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NO.768               Ryo Onishi              1/30/2011  

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雑貨屋のひとり言

日本列島は厳しい寒さが続いています。そんな寒さを吹き飛ばしてくれる、日本チームのアジアカップ決勝戦での見事な優勝でした。私は試合が終わるまで起きている自信がなかったので録画で観ました。体力的にも厳しい延長の後半戦4分に決めた長友選手のパス、李選手のボレーシュートは圧巻でした。予選から数々の危機を乗り越え決勝戦まで来たこと、そして強豪のオーストラリアの猛攻撃をかわして勝利した日本チームの団結力と選手の粘り強さは、私たち日本人だけでなく観ていた全ての人に感動を与えたのではないかと思います。今の日本に欠けているものを教えてくれているような気がします。惜しくも負けたオーストラリアの選手が日本選手に拍手を送っていましたが、さわやかな気持ちにさせてくれました。≪R.O≫

 

銃社会のアメリカ(2)

――― 前号からの続き ―――
アメリカでは銃の所持について、州によって規制は異なるものの、条件さえ整っていれば国民が銃を所持することは禁止されていません。合衆国憲法にも次の通り規定されています。
 

『規律ある民兵は、自由な国家にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない』(修正憲法第二条)

 尤も、上記憲法の条項は、あくまでも「各州が持つ州兵の武装を認めたもので、一般市民の武器保有を認めているものではない」とする解釈を支持する学者が多いのですが、それにしてもこの国のあり方をよく示していると思います。
 
1月18日のガーデナ高校銃暴発事件の10日前には、アリゾナ州で民主党の女性下院議員が狙われ、9歳の子どもを含む市民6人が犠牲になった銃乱射事件があってアメリカ国中が大騒ぎをしたばかりです。日常茶飯事のごとく起きる銃の発砲事件ですが、こんな現実に対し、その都度、銃規制の強化を求める声があがるのですが、なかなか思うようにならないのがこの国の実態です。それどころか、発砲事件が起きると逆に街の銃砲店の売上が増加するのだそうです。悪い奴が銃で武装しているのだから善良な市民である我々も自分を守るための銃は必要だ、という理屈のようです。

 日本の場合、全国的に警察の力が行き届き、無法地帯はほとんどありません。しかしアメリカは必ずしもそうとは限りません。特にニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスのような大都市には特別治安の悪い地域があり、その地域で事件に巻き込まれても、そんなところへ行ったほうが悪いとされかねません。私たちも来米初期の頃、知らずにそんな地域に出かけ危険な思いをしました。また、無法地帯でなくとも常にわが身を護る心がけが必要です。ロサンゼルスの観光地には多くの日本人の若者たちが目立ちますが、どう見ても隙だらけの服装・身なりがめだち、はらはらさせられます。

以前、日本人の友人から聞いた話ですが、彼はロサンゼルス郊外の町で現地高校の数学教師をしていました。彼の高校では各教室の教壇脇に非常用電話が設置されていたそうです。万一、生徒が暴力沙汰を起こした場合に備えているのだといっていました。体格の良い生徒たちが暴れだしたら、男性教師ですら手の施しようもないでしょう。

国土が広大なアメリカでは、たとえば地方の砂漠地帯などでは終日ドライブしても人すれ違う車は数えるほどだったり、人の住む町がなかったり、といったところがあります。こんなところで事件に巻き込まれたらどうなってしまうか考えただけでも恐ろしいことです。ドライブするとき、自分を守るため車のダッシュボードに拳銃を入れてドライブするこちらの人の気持ちも理解できないわけではありません。

 統計によると、アメリカ合衆国では一日あたり13人の子供が銃で殺されており、暴発等の事故によるものも含めると、銃による子供の死亡率はアメリカがダントツの世界一となっているそうです。(U.S. Frontline, Apr.5,2000号)
 子供がこれほど多く銃の犠牲になっているということは、一般成人の銃に絡む悲劇は数知れません。

 アメリカで銃規制の強化が進まない大きな理由としてよく挙げられるのは、全米最大のロビー団体である N.R.A.(全米ライフル協会)の圧力であり、折角、銃規制強化法案が議会に提案されても、審議はいつも腰砕けで終わってしまうのがこれまでの常となっています。

 銃規制という、こんな重大な問題が過去において殆ど大統領選挙の争点になったことすらなかったほどで、これも N.R.A.の圧力の強さといえるのかも知れません。
 では、何故彼らはそんなに力を持ち得るのか。それは当然ながら強固な組織力と豊富な資金力を背景にしているからでしょうが、その前提として存在するアメリカという国家の成立過程と広大な国土を抜きにしては考えられないようです。
 
現在のアメリカ合衆国はイギリスから独立を勝ち取った際、民衆の一人一人が銃を手に戦った歴史から始まっています。さらにその後の西部開拓ほか広大な土地を守ったのも民衆であり、この辺が日本と大きく違うところです。アメリカ国民にとって我が身は自分で守るという伝統は建国以来のものであり、そう簡単には放棄するわけにはいかないものがあるのでしょう。

 このような歴史他を背景にN.R.A.を中心とする銃規制反対派は、「銃は人の命を守るもの」、「銃のある社会こそが最も安全で安心な社会」という主張の展開を可能にしているのです。これらの主張は、私達日本人からすると詭弁以外の何物でもありませんが、大方のアメリカ人にとっては決して詭弁ではなく、彼らの歴史的・地理的発想からすれば体験的実感なのです。

 ここで興味を引くのは、銃の規制強化を叫んでいる大多数の銃規制派の人々ですら、一般市民の銃所持を認めないと主張している人は殆どいないことです。アメリカ人の大多数は自分たちが銃を所持するのは当然の権利であり、自衛のため必要なことと考えています。だから彼らの主張は「銃の撤廃」ではなく、あくまでも「規制による犯罪と事故の防止」であることです。「自動車は事故を起し、人を殺すからといって、自動車を禁止するのは正しくないのと同じである」という発想です。

 殺傷が目的である“銃”を“自動車”を同列に論ずること自体、私達日本人の発想からすると、これまた詭弁に聞こえますが、これも背景の相違とでも言うのでしょうか。

 アメリカでは過去10年間、毎年3万人から4万人の命が銃による犯罪・事故により失われているとのこと(Lighthouse誌May 1,2000号)、しかし、数年前まではこれら事件は一部のギャングがはびこる特定地域内の問題といわれてきました。
 ところがここ数年の出来事は普通の高校や一般市民が住んでいる所でも多発し、目立ってきています。銃社会アメリカの今後の行方が注目されます。
河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言

今週はお休みです。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

 遼二世ジュニアゴルフの花盛り

ジャリタレの頃がピークという二十歳

根性で挑みマットに沈められ

夢ひとつ削り大人へまた一歩

新札もやがて世間の垢がつく


( ニュースやぶにらみ )

「政治の混乱」
日本国 再格下げ −世界の目

「国の借金998兆円」
揉めてる間に1000兆を越すな −国会

「アキバにホコテン復活」
人出が10万人とは恐ろしい −アラブの独裁政権

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(165)「和歌雑感・・・俳句・川柳・狂歌」

最近、翁の周辺で、俳句や川柳を楽しむ人が増えてきているようだ。俳句は、NHKの3年にわたる超大型シリーズ(司馬遼太郎原作の)『坂の上の雲』(第1部は2009年12月に、第2部は昨年12月に放送終了、第3部は今年12月に放送予定)の主人公、日露戦争で日本に奇跡的勝利をもたらした秋山好古(陸軍大将)、秋山真之(海軍中将)兄弟と親交の深かった正岡子規(俳人・詩人・評論家・随筆家)、第2部で34年の壮絶な生涯を閉じたのだが、その子規の影響だろうか、放送が終了したあと(今年に入って)旧友のM氏(元新聞記者)から「地元(杉並区)の中高年の皆さんからのご要望で、このたび俳句同好会を結成することになりました。つきましては龍翁さんにも是非ご参加いただきたい」とのお誘いがあった。現在会員は12人とのこと。俳句は翁も多少の心得はある。M氏はそのことを知っての勧誘だっただろうと思うが、まあ、月に1回ていどなら、ということで来月からM氏主宰の句会に参加することにした。ちなみに翁自身、『坂の上の雲』(1969年〜1972年、文芸春秋連載)によって秋山兄弟、正岡子規の大ファンとなり、そのことは『龍翁余話』(89)「根岸界隈ぶらり旅」<その1>(2009年7月12日)にも書いた。
古い話だが、学生時代お世話になった(下宿屋でないのに、無理矢理下宿させて貰った)お宅、所は世田谷区松原町の、歴史を感じさせる立派な日本家屋、玄関の横にはシャンデリアが輝く洋館(50畳ほどの応接間)がある豪邸、翁は(かつて書斎に使われていたという)6畳間に住まわせて貰った。そのお屋敷の主(あるじ)は、いつも和服姿で長い白髪を束ね髪(たばねかみ=後ろで無造作に束ねた髪)にしている上品な初老のおばさん。そのお屋敷に転がり込んで数日後に分かったことだが、このお宅は、何と、信濃小諸藩の第10代藩主・牧野康済(まきの やすまさ=明治17年の華族令で子爵)の縁戚にあたるお家柄、しかも、このおばさん(牧野芳子さん)は大正から昭和にかけてのアララギ派の中心人物・斉藤茂吉(歌人・精神科医)の直弟子、つまり、昭和アララギ派の歌人であった。毎週定例句会には大勢の(牧野さんの)お弟子さんたちが集まった。まるで俗世間とは別世界の、古典日本語(文語=書き言葉)が飛び交う空間は、当時学生の翁にとっては肩が凝るほどの緊張感が漂う雰囲気であったが、実は翁も牧野芳子門下生の末席に加えていただき、俳句・短歌を勉強させていただいた。そんなことで爾来、時折、俳句・短歌に親しんできたのだが、思えば後年、翁が筆と映像でメシを食う職業に就けたのは、ここ“牧野芳子教室”が出発点であったのかもしれない。

一方、川柳は、というと(某生命保険会社が主催する)“サラリーマン川柳”が有名だが、企業や団体、小単位グループなどの“○○川柳”の多いのに驚く。川柳も俳句と同じく短歌(和歌=やまとうた)の一種であり、俳句と同じように五・七・五の形態をとる。しかし“季語を1つ入れ、わび・さびを効かせて風情を重んじる”俳句と異なり、川柳は“風情より風刺やユーモアを重視している”から、ほとんどの作品が笑いと納得を誘う。昨年末に鏡餅を購入した際、その箱の中に“日本鏡餅組合事務局「川柳大募集」”のチラシが入っていた。入賞商品、JCBギフトカード5,000円分(50作品)を狙って“よし、俺も”と構えてみたが、ウイット(機知・頓知のセンス)に乏しい翁、まったく手も足も出ない。ところが翁の身近に筋金入りの川柳作家がいる。その人の名は河合成近さん。『龍翁余話』を毎週掲載して貰っている『雑貨屋ウイークリー』(配信元は大阪、主宰は大西良衛さん)執筆者集団の(翁の)先輩だ。他の作家たちの作品(エッセイ)も必ず拝読するが、成近さんの川柳と一口時評“ニュースやぶにらみ”はことさら楽しみ。今年に入ってからの作品の一部を紹介すると、『元旦の朝も回転皿で来る』、『めでたさも切手のシートのほどの運』、『一年の計にダルマの苦笑い』、『歳なりに元気と喜寿の年賀状』、『父母の歳越えてまだまだある迷い』、『百歳の句集が夢という励み』・・・同世代の翁にとって、これらの心情描写は、笑いより納得がズシンと胸に響く。さらに『女房の負けるが勝ちに操られ』、『70点これでいいねと凡夫婦』、『下一桁当たり程度の亭主運』、『赤い糸いつしか紐に綱になり』などは、新年に際し(照れながらも)改めて奥さんへの感謝の気持ちを表した“女房賛歌”、愛妻家の成近さんらしい微笑ましい作品だ。川柳とは、このように自分の生活感情の中から自然にこみ上げるものを(何の制約も受けずに)素直に五・七・五に纏めればいいのだが前述のようにウイットに富んでいなければ、なかなか・・・

さて、俳句も川柳も“短歌(和歌=(やまとうた)の一種”と述べた。短歌は俳句や川柳より、やや字数が多い(五・七・五・七・七=字余り可)分、ボキャブラリー(語彙)の豊富さが求められるので、とっつきにくい。国歌『君が代』(古今和歌集=題知らず、詠み人知らず)が、身近な和歌だが、同じ和歌(短歌)の中に狂歌というのがある。狂歌とは(川柳と同じように)社会風刺や皮肉、滑稽を盛り込み五・七・五・七・七で構成する諧謔形式の短歌のこと。その昔、戦国時代に細川幽斎という武将で歌人がいた。彼は信長、秀吉、家康に仕え、子孫は肥後熊本藩54万石の藩主となる。秀吉がある時「世の中で一番小さい物を狂歌にせよ。勝者には余の印籠を授ける」ということで“狂歌合戦”が始まった。その席には片桐且元、福島正則、加藤清正などの武将のほか、秀吉の御伽衆(おとぎしゅう=話し相手)の1人“頓知の新左“と呼ばれていた曽呂利新左衛門(そろり しんざえもん=落語の祖)もいた。幾つかの”小さい物“が詠まれたが結局は幽斎の「蚊のこぼす 涙の海の 浮島に 砂子拾ふて 千々砕くなり」が一番になったとか・・・

さて、翁が学生時代、人並みに“我が人生、先が見えず”で苦しんでいた時、下宿のおばさんこと短歌の大先生・牧野芳子さんが翁に手渡してくれた1枚の色紙(1句)が半世紀を越えた今も翁の座右の銘として(翁の心の中に)生き続けている、そして悩める後輩たちにも伝えてきた。「君に問う 何思はめや 明日の日の 全(まっと)き運命(さだめ) 誰(た)が誓ふべき」(あなたは、何をそんなに思い悩んでいるのですか? 明日の運命を、誰が決めることが出来ますか? 運命は、あなた自身が切り拓くしかないのですよ)「春寒し いまだ迷いし 翁道(おきなみち」・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

本日ご紹介するのは渡辺貞夫のアルバムです。1960年代、AMラジオで「ナべサダとジャズ」という番組がありました。覚えていらっしゃる方もいると思います。その時は確か黒と白でデザインされた容器の資生堂MG5の提供でした。これが私のジャズとの出会いです。ナベサダのジャズは軽快でとても聴きやすい音楽だと思いました。
1曲目のCalifornia Showerは1970年代、草刈正雄との共演で資生堂ブラバスのテレビコマーシャルに出演した時にバックに流れていた曲です。
久しぶりにナベサダを聴いて雑貨屋ニュースウィークリーを編集しています。

渡辺貞夫 Super Best

01-California Shower
02-Nice Shot!
03-Inner Embrace
04-Samba Do Marcos
05-Serenade
06-Morning Island
07-Seventh High
08-Turning Pages Of Wind
09-Down East
10-Home Meeting
11-My Dear Life

1933年生2月1日生まれ、現在76歳ですが現役で活躍されています。

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

鳥インフルエンザでニワトリの被害も深刻な宮崎県ですが、今度は52年ぶりの霧島・新燃岳の噴火で火山灰による被害が出はじめています。あらためて日本は火山国だということを認識させられます。それにしても宮崎県は本当に災難続きだと思います。
≪iPad≫
Skyfire
iPadの唯一の不満はFlashで作成されたファイルを開けないことです。
AppleストアでFlash動画を観れるアプリを入手しました。Skyfireのブラウザー上でFlashで作成されたファイルを開くとiPadで観れるファイルに変換してくれます。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.768

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com