――― 前号からの続き ―――
この会はもともとはJBA(現在の「南カリフォルニア日系企業協会」)サウスベイ地域部会が
10数年間(計144回)行ってきた月例勉強会でした。1990年代はじめまで、所謂日本がバブル時代であったころ、日本からの海外進出は目覚しく、JBAの会員(企業)も700社近だったのが、バブルの崩壊に伴い1995年頃には500社ほどまでに減少しました。
会費収入に頼るJBAとしては、収入減への対策として組織の再編に迫られ、当時の会長だった天野氏(米国デンソー社長)の大号令のもと、JBAの役割のひとつだった「日本人会的役割」はとりやめ、「商工会議所的役割」に絞る方針が打ち出されました。国や州政府に対するロビー活動、ビジネス支援などの方向に重点を絞って難局を乗り切ろうということでした。そのため、いくつかの親睦行事的な活動がJBAは切り捨てることになったのです。サウスベイ地域部会の月例勉強会も切り捨て対象になってしまったのでした。
そのこと自体は当時のJBAとしてはやむを得ないことでしたが、前記のとおり、この月例勉強会は10年以上の実績があり、日本からの進出企業やその駐在員、地元で起業している日本人や日系人のために大いに貢献しており、また原則としてメンバーのボランティア・ベースで運営していたので、私たち実際に勉強会を運営していたものとしてはJBAから外されることに得心できず、当時のJBAサウスベイ地域部会役員の皆さんにも理解していただき、本部に対してその存続を強力に訴えたのでしたが、本部と地域部会という力の差はいかんともし難く、まさに“多勢に無勢”で訴えは退けられてしまいました。この月例勉強会(SBMS)とほぼ同じ運命を辿ったのが、のちにJERC(Japanese
Educational Resource Center)
として独立し、いまだに素晴らしい活動を続けている教育ボランティア・グループです。
JBA本体から捨てられてしまった私たちは、毎月参加してくれるメンバーからの強い要請もあり、それでは自分達だけでこの勉強会を続けようということになり、カーソン市の米国パイオニア社において同社の山田社長を発起人の長とし、新勉強会の立ち上げのためのミーティングを重ねました。1995年の初めのことでした。その結果、会の名前はこれまでの「JBAサウスベイ地域部会、経営セミナー」からJBAの冠をはずし「サウスベイ経営セミナー(South
Bay Management Seminar、略称:SBMS)」とし、初年度会長に山田氏(米国パイオニア社長)、副会長にゲルマン・喜子氏(Holiday
Inn)、世話人に若尾龍彦氏(Wakao & Associates社長)を選出して新たな出発をしました。
私はこの新組織について発起人、準備委員、第2年度会長、幹事、そしてその後はセミナー委員として設立当初からかかわりをもてたことを誇りにしています。設立当初は30数社の会員でスタートしたものが現在は100を超える法人、個人会員を要するグループにまで育ち、私も生みの親の一人として感無量の心境です。
――― 次号へ続く ―――
河合将介(skawai@earthlink.net) |