苑に生まれ変わり、戦後の昭和24年に国民公園として一般公開されるようになった。

日本人の誰もが日本庭園を好む。日本古来の美を受け継ぐ“和”の空間。そこには日常にない、ゆったりとした空気と時間が流れる。日々の忙しさ(翁の場合は雑用)に自分を失いかける時、庭園に足を踏み入れると、自分の心と向き合える“和み”を覚える。翁、その感覚が好きで、時折、(都内の)日本庭園を訪ねる。ここ新宿御苑でも翁が立ち止まる所は庭園だ。日本庭園は、池を中心に人工的に土地の起伏を作り(築山)、庭石や灯篭、東屋(あずまや)を置き、四季折々の風情が味わえるような草木を植えるのが一般的だが、ここの日本庭園(写真左)も伝統的な回遊式築山庭園である。

池に沿って左手に歩くと、中国風建物が見える。これは旧御涼亭(通称・台湾閣=写真中央))と言い、昭和天皇ご成婚(皇太子時代の大正11年9月28日、薩摩藩第12代・最後の藩主・島津忠義公爵の孫娘・久邇宮良子女王とのご成婚)を記念として昭和2年(1927年)に建てられたそうだ。戦災から免れ歴史建造物に指定されているが、どうも周辺の雰囲気とマッチしない。何故、台湾様式建造物なのか?明治27年(1894年)〜翌28年の日清戦争に勝利した日本は下関条約(日清講和条約)によって清朝(今の中国)から台湾を譲り受け、日本の台湾統治が始まった(1895年〜1945年の50年間)。その誇示(見せびらかし)だったのだろうか?それはともかく、翁の造形美術感覚からすれば、この建造物、他所へ移したほうがよかろうと思うが、管理者の環境省諸君、いかが?
もう1つ、翁が足を止めた場所は玉藻池(写真右)。前述のようにここ新宿御苑は、江戸時代は信州高遠藩主内藤家の下屋敷だったし、この庭は安永元年(1772年)に造られたもの。当時は『玉川園』と呼ばれ、池の周りを豊かな木々で覆い、中央には石灯篭を配し、江戸の香りを感じさせる中島を浮かべるなど典型的な回遊式日本庭園である。

ところで、新宿御苑に皇族方専用のゴルフコースがあったことをご存知だろうか?ゴルフコースが誕生したのは大正7年(1918年)だそうだ。園内のほぼ中央に『イギリス風景式庭園』という広場があるが、どうやらこの芝生の広場がゴルフ場の中心だったようだ。そして何と、昭和天皇もゴルフがお好きで、皇太子時代は、ここで盛んにクラブを振っておられたという。しかし、皇位に在られること60有余年、昭和激動の時代を国民と苦楽を共にされた昭和天皇のご趣味からゴルフは消えた。(平成元年2月24日)昭和天皇の大喪の礼が新宿御苑で行なわれたことは、ゴルフ好きだった昭和天皇への(政府の)粋な計らいであった、と思いたい。

さて、今号をもって2011年の『龍翁余話』の締めとさせていただくが、今年もまた読者・友人各位に支えられた1年であった。“新宿御苑学習の機会”を与えてくれた友人もまた『余話』の愛読者、お礼を申し上げる。そして多くの読者・友人各位に深甚なる謝意を表し、各位の新しい年のご健勝、ご多幸をお祈りして・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

イタリアの作曲家プッチーニの生誕150周年にあわせて、イタリアのジャズピアニスト、Andrea Paganiがプッチーニのオペラの名作をジャズで演奏したアルバムです。とても素敵な曲なのでクリスマスに流していました。

"Plays Pucchini"  Andrea Pagani

01-E LUCEVAN LE STELLE -星は光ぬ(トスカより)
02-NESSUN DORMA -誰も寝てはならぬ(トゥーランドットより)
03-QUANDO ME'N VO -私が町を歩くと(ラ・ボエームより)
04-MI CHIAMANO MIMI -わたしの名はミミ(ラ・ボエームより)
05-O MIO BABBINO CARO -わたしのお父さん(ジャンニスキッキより)
06-VISSI D'ARTE -歌に生き,恋に生き(トスカより)
07-NON PIANGERE, LIU -泣くなリュウ(トゥーランドットより)
08-UN BEL DI, VEDREMO -ある晴れた日に(蝶々夫人より)
09-CHE GELIDA MANINA -冷たい手を(ラ・ボエームより)
10-CORO A BOCCA CHIUSA -ハミングコーラス(蝶々夫人より)
11-GIRA LA COTE -斧を砥げ(トゥーランドットより)
12-TORRE DEL LOGO AL CHIARO DI LUNA -月光の湖塔(オリジナル曲)
13-DEDICA A PUCCINI -プッチーニに捧げる(オリジナル曲)
 

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

 

編集後記

飲んだら乗るな、乗るなら飲むなと言われますが、年末は飲む機会が増えるので車の運転には十分気をつけたいものです。テレビ番組で知ったのですが、前日に飲んで次の朝に運転して酒気帯び運転で検挙される人が多いそうです。これが原因の事故も増えています。私たちは夜遅くまで飲んでも、一晩寝たら次の日にはアルコールは抜けていると思っている人が多いと思います。私もそうでした。
ところが、500ccのビールを飲むとアルコールが抜けるのに4時間、100ccの焼酎でも4時間かかるそうです。アルコールが抜けるのにかかる時間は飲む量に比例します。 ついつい飲みすぎてしまうと、上記の量の数倍は飲むと思います。しかも悪いことに、寝ている時は、起きている時に比べアルコールを分解する能力が低下するので余計時間がかかるようです。
つまり前日宴会などでお酒を飲んで、翌朝、車を運転すると酒気帯び運転で捕まるということです。捕まらなかったのはラッキーなだけです。翌日運転する予定の人は、前日はお酒を遅くまで飲まないか、量を控えましょう。飲みたいなら乗らないのが一番です。

白内障の手術をして一週間が経ちました。経過は順調で、新しいメガネをつくりました。永い間、左右の目のバランスが悪かったのですがようやくバランスよくすっきり見ることができるようになりました。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.815

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com