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NO.753               Ryo Onishi              10/17/2010  

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雑貨屋のひとり言

チリ鉱山の救出劇は世界中が注目の中、見事成功して、私たちに大きな感動を与えてくれました。あんな過酷な環境で長い時間いたのに、一人も犠牲者を出さすに救出できたのはすばらしいことです。その気になれば世界中でもっと困っている人を助けることもできそうな気がします。≪R.O≫

kakuro(カックロ)

 最近、イギリスを中心に「カックロ」パズルが流行しているのだそうです。「カックロ」とは、PC百科事典ウイキペディアの説明によると、もともとはアメリカのパズル誌に Cross Sum の名称で掲載されているパズルを日本に持ち込んだもので、数独パズルなどで有名な日本の出版社であるニコリ社が2005年に英国の新聞(ガーディアン紙)に問題提供をはじめてから「カックロ」(加算クロスの略)の名称も使われるようになったのだそうです。英語表記には「Kakuro」 が用いられているようです。

実のところ、私は最近まで「カックロ(Kakuro)」という呼び方は知りませんでした。イギリス人から「私はkakuro を解くのが好きで・・・」といわれ、理解できず、彼に「kakuro ってナニ?」と聞いたところ、今度は彼のほうが目を丸くし、「こいつ(私のこと)本当に日本人なのか」という顔をされてしまいました。彼から「Kakuro」の説明を受け、クロスサム・パズルの日本語名のことだと理解したありさまでした。

 ところで、この「カックロ」なる日本語は今年、OED(Oxford English Dictionary:オックスフォード英語辞典)に加えられました。この辞典では「kakuro」の説明として、「数字パズルの一種で、数字のヒントと空白のマスで構成され、クロスワード・パズルのように格子状に並ぶマスに数字を書き入れていくもの。21世紀初頭に出現した言葉で、日本語の加算とクロスの合成語」と記されています。

ちなみに「sudoku(数独)」は既に数年前にこの辞典の仲間入りを果たしています。「数独」という名称は、これもウイキペディアによると、日本のパズル雑誌「パズル通信ニコリ」が考えたものだそうで、このパズルのルーツは18世紀にスイスの数学者レオンハルト・オイラーが考案した、オイラー方陣と呼ばれるものに3×3のブロックという新たな制限を付け加え、ペンシルパズルとしたものとされています。日本のニコリはそれをアレンジして「数独」という名称にして発表したのだそうです。ご承知のようにルールは空いているマスに1から9までの数字を入れるのですが、縦横の各列と、太線で区切られた3×3の枠の中で、同じ数字が2つ以上あってはいけない。だから数字は独身に限るのだそうで、これが「数独」のネーミングのもととか。うまいネーミングにしたものです。

 保守的な国だと思っていたイギリスですが、オックスフォード辞典では結構時代の変化を読み取り、外来語も受け入れているのだと知りました。
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「終(つい)の住まい」

「終(つい)の棲家(すみか)・・・その13」<三位一体@>

“両親ノート”と題したカレンダー付き大学ノートを開いてみると、昨年末から現在までの義両親の生活全般状況、医療・介護関係の健康状態、家族行事を通しての両親の心情などが克明に見えてくる。単なる記録だと思って書き残したものが、情に報いる証になっていることに気づく。この1年足らずの間、患者不在の医療と人間尊重皆無の介護施設なども体験したが、一方で、奇跡的な出来事・出会いもあったことは、神様からの贈り物だと信じている。それは、心ある医師陣、患者の人間的尊厳を重視した医療運営方針、そして最新情報システムを駆使した医療の最適化そのものとの出会いだった。

このシリーズで紹介してきている義両親が、「終(つい)の棲家(すみか)」として選んだ老人ホームに入居する直前までの約10日間、義父は在宅医療でお世話になった苛原医院に入院治療することとなった。原因不明の貧血と体内炎症を意味する血液検査が急激な異常値を占め、緊急の輸血と治療を要したからだ。ホーム入居予定日の延期も提案したが、頑固一徹の義父はそれに合わせて退院し、予定通り、君津の老人ホームへ入居した。入居後4日目の午後、今後のかかりつけとして選定した鴨川の亀田病院腎臓内科外来へ私たち夫婦と一緒に行くと、既に終えた採血・採尿の検査結果を手にした佐藤医師からは、外来では簡単に済まされない状況と思われるので、後日検査入院するようにと告げられ、10日後の検査入院手続きを済ませて老人ホームへ送った。ところが病院から老人ホームへ私たちと帰るや否や発熱、病院側とも相談し、再度、君津から鴨川の亀田病院へ戻り、即入院となった。夜も9時を過ぎていた。ラッキーなことに、昼間診てくれた佐藤医師が夜間にも在院、昼間のデータを踏まえた対応がなされ始めた。急な入院となったが、検査入院が当初の予定より一週間ほど早まったと思えば、それはそれで安心だった。その夜、父の緊急入院後に東京へ戻った私たちは、日付の変わった午前1時過ぎまで、佐藤医師から直接、検査結果や救急処置について2度の報告を受けた。家族の希望有無によってこうした報告義務の遂行が亀田病院の姿勢とはいえ、この佐藤医師の熱心で適確明瞭な姿勢には、ただただ頭が下がった。でもこれは、この病院の素晴らしさを知らされるほんの入り口だったことは、後で知ることとる。

ところで、この鴨川にある亀田病院の存在は、私が日本に帰国した2000年以前の、米国在住時代から既に知っていた。それは、電子カルテシステムを日本国内で最初に導入・稼働した総合病院として、私たちのコンサルタント業界ではグローバル的に有名だったから。ただし、システムを導入し稼働させていても、その運用が有効的に最適化されているか、つまり、患者を第一とした医療理念や概念が基本となり、情報技術が単なるデータの貯蔵庫ではなく患者のために共有する仕組みがあり、それを活かせる医療体制と優れた医師チームがいて、実際に実行されているかは、不確かだった。義父の入院に伴い、亀田病院について調べてみた。ホームページや専門情報誌をはじめ医療関係者からの情報で、電子カルテシステムの導入や活用以外にも、多くのことを知ることができた。しかし、それ以上に私を満足させたのは、患者とその家族、医師チーム、そして医療というものが電子カルテシステムという媒体を通して三位一体の実現をなしている事実、義父の疾患発見とその治療を通しての実体験によって確認できたことだった。

さて、その夜緊急入院した義父は、10日後に手術をし、今現在、老人ホームから亀田病院の腎臓内科と泌尿器科へ定期的な通院をしながら、普通に生活できている。これはまさに、亀田病院の電子カルテシステムとそれを駆使できている優れた医師チームが起こした“奇跡”的出来事だったと私は信じている。それがどんな展開だったかは、次回で紹介するつもりだ。『我々は、全ての人々の幸福に貢献するために愛の心をもって つねに最高水準の医療を提供し続けることを使命とする』(亀田メディカルセンターHP・使命より抜粋)は、単に書かれた文章ではなく、患者・義父と私たち家族の心に深く刻まれた、日本医療の誇りだと信じている。まだまだ続く、このシリーズ・・・っと呟く、さくらの独り言。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

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「ダイエット決意」
万一のときカプセルに入れない −超メタボ

「日本外交」
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「金正恩氏に」
ぜひとってもらいたい −ノーベル平和賞

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

森田さんから

今週はお休みです。

龍翁余話

龍翁余話(152)「洗足池」

最近、久しぶりに会う友人・知人が、翁の肥満体を見て驚いている。「少し、お肥りになられましたね。貫禄が出て、いいですよ」と慰められたり「老いてますます発育がよろしいようで」と冷やかされたりしているが、もはや、メタボ(メタボリックシンドローム)予備軍に仲間入りしていることは確か。メタボとは内臓脂肪肥満型(内臓肥満・腹部肥満)に高血糖・高血圧・高脂血症のうち2つ以上を合併した状態を言うそうだが、幸いなことに翁は未だ、血糖値も血圧も(まあまあ)正常だ。だが、腹部肥満(男性型肥満)は一目瞭然。具体的な数字は言わないが、従来の体重よりかなり増え、お腹もだいぶ出てきた。ちょっとした坂道や階段を上る時は「フーフー」と息を切らす。それに不経済極まりない。昨年の秋に新調した背広やズボンが着られなくなり、先日、銀座のユニクロに、秋・冬物のズボンを買いに行った。気に入った生地や柄のズボン3本を選んでフィッティング・ルームで試着しようとしたところ、穿けない。我がウエストは、想定寸法より更に数センチもオーバーしていた。ああ、ショック!・・・

翁のメタボの原因は、(思うに)タバコを止めてから急激に肥り出したのだから、間違いなく食べ過ぎ。3度の食事のほかに、いわゆる“イヤシ食い(間食)”が多い。煎餅、クッキー、豆類などパソコン机やリビングなどに、直ぐ手が届くように置いてある。それに運動量ゼロ。今夏は猛暑で散歩どころではなかったし外出は全て車、ゴルフの回数も半減したので、運動不足もいいところ。先日、K大病院へ3ヶ月検診に行った時、主治医に相談したら「メタボ予防は自己管理しかありません。栄養価・摂取量などバランスのいい食事、ご自分の体力に見合った運動、とにかく歩くことです。毎日、1時間歩きましょう。その際、水分補給をお忘れなく」。

翁の住まい(マンション)は交通量の多い中原街道沿いに建っているので、散歩路などという気の利いた環境ではない。家から2キロちょっと(約30分)の所に、江戸時代初期、熊本藩主・細川家の下屋敷跡で、回廊式庭園で有名な戸越公園(品川区立)があり、主治医の言う(往復)1時間の散歩コースとしては適所だが、同じコースを度々、というのはシンドイ。そこで、ふと思い立ったのが、我が家から約4キロ、同じ中原街道沿いの環八方面にある『洗足池』。しょっちゅう車で通っているから、春夏秋冬の池(公園)の景色の移ろいはよく知っている。だが、こんな近い場所なのに、まだ一度も足を踏み入れたことがない。池そのものに興味は薄いが公園内に勝海舟夫妻の墓があると聞いていたので、急にお参りしたくなった。思い立ったが吉日とばかり10月10日(日)、ゲンをかついで10並びにしたくて午前10時に家を出た。初めて歩く街道筋のあちこちに新しい発見があり、驚いたり笑ったり感心したりの道中記はいずれかの機会に紹介するとして、約1時間かかってやっと到着。池の西側の奥に鎮座する千束八幡神社(祭神・応神天皇)(写真中)の脇のベンチに腰を下ろし水面を眺めながらしばし休憩。

この池は湧水池、この一帯の古い地名は『千束』。源頼朝が安房国(千葉県)から鎌倉へ向かう途中、この地に宿営した際、池に映る月のような姿の美しく逞しい野生馬が現れた。頼朝はこれを吉兆として捕らえ『池月』と命名した(写真右)とか、日蓮上人が身延山から常陸国(茨城県)へ湯治に向かう途中、この池で足を洗ったことから『千束』の一部が『洗足』となった、など、神社の階段上がり口に“池月発祥伝説の由来”の説明板が建っている。なお、池の北側に、日蓮が足を洗った時、松に袈裟を掛けたという“袈裟掛けの松”も保存されている(下の写真・右)。

かつて、池のほとりに勝海舟晩年の別宅“千束軒”があったが戦災で消失、今は勝夫妻の墓地が残る(写真左)。明治維新後、西郷隆盛もこの地を訪ね、勝と歓談したと伝えられている。勝夫妻の墓の隣に『西郷隆盛留魂碑』がある(写真中)。これは西郷が西南の役で斃れた後、西郷の死を悼み、海舟が自費で建立したもの。
“朝(あした)に恩遇(おんぐう)を蒙り 夕(ゆうべ)に焚?(ふんこう)せらる 人生の浮沈 晦冥(かいめい)に似たり(中略)生死何ぞ疑わん天の賦与なるを 願わくば魂魄(こんぱく)を留めて 皇城を護らん”・・・これは西郷隆盛の『獄中感有り』の句で剣舞の漢詩として知られているが、翁、後半の句が好きだ。翁はこれを「生死は天が定めるもの。死を怖れず全霊(魂)を投げ打って国家を護ろう」と解釈する。

「行ないは自分のもの、評価は他人のもの。我は赤心(誠意)あるのみ」(海舟)、「天を相手にして己れを尽くし、人を咎めず、我が至誠(まこと)の足らざるを尋ぬるべし」(西郷)――二人は共に『誠』を銘とした。この2遺訓は、翁にとっても座右の銘。2010年10月10日(午前)10時、メタボ解消のための“10並び思いつき散歩”であったが、明治維新の巨星二人に会え、“十分”なる精神修業のひと時を得た。これも天の采配か。政治家諸君、こぞって『洗足池』の海舟墓地に詣でよ。そして尋ねよ、己れに何が足らざるかを・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

涼しくなってきたので、秋らしい曲を探してみました。
Xアプリのおまかせチャンネルで抽出された大量の曲をすべて聴くのは大変なので、上のほうから聴いてそれらしい曲を選びました。
Sonny Crissの”Mr Blues Pour Flirter”です。
べつにどこが秋らしいのかよくわかりませんが、落ち着いて聴けるところでしょうか?
Sonny Crissはテネシー州出身のアルトサックスの奏者です。1950年代後半から、多くのアメリカのジャズマンが欧州に渡ってツアー、録音をしたようで、このアルバムも1963年にパリで録音されています。アルバムにはJazz In Parisと書かれています。
電子オルガンの音色が入りちょっとおもしろい雰囲気のジャズです。


Sonny Criss  "Mr Blues Pour Flirter"

1.Don't get around much anymore 6:15
2.This can't be love 3:28
3.Early and later part 1 4:22
4.Early and later part 2 4:35
5.Once in a while 3:39
6.Saint Louis blues 4:59
7.Day dream 4:40
8.On green dolphin street 3:26
9.God bless the child 6:07

Personel:
Sonny Criss (Alto Sax)
George Arvanitas (Piano, Organ)
Rene Thomas (Guitar)
Piere Michelot (Bass)
Philippe Combelle (Drums)
Recorded 1963 in Paris
 

雑貨屋ウィークリー537号から紹介をはじめたジャズのアルバムをリストにしました。
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

今年の猛暑の影響はいろんなところで出てきています。野菜が不作で値段がずいぶん高騰しています。山にはどんぐりなどの木の実がなくて熊が里山まで下りてきて、被害が増えています。これが今年だけの異常だとは思えません。これから先、人と動物の共存をどうやっていくのかまじめに考える必要があると思います。
≪iPad使用記≫
PDF Notes
PDFファイルは文書を加工できませんが、このアプリは文書の上に線や文字が描けます。
PDF文書に、メモを書き添えて送ることもできます。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.753

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com