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NO.773               Ryo Onishi              3/6/2011  

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雑貨屋のひとり言

寒さが和らぐと思ったらまた冬に逆戻りした先週の天気でしたが、もうすぐ春の期待があるのでさほど気になりませんでした。2月中旬から花粉が飛ぶだろうと言われていたのが、寒さでずれていましたがこれからが本番のようです。もうすでに花粉による症状が出ている人もたくさんいるようです。私は幸い、早くから処方してもらった薬を飲んでいたこともあって、去年のような症状はまだ出ていません。新薬が効いているのかもしれません。もしかしたらヨガでの呼吸器系の鍛錬も役立っているかもしれません。耳鼻咽喉科には二週間ごとに行き、新薬を処方してもらう必要があり、ちょっと面倒くさいのですが、新薬の処方は2週間分までとなっているからだそうです。来年からは一ヶ月分でも処方できると説明を受け、納得しました。≪R.O≫

 

サウスベイ経営セミナー15年を振りかえる(1)

 私たちが住むロサンゼルス郊外、サウスベイ地域とその周辺の日系企業の駐在員や経営者たちが集まって組織された「サウスベイ経営セミナー(略称:SBMS)」というボランティア・ベースによるビジネス勉強会があります。(会のホームページ:http://www.sbmseminar.org)

 ここでは毎月一回セミナーを行い、会員がアメリカで企業経営に携わるうえで日々直面する様々な問題について専門家を招いて勉強をしたり、会員同志で研究・話し合い等を行っています。この会は昨年、満15年を経過し、当地でビジネスに携わる日本人にとって重要な情報源であり、また広い人脈作りに役立ってきたと確信しています。

 私はこの勉強会であるSBMSには設立発起人としてかかわり、会長、セミナー委員長などをさせていただき、ここ数年はセミナー委員として運営のお手伝いをさせてもらってきましたが、ここで健康上の理由から今年は会計監査という立場となり、会の実質運営から引退させていただくことにしました。この会も若い優秀な人材が育ち、まさにアナログ時代からデジタル時代へおおきく転進を続けています。

 会の実質運営から退くにあたり、私がこれまでに記録し、手許に保管してきた会設立からの諸資料を次の皆さんに引き継ぐべく、まとめました。その結果、バインダー(5冊)、月例セミナー講師の講演録音カセットテープ(97本)、ビデオテープ(2本)、デジタル写真集(フロッピー・デスク)などとなりました。これらの資料はこの会の過去の経緯や記録というだけでなく、特に録音テープはこの会で講演してくださった各分野の専門家の貴重な講演録でもあり、会と会員の財産でもあります。

これら講演録音テープはこれまでも会員からの要望により貸し出したりしていましたが、私はこれまで時折聞かせてもらい講師の語りに感激させてもらいました。なかには繰り返し何度再生しても新鮮な感動をおぼえる講演もあり、これらテープからも多くを学びました。

 サウスベイ経営セミナー運営からの引退にあたり、これまでの15年間をすこし振り返って見たいと思います。  ――― 以下次号へ ―――

河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言 「誇り」

我が家へ遊びに来てくれる人に、「我が家は“ホコリ高き”家だから、カジュアルな服装で来てね」とは、私の決まり文句。今も昔も変わらない。我が家を訪ねてくれる前から、緊張がほぐれ、気楽に寄ってもらえるおまじないのひとつ。勿論これは単なる“言葉遊び”、誇りと埃をかけたもの。確かに誇りと埃が競い合う我が家だが、来訪者たちが心からくつろいでくれることに感謝する私たち夫婦。そして実は、私たち夫婦がいつも自慢している海の向こうの“親友夫妻”の、最近のヒューマニスティックな(人間愛に満ちた)活動に、私は、さらにさらに誇りを感じ、喜びとしている今日この頃である。

2月22日、ニュージーランドはクライストチャーチを襲った大地震から2週間が経とうとしている・・・地震発生の初期、土埃や火災の煙が立ち込める瓦礫の中から、生存者が次々と救出される映像に感動を覚えた。しかし、昨日(5日)、その捜索・救出作業に終止符が打たれ、これからは遺体確認と復旧活動が主となる。テレビ、インターネット、新聞や雑誌などの報道では、被害の大きい場所や救出作業の現場、邦人被害者とその家族らの悲壮な様子が報じられる。しかし、その影には、クライストチャーチに住む多くの、心ある地元民や日本人永住者の、献身的で積極的な支援活動があったことは、あまり報道されていない。ここに、報道されない小さな、けれども大きな私の誇りを紹介したい。

それは、(以前、私が働いていた時の)元部下でありながら今は無二の親友でもある、キャンベル和美とその夫でニュージーランド人のアロン(以下、キャンベル夫妻と呼ぶ)だ。昨年9月のクライストチャーチ地震では、自営するレストランが大きな被害にあったが、今回は、奇跡的にレストランも住まいも被災を免れた。2月22日大地震の当日、クライストチャーチの約80%のライフライン(水や電気)が切れる中、彼らは残りの20%、インターネットや携帯電話などが一時不通になるも、無傷に近い状態だった。まだ被害の大きさを十分に把握できないうちは家から出ず、テレビを通しての情報把握、そのニュース番組で、崩壊した中心地に近いハグレーパークを歩いているニュージーランド人に何故ここを歩いているのかと訊ねたら、崩壊したホテルや住まいのない旅行客が大勢いると知り、自宅に連れて帰り休ませてあげたいと応えていた。このニュース(映像)を観たキャンベル夫妻は、自分たちも困っている日本人を探しに行って、狭いながらも我が家で暖をとり、暖かい味噌汁をふるまい、休んでもらおうと夫婦で出かけたという。その時刻は午後8時頃だったそうだが、安全だったキャンベル夫妻の住まいから一本道を隔てるとそこは真っ暗闇、信号は勿論、家の明かりもなく、崩壊した建物、その被害の大きさに改めて驚いたという。ハグレーパークに到着した直後、大地震に遭遇した多摩大学生(8人)と教諭(1人)の9人を自宅へ案内し、翌日、無事帰国を助けた。その後、キャンベル夫妻は、NHKの衛星放送(ニュース)で富山外国語専門学校の被害者の多さを知り、自分たち夫婦に何かできることをオファーしたいと、その学校のHPにアクセスした。しかしそのHPはクローズされておりコンタクトがとれなかった。キャンベル夫妻は直ぐに私にメール発信、私もまた直ぐに富山外国語専門学校へ連絡をとり、キャンベル夫妻の存在、住居シェア、言語、交通手段・車、食事などの支援活動が可能なことを伝えることとなった。この大混乱状態下での様々な対応も大変な中、富山外国語専門学校の電話窓口の応対は極めて丁寧で適切であったことは驚き。これが幸いしたといえる。結局、私の伝達を学校長とその場で確認、すぐに感謝の言葉と同時に現地で救済された1人でもあり引率者でもある亀遊先生への携帯電話番号と共に、キャンベル夫妻への支援・協力依頼を私にくれた。その翌日から、キャンベル夫妻は、亀遊先生からの連絡・要望によって、同学生被害者とその家族を自宅でお世話し、日本へ送り帰したり、レースキュー隊のお世話をしたり、行方不明者探をしたりなど、キャンベル夫妻は今も現地でサポート活動を続けている。さらに、自営業のレストランは、パイプライン復旧工事に携わる人々の食事を提供する貴重な場所として、材料・仕入れの困難な中にあっても、積極的に貢献し続けている。彼らからの報告によれば、同エリアの日本人鉄板料理シェフは、日本からのレースキュー隊への弁当を、睡眠時間を削って作り続けた。このシェフ、自分の店が昨年9月4日の地震で崩壊し、今年1月から営業を再開したばかりといい、被災体験者の日本人としての痛みを共有するサポートと言える。もう一度言う、私は、キャンベル夫妻の積極的で誠意のある、しかも迅速で的確なサポート活動とその生きざまを、心から誇りに思う。そして、同様に、名も知らぬ日本人被災者へ、食料や水、宿を提供してくれたキャンベル夫妻に、深甚なる敬意を表したい。

さて、地震から救出された人たちを救った手掛かりや、キャンベル夫妻のようなサポーターたちの情報収集やコンタクトのツールとして活躍したもの、それが携帯電話やインターネットだったことは言うまでもない。ツールはいつも、使い方、つまり使う人の目的や気持ちによって、悪魔にも女神にもなるものだと、実感する昨今だ。被災地の復旧・復興も、被害者やその家族の痛み悲しみが癒されるのも、長い時が必要となろう。クライストチャーチは私たちの夫婦が新婚旅行で訪ねた記念の場所、崩壊したあの歴史的なカテドラルとその街と自然は私たち多くの旅人に癒しを与えてくれた。だからこそ、必ず、そこには癒しの時がいつかは備えられると信じ、そして、祈りたい。親友夫婦を心から誇りに思いつつ・・・っと呟く、さくらの独り言。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

 
ドル80円マッカーサーが目を凝らす

飽食の挙句の果てを恐く見る

平和ボケして出られない春炬燵

原爆碑の誓いに詫びることばかり

不戦の碑 昭和の墓標にはさせぬ


( ニュースやぶにらみ )

「いざ入試」
秀才ー実力で。 凡才ー絵馬頼み。 悪才ーケータイ頼り

「滑走路は V で」
×です −辺古野

「一年ぶり」
今年も首相が代わっていた −お雛様

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

 

龍翁余話

龍翁余話(170)「八百長問題は角界全体の責任」

八百長問題が長期化する中、このほど大相撲の新弟子検査の応募が締め切られた。若貴ブ
ームの頃(1994年〜1995年)は160人もの志願者があったそうだが、1999年(平成11年)の100人切れを最後にその数は年々減少し、昨年は52人、今年は過去最少の36人であったとか。放駒理事長は「度重なる不祥事の影響もあるかもしれないが、少子化が進んで最近では相撲界を選ぶ人が少なくなっている」と言っている。確かに客観的要因として少子化の影響は無いとは言えないが、(翁が思うに)そんな一般論より直接的には(やはり)大麻所持・吸引事件、元横綱(朝青龍)の品格無き無作法と暴力事件、時津風部屋の暴力致死事件、野球賭博事件、八百長問題などが大相撲に対する信頼性、魅力を損ねてしまった、と見るべきであろう。野球賭博事件で警視庁は今月3日、賭博の客だった元大関・琴光喜や元大嶽親方(元関脇・貴闘力)を含む27人を書類送検した。この中には横綱・白鵬の元トレーナーも含まれている。調べによると角界の野球賭博は少なくとも2009年からの2年間で、プロ野球の公式戦など1500試合以上を対象に行なっていた、という。この事件で、これまでに胴元の元力士ら4人が逮捕・起訴されたほか、3日の分を合わせて36人の力士が書類送検されたことになり、警視庁による一連の捜査は終結した。

一方、八百長問題を調べている特別調査委員会は「全容解明は長期化必至」と言っている。いや、翁、この問題は100年かかっても全容解明は不可能、と見ている。何故なら八百長相撲は(翁の勝手な推測だが)今日昨日の話ではない、もしかして江戸時代から綿々(めんめん)と続いている“伝統”であろう、と思われるから。金銭が関わる八百長はもってのほか、これは絶対に許されるものではないが、崖っ淵の力士に同情して“暗黙の勝ち”を譲る、いわゆる“人情相撲”は、昔から“武士の情け”として一種の美徳とされてきたフシがある。頑固な(厳正な)相撲ファンから叱られるかもしれないが、翁、この“人情相撲”には、さほど目くじらを立てるつもりはない。見た目に分からない真剣味(迫力)のある勝負(人情相撲)なら、逆にそれは人間味溢れるプロとしての高度な技術だと評価したい、とさえ思っている。

さて、当調査委の調査とは――力士に携帯電話を(任意)提出させ、それを解析するそうだが、何とも馬鹿馬鹿しい幼稚な調査手法だろうか。この調査委は大学教授や元大学総長、元東京高検検事長、元警視総監、元防衛庁長官ら錚々(そうそう)たるメンバーが揃っている割には、まるで小学児童の“携帯メールによる悪戯(イジメ)調査”レベルの稚拙な発想と手段だ。と言うか、この程度しか出来ないのが、八百長問題解明の難しいところだろう。特別調査委は、この“馬鹿馬鹿しい調査手法”に(やっと)気づいたのか、近々、新たな調査方針を検討するそうだが・・・八百長への関与を認めている竹縄親方(元幕内春日錦)が「八百長に関わった力士は40人を超える。何で俺たち数人だけが矢面に立っているのか、不公平だ」(と言ったとか言わなかったとか)の一部報道に調査委は困惑の色を濃くしているが、放駒理事長は「新しい事実が出てこない限り、そんなに長くはかからないだろう」と暢気なことを言っている。協会はその程度の認識(感覚)しかないようだ。

先日、大分県宇佐市に住む翁の友人Aさんから、次のようなメールを頂戴した。「大相撲の八百長問題の影響で年内の地方巡業が取り止めとなり、我が郷土(宇佐市)が生んだ昭和の大横綱・双葉山生誕100年記念事業の一環として12月に開催が予定されていた巡業宇佐場所が中止されることになり、地元は大きなショックを受けています」。

『双葉山像』

『双葉の前に双葉無し、双葉の後に双葉無し』と謳われた不世出の大横綱“昭和の角聖”双葉山記念館(写真左)に、翁、これまでに2度訪問している。館に入ると左手に横綱時代の双葉山の銅像(写真中)が訪問客を圧倒する。館内は双葉山ゆかりの品、写真、顕彰書籍などがビッシリ。また、館の直ぐ隣には双葉山の生家が復元されており(写真右)、穐吉定次(あきよしさだじ=双葉山の本名)の少年時代を偲ぶことが出来る。「我、いまだ木鶏たりえず」、「相撲は体で覚え、心で悟れ」、「稽古は本場所の如く、本場所は稽古の如く」など数々の名言を遺した双葉山は終生、相撲道と人間道を追い求めた。「日本相撲協会と全力士は、今こそ双葉山の至高の精神を学ぶべきだ」とAさんは熱く語る。勿論、翁も同感。

八百長問題、翁は言いたい「もう、個々の犯人探しは止めなさい。八百長問題は角界全体の責任、今更全容解明は不可能、無意味。中途半端な結論(犯人特定)で“改革へ”などとお茶を濁すようでは、霧は晴れず“疑惑観戦”をいつまでも引きずることになる。この際、協会と全力士は天下に詫びを入れ、公益法人(認可)返上、“国技”の名称返上、従来の協会組織を解体、(旧態の部屋方式を改め)いち早く新しい組織・システム・ルールを創り、未来永劫、世界に誇れる大相撲道(正真正銘の国技)を構築して貰いたい。その具体的な方法(戦略・戦術)を考える相撲界再建委員会の発足が望まれる。更に言う「新弟子検査合格者は中・高・大卒にかかわらず一定期間“相撲学校”に入学させ、技能・知能・教養を身につけさせようではないか」初心初志が大切。
ところで双葉山生誕100年記念に際し“宇佐場所”を実現してくれる心ある親方・力士はいないものだろうか?ボランティアなら協会方針違反にはなるまいと思うが?(身勝手な郷土愛から)・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

今日はトランペット奏者のEddie HendersonのManhattan In Blueです。
ヘンダーソンはトランペット奏者ですが精神科医でもある変わった経歴の持ち主です。
3曲目のタイトルが"Jinrikisya"とあります。Wikipediaによれば彼の奥さんの名前がNatsuko Hendersonとありますので、ヘンダーソンが日本と関係があることを思わせます。
このアルバムは都会の夜のムードが漂います。一人静かに聴くのにいいと思います。

"Manhattan In Blue" Eddie Henderson Quintet

1 Surrey With The Fringe On Top (Rodgers, Hammerstein) 6:55
2 I Remember Clifford (Golson) 7:03
3 Jinrikisya (Henderson) 5:57
4 Oliloqui Valley (Hancock) 9:24
5 When You Wish Upon A Star (Washington, Harline) 5:52
6 Phantoms (Barron) 9:12
7 On Green Dolphin Street (Washington, Kaper) 5:13
8 If One Could Only See (Karper) 7:30
9 Little B's Poem (Hutcherson) 5:52

Eddie Henderson (Trumpet, Flugelhorn)
Grover Washington Jr (TenorSax, SopranoSax)
Joe Locke (Vibraphone)
Kevin Hays (Piano)
Ed Howard (Bass)
Lewis Nash (Drums)
Recorded Jul. 7 - 10, 1994

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

スポーツセンターで"inBody検査"をしてもらい。アドバイスを受けました。
体脂肪をすこし減らし、脚の筋力を鍛えたほうがいいということでした。
これらを意識しながらジムに通おうと思います。
このように数値目標があるとやりがいがあります。
≪iPad≫
薄く、軽く、速くなったiPad2が発表されました。これはどんな製品でも宿命です。
かつて河合さんが最新のPCを買いたかったらあなたが死ぬ直前に買いなさいといった笑い話がありましたが、毎日の進化しているこの現代では最新はその瞬間だけです。それにしてもiPadはすごい完成度だと思います。
DRAGON Dictation
キーボードを使わずに記事や手紙を書くことができます。DRAGON Dictationは音声を認識してテキストにしてくれます。キーボードを使えない状況では便利 だと思いますが、人前ではちょっと恥ずかしい気がします。


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雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.773

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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