龍翁余話(152)「洗足池」
最近、久しぶりに会う友人・知人が、翁の肥満体を見て驚いている。「少し、お肥りになられましたね。貫禄が出て、いいですよ」と慰められたり「老いてますます発育がよろしいようで」と冷やかされたりしているが、もはや、メタボ(メタボリックシンドローム)予備軍に仲間入りしていることは確か。メタボとは内臓脂肪肥満型(内臓肥満・腹部肥満)に高血糖・高血圧・高脂血症のうち2つ以上を合併した状態を言うそうだが、幸いなことに翁は未だ、血糖値も血圧も(まあまあ)正常だ。だが、腹部肥満(男性型肥満)は一目瞭然。具体的な数字は言わないが、従来の体重よりかなり増え、お腹もだいぶ出てきた。ちょっとした坂道や階段を上る時は「フーフー」と息を切らす。それに不経済極まりない。昨年の秋に新調した背広やズボンが着られなくなり、先日、銀座のユニクロに、秋・冬物のズボンを買いに行った。気に入った生地や柄のズボン3本を選んでフィッティング・ルームで試着しようとしたところ、穿けない。我がウエストは、想定寸法より更に数センチもオーバーしていた。ああ、ショック!・・・
翁のメタボの原因は、(思うに)タバコを止めてから急激に肥り出したのだから、間違いなく食べ過ぎ。3度の食事のほかに、いわゆる“イヤシ食い(間食)”が多い。煎餅、クッキー、豆類などパソコン机やリビングなどに、直ぐ手が届くように置いてある。それに運動量ゼロ。今夏は猛暑で散歩どころではなかったし外出は全て車、ゴルフの回数も半減したので、運動不足もいいところ。先日、K大病院へ3ヶ月検診に行った時、主治医に相談したら「メタボ予防は自己管理しかありません。栄養価・摂取量などバランスのいい食事、ご自分の体力に見合った運動、とにかく歩くことです。毎日、1時間歩きましょう。その際、水分補給をお忘れなく」。
翁の住まい(マンション)は交通量の多い中原街道沿いに建っているので、散歩路などという気の利いた環境ではない。家から2キロちょっと(約30分)の所に、江戸時代初期、熊本藩主・細川家の下屋敷跡で、回廊式庭園で有名な戸越公園(品川区立)があり、主治医の言う(往復)1時間の散歩コースとしては適所だが、同じコースを度々、というのはシンドイ。そこで、ふと思い立ったのが、我が家から約4キロ、同じ中原街道沿いの環八方面にある『洗足池』。しょっちゅう車で通っているから、春夏秋冬の池(公園)の景色の移ろいはよく知っている。だが、こんな近い場所なのに、まだ一度も足を踏み入れたことがない。池そのものに興味は薄いが公園内に勝海舟夫妻の墓があると聞いていたので、急にお参りしたくなった。思い立ったが吉日とばかり10月10日(日)、ゲンをかついで10並びにしたくて午前10時に家を出た。初めて歩く街道筋のあちこちに新しい発見があり、驚いたり笑ったり感心したりの道中記はいずれかの機会に紹介するとして、約1時間かかってやっと到着。池の西側の奥に鎮座する千束八幡神社(祭神・応神天皇)(写真中)の脇のベンチに腰を下ろし水面を眺めながらしばし休憩。
この池は湧水池、この一帯の古い地名は『千束』。源頼朝が安房国(千葉県)から鎌倉へ向かう途中、この地に宿営した際、池に映る月のような姿の美しく逞しい野生馬が現れた。頼朝はこれを吉兆として捕らえ『池月』と命名した(写真右)とか、日蓮上人が身延山から常陸国(茨城県)へ湯治に向かう途中、この池で足を洗ったことから『千束』の一部が『洗足』となった、など、神社の階段上がり口に“池月発祥伝説の由来”の説明板が建っている。なお、池の北側に、日蓮が足を洗った時、松に袈裟を掛けたという“袈裟掛けの松”も保存されている(下の写真・右)。
かつて、池のほとりに勝海舟晩年の別宅“千束軒”があったが戦災で消失、今は勝夫妻の墓地が残る(写真左)。明治維新後、西郷隆盛もこの地を訪ね、勝と歓談したと伝えられている。勝夫妻の墓の隣に『西郷隆盛留魂碑』がある(写真中)。これは西郷が西南の役で斃れた後、西郷の死を悼み、海舟が自費で建立したもの。
“朝(あした)に恩遇(おんぐう)を蒙り 夕(ゆうべ)に焚?(ふんこう)せらる 人生の浮沈 晦冥(かいめい)に似たり(中略)生死何ぞ疑わん天の賦与なるを 願わくば魂魄(こんぱく)を留めて 皇城を護らん”・・・これは西郷隆盛の『獄中感有り』の句で剣舞の漢詩として知られているが、翁、後半の句が好きだ。翁はこれを「生死は天が定めるもの。死を怖れず全霊(魂)を投げ打って国家を護ろう」と解釈する。
「行ないは自分のもの、評価は他人のもの。我は赤心(誠意)あるのみ」(海舟)、「天を相手にして己れを尽くし、人を咎めず、我が至誠(まこと)の足らざるを尋ぬるべし」(西郷)――二人は共に『誠』を銘とした。この2遺訓は、翁にとっても座右の銘。2010年10月10日(午前)10時、メタボ解消のための“10並び思いつき散歩”であったが、明治維新の巨星二人に会え、“十分”なる精神修業のひと時を得た。これも天の采配か。政治家諸君、こぞって『洗足池』の海舟墓地に詣でよ。そして尋ねよ、己れに何が足らざるかを・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |