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NO.794               Ryo Onishi              7/31/2011  

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雑貨屋のひとり言

電車や駅でスマートフォンを持っている人をたくさん見かけるようになってきました。スマートフォンがものすごい勢いで普及してきているのを実感します。アップルのアイフォーン効果で、携帯各社がアンドロイドのスマートフォンを競って発売し、これまでの携帯からスマートフォンに切り替えている人が多くなってきたのだと思います。
流行りと言えばそれまでですが、スマートフォンはいろいろなことができるようになりました。PCと同等のことがいつでもどこでもできるのでPCを持つ必要がなくなりました。大きな画面でゲームを(しかも無料で)楽しめるので専用のゲーム機が要らなくなりました。スマートフォンの普及によって新たなビジネスが生まれ、これまで売れていた商品が売れなくなるなどいろいろなところで変化が起きています。電車に乗るとそこら中の老若男女がスマートフォンの画面を指で動かしている光景が今の時代なんですね。≪R.O≫

 

手術後100日過ぎました(ご挨拶)

【筆者注:今回は連載中の『サウスベイ経営セミナー15年を振りかえる』シリーズを中断させていただき、表題のテーマとさせていただきます】

4月18日にロサンゼルス・ダウンタウンのGood Samaritan Hospital で膨大部癌の摘出手術を受けてから、ここで(7月27日)100日が過ぎました。手術の後は3週間、3ヶ月、6ヶ月、1年、3年が再発などの節目の時だといわれますが、私の場合、3週間、3ヶ月が無事すぎたことになります。術後の経過はたいへんに良好だといえると思います。体重も手術前にくらべ殆ど減っていません。

私は自分のこの手術と入院体験を当欄(Zakkaya Weekly、5月22日号)と当地発行の日刊紙(羅府新報「磁針」コラム6月8日号)へ書かせてもらいました。そのためか、多くの友人、知人、仲間の皆さんから見舞いと励ましのお言葉をいただきました。この場をお借りして、心からお礼申し上げます。

今回の手術はかなりリスキーな大手術だったのですが、良いドクターと優れた医療体制のおかげで危機を乗り越えたといえます。5月16日の退院後は自宅でしたが、数週間は栄養補給用のチューブなどが身体に埋め込まれ、身動きがとれませんでした。また、看護師さんが1日おきに自宅へきてくれ、術後の管理をしてくれていました。しかし今は、チューブもはずれ、看護師さんからも開放され、自由の身になっています。

おかげさまで術後の経過もよく、少しずつですが元気を取り戻しています。
食事も胃の辺りに若干の違和感があるものの、内容に気をつければ、ほぼ正常に食べられます。一度にたくさん食べられないので、少量を何回にも分けて食べるように気をつけています。

身体からチューブが取れ自由になったので、外出も可能になりました。ただし単独で車の運転を医者から厳重に禁止されているため、外出は妻の運転に頼っています。妻には改めて感謝の日々です。

しばらく休んでいた詩吟も先月から再開しました。私の通っている詩吟クラスはモンテベロ(車で約30分)なのでこれも妻の運転です。手術による声の衰えが若干気になるところですが、大声を張り上げてもおなかの中は特に痛みを感じず大丈夫のようです。あえておなかの底から蛮声を意識的に張り上げています。手術前と比べるとまだ声に張りが出ず不十分ですが、時間がたてば声も回復すると勝手に期待しています。

 今回の膨大部癌のほか、私には腎臓障害による透析(週3回)、インシュリン注射による糖尿病治療、高血圧症対策など、これまで行ってきた諸治療を継続しなければならず、本音ベースでいうと、かなりしんどい状況ですが、人生後ろ向きになっては終わりであり、どんな病も精神力による闘いです。常に前向きにあせらず療養につとめ、また、皆さんとお会いできるようにしたいと頑張りたいと思います。

 以上、手術後100日を過ぎ、現状のご報告をさせていただきました。
 河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言 「米国3週間の旅

・・・@始まりと終わり

がむしゃらに働いた40年たらずの歳月に一旦ピリオドを打ち、アメリカ3週間の旅に出た。主人は「米国との和解」、私は「旧友との再会」をそれぞれのテーマに、7月4日、深夜の羽田を飛び立った。米国への旅は、夫婦共には初めてであり私にとっては9年ぶり。様々な意味で期待と不安が交錯しての旅立ちだった。過去の出来事や想い出に浸りこむセンチメンタル・ジャーニーではなく、今あることを感謝する意味での旅、過去と現在を結ぶ宝物である旧友との再会を最も重要とすることが、私たち夫婦の共通のコンセプトだった。まさにその旅は、何かの終わりと始まり、始まりと終わりを物語る素晴らしいものだった。そして、この旅の最初から最後まで“友って素晴らしい”が、私たち夫婦の合言葉だった。

この3週間の旅の前半は猛暑の東海岸、ヴァージニア州、NY州、サウスキャロライナ州を、後半は記録的冷夏の西海岸、カリフォルニア州を訪ねた。それぞれの州での出来事や出会いについては、今回から5〜6回に亘り順を追って綴る。後半のカリフォルニア州到着2日目に、東京に一人残して来た未亡人の叔母の体調不良の報せを受け、私の心も頭も心配と苛立ちを隠せなかったが、それを除いた全ては、まるで神様の計画かと思えるほど私たち夫婦は祝福された時を過ごせた。今回は、過去の在米中に住み慣れたケンタッキー州、インディアナ州、そしてワシントン州には行けなかったが、次回のお楽しみにとっておくこととした。今から3年後か5年後には、車でアメリカ大陸横断の実現を考えている。

ところで、今回の旅全体を通して、私たち夫婦が共通に学んだ幾つかのことがある。それは、変わるものと変わらないもの、命(健康)の尊さと儚さ、信頼とコミュニケーション、ビジネスと暮らし、良き時代のアメリカ文化とアメリカ人、第2の人生と友人、旅とワイン、常識とルール、情報化社会とツール、優先順位と習慣、広大な大地と生活様式、経験と視野、事実と真実、そして始まりと終わり、ということだった。これらはアメリカ旅行で初めて学んだことではなく、日本での日頃の生活の中でも気づいていた事柄だけど、それぞれの州で再会した人々や出来事を通して、再認識・確認できたことでもある。そしてそれらは、私たち夫婦にとっては、互いを見つめあったり認めあったり、尊敬しあったり苦言を制しあったり、伴に支え合いながら生きるものとしての絆を強められ清められことへの大きなステップになった。だから、この旅の全体は、始まりであり終わりでもあり、旅の終わりがまた新しい生活の始まりでもあると言えるのだ。

さて、この旅の最初と最後で大きな変化があったとすれば、それは2つ。1つは、これから3〜5年のスパンを前提に、1年の3分の1くらいはアメリカで生活しようかと意気投合し、住居スタイルや場所の選定などを具体的に考えた。東海岸(VA,NY,SC)訪問中は夫婦も周りもこの発案に興奮し、もりあがった。しかし何故か西海岸へ移動したら、まるで(東海岸での興奮がウソのように)熱が冷めてしまった。アメリカが遠い国に思えた瞬間だった。2つ目は、不安と安堵。仕事関係以外のプライベートではアメリカを訪れたことのない主人にとって(今回の米国旅行は)最初から大きな不安だったといい、現にこの旅行の条件として私が主人に約束させられたことは、旅の間、全て私が主導し、彼の世話やサポートを全面的にすることで、混乱や不快さを避けるというもの。大きなこどもを持つ母親の気分だった。一方、私は、懐かしいアメリカの水が合うのか、水を得た魚のように自由人になっていた。しかし、前述した叔母の体調不良の報せを聴いてからは、東京へ早く戻らねばと、遠い日本だと思った瞬間だった。復路の飛行機に乗ったとたん、主人は不安が安堵に変わったと口にした。薄い髪がまたまた薄くなった気がするといいながら、手で頭をなでていた。3週間の旅が終わったが、また新しい出会いが始まると思うと、生きていること、健康でいること、信頼し合う友がいること、それが最高の幸せに思えてならず、新たに始まる一歩を踏み出そうと思った。旅は、始まりがあり終わりがあるが、それはまた新しい何かの始まりの始まりなんだ、人生もそんなものだろうな、っと呟く、さくらの独り言。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

ウイニングランに余裕の金メダル

優勝の美酒大杯で波を打ち

招待の席に座った寄付の額

ドングリを抜けたあいつの叙勲記事

百歳を生き晩酌の上機嫌


( ニュースやぶにらみ )

「事故車両を埋める」
墓穴を堀った −中国政府

「恥の文化」
穴があったら入りたい −日本
穴を掘っても埋めたい −中国

「アナログ放送終了」
番組の中身は相変わらずです −デジタルテレビ


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(191)「劇団四季が被災地特別招待公演」

翁が若い頃、岩手県釜石市を取材したことがある。陸中海岸国立公園の中央部に位置する、それは美しいリアス式海岸が今でも鮮明に思い出される。釜石市は“鉄と魚で発展した町”。市内には15の漁港があり、特に釜石漁港は三陸漁場の中心港、大型定置網、敷網、引き網、はえなわなどの漁法でサンマ、サケ・サバなどの大漁水揚げを誇っていた。だから “魚の町”は当然だ。ところが翁、釜石市が我が国の近代製鉄発祥の地、つまり“鉄の町”であることを(取材に行くまでは)知らなかった。

我が国の近代鉄産業の先駆者・大島高任(おおしま たかとう=文政9年(1826年)盛岡生まれ〜明治34年(1901年)は、安政4年(1857年)12月1日、盛岡藩大橋(釜石市)に我が国最初の洋式高炉を建設、鉄鉱石製錬による連続出銑操業を成功させた。明治8年(1857年)に明治政府(工部省)が釜石に製鉄所建設に着手、以後、日本製鉄〜富士製鉄〜新日本製鉄が“釜石の鉄”を継承してきた。余談だが、昭和34年(1959年)に結成された富士製鉄釜石製鉄所のラグビー部は1970年の新日本製鉄への社名変更に伴いチーム名も新日鉄釜石ラグビー部に変更、1978年から1984年まで前人未到の日本選手権7連覇を達成、“北の鉄人”として日本ラグビー史に一時代を築いた。したがって釜石市は“鉄と魚で発展した町”であり“ラグビーの町”としても有名になった。

21世紀の釜石市は『人と技術、海と緑の交流点』『スポーツを通して人間性を育む町』を目指し取り組んでいた、その矢先――3月11日の東日本大震災であの風光明媚なリアス式海岸が大津波に襲われ漁港や港周辺の街が一瞬にして魔波に呑み込まれ地獄絵図と化した。(確認していないが)JR釜石駅前にあった“大島高仁像”や橋野町の高炉跡地に建っていた“日本最古の溶鉱炉記念碑”(国指定文化財)は大丈夫だろうか?(2011年2月現在)約4万人だった人口のうち大震災・大津波による死者955人、行方不明339人、避難者512人、住宅・建物の全・半壊3723(いずれも7月26日現在)の大被害を被った。

さて、新聞やテレビで大きく報道されているので皆さんは既にご存知と思うが、劇団四季が7月25日から被災地特別招待公演を行なっている。演目は劇団四季オリジナルミュージカル『ユタと不思議な仲間たち』(原作・三浦哲郎)・・・東北ののどかな村に、東京から転校生“勇太(ユタ)”がやって来た。しかしユタは新しい環境になじめずイジメに遭う。そんなユタに優しい寅吉爺さんが、村に伝わる“座敷童子(わらし)”の話をする。ユタは寅吉爺さんに教えられた通り、満月の夜、大黒柱がある古い一軒家に一人で泊まる。そこへ座敷童子が現れ、ユタと友だちになる。ユタは(天災で)生きたくても生きられなかった座敷童子たちの運命や思いに触れ“生きることの意味、友だちの大切さ”を知る。やがてユタは逞しくなり、村の子どもたちから受け入れられるようになる。しかし、せっかく仲良しになった仲間たちとの別れの日がやって来る・・・

劇団四季が何故、幾多の困難な事情(環境)を押して被災地公演に踏み切ったか、実は、ある日、劇団四季に(大槌中学校の生徒から)1通の手紙が届いた。「私たちは修学旅行で劇団四季の“ライオンキング”を観る予定でした。しかし震災で観ることが出来なくなり、とても残念です。皆さん(劇団四季)の素晴らしいミュージカルを観れば、被災者の皆はきっと元気を取り戻すと思います。是非、大槌へ来て下さい」。それで劇団四季の主宰者であり演出家の浅利慶太氏が決断した「このミュージカルを通して子どもたちに“生きる喜び”“、“生きることの素晴らしさ”を感じて貰おう」と。

皮切りは岩手県・大槌町の吉里吉里(きりきり)中学校。そこには周辺の小学生のほか、当然“手紙の主”大槌中学校の生徒たちも招かれた。「私たちの願いを聴き入れて下さった劇団四季に本当に感謝!ミュージカルも素晴らしかった。生きることの大切さ、友だちの大切さを学びました」・・・ステージの最後には出演者16人と一緒に観客の教職員・生徒たち560人全員で“友だちはいいもんだ”を合唱、全員が感動し泣いた・・・以上は、この被災地特別招待公演の撮影に関わっている翁の会社のスタッフ・リーダーからの報告である。「撮影班も一緒に泣きました」・・・

ところで、出演者16人のうち東北出身の俳優が10人いるそうだ。浅利さんもイキな計らい(キャスティング)をしたものだ。そして何と嬉しいことに(その10人の中に)翁が初めて教職に就いた(某専門学校芸術学部)時の教え子(芸術学部第1回卒業生)菊池正君がいる。実は、彼は釜石市の出身。翁自身の思い出の町であるのと菊池君の出身地であるところから冒頭に釜石市を紹介したのだが、更に因縁話は続く。演じる俳優(菊池君)が翁の教え子なら、それを撮影する(我が社の)チーフ・プロデューサーも教え子(菊池君の後輩)。未曾有の大震災によって壊滅的被害を被った被災地の人々は“生きるんだ!町を蘇らせるんだ!”と懸命に立ち上がった。日本全国から、そして世界中から支援の輪が続いている。そんな中で人々の心に安らぎと勇気を与える芸術もスポーツも“頑張れ東北、頑張れ日本”の重要な糧(かて=精神・生活の活力の源泉)となろう。そういう部分の一翼を担って活躍する元教え子たちを、翁はとても誇らしく頼もしく思う、と同時に、翁は既に現役を退いているが、こんな有意義なプロジェクトに参加して元教え子たちと一緒の撮影現場で指揮をとりたい、そんな衝動に駆られる昨今である。

劇団四季の被災地特別招待公演は25日の吉里吉里中学校、29日の釜石中学校に続いて8月7日石巻市河北中学校、8月22日いわき市中央台東中学校など8月26日まで東北3県13都市で27回の公演、計1万3700人を招待する予定。被災地に計り知れない勇気と感動を与える劇団四季の社会奉仕(公演)に大拍手・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

今週は私のお気に入りの女性ボーカルの一人であるSophie Milmanのアルバムをご紹介します。もうすでに紹介していると思っていましたが、リストで確認すると未だでした。
ソフトで耳触りのいい声で、ジャズに向いている声だと思います。
15歳のときにイスラエルからカナダに移住しています。ロシア出身の彼女はまだ27歳くらいだと思います。
アルバム"Make Someone Happy"は2007年リリースされたものです。

"Make Someone Happy"  Sophie Milman
01-People Will Say We're In Love
02-Something In The Air Between Us
03-Rocket Love
04-So Long, You Fool
05-Matchmaker, Matchmaker
06-Like Someone In Love
07-Make Someone Happy
08-(It's Not Easy) Bein' Green
09-Reste (Stay)
10-Fever
11-Undun
12-It Might As Well Be Spring
13-Eii, Eli (A Walk To Caesarea)
14-Stay (English Version)
15-Save Your Love For Me

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

 

編集後記

河合さんの手術後の経過が順調で安心しました。まだ完全復帰まで時間がかかるかも知れませんが持ち前の明るさとユーモアで乗り切っていただきたいと思います。いつまでもお元気で楽しい記事を提供していただきたいと雑貨屋仲間、みんなが願っています。

≪iPad≫
Bamboo paper
Penultimateという指でメモすることができるアプリを半年前に購入し、重宝しています。それと良く似た機能のアプリが無料で提供されています。
早速、ダウンロードして使って見ました。書いたメモをメールで送れる機能なども同じで特に違いはありません。これから使うならこちらで十分だと思います。(残念!)


雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.794

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com