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NO.758               Ryo Onishi              11/21/2010  

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雑貨屋のひとり言

朝晩はぐっと冷えてきました。あっという間に冬になってしまったという感じです。
日本は四季がありますが、最近は夏と冬が長く、春と秋が短いように思います。
春夏秋冬の割合は1,5,1,5くらいでしょうか?
最近、書店を覗くと、雑誌売り場にバッグがたくさんぶら下がっています。それらは女性雑誌の付録なんですね。粗末なものではなく普通に使える布バッグです。このバッグを目当てに雑誌を買う方がいるので結構売れているようです。でもこのせいで普通に売られているバッグが売れなくなっているようです。これ以外にもいろんな付録があって、どんどん豪華になっているようです。≪R.O≫

東京スカイツリー

私にとって毎年恒例としてきた5月の日本行きが私自身の健康問題のため、今年は実現できなかったので、11月に入って急遽1週間という短期間にしぼって生まれ故郷の東京を往復してきました。例年なら、かつての勤務先であり友人知人の多い長野県(諏訪地方)などを訪れ、旧交をあたためる喜びがあるのですが、今回はあきらめざるをえなかったのが心残りでした。

私の実家(東京都墨田区押上)のすぐ近くで建設中の「東京スカイツリー」はすでに高さ五百メートルに達し、付近の街並みや下町の住宅街を圧倒していました。地上波テレビのデジタル化に伴い、現在の東京タワーに代わる首都圏向けの電波塔として最終的には高さ六百三十四メートル、来年完成すれば世界一高い電波塔が出現することになります。因みに私の実家からこの電波塔まで地図上の直線距離で約五百メートルであり、絶対無いと思いますが万一、この塔が倒れてきたら方角によっては我家など完全に下敷きです。両親、長兄亡きあと現在実家を一人で守って住んでいる義姉に冗談まじりに言ったら、「冗談にせよ、そんなことは言わないで!」と叱られてしまいました。

「東京スカイツリー」の建設現場は、もともと私鉄の貨物駅や操車場があったところで、そこは戦後の混乱期、私たち“ワルガキ”の遊び場だったところであり、荒廃の中で育った私にとってあんなところに近い将来日本、いや世界の新名所が完成するのかと思うと不思議な気持ちです。

しかし、今回、この巨大電波塔の出現で私の大好きだった東京・下町の伝統文化や風情が確実に薄れつつあるのを目の当たりにしました。工事現場付近の雑踏や付属施設の建設で一時的に混乱するのはやむを得ないのですが、塔の進捗状況を見学に集まってくる若者を中心とするマナーは決して誉められたものではありません。服装について言う気はありませんが、信号無視、通行の妨害、進入禁止区域への立ち入りなど、どう見ても「世界の観光地」へのマナーは準備不足です。東京・下町というところは、お互いの心を察し、なにげなく相手を気持ちよくさせるところだったはずです。そんな心遣いなど、少なくとも表通りからは消えうせてしまっていました。それでもまだ、一歩狭い裏道に入れば鉢植えの花木を並べ、人情あふれるたたずまいもあり、また誰とでも気さくに言葉をかけられる雰囲気がだだようところも残っていたのがせめてもの救いでした。
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「終(つい)の住まい」

「終(つい)の棲家(すみか)・・・その15」<川の流れのように>

その報せは、あまりにも突然だったが、凪の時に観る隅田川の様に、私の心は静かだった。義両親が入居している君津の老人ホームから、義母が救急車で鴨川の国保病院へ搬送されたという報せだった。そして、その翌日、義母は永遠の眠りに着いてしまった。今年8月7日、94歳の誕生日を祝った3日後のことだった。義母は、私たち夫婦の住む佃島がとても好きだと言ってくれていた。窓からの風景も私たちとのだんらんの時も、とても喜んでくれていた。そして何より、「隅田川がいいね。この川を観ていると、♪あぁ〜川の流れのように〜♪っていう歌が口に出てくるね」と言いながら、散歩を楽しんでいた。記録的な激暑の真っ只中(母の死を悼んで)私は『〜川の流れのように〜』を泣きながら歌った。

義母が搬送されたという連絡を受けた8月6日、私たち夫婦が病院に着いた時、母は、酸素吸入はしているが自力で呼吸も出来ていた。しかし肺に水が溜まったことによる意識障害、つまり医師や私たちの話しや問いかけにうなずいたり、首を振ったりしながら自分の意思は伝えられるが、目を開けたり言葉を発することはできない状態だった。医師の説明では、心不全や腎不全、または肺炎や胸膜症といったことが原因で起こる胸水(胸腔内に異常に多量の液体が貯留した状態)ではないこと、従って水を抜くことで意識障害は治り、元の生活に戻れるというものだった。その日私たちは、母の耳元で話しかけたり、ただそっと様子をうかがったりしながら、母の枕元で6時間ほどを過ごし、父にも安心できる報告をして帰宅した。翌朝4時を回った頃だったろうか、私の携帯電話のベルがなった。それは母の容態が急変した報せだった。主人と私は、着の身着のまま同然で病院へ駆けつけた。義母は、心臓マッサージとAED(自動体外式除細動器)による第1回目の心肺蘇生によって、自力呼吸で安定していたが、医師の目は既に遠くを見つめ、主人の実兄の到着を待つかのような表情だった。それから私たち夫婦は、義母の右手を主人が、左手を私が握りしめ、「お母さん、永ちゃん(長男の愛称)が来るまで頑張ろうね、一緒に呼吸をしよう、はい吸って〜吐いて、そうよそう、上手ね、そのリズムで続けようね、はい吸って〜吐いて」と繰り返し、繰り返し語り続けた。義母は、私たちの掛け声に合わせて、しっかりと呼吸をした。医者は「家族の方がおいでになってから呼吸がとっても安定しています、凄いですよ。そして心臓が年齢の割にとってもお強いです」と言ったほどだ。その後、何回か呼吸が不安定になったが、3度目の蘇生措置を受け、私たちの掛け声に合わせてしっかりと呼吸を続けた。長男の到着を、必死に待っているのだろうと思われた。その時、母が眉間に皺を寄せ、開けていた口を静かに閉じ始めた。その瞬間、ナースステーションのモニター傍に居た医師が飛んできた。呼吸が止まり、瞳孔が開き始めた瞬間だった。「死亡確認をさせてください」、国保病院の2階廊下に静かに、そして空しく響いた、2010年8月7日土曜日、午前8時19分だった。

まさに、『最後を看取る』という体験をさせてもらったことになる。義母が逝ってしまったその時も、見送る準備の一つひとつの時も、そして納骨を済ませた今も、主人と私は不思議と心が凪ぎている。主人の言葉を借りれば、「最後のあの時を、あのように看取ったからだろうな」と。私もそう思う。そしてこの臨終を“看て取る”ということは、私たちが選べることではなく、させていただくレベルのものだろうとも思う。だから私たち夫婦がこのように『最後を看取らせてもらえた』ということは、まさに、義母からの最後の、最高の贈り物だったと感謝している。このことは、義母の私たち夫婦への命を振りしぼった証であり、メッセージでもあり、またひとつ私たち夫婦の絆を強めさせられたと信じている。

義母が救急車で運ばれた日の、母への問いかけのひとつに、「また佃へ行こうね」があった。胸水を取ると以前と変わりない生活が待っていると信じた私たちは、退院と同時に母がこよなく気に行ってくれた私たちの棲みかである佃の家に来て、美味しいものを食べようねという意味だった。意識障害になりながらも、義母は強く深くしっかりと頷いた。主人も私も驚くほど、母の強い意思表示だった。哀しくもそれは実現できなかったが、その母の頷きが、今でも鮮明に蘇る。そして隅田川を眺めると、義母の言葉が歌となって私の口をついてくる。その歌詞が、まるで義母の人生そのもののだなと、今更ながら胸を突く。義母が3年前に私に言ってくれた言葉を想い出す。「90歳なんて長いようであっという間よ、色々あったわねえ、だから、あなたはこれからの自分の人生、息子(私の主人)と楽しく過ごしなさいよ」と。今、私は、隅田川を見つめながらこれを書いている、♪〜川の流れのように〜♪と呟く、さくらの独り言。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

 
ケーキより団子 モナリザより女房

化粧品安い方のが肌に合い

夫婦仲苦笑している古畳

奥さんに内緒と他愛ない話

一病と妥協まあまあ元気です

( ニュースやぶにらみ )

「再上場」
アクセルがいまいち −GM

「国会質疑」
この件は答弁A、その件は答弁B −柳田法相

「5倍の格差は違憲」
所得もそうしてほしい −低所得者層

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

森田さんから

今週はお休みです。

龍翁余話

今週はお休みです。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

 

秋の夜に静かに聴けるピアノジャズのアルバムはいかがでしょうか。
何度かこのコーナーでご紹介したことのある、オスカーピーターソンのアルバムです。
オスカーピーターソンは1925年カナダのモントリオール生まれ。
ジャズピアニストとして1949年9月にアメリカでのデビューを果たします。
1993年の脳梗塞のせいで左手が不自由になってもピアノを弾き続けていました。
日本にもよく来ているので多くのファンがいると思います。
残念ながら彼は2007年12月にトロント郊外の自宅で腎不全のため死去しました。
彼の素晴らしいジャズピアノはいつまでも生き続けると思います。

Oscar Peterson Plays The George Gershwin Songbook
このアルバムは24曲も収録されており、1時間11分もあります。

01 It Ain’t Necessarily So
02 The Man I Love
03 Love Walked In
04 I Was Doing All Right
05 A Foggy Day
06 Oh, Lady, Be Good!
07 Love Is Here to Stay
08 They All Laughed
09 Let’s Call the Whole Thing Off
10 Summertime
11 Nice Work if You Can Get It
12 Shall We Dance_
13 The Man I Love
14 Fascinating Rhythm
15 It Ain’t Necessarily So
16 Somebody Loves Me
17 Strike Up the Band
18 I’ve Got a Crush on You
19 I Was Doing All Right
20 ’s Wonderful
21 Oh, Lady, Be Good!
22 I Got Rhythm
23 A Foggy Day
24 Love Walked In
Oscar Peterson (p) Barney Kessel (g) Ray Brown (b)
Los Angeles, CA, November-December, 1952

雑貨屋ウィークリー537号から紹介をはじめたジャズのアルバムをリストにしました。
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

白鵬の連勝が63でストップされました。稀勢の里はアッパレですね。
PC用の液晶ディスプレイをながく使っていると、だんだん色あせてきます。そのディスプレイだけを見ていれば変化がわかりにくいのですが、新しく買った液晶ディスプレイと比べると歴然です。10年前に買った15インチの液晶ディスプレイはまだ使えますが、色がくすんできました。4年くらい経った液晶ディスプレイでも明るさが落ちているのがわかります。
≪iPad使用記≫
通勤時、初めてiPadを使っている人を見かけました。画面キーボードがものすごく打ちづらそうでした。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.758

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com