龍翁余話(175)「靖国の桜」
『3.11の悪夢』―――未曾有の大地震・大津波(東日本大震災)によって多くの人の命や財産が奪われ、加えて福島第一原発事故による放射能流出の恐怖が全国民を襲った。これはまさに戦後最大の国家危機である。いや、国家危機の予兆は、大震災や原発事故の前からあった。国政のシロウト集団・民主党政権によって日本の経済と国民生活は疲弊し国際社会から(随所で)ヒンシュクを買い、国際的信用を失いかけ、国家の品格どころか国体護持すら危うくしていた。そんな時『3.11』は起きた。この悪夢(この世のものとは思えない悲惨な出来事)は、さまざまな形で“光と影”を浮き彫りにした。
まず“影の部分”――政府の危機管理能力・指導力・国際関係力などの未熟さ、東京電力の姑息な保身主義(1999年に茨城県東海村で死者2名、被爆者667名を出した“東海村原子力事故=臨界事故の教訓を、今回の事故発生当初において生かすことができなかった危機管理意識・能力の欠如、広報の拙劣さ)、原子力安全に関するバラバラ国家組織(原子力安全委員会=内閣府、原子力安全保安院=資源エネルギー庁、原子力安全基盤機構=経済産業省)の無機能の暴露、そして原発事故の状況説明(論評)は出来るが、具体的な事故対応アイデア(解決策)が出せない(頭でっかちの)学者たちの頼りなさ、などが日本国民と国際社会に暗い影を落とした。
一方“光の部分”――主被災地・東北人の礼節と忍耐、被災者同士の助け合い、郷土愛が世界の人たちに感動を与えた。そして世界の多くの国や地域が「ガンバレ・ニッポン」の掛け声とともに物心両面の救済の輪を広げてくれている。当然、国内においても全ての国民が立ち上がった。戦後、これほど日本人(老若男女)が心を1つにして自発的に一丸となった時代があっただろうか?テレビCM風だが「見せよう、大和魂」、「信じよう、日本の底力」を合言葉に日本が本当に甦生出来るきっかけとなるのではないか、すなわち“禍転じて福と為す”ことになるのではないか、翁、一筋の光明を見る思いをしている。
今まさに桜花爛漫の時季、しかし、世の中には「被災者のことを思えば、花見どころじゃあるまいし、にぎやかイベントは自粛すべきだ」という風潮が漂っている。被災者(死者・行方不明者・避難民)、被災地における国内外救援隊の必死の活躍、原発事故現場で日夜、被爆の恐怖と闘いながら復旧作業に携わっている人たちを思えば、自粛ムードも理解は出来る。だが翁、何でもかでも自粛を“時宜的正義視”するのは反対だ。世の中を縮こまらせれば、人心も経済も冷え切って“日本再生の蓋”は開かない。各自が各自の常識と節度をもって日常の生活リズムを保つ。その中に、趣味活動や自然をめでる行為があってもいっこうに差し支えない、そう思って翁、先日、東京・九段の靖国神社の桜見物に出かけた。都内に“桜名所”は数々あるが、翁にとって『靖国の桜』は特別な意味合いを持つ。何故なら―――幕末から明治、大正、昭和にかけて国難に立ち向かい、祖国安泰・平和・発展のために犠牲となった英霊たちの中の246万6千余柱が靖国の杜に祀られている。日清戦争、日露戦争を経て大東亜戦争に至り、将兵たちは「靖国神社で再会しよう」と言い交わして戦場に散った、だから年に1度、彼らは桜花に宿り戦友たちと“当時”を語らい、“今日的日本”の有り様を(さまざまな感慨をもって)見つめているのでは、と思えるからだ。そんな翁、今年もまた桜花の下で英霊たちに慰霊と感謝の真を捧げた。
『靖国の桜』は明治3年に時の参議・木戸孝允(きどたかよし、吉田松陰の弟子、維新前の名は桂小五郎)によってソメイヨシノが植えられたのが始まり。現在、境内にはソメイヨシノのほか、山桜、寒桜、富士桜、枝垂桜など約600本の桜が咲き競っている。その中に能楽堂の脇にある標本木(標準木とも言う)(写真左)に5,6輪の花が咲くと気象台から東京の桜開花が発表される(境内の説明板より)。標本木から右辺に目を移すと、神門付近の桜が一段と美しい(写真中)。境内の奥の“神池の桜”の下には休憩場が設けられ、お茶が振る舞われる(写真右)。さすがに今年は外苑の屋台出店、花見酒宴は禁止、だから花見客が多い割に境内は静かで(酒宴を嫌う翁にとっては)落ち着いて花見が楽しめた。
1つ残念なことは『靖国神社・夜桜能』の中止だ。120年(東京最古)の歴史を有する靖国神社能楽堂での『夜桜能』は、今年は20周年の節目の年だった。しかし、いっこうに収まらない余震、福島原発事故の状況、計画停電による夜桜照明の電源不足、交通事情などに鑑み中止。野村万作、萬斎の『末広がり』(狂言)、梅若玄洋、宝生和英らの『石橋』(能)などは来年のお楽しみとなった。
平安時代初期の貴族・歌人で六歌仙の1人・在原業平(ありわら の なりひら)の有名な句に『世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし』(古今和歌集)というのがある。“世の中に、一切、桜というものがなかったら、春をのどかに過ごせるものを”翁のこの解釈が正しいとすれば業平という歌人、いささか世の中と自然界を斜め見していた変人ではなかったか?いただけない。靖国神社の拝殿に明治天皇御製の『高殿に のぼりて見れば をちこちの 花も今日こそ 盛なりけれ』が掲示されている。桜花に対する業平の偏向観に比べ、明治天皇の何と温厚なお人柄が偲ばれる和歌ではあるまいか。そこで翁も一句『満開の 桜の枝間に 美しく 御霊(みたま)おぼしき 白鳩の舞』・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』 |