――― 前号からの続き ―――
毎年12月になると日本では各地のコンサート・ホールでは「第九」(ベートーヴェンの交響曲第九番)を演奏するのが定番となっており、「第九」は俳句の季語にもなっているのだそうです。2003年々末間近の11月12日、私たちロサンゼルスの月例勉強会であるSBMS(サウスベイ経営セミナー)でも講師に篠崎靖男氏(ロサンゼルス・フィルハーモニック副指揮者)を迎えて、この名曲についての解説と、指揮者としてどう向かっているのかを語っていただきました。感動的な話でした。
なお余談ですが、この日のセミナーは諸橋
義弘氏が司会進行役でしたが、開始予定時間が約一時間あまり遅れました。理由は交通事情(フリーウエイの渋滞・混乱)で講師の会場到着が遅れたからです。もちろん講師の責任ではなく不可抗力によるものでしたが、諸橋さんは講師の到着までの時間をつなぐのに大汗(冷や汗)をかいていられたのが微笑ましく思い出されます。
さて講師到着ののち、篠崎講師は急いで来たための汗を拭う間も与えず講演に入っていただきました。今にして思うと篠崎さんには申し訳ないことでした。
篠崎さんによると、なぜ日本では「第九」イコール年末かと言うことは明確でないが、この曲にはコーラスがあり、大曲で“音楽の中の音楽”と言われるからかもしれない。また、日本の年末の風土に合っているのかもしれない、とのことでした。
篠崎さんの解説により、「第九」がただ単に素晴らしい名曲であるばかりでなく、その内容がその時代を強く反映したものであり、作曲者ベートーヴェンの思想と彼の生きざまを深く刻み込んだ音楽であることを知りました。
十八世紀後半、産業革命によって古いしきたりから新しい科学へ生まれ変わる過渡期の時代は、王侯貴族に無条件に従っていた民衆が目覚め始める時期でもありました。そんな時代である1770年ドイツのボンで生まれたベートーヴェンが、ゲーテ、シラーなど同時代の偉大な思想家の影響を受け、後に書いたのが「第九」であり、特にシラーの詩「歓喜に寄す(アン・ディヤ・フロイデ)」はたいへん思想的な内容(これまで王侯貴族に抑圧されてきた庶民がこれからはひとつになってゆこう、という内容で、フランス革命を扇動したとも言われている)で、これが「第九」の原点になっているのだそうです。現この曲の合唱部分はこの「歓喜に寄す」に曲をつけたものなのだそうです。
篠崎さんによるとここでいう“歓喜”とは、ただの喜びではなく、いろいろな苦悩があって、その結果、最後に喜びを得た時が“真実の歓喜”なのだそうで、本来ならば“自由”または“抑圧からの解放”といったほうがわかりやすいということでした。ただ、この時代に“自由”だの“解放”という表現を使うと弾圧され殺されてしまうから“歓喜”としたのだそうです。この時代は革命でどんどん一般の人が新しい社会を造ってゆこうという時代であり、苦悩はつきものであり、その苦悩があって最後に辿りつくのが「身分階級の隔たりなく、百万人の人々(世界中の人々)が自由になり、ひとつになる」歓喜
だということになります。
ベートーヴェンの曲は、モーツアルトのような宮廷音楽の優雅さではなく、彼の思想を一般大衆に激しくぶつけた音楽であり、そこが今の私たちの琴線に触れるのでしょう。
――― 次号へ続く ―――
河合将介(skawai@earthlink.net) |