龍翁余話(210)「年の瀬の新宿御苑」
師走の某日、近県から上京する友人に「新宿御苑へ行きませんか?」と誘われた。「こんな冬場、しかも気ぜわしい年の瀬に、風邪引きのリスクを冒してまで、花も実もない殺風景な庭園へ出かける“風流な奴”はいまい」と躊躇したが、考えてみれば、若い頃、一度花見に行った記憶があるだけで、もう何十年と行っていないから、御苑の歴史も中味もほとんど無知である自分に気付く。“もしかして友人の誘いは、エッセイ(『龍翁余話』)のための学習の機会かもしれない”と散策目的を明確にして“風流人”を気取ることにした。2011年の最後を飾るテーマにしてはいささか物足りないが・・・
幸いにも、風のない、時折、暖かな日差しを浴びる昼下がり。1人200円の入園チケットを買い園内マップを貰って、まずは日本庭園へ。あ、紅葉だ、今年最後の紅葉を見ることが出来た、と、(友人と2人で)やや興奮気味。パンフレットによると“クライマックスを迎えた紅葉と色づいた草木が織りなすハーモニー、冬鳥たちとの出会いをお楽しみ下さい”とある。なるほど、耳を澄ませば小鳥の囀りが聞こえる。あれはツグミかジョウビタキか(いずれもスズメによく似たスズメ・ツグミ科の小鳥)。それに、広さ約58haの中にバラ園、プラタナス並木(写真右)、スイセン、イチョウ、ハナノキ、カエデ、ヤツデ、ビワ、カンツバキ、サザンカなどが適所にレイアウトされており、確かに調和のとれた草木の色づきが散策を飽きさせない。おや?来ているではないか、数こそ少ないが“風流人”たちがあちこちに・・・
散歩の途中、友人から新宿御苑の歴史を問われた。が、翁、ここは戦前、皇族専用の庭園であたったこと以外はほとんど知らない。「調べておくね」と約束した結果が以下の通り。
新宿御苑は江戸時代、信州高遠藩(長野県上伊那郡高遠町=現伊那市)の藩主だった内藤家の下屋敷跡。明治12年に皇室の御料地・新宿植物御苑、明治39年に皇室の庭園・新宿御苑に生まれ変わり、戦後の昭和24年に国民公園として一般公開されるようになった。
日本人の誰もが日本庭園を好む。日本古来の美を受け継ぐ“和”の空間。そこには日常にない、ゆったりとした空気と時間が流れる。日々の忙しさ(翁の場合は雑用)に自分を失いかける時、庭園に足を踏み入れると、自分の心と向き合える“和み”を覚える。翁、その感覚が好きで、時折、(都内の)日本庭園を訪ねる。ここ新宿御苑でも翁が立ち止まる所は庭園だ。日本庭園は、池を中心に人工的に土地の起伏を作り(築山)、庭石や灯篭、東屋(あずまや)を置き、四季折々の風情が味わえるような草木を植えるのが一般的だが、ここの日本庭園(写真左)も伝統的な回遊式築山庭園である。
池に沿って左手に歩くと、中国風建物が見える。これは旧御涼亭(通称・台湾閣=写真中央))と言い、昭和天皇ご成婚(皇太子時代の大正11年9月28日、薩摩藩第12代・最後の藩主・島津忠義公爵の孫娘・久邇宮良子女王とのご成婚)を記念として昭和2年(1927年)に建てられたそうだ。戦災から免れ歴史建造物に指定されているが、どうも周辺の雰囲気とマッチしない。何故、台湾様式建造物なのか?明治27年(1894年)〜翌28年の日清戦争に勝利した日本は下関条約(日清講和条約)によって清朝(今の中国)から台湾を譲り受け、日本の台湾統治が始まった(1895年〜1945年の50年間)。その誇示(見せびらかし)だったのだろうか?それはともかく、翁の造形美術感覚からすれば、この建造物、他所へ移したほうがよかろうと思うが、管理者の環境省諸君、いかが?
もう1つ、翁が足を止めた場所は玉藻池(写真右)。前述のようにここ新宿御苑は、江戸時代は信州高遠藩主内藤家の下屋敷だったし、この庭は安永元年(1772年)に造られたもの。当時は『玉川園』と呼ばれ、池の周りを豊かな木々で覆い、中央には石灯篭を配し、江戸の香りを感じさせる中島を浮かべるなど典型的な回遊式日本庭園である。
ところで、新宿御苑に皇族方専用のゴルフコースがあったことをご存知だろうか?ゴルフコースが誕生したのは大正7年(1918年)だそうだ。園内のほぼ中央に『イギリス風景式庭園』という広場があるが、どうやらこの芝生の広場がゴルフ場の中心だったようだ。そして何と、昭和天皇もゴルフがお好きで、皇太子時代は、ここで盛んにクラブを振っておられたという。しかし、皇位に在られること60有余年、昭和激動の時代を国民と苦楽を共にされた昭和天皇のご趣味からゴルフは消えた。(平成元年2月24日)昭和天皇の大喪の礼が新宿御苑で行なわれたことは、ゴルフ好きだった昭和天皇への(政府の)粋な計らいであった、と思いたい。
さて、今号をもって2011年の『龍翁余話』の締めとさせていただくが、今年もまた読者・友人各位に支えられた1年であった。“新宿御苑学習の機会”を与えてくれた友人もまた『余話』の愛読者、お礼を申し上げる。そして多くの読者・友人各位に深甚なる謝意を表し、各位の新しい年のご健勝、ご多幸をお祈りして・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |