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NO.789               Ryo Onishi              6/26/2011  

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雑貨屋のひとり言

本格的な蒸し暑い夏がやって来ました。熱帯夜が続きます。ベタベタして気持ちの悪い毎日を過ごすことになります。これからもっと暑くなるかもしれないのにこの暑さの中で節電をしていくと熱中症になる人も出てくるのではないでしょうか?今頃になって、電気が私たちの生活にいかに大事な存在だったかわかります。果たして、今年の暑い夏を節電だけの掛け声でうまく乗り切れるのでしょうか?≪R.O≫

 

サウスベイ経営セミナー15年を振りかえる(11)

  ――― 前号からの続き ―――
 ベートーヴェンは生活に困窮していた若い頃、恩師から「世界中にはもっと飢えや病気で苦しんでいる人たちが沢山いるのだ。君はただ、音符をいじるだけのつまらない音楽家になってはいけない。宮廷の人たちを楽しませるのではなく、苦しい人たちを癒すものでなければいけない」と教えられ、王侯貴族か教会の庇護がなければ不可能だった時代に、新しい思想(啓蒙思想)の洗礼を強く受けていた人であったのです。
 
ベートーヴェンが「第九」の中で表現した“歓喜”とは、ただの喜びではなく、もがき苦しんだあとに得た“真実の喜び”なのだということを、改めて曲を聴き直し、私も納得するところがありました。さらにベートーヴェンの場合は個人的にも、難聴という音楽家として最大の苦悩を味わいながらも、音楽の喜びで生きようと決意しているのです。現代の私たちにも示唆に富んだ話でした。

さらに、ベートーヴェンの時代の文化を考える時、フリーメーソンを避けて通ることは出来ないとも篠崎さんは語っています。フリーメーソンとは、もともとはイギリス中世の石工職人組合から始まったもので、社交クラブ的様相を持ち、宗教・身分・人種を問わないものであり、 “友愛”と“道徳”をモットーとし、すべての人が兄弟であるという思想です。この考えはベートーヴェンの思想とぴったりと一致したのです。「第9」の歌詞の中に「世界の人はBruder(兄弟)である」という文句が数多く出てくるのも頷けます。

 今回のセミナーで講師の篠崎さんは「指揮者とは音楽の中で唯一音を出さない音楽家であるが、音楽が持っているメッセージをオーケストラに伝えて、ひとつの意思にして聴衆に伝えるのが役割である」と述べ、さらに講演の締めくくりとして、「音楽会とは夢を見る場所であり、おおぜいの人が同じ場所で同じ夢を見ることの出来る場所である」、「ベートーヴェンがいて“第九”が生まれたことに感謝したい」と述べられていたのが印象的でした。

 講演後の質疑応答で出席者の一人から「当地ロサンゼルスに最近完成した“ウオルト・ディズニー・コンサートホール”の印象についてお聞きしたところ、篠崎さんは「結論をいうと、最高に素晴らしい音響システムになっている。音がとろけて降ってくる感じだ。全部の楽器の音がきちんと聞こえる。音の色がカラフルで、オーケストラが身近に感じる。このような素晴らしいホールが出来たことをロサンゼルスに住んでいる私たちは誇りに思って良いと思う。例えて言うと、我々日本人が、久しぶりに日本へ戻って、最高の日本酒で最高の和食を堪能した時のような気分にさせてくれるような感じだ。音響担当の豊田泰久氏を近いうちにここの講師に招いて聞いて欲しい」と述べられていました。

 この日にセミナーは、最初に書いたように、開始が一時間あまり遅れ、私たち出席者は正直のところ少しは不快感もありましたが、講演終了後はその話しの内容に感動し、実に満たされた思いでした。私は個人的にその後、何度も繰り返しこの講演の録音テープを聞いたことか・・・。
 ――― 以下、次号へ続く ―――  
 河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言 終の棲家・・・大切なものB」

「今日はとっても嬉しい!」、そう言って目を細めた今は亡き義父、散骨の説明をした今年2月のことだった。亀田病院のベッドに上半身を起こす形で横たわっていた義父は、窓の外に広がる海を遠くに見つめながら、心の底から、安堵と喜びを表現した。旅立ちの準備をし始めた義父から頼まれて、海洋自然葬を手掛ける会社と航路の選定、そして予約を済ませ、その内容を具体的に義父に話したのだった。義父は生前、といっても病に伏す以前のかなり若い時分から、自分が死んだら海洋自然葬(海への散骨)を頼むと言い続けていただけに、最後の希望がかなえられることで、悔いの残らない死後への気持ちが充満したようだった。そこには、目の前に迫る死への恐怖や不安と背中合わせに、死を乗り越えた自由な世界への夢があった。大切な人の大切なものを大切にすること、それが家族の役割だと教えられた。

義父の遺言に従い、20011年6月3日、三浦海岸沖で義父の海洋自然葬を済ませた。天候は、曇りだったが、風もなく海は凪ており、穏やかな朝だった。浦賀マリーナから乗りこんだ船は、海上を滑るように進み、三浦海岸沖合3−4キロほど行った辺りで止まった。その辺りは、義父が魚釣りによく訪れたと聞いていた場所でもあった。喜太郎のシルクロードをバックミュージックに、セレモニーを始めた。参加人数に分け入れられた義父のお骨の粉が入った白い袋を、主人の兄夫婦と私たち夫婦4人がそれぞれ一つずつ、海面に放った。海面下10メートルほど沈んだ時、水溶の袋から粉骨が流れ出し、海中の東西南北、上下左右にみるみる広がった。「あっ」っと主人も私も思わず感嘆の声を発した「きれい!」。群青の大海に広がって行くその真っ白な義父は、まさにこの地球上の自然のひと粒として、それぞれの命へと帰って行くように思われた。私たち夫婦は、とても不思議な気持ちになり、「よかったね」と手を取り合った。花かごから花弁を蒔き、義父が最後に飲んでいたビールも蒔き、黙祷し、鐘を鳴らして別れの会は閉じられた。海面に浮かぶ花弁は、私たちを乗せた船が描く波に身をまかせて揺れていた。主人と私は、海洋自然葬を切望していた義父の想いが、現実的な感動と共に良く理解できた。主人と私は、心の底から平安と喜びを感じた。大切な人の最後の大切なことを守ることが出来た安堵でもあった。

ところで、海洋自然葬は、いったいどのように私たちはすすめることができたか。実際義父から依頼された私は、「日本では法的に赦されていないんじゃないの」と思いこんでいた。そもそも海への散骨は、1991年に「葬送の自由をすすめる会」が相模湾で実施したのが日本初とされる。法務省も「節度を持って行われる限り、法的に問題はない」との見解を示し、この20年余りの間に少しずつ定着してきているという。現に今は自然葬を手掛ける葬儀社や冠婚葬祭会社も増加しているという。私は義父からの依頼にそって、インターネットで海洋散骨を含む自然葬全体についての背景や現在の動向などもリサーチ・調査した上、最終的には「風」という有限会社に義父の海洋散骨を依頼した。義父が未だ入院中だった頃からコンタクトして、現状と希望を伝え、相談に乗ってもらい、散骨後の今もコンタクトをとっている。コンタクトを最初にとった時点から散骨後の今に至る「風」のサービスやケアについては、次回紹介することにするが、私はこの「風」に依頼して本当によかったと大満足、既に私の海への散骨も予約してしまった程だ。

さて、今回で終の棲みかも終盤を迎えた。大切な人の大切なものは、目に見えるものもそうでないものも、沢山教えてもらった。その中でも、特に次の三つは心にとめておきたい。まず、自分の“終の棲みかと最後の時”について大切なものは、紙に書いたり周囲に話し続けたりしておくこと。これは自分の希望や意思を貫くに留まらず、残された大切な人たちに迷惑や不破を残さないためにも必須のことだ。二つ目は、終の棲みかはどんな人にも等しく用意されているということ。これはさくらの独り言の「引越し」でも紹介したように、終の棲みかは“神様のところ”だから。そして三つ目は、信頼と希望と愛はこの世でとても大切だけど、その中で最も大切なものは、愛だということ。これは、誰のどんな法則をもってしても否定できないものだから。“千の風になって”通り過ぎていく愛、愛は死をも超えるものだと思う・・・っと、呟く、さくらの独り言

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

人情が減った分だけ鍵が増え

ビルの影挨拶もなく塀を越え

回転の皿に七つの海が乗り

本の帯ほどの知識がよく喋る

いい知恵もなく悪知恵もなく恙無く


( ニュースやぶにらみ )

「10%」
菅首相の支持率ですか −消費税

「国会会期8月31日まで」
夏休みをとるんだね −子供

「臓器売買」
医は算術 −堀内クリニック院長


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(186)「第3回 代々木会」

この『代々木会』を『余話』に書くのは3回目。新しい読者の皆さんに『代々木会』を知っていただくために、前回(2010年6月20日)の『余話』(135)の概要を拾ってみる。

雨季のある夜、専門学校時代の教師仲間(10人)が集まった。その学校は、今は東京都小
金井市で専門課程(2年制)と大学課程(4年制)を併設している、半世紀を超える歴史ある学校だ。20年前まで本部校舎は東京・代々木にあったので、この集まりを『代々木会』 と呼ぶ。翁は映像プロダクションを経営しながら40歳から49歳まで、代々木本部校舎で芸術学部の教師をしていた。つまり、2足のワラジを履く“鍍金(メッキ)教師”だった。今夜集まった先生たちは、その代々木時代の同僚、とは言え、彼らは“筋金入りのプロの教師”、ごく最近まで小金井キャンパスで教鞭をとっていた。いや、T・Kさんは、現在、同校の校長であり、あとの先生たちも、定年後の今も同校や他の大学の講師として現役を続けている。

この『代々木会』のスタートは2007年の秋、翁がNPO法人日本災害情報サポートネットワークの理事就任を機にハム(アマチュア無線)に挑戦、そのことを書いた『龍翁余話』を読んでくれた代々木時代の教師仲間G・Sさん(航空無線工学)が「あの工学嫌いだった龍翁さんが何とハム・ライセンスを取得した。皆でお祝いを兼ねて旧交を温める親睦会をやろう」と他の教師仲間に呼びかけてくれた。その時、集まった10人(工学系6人、芸術系4人)の先生たちは「この会を毎年恒例に」と約束した。そのことは2007年11月配信の『龍翁余話』(11)「縁(えにし)」に書いた。ところが翌2008年は数人の先生たちが定年退職や転勤などでタイミングが会わず、また2009年の夏は翁がガン手術、皆が心配してくれたのか『代々木会』(第2回)開催の声は上がらなかった。そして2010年の1月、翁、2度目の(別のガン疾病)手術。幸いにも手術は成功、2月、3月、4月にかけての3ヶ月に及ぶガン治療も無事に終え、5月から本格的な行動開始。そのことを勿論『余話』に書いた。それを読んでくれた数人の先生から「龍翁さん、だいぶ回復なさったようだから代々木会をやりましょう」のメールを頂戴した。当然、翁、大賛成。そこで早速、翁の都合のいい日時や場所の候補を挙げて(前回集まった10人)皆さんに連絡したところ全員参加、しかも日時・場所は“龍翁さん一任”という嬉しい返事。というわけで、翁、いつの間にか幹事になってしまったが、3年ぶりの再会のための幹事だから喜んで世話役を買って出た。そして6月のある夜、西銀座の家庭料理の居酒屋Nで第2回の『代々木会』が実現した。

以上が『代々木会』の経過のあらまし。そして今夜(6月24日)、1年ぶりの再会となった。
前回から幹事は翁だが、Y・Kさん(まだ現役の芸術系の先生=音楽家)が協力してくれる。いつもは10人の参加者だが、今回は残念なことに3人が不参加、芸術系のH・NさんとK・Aさんは体調不良、航空無線工学のG・Sさん(最初の『代々木会』の仕掛人)は、いま勤務している大学の学生との実験・実習で時間が合わず欠席。したがって今夜の顔ぶれはT・Kさん、T・Aさん、S・Aさん、O・Tさん、K・Tさん(いずれも電気・電子工学の先生たち)、それに幹事役のY・Kさんと翁の7人。場所は、かつて皆が乗降した懐かしいJR代々木駅、その近くのレストランL。 

まずは各自の健康状況と近況報告から始まる。皆さんは『龍翁余話』の読者だから翁の近況は語る必要はなく、翁はもっぱら司会役。翁を除く全員が、まだ教育現場に携わっているから話は自然に“教育論”、“専門学校経営論”、“学校広報論”に発展する。「大切な子どもを託す親の気持ち、子どもの人生を左右する教師の資質と教育の在りよう。そして、学校経営者は、教職員が誇りと情熱をもって学生と向き合える教育環境を整える必要がある。その環境とは、施設・設備の充実も大切だが、それ以上に重要なことは、教育の第一線に立つ教職員への信頼と処遇である・・・ビールや焼酎のお代わりが進むにつれ、全員が饒舌になる。幹事役の翁にすれば、皆が機嫌よく多弁になってくれることはとても嬉しいこと。会話が弾む中で翁、T・Kさん(校長)から“学校広報の在り方”を問われた。広報(PR)に関しては翁の専門分野、「PR(パブリック・リレーションズ)は、グッド・コミュニケーションズの線上にあり、その基調はグッド・ヒューマン・リレーションズ(いい人間関係)にある」が翁の持論。そこで翁、簡単に「コミュニケーションズの基本である認知・理解・信頼・協力関係の確立をベースに、伝統と実績の誇り・情熱(学生への愛と躾)をPR活動の軸足に置いて貰いたい」ことだけをお願いした。

嬉しいではないか、皆、いい顔をしている。会う毎にいい顔になっている。それはおそらく“分”を悟り“分”の範囲で夢に挑戦し人生を深めているからだろう。その一例がT・Aさんの写真の趣味。この人の写真はもうプロのレベルだ。2作品をお借りした。上(和太鼓『心意気』)は第92回二科展入選作品、下(川蝉『彩』)は第60回埼玉県美術展入選作品、映像のプロである翁が舌を巻くほどの傑作だ。次回、どんな作品が見られるか、楽しみだ。次回は今秋を予定。また翁が幹事、だが、飲めない幹事は場所選びがヘタ、当然、Y・Kさんにご協力を、ということになる。ともあれ、(翁自身も含め)各位の健康が第一。次回は1人も欠員がないことを願ってやまない・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。
 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

今週も引き続き、女性ジャズボーカルで行きましょう。まだまだ紹介していないボーカリストもたくさんあります。その中の一人、Norah Jonesは誰でもご存知なのではないでしょうか?2002年に発売されたNorah JonesのCome Away With Meは彼女のデビュー・アルバムですが、いきなり、グラミー賞を8部門で独占してしまいました。
1979年ニューヨーク生まれで32歳です。

Come Away With Me
Norah Jones


01-Don't Know Why
02-Seven Years
03-Cold Cold Heart
04-Feelin' The Same Way
05-Come Away With Me
06-Shoot The Moon
07-Turn Me On
08-Lonestar
09-I've Got To See You Again
10-Painter Song
11-One Flight Down
12-Nightingale
13-The Long Day Is Over
14-The Nearness Of You
15-What Am I To You


ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

 

編集後記

近所の薬局のオーナーがついにiPad2を購入し、近くに仲間ができました。薬局の店先でアプリについての質問に応えています。
≪iPad≫
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使える無料の英語辞書を見つけました。
単語の発音を、すぐに確認できます。
英和・和英を背託する必要がありません。

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Zakkaya Weekly No.789

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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