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NO.785               Ryo Onishi              5/29/2011  

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雑貨屋のひとり言

先週からうっとうしい雨が続いています。まだ5月なのに大きな台風が近づいているのでいやーな感じです。津波被害にあった地域を台風が通過しなければいいのですが、こればっかりは自然ですからわかりません。自然災害が各国で起こっています。アイルランドの火山噴火、アメリカでは史上最大の竜巻でたくさんの人が犠牲になっています。自然の力の前には人間は無力です。できることはただひとつ、毎日を楽しく悔いなく生きること。でもこれが一番難しい。≪R.O≫

 

サウスベイ経営セミナー15年を振りかえる(9)

  ――― 前号からの続き ―――
2002年のアメリカは特に西海岸は大リーグ野球チームには大物日本人選手が揃い、ある意味では空前の「日本ブーム」と言ってもよかったかもしれません。ロサンゼルス(ドジャース)に野茂、石井両投手、サンフランシスコ(ジャイアンツ)に新庄外野手、シアトル(マリナーズ)には佐々木、長谷川両投手、そして何と言っても前年のM.V.P.男(アメリカン・リーグ)イチロー選手の人気はたいへんなものでした。この年の春、日本を訪問したブッシュ米大統領が、小泉首相を「政界のイチロー」と持ち上げていましたが、一国の総理大臣(純一郎)より野球選手(イチロー)のほうが高い知名度ということであり、ある意味では、最高の皮肉ともいえそうでした。

そして野球選手と同様、当時日本食品もアメリカでブーム的傾向を見せはじめます。中でも大豆を原料とする『豆腐』が急速に需要を拡大しました。そこで2002年4月のセミナーは当時、ロサンゼルスへ企業進出して17年、日本の豆腐を見事アメリカの家庭に浸透させた森永乳業の現地会社(Morinaga Nutritional Foods, Inc.) 社長の雲田 康夫氏に講師をお願いしました。

アメリカでの『TOFU(豆腐)』ブームの根底には、この国の健康食志向が大いに関係していますが、雲田さんの貢献も大いに評価されるべきでしょう。
講演テーマは「トーフは市民権をとれるか?」とまだ“?”マークをつけたところに講師の謙虚さがうかがわれました。

雲田さんは1985年、ロサンゼルスに進出、無菌包装パック入りの『TOFU』の販売を開始すべく、現地販売子会社の責任者として着任しました。彼の『豆腐、苦難のアメリカ進出物語』のはじまりでした。私も雲田さんとほぼ同時期にロサンゼルスへ来たこともあり、日系企業団体の役職やパーティなどを通じて親しい間柄であったことから、私自身がこれまでの17年間、彼の苦難の物語を間近で観察させてもらった一人でした。

そもそも雲田さんがアメリカに進出した17年前は『TOFU』とは一部のアジア人のみが食するものであり、現にアジア系の食品マーケットでしか販売されていませんでした。アメリカ着任後しばらくは日本の豆腐をアメリカ人に買ってもらうため、彼はは奥さんも協力してもらい、現地のスーパー・マーケットへ出向きデモンストレーション販売を試みますが、まったく効果はありませんでした。それどころか、1987年には全国紙(USA Today紙)が発表したアンケート結果で『TOFU』がなんと“The Most Hated Food in U.S.A.(アメリカ人の最も嫌いな食品)”第1位にランクされたのです。

さらにその数年後、ロサンゼルスで発生した大暴動の際、テレビに映し出された略奪後の無残なスーパー・マーケット店内の様子を見て、雲田さんは唖然とさせられました。荒らされた店内の食品棚に『TOFU』だけは略奪の被害を免れていたからです。

“The Most Hated Food in U.S.A.”であり、暴徒の略奪からも敬遠された豆腐が見直されるのは、アメリカ人の健康志向ブームと豆腐の原料である大豆の健康に対する研究成果の効果が大きかったようです。1993年クリントン氏が大統領に就任して数ヶ月たったころ、大統領夫人のヒラリーさんがある有名な T.V.インタービューで「私の夫、クリントンはジャンクフードが好きで困っています。ダイエットに“TOFU”を食べさせようとするけど、なかなか食べてくれなくて・・」―― なんと、ファーストレディが国民に向かって豆腐の健康とダイエット効果を宣伝してくれたのでした。

 このインタービュー効果は抜群だったようです。それまでアメリカでは「大豆」と言えば「家畜の飼料」であり、そんな大豆から作った『TOFU』など“Yucky(気味の悪い)”で“Weird(この世のものとは思えない)”食品以外のなにものでもなかったのですから・・。

こんなこともあってか、アメリカでの大豆と健康効果に関する研究が一気に加速され、次々に研究成果が発表されました。大豆蛋白や繊維の健康効用、癌予防効果、その中でも、大豆の胚芽に女性ホルモンの一種である「イソフラボン」の存在が確認され、これが乳癌、前立腺癌、更年期障害の緩和などに効果があると学会で発表されるにいたって大きく国民の関心を集めたようです。アメリカは乳癌、前立腺癌の発生率が異常に高く、日本にくらべ乳癌は20倍、前立腺癌は7倍なのだそうです。日米のこの差は大豆の摂取量の違いではないかというわけです。

今では豆腐はアメリカ人の嗜好にあわせ、本来のかたち以外にも、シェイク、スープ、その他に作り換えられ、全米の食品スーパー・マーケットの店頭に並ぶまでになっています。雲田さんの会社もその後ポートランド(オレゴン州)に製造工場まで作り、大きく飛躍を続けているようです。

 話は前後しますが、雲田さんはヒラリー夫人のT.V.発言の直後に自社製豆腐を1ケース、それに自社で編集した豆腐料理本を添え、ホワイトハウス(大統領官邸)へ送ったところ、2週間後にヒラリー夫人の実署名入りの礼状が届き、彼はその礼状を額縁に入れ、大切にオフィスに飾ったそうです。

雲田さんはその後、ビジネスから引退され、執筆活動(「豆腐バカ世界に挑む」、「売れないモノは俺に任せろ!」など)、中京大学客員教授など幅広く活動されています。
 ――― 以下、次号へ続く ―――

河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言 「引越し

「与那嶺さんは、何回引越しをしたのだろうと思う。そして今、彼は最後の引越しで神様の処へ行きました」とは、先日、5月27日(金)に行われたウォーリー与那嶺氏のお別れ会で司式を務めた神父の言葉。ウォーリー与那嶺氏はハワイ時間2月28日21時45分に昇天、葬儀は3月5日ホノルルのヌアヌ・メモリアルで執り行われたが、彼が愛し、また彼を愛した日本でのお別れの会が持たれた。敬虔なカソリック信者であった彼が、毎朝祈りを献げたという六本木教会でのことだった。神父のメッセージは、人は誰しも最後の引越しをすること、そしてその引越しの時に持って行けるものとそうでないものがあるというものだった。

生まれ育った家で一度も引越しをしなかった人も、生涯転勤族などで引越しを繰り返した人も、必ず神様のところへ引越しをする時がくる。通常、老人ホーム等に入ると、そこを“終の棲みか”と呼ぶ。しかし、私たちの“終の棲みか”は、神様の処。日常の生活で引越しをする度に、沢山のモノを持って行く。持って行きたくても持って行けないモノがある時は、置いていったり、処分したりする。だが、神様のところへ行く最後の引越の時に、持っていけるものは限られている。だから、神様の処へ引越しする時に持って行けるものを大切にすることはもちろんだが、最後の引越しの時に残された人に残してあげるものも
力を尽くして創り上げておきたい、そんな人生を送りたい、というのが司式者である神父のメッセージ要約だ。この神父の言葉を借りれば、「普通の人は、最後の引越しの時に持っていけるものだけを求めて生きようとするが、与那嶺さんは日本の野球界や家族・友人たちに沢山の財産を残した。その偉業と同時に、残された者も一生懸命に頑張ろうではないか、という激励と祈りを贈った」。このメッセージは、同記念会にて弔文を披露した長嶋茂雄、王貞治、星野仙一、権藤博などといった野球界の著名人は勿論、参列者500人余りの人々の心に、深く清く響いたと、私は感じた。

ところで、ウォーリー与那嶺氏のことは、野球のオールドファンなら誰しも知っていると思う。戦後初の米国籍選手として巨人に入団、数年後にONがスーパーヒーローとして大活躍する前の時期、川上、千葉、藤村、別所、そして金田らとともに、日本のプロ野球を支える主役の一端を担った。また、打つ、投げる、の単純なプレーが主力だったそれまでの日本の野球界に、激しい走塁を加えた“革命児”でもあった。彼には3つの夢があった。@監督になって優勝する、A野球の殿堂に入る、そしてB天皇陛下と握手をする、だった。@は中日監督で優勝。Aは94年、殿堂入りを果たし、そして同94年、アメリカ訪問中の昭和天皇・皇后両陛下を歓迎する御茶会に招待された際、実現、彼の3つの夢は叶えら
れた。野球を引退後、95年、ハワイでウォーリー与那嶺財団を設立、毎年スポーツで有能な高校生を大学に進学させるための奨学金を贈る選考会やハワイの高校野球を支援する活動にも力を注ぐ。98年、日本政府から日本とハワイの友好親善への貢献を認められ勲四等瑞宝章を受章、2007年春にはハワイのリビング・トレジャー(日本でいう人間国宝や国民栄誉賞)に選ばれた。2008年から病魔が忍び寄り、そして2009年からは病状が一進一退、大好き日本にはもう来れなくなっていた。2011年1月半ばに体調を崩し、2月24日午後カハラのシニアホームに隣接する病院に戻り、2月28日21時45分、穏やかな顔で眠るように神に召されていった、享年85。神父のメッセージにあった、最後の引越しの時に持って行けるものにも、この地に残していくものにも、誠実に祈りと力を捧げた人だった。

著名人のお別れの会などは、十人十色、様々だ。しかし、このような式や会には、やはり故人の色、その人らしさが醸し出される場合がある。野球界の著名人が参列していても、決して派手な演出や権威的なものもなく、あるのは自然で謙虚な普通の人間と人間、何か祈りに包まれるような時だった。“野球選手は、観客に拍手されるのが一番好きだから、みんなで起立して拍手しながら、オー、ウォーリーと歓声をささげよう”ということで、厳粛な教会は拍手と歓声の渦に包まれた。献花の前の式のクライマックスだった。これはハワイでもそうであったように、ウォーリーの旧友の提案によるものだった。野球人としては戦いに燃えた男、家庭では愛情深き夫、父として、そして、いつも人と仲間のために静かに祈りを捧げていたウオーリー与那嶺その人の色だった。ここに、最後の、引越しをした与那嶺氏の、祈りが一つとなったようだった。私たち夫婦は、先日、何回か目の引越しを終えたばかり。引っ越し慣れもしたが、まだまだ終の棲みかへ引越す時に持っていくものも残すものも用意不十分の小さきものだ、引越しか・・・っと呟く、さくらの独り言。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

こんな日もある一球の負け投手

一寸の虫で脱皮も出来ぬまま

一瞥にもう言い分が負けている

一筋の道に健気な足のマメ

一匹と二人互いに歳を取り


( ニュースやぶにらみ )

「30キロ圏内立ち入り禁止」
台風どの  −日本

「内閣不信任案」
で、あとはだれがやるの −国民

「長期政権」
可能性がゼロではないと言われた −菅首相


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(182)「その時、あなたはどうする?!」

千葉方面へのゴルフの行き帰りは、必ず、お台場の湾岸沿いに建つ高層ビル群の脇を通る。その中の数棟のマンション群は、ほとんどが賃貸だが赤いツインのタワーマンションだけが分譲だそうだ。地上33階、高さ約123m、その30階辺りに翁の知人で元不動産会社の社長をしていたAさん(ご夫婦)が住んでいる。何年前だったか移り住んだ頃、彼は「ホテルなみのエントランス・ロビー、完璧なセキュリティ、部屋から東京タワーをはじめ都心が見え、バルコニーからは東京湾が一望できる。私たち老夫婦にとっては、ここはまさに桃源郷です」と自慢し「龍翁さん、是非、遊びに来て下さい」とお誘いも受けていた。高所恐怖症の翁、西五反田の自宅マンションの、10階のベランダから下を見るだけでも足がすくむのに、その3倍も高い所なんか行く気はなく、遠慮していた。ところが、東日本大震災から2ヶ月経った5月の某日、Aさんと銀座で会食した時のこと、「毎日続く余震で、おちおち眠れない。揺れていないのに揺れている気がして気持ち悪いし、それと、もし首都直下地震が起きた時の液状化や津波を考えると憂鬱。私より女房のほうが深刻です。引越しを考えています」と嘆いた。

確かに、3月11日の東日本大震災のあと1ヶ月ほどは、岩手、宮城、福島のほか茨城、千葉、栃木、長野など震源地は広がり震度3,4,5の(本震ではないか、と思われる)大きな余震活動があった。今でも小さな余震は続いている。10階に住む翁でさえ“地震酔い現象”をもよおしたほどだから、Aさんの「気持ちが悪い」はよくわかる。
 
Aさんが言う首都直下地震とは、東京湾北部を震源とするマグニチュード7級以上の地震のことで、今後30年以内の発生率は70%とされる切迫性が高まっている現実的な話だ。それに(東京都が発表した)首都直下地震による“東京港埋め立て地盤の液状化予測”の中に、お台場は確実に含まれている。更に5m以上の高さの津波に襲われたら、お台場一帯は間違いなく海になる、そうだ。Aさんの「引越しを考えている」も無理はない。

ところで、マグニチュード7級以上の首都直下地震が発生したら死者約1万数千人、負傷者約21万人、建物の全壊・焼失は約85万棟に達すると(東京都は)想定しているが、翁が思うに死者は1万数千人どころではあるまい。1923年(大正12年)9月1日の昼に発生したマグニチュード7.9の“関東大震災”で死者行方不明者は14万2800人を数えた(関東一円の合計)。当時とは人口も(高層ビルの林立、交通機関の発達などで)都市環境も異なる現在において、翁の推測では関東大震災時の5倍、つまり死者・行方不明者は約
80万人、建物の全壊・焼失は約500万棟と見る(いずれも関東一円で)。

また、その地震が昼間に発生した場合、電車やバスが止まることで見込まれる帰宅困難者
は約650万人。内訳は東京約390万人、神奈川約110万人、千葉約83万人、埼玉約67万人。壊れた建物の一部が落下し散乱、発生した火災が迫る中で移動を始めれば、二次的被害を生む恐れがあり、路上にあふれ出た人たちや、信号機が不能となって立ち往生する車などが消防車や救急車の行く手を阻んで道路はもはや完璧なパニック状態。現時点で十分な対策が講じられていないのが実情だ。3.11の東日本大震災の時、東京地方は5弱の震度だったが、都内の交通機関も道路も即座にパニクった。翁の身近な例では、友人Kさんは、都内杉並で講演している最中に地震に遭い、全ての交通機関のストップで自宅の浦和(埼玉)へ帰れず都内某所で1泊、同じ浦和在住のCさんは三浦半島へ釣りに行った帰り、高速道路、一般道の大渋滞に巻き込まれ帰宅まで15時間以上、厚木市にゴルフに行っていたYさん、福島・西白河にゴルフに行っていたTさんも長時間の地獄の道路に喘いだ。後輩のT君は、会社(銀座)から横浜市港北区の日吉まで(車で通常50分のところ)7時間、川崎市に撮影に行っていた我が社のスタッフたちは、代々木(会社)に戻るのに9時間、会社に泊まった者も数人、そのほか、あの日あの時、翁の友人知人だけでもかなりの人が“帰宅難民”を経験した。翁自身も夜遅くに再開した地下鉄を乗り継いで(通常なら30分で帰宅出来るものを)スシ詰め状態の2時間半を体験した(普段は車通勤だが、この日はたまたま電車だった)。しかし、もし首都直下地震が起きたら、こんな程度では済むまい。さあ『その時、あなたはどうする?!』

同じようなタイトルの『余話』を2008年4月6日に配信した。その時も紹介したが、翁の友人で地震の度にテレビ・ラジオに出演して当該災害に関する適切な解説を行なう防災ジャーナリストの渡辺実氏(NPO法人日本災害情報サポートネットワーク理事長)の著書に『高層難民』、『大地震発生!生死を分ける3秒・3分・3時間後』、『大震災その時どう
する?生き残りマニュアル』、『彼女を守る51の方法〜都会で地震が起こった日〜』がある。いずれも“その時、直ぐに役立つ護身マニュアル“だが、最近、渡辺さんが東日本大震災の被災地を取材しての実体験に基づいて著した『大地震に備える 自分と大切な人を守る方法』が発刊された。この本は題名通り自分と大切な人を守るために役立つ必読の本として既に話題を呼んでおり“大切な人と一緒に生き残るための心構え”が、4つの章で分かり易く構成されている。そればかりではない、渡辺氏の人柄をよく知る翁、文章の行間に(著者の)東日本大震災によって犠牲となられた人たちへの鎮魂、大切な身内を失った人たちへのお悔みと立ち直りの願いが込められていて全篇に温もりが感じられる珠玉篇だ。

大地震発生直後、数分後、数時間後、数日後、予想も出来ない事態に見舞われるケースは、東日本大震災で見られたばかりでなく過去の全ての震災が多くの教訓を残した。私たちは、それらの教訓を謙虚に(真摯に)学び“その時”に備えなければならない。しかし、磐石な国家の危機管理体制の確立が求められることは言うまでもない。自然災害だけでなく(テロなどの)人的・外的災害に対しても、だ・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

毎週、どのアルバムを紹介しようかXアプリで探します。いろんな探し方ができるので重宝しています。しかしディスプレイについているような小さなスピーカーで聴くと、パッとしないときがあります。そんなときはアンプを通して聴いてみるとまるで別の曲のようにすばらしく聴こえることがあります。
本日、ご紹介するアルバムはBilly Taylor Trioの"My Fair Lady Loves Jazz"です。
Billy Taylor(1921-2010)はノースキャロライナ生まれのピアニストです。
ピアノ、トランペット、サックス、ギター、ビブラフォーン・・・いろんな楽器が登場します。楽しいアルバムです。

"My Fair Lady Loves Jazz"  Billy Taylor Trio

01-Show Me
02-I've Grown Accustomed to Her Face
03-With a Little Bit of Luck
04-The Rain in Spain
05-Get Me to the Church on Time
06-Wouldn't It Be Loverly
07-I Could Have Danced All Night
08-On The Street Where You Live


LINEUP:
Al Casmenti Guitar
Anthony Ortega Sax (Tenor), Sax (Alto)
Billy Taylor Piano, Main Performer
Charlie Fowlkes Sax (Baritone)
Don Butterfield Tuba
Don Elliott Trumpet, Mellophonium, Bongos, Vibraphone
Earl May Bass
Ed Thigpen Drums
Ernie Royal Trumpet
Gerry Mulligan Sax (Baritone)
James Buffington French Horn
Jay McAllister Tuba
Jimmy Cleveland Trombone

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

 

編集後記

テレビのアナログ放送がもうすぐ終わりますね。みなさん、もう地デジ対応はお済でしょうか?それともどうせくだらない番組が多いからこの際、テレビをやめるという手もあります。
≪iPad≫
Qwiki
とてもエキサイティングなアプリにめぐり会いました。知りたいことを検索すると、動画(画像)と音声で説明してくれます(英語です)。英語のリスニングとリーディングが同時にできます。興味を持ったことについての説明なので、これは最強の英語教材ではないでしょうか。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.785

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com