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NO.788               Ryo Onishi              6/19/2011  

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雑貨屋のひとり言

休日の高速料金最大1000円が今日で終わります。これを利用して、これまで行けなかったところを訪ねたドライバーもたくさんいたと思います。私がこの恩恵にあずかったのは2年前に松江に行ったときだけです。帰りの信じられない大渋滞は今でもよく覚えています。長距離トラックの運転手が仕事なのにこの渋滞に巻き込まれて大変だったということも感じていました。どちらにせよやっている政策が行き当たり場当たりなことがさびしい限りです。≪R.O≫

 

駐車違反を無効にする特権

 【筆者注:今回は連載中の『サウスベイ経営セミナー15年を振りかえる』シリーズを中断させていただき、表題のテーマとさせていただきます】

数年前にトラフィック・スクールで受けた講習での話で、少々古い数字になるが、カリフォルニア州では約3千名の警官が交通安全のために配備され、年間約百万枚の違反切符が発行されているそうです。(そして違反切符のうち、約8万3千枚は飲酒運転関係とのこと)

 ところが先日発表されたニュースで、ロサンゼルス市では市長はじめ、市議会議員などに、駐車違反チケットを無効にできる特権が与えられていたことがあきらかにされました。これはあきらかに問題ありといわざるを得ないでしょう。

この駐車違反無効プログラムは「ゴールドカード」と呼ばれ20年前から採用されており、市議やそのスタッフには、違反チケットを無効にしたり、罰金の減額処理を行なう権限が与えられていたのだそうです。プラスティック製の「ゴールドカード」の裏には連絡先が記載されており、違反チケッットが発行され早急な対応を迫られた際は、直ちに連絡するよう書かれているようです。

 ロサンゼルス市の会計監査官によると、「ゴールドカード」プログラムを使い違反チケットが無効化された件数は、この2年間だけで1千件に及ぶということです。

上記「ゴールドカード」以外にも多くの市職員は特別なライセンス・プレートを所持しており、違反チケットの発行を免れており、これにより駐車違反の3分の1は支払いが行なわれておらず、膨大な額の歳入減が発生しいているのだそうです。

私たち一般市民が駐車違反をしたら厳しく罰し、市長や市会議員などが違反をしても無効に出来るとは権力の乱用以外のなにものでもありません。20年前にこの制度が出来たときは、それなりに理由があったと思いますが、いまでは私たちの市民感覚にそぐわないものです。

ただ、アメリカの良いところは、このような問題・疑問がある場合、マスコミや一般市民がすぐに声をあげるところです。アメリカ民主主義の良い側面といえます。

市当局側は特別なライセンス・プレートの発行は、特殊任務を与えられた警察官や、報復を受ける危険性が高い裁判官などの身分情報を守るためだとしているようで、頭からこれら特典が悪と決め付けるには議論の余地もありそうですが、さて、ロサンゼルス市と市民はどんな議論をし、どんな意思決定をするか興味津津です。
 河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言 終の棲家・・・大切なものA」

「もう、私が助けられることは何もありません」、若い船田先生は、率直に義父に告げた。それは、義父が末期癌を告知されてから8カ月余り経った2月のこと。即座に義父は船田先生に訊ねた「あとどれくらい?」と、力強く淡々として。「そうですね、お誕生日を目標になさったらどうでしょうか(誕生日を迎えられるよう頑張りなさい、という意味)。3月23日が誕生日の父は、その日から、水彩画で自分が作成した3月のカレンダーをまじまじとベッドの上から観るようになった。いよいよ、義父の旅立ちの準備、そして私たち家族のお見送りをする準備が始まった。それは、一般的に言う“終の棲家”として義父と私たち夫婦が求めた先、聖路加国際病院緩和ケア科への転院である。この場所での最後の1週間は、様々な意味で大切な、大切な、まさに大切なものが集約された“時“だった。

千葉の鴨川にある亀田病院から専門搬送車で、東京中央区にある聖路加国際病院に到着した時、義父は激痛も限度に達し疲れ切り、頷くのがやっとだった。病室で少し落ち着いた頃、緩和ケア病棟の医長である林先生と担当医の櫻井先生を含む医師チーム7〜8人が「ちょっとお話しを聴かせてくださいね」と、義父のベッドを囲んで座った。座ったと言っても普通の椅子ではなく、低くて小さなアウトドア用の椅子、よく運動会やプロゴルフ・トーナメントの観戦等の時に持ち運ぶあの小さな椅子。この時、驚いたことの一つに、医者はどの医師もこの椅子を片手に病室を訪ねる。処置を施す時以外は、ベッドの傍に立つのではなく、この椅子に座って患者と対話をする。つまり“上から目線ではなく、患者と同じ目線”で向かい合っているのだ。これは、この病院のこの病棟のコンセプトをよく表していると思う。林医長と義父、そして私たちも参加してのその対話内容は、病気の進行度や痛みなどの医学的な事実確認、どんな人生の最後にしたいか、辛いことはないかといった最後の心の準備などのヒヤリング、そして身体的、精神的な痛みや辛さを和らげる治癒・治療のサポートについてだった。とても死を直前にした患者を囲んだ病室とは思えないほど、和気あいあいとした自由な雰囲気の中で、時は流れた。転院直後、可哀相なほど疲れ切っていた義父は、まるで魔法にかかったかのように、みるみる元気になり、ボランティアさんの案内で、リクライニング車椅子に乗って院内屋上にある中庭や院内を散策した程だった。この場所を“終の棲家”として選んだことを、心から大正解だと確信させられた私たち夫婦だった、いや、そう思い、安寧を実感したのは誰よりも義父だったに違いない。


ところで、聖路加国際病院の緩和ケア病棟は、その病院の建物では最上階である10階に位置している。一番天国に近いという意味なのかなと、義父と私たち夫婦は笑いながら話し合ったものだ。緩和ケアへの入院は2通り、電話で予約をとり、新患として面談や診察、もしくは義父のように家族が医師及び看護師と面談の上、他医療機関からの転院である。緩和ケア病棟に入院するには、患者本人がここへの入院を希望していること、放射線治療を除く抗がん剤治療などや延命処置をしないことを本人が承知している、ことなどが求められる。ただし、入院中は、提供さえる病院食に限らず、好きなものを好きなだけ飲んだり食べたりできる。タバコ以外の嗜好品もOK,現に義父は、135ミリリットルのビールを夕食と一緒に頂くのを最高に喜んだ。今まで規制されて食べられなかった大好きなお刺身も、焼鳥も、コーヒー牛乳も、杏仁豆腐も、トマトも、転院後はよく食べた。また病棟には、かき氷機が設置してあり、義父は亡くなる前日まで、毎日数えられないほど食べた。全身癌で侵された身体の内なる熱を冷ましてくれていたのか、かき氷を口にしては幸せいっぱいのため息を漏らすのだった。その病棟の入院患者の殆どは末期癌ということもあり、他の入院患者も例外なく、かき氷を求めていた様だ。死を直前に迎えた義父が、私たちの来院を最も楽しみにしていたことは言うまでもないが、義父も私たちも、担当看護師の枝さんと福岡さんがやってくる時は、心が癒され、励まされ、明るい気持ちになったことを忘れられない。患者とはいえ、余命いくばくもない義父の話しに耳と心を傾け、身体をいつも清潔に保ち、また痛みや不快な想いを取り除くための処置を施し、死を受け入れんとする義父の心のケアにも全身全霊を傾けてくれていると思えた。そんな二人の看護師と義父の姿に、主人と私も癒される想いでいっぱいだった。心がいつも静かに安らかに居られた。義父の最後は、本当に痛みが全くなく、眠るように静かだった。遥かに仰ぎ見る輝ける御国(神さまのもと)へ旅だった。耳がしっかり聴こえていた義父に、私たち夫婦は最後の最後の瞬間まで語りかけ、感謝の言葉を繰り返し重ねた。またこの病棟では、「よかったらご家族も一緒に、お見送りの準備をどうぞ」といって、アルコールを湿らせた脱脂綿で、義父の顔から胸の辺りまでを看護師さんと一緒に拭かせてくれる。これには驚いたが、辛い闘病生活を戦い抜いた義父へのねぎらいをかけられる、いい体験をさせてもらった。そしていよいよ義父が、聖路加国際病院の地下2階駐車場から葬儀社のお迎えの車に乗る時、担当医の櫻井先生、担当看護師の枝さん、福岡さんをはじめ、病棟で関わってくれた医師・看護師の10名近くが、一列に並びご挨拶をして、義父を乗せた車が見えなくなるまで見送ってくれた。この病棟の入院から退院まで、緩和ケア科に徹頭徹尾貫かれているスキルとハート、その技術と精神は、最高だった。

さて、“終の棲家”としてお世話になった聖路加国際病院で過ごした1週間は、患者としての義父にとっても、看とる私たち夫婦にとっても、とてもとても大切な時だったとは前述のとおりだ。死を迎える準備、そして見送る準備は、本人の勇気と希望、家族の平安と癒しという最高の形で整えてもらった。それはある人にとっては違う病院や施設、または自宅かもしれないが、私たちにとってのそれは、聖路加国際病院の緩和ケアプロフェッショナルチームの元だった。毎朝毎晩、私たち夫婦の住む佃のマンションの窓から外に目をやると、そこには安らかな最期の準備を手伝ってくれた聖路加国際病院が見える。私たちは今も何かしら暖かい息吹をそこから感じ義父のいない寂しさを癒される。これこそ緩和ケアなのだと思う。終の棲家で大切なことの集約が真に、そこにはあった・・・っと呟く、さくらの独り言。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

カリスマのさすが手捌き口捌き

錯覚の天狗の鼻が上を向く

見栄張った嘘の疲れがどっと出る

オフレコになって外した肩パッド

上司への世辞二次回で裏返す


( ニュースやぶにらみ )

「旭日小綬章受賞」
リリーさんよかったね −フーテンの寅

「冷却装置を」
国会には頭の… −福島第一原発

「まだ辞めぬ」
アイアムソーリ −菅首相


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(185)「小田原城址公園で喜寿のお祝い」

その人と最初に出会ったのは今から27年前、ニューヨーク・五番街『ティファニー』の前で撮影していた時のこと。通りかかった中年の日本人紳士から声をかけられた「テレビの撮影ですか?」「はい、アメリカ横断の旅、ニューヨークからの出発です」「そうですか、五番街や筋向いのマディソン・アベニュー(街)は、ニューヨークの象徴的なショッピング街ですから・・・」それから数分、翁はその紳士と立ち話をした。「昔、オードリ・ヘプバーン主演の“ティファニーで朝食を”という映画がありました。だから私(翁)は、ティファニーはてっきりレストランとばかり思い込んでいました(実際は世界的に有名な宝飾品・銀製品のブランド)」など他愛ない話の後、その紳士は「私はここ(ニューヨーク)で仕事をしています。何かお役に立てることがありましたら、いつでもお声をおかけ下さい」いただいた名詞には某大手商社のニューヨーク支店長T・Sとあった。翁は、ニューヨークには数回来ているので、マンハッタンのおおまかな状況(事情)は知っているつもりだったが、Sさんのような長年の現地駐在員(生活者)にサポートして貰えれば、こんな心強いことはない。翁たち撮影クルーは1週間ほどニューヨークに滞在したが、その間、Sさんとは何回かお会いした。Sさんは翁より少し年上だが、いつしか“10年の知己”となり、以来、翁がニューヨークに行く度にお世話になった。そして、今も交友関係は続いている。

Sさんは定年退職して(9.11の前に)帰国、その後は関連会社の顧問となり、住まいの小田原市から週に2回上京していたが、翁とは月に1回くらい会食、情報交換をした。長年、商社マンとして世界を観てきた人だけに国際情勢の分析力はさすが。翁、随分、勉強させて貰った。彼は5年ほどで顧問勤務を辞め、その後、地元の文化活動に尽力された。
したがって彼とお会いする回数は減ったが、メールや電話はしばしば。翁が2009年8月と2010年1月の2回、ガン手術をしたが、たまたまSさんも2年前、胃ガンの手術をされた。 

                       
去る日、Sさんのお誕生日・喜寿のお祝いに招かれた。メールによる案内状には、何と「6月某日、集合場所は小田原城天守閣広場」とある。「いま、小田原城址公園でアジサイ・花菖蒲まつりが(6月26日まで)開催されています。約8,000の花菖蒲、約2,100株のアジサイを愛(め)でながら喜寿を祝っていただければ幸甚です」と(郷土・小田原を愛する)文化人・SさんらしいPR織り込みの案内状だった。ともあれ、3年ぶりの再会とあって翁のハンドル捌きも軽やか。その日は天気もSさんの喜寿を祝うかのように雨期には珍しい快晴であった。
 

ウイークデーとあって、昼の祝宴はSさんのお身内の参加はなく、Sさん夫妻を中心に地元文化ボランティア活動のお仲間8人と翁の11人、いわば“老人会”の様相。公園の奥に常設されている木のテーブル(2卓)が“宴会場”だ。この2卓、お仲間の数人が早く来て陣取ってくれたらしい。勿論、他のテーブルには大勢の見物客が座ってそれぞれ飲食しているが、アルコール類は見当たらなかった。我らが宴卓の上はS夫人の手料理が中心の豪華な食べ物がずらり。おっと、S夫人とはニューヨーク以来、約15年ぶりの再会、お互いに歳はとったが、夫人の明るく優しい人柄は以前のまま、(Sさん同様)翁との再会をとても喜んでくれた。お仲間たちも初対面の翁を大歓迎してくれ、嬉しかった。仲間のKさんは郷土史家、翁が歴史好きだと知ると「次回、小田原城跡を語りましょう」と約束してくれた。約3時間の祝宴は、あっという間だった。Sさん夫妻は言うまでもなく、参加者全員がアジサイと花菖蒲と語らいを満喫したようだった。

8世紀頃の中国の自然詩人・王維(おうい)が親しい友人(武将)の裴迪(はいてき)に宛てた詩『酒を酌んで裴迪に与う』の結句に“世の中のことはすべて浮雲の如くはかないもので問題にするに足りない。むしろ悠々として英気を養うにこしたことはない”というのがある。だが翁の思いは少し違う。世の中のことを浮雲の如くはかない、と諦めてはいけない。大震災のことも原発のことも経済のことも教育のことも外交のことも問題にしなければならないことは沢山ある。ただ、我々は時に泰然として英気を養う必要がある。それだけは王維に同調する。とまれ、Sさんの喜寿のお祝いに招かれたお蔭で新たな友人たちを得、翁にとっては英気以上の“喜び”を実感した日であった。Sさんご夫妻と気のいい仲間たちの健勝を祈り、再会を願いつつ・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

女性ボーカルのアルバムだけをiPadに入れて聴いています。
ジャズだけでなくポップまで入れたのでかなりの容量になってしまいましたが十分なメモリがあるので問題ありません。というわけで、今週も女性ボーカルにしました。
本日はオランダ出身のジャズシンガーAnn Burtonのアルバムを紹介します。
1933年オランダアムステルダムの生まれ。1989年がんのため他界。
1973年以降、何度も来日し日本のファンも多いようです。
丁寧な歌い方が好きです。。

Best Selection - New York & Holland Recordings
Ann Burton


01-New York State Of Mind
02-All Or Nothing At All
03-Come In From The Rain
04-The Night We Called It A Day
05-Never Never Land
06-This Is New
07-Nobody's Heart
08-What'll I Do
09-I Like You, You're Nice
10-After You, Who
11-I Didn't Know What Time It Was
12-Time Was
13-Again
14-Nice 'n' Easy
15-Nobody Else But Me


ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

 

編集後記

今日も、ジムのヨガクラスに参加しました。すごい人気で満員でした。私が見る限り30から40歳代の女性が多いように思います。男性も結構多く参加するようになっています。
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雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.788

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com