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NO.749               Ryo Onishi              9/19/2010  

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雑貨屋のひとり言

ようやく秋らしい気候になって来ました。先日までの猛暑から解放されて読者の皆さんもほっとしているところだと思います。連休で行楽に出かける人が多いようで、例によって高速道路が大渋滞になっています。ちょうど一年前に松江から乗った高速で大渋滞に巻き込まれたことを思い出します。≪R.O≫

出生地主義アメリカの悩み

 アメリカ合衆国は、国籍取得に関し、いわゆる出生地主義(属地主義)を採用している国のひとつです。日本では親のどちらかの国籍が子の国籍となり、これを血統主義(属人主義)といいます。ところが出生地主義のアメリカでは、両親が外国人であってもこの国土内(領土内)で生まれた子供はアメリカ市民権(国籍)が与えられるのです。それがたとえ両親が違法な密入国者であってもアメリカの国内で出産すればその子はアメリカ市民となるのです。アメリカ合衆国憲法(修正14条第1節)には次の通り書かれています。

合衆国において出生し、またはこれに帰化し、その管轄権に服するすべての者は、合衆国およびその居住する州の市民である。いかなる州も合衆国市民の特権または免除を制限する法律を制定あるいは施行してはならない。また いかなる州も、正当な法の手続きによらないで、何人からも生命、自由または財産を奪ってはならない。またその管轄内にある何人に対しても法律の平等な保護 を拒んではならない。

 この場合「市民(Citizen)」とは、厳密な意味では異なるようですが「国民」と同意語として使われています。ところが近年、この国にはメキシコなどからの不法移民者の増加が問題視されるようになってきました。

アメリカには市民権(国籍)や永住権、労働ビサなど正式に滞在を認められている人たちのほか、多くの不法移民者が滞在しています。その数は“不法”ゆえに正確な数字はありませんが、毎年百万人を越える人たちが不法に入国しているといわれます。多くは3,000km超の国境で接しているメキシコからの不法入国者で、あとカリブ海地域からの密入国者などのようです。

 最近アメリカ連邦議会上院の有力議員の間で、不法移民の間で生まれた子供が自動的にアメリカ国籍を取得できるのは納得できないとして、アメリカ生まれであっても不法移民の子供には国籍を与えないようにしようという主張が出てきました。この場合、当然ながら憲法を修正することが前提です。

 もともと、アメリカ合衆国憲法の修正14条とは、南北戦争後に奴隷だった黒人に市民権(国籍)を与えるための憲法修正条項であり、それまで人間として扱われていなかった奴隷のような特定の人種・民族にも、アメリカで生まれれば一律に市民権を賦与しようというものだったのです。

 ところが前述のとおり、このところ増加している不法入国者にアメリカも頭を痛めはじめました。経済・景気が低迷し、失業率も10%近くまで上昇(これも現実はもっと悪いといわれている)しているアメリカ合衆国としては、自国民や合法者の雇用確保のため、不法移民に寛容ではいられなくなっているのが実態なのでしょう。

私のような日本人からすると、「なんで、アメリカ政府と州は、本気できちんと不法入国者を取り締まらないの?」と、素朴に思うのですが、この国にはそれが出来ない理由があります。例えば隣国メキシコとは3,000km以上も陸続きの国境で接しており、実際問題として完璧な国境警備は不可能です。

またアメリカ・メキシコ両国の経済格差は大きく、私が実際に見聞した経験でも、例えば、カリフォルニア州サンディエゴ(アメリカ)と、バハカリフォルニア州ティファナ(メキシコ)の2都市は、人為的な国境の柵(川)をはさんで景観は大きく違います。道路、建物などインフラ設備だけでも雲泥の差で、メキシコ側は貧しく、アメリカ側が立派です。また、テキサス州エルパソ(アメリカ)と、チワワ州シウダー・フアレス(メキシコ)も同様でした。メキシコ側に住む者にとって、目前の国境の向こう側に裕福そうなアメリカの国土があり、そこでは賃金も高いとなれば密入国をしてでも住みたくなる、または稼ぎに行きたくなるのは当然です。

今回のアメリカ議会による、不法移民の子供にアメリカ国籍を与えない案を実現するためには、憲法の修正が必要である、即ち、この国の基本にかかわる問題であり、さらに米国籍を持つ多くのメキシコ系有権者の反対も強く、そう簡単にゆきそうにもありませんが、移民の国、アメリカにとって、国家の基本理念にかかわることであり、今年11月に実施される中間選挙の大きな焦点のひとつになることは間違いなく、私はこの問題に大きな関心をもっています。 
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「終(つい)の住まい」その12

「終(つい)の棲家(すみか)・・・その12」<生きることと生かされること>

大病をしたけれど命は救われた時や、大怪我をしたが大事に至らなかった時、自分が自分の力で生きていると錯覚している小さき自分を嘆いたものだ。また、愛する家族や友人が逝ってしまい永遠の別れの悲しみに打ちひしがれた時、信頼していた人に裏切られて絶望でたたずむ時、大袈裟だが生きる望みと力がなくなったようになってしまうと、生かされていることを感謝しようと、命の原点に立たされたものだ。人間の知恵や知識では理解・解明できないことや、人の経験や想いを超えた形で奇跡的な出来事や物事に遭遇すると、“生きる”ではなく“生かされる”という視点に立たされると気付く、今日この頃。

前号でも紹介した義両親が、「終(つい)の棲家(すみか)」として選んで、今年5月17日から入居している施設『サニーライフ君津』は、特別介護施設だ。入居者が約260人ともなると、介護度の度合いも人の様も多種多様。1階メインホール、エレベーター、各階通路などですれ違う入居者のそれぞれの様子は、新聞、雑誌やテレビで視る光景そのもので、特別介護施設に足を踏み入れたことのなかった私たちは、最初戸惑うことが多かった。しかし、毎週2〜3回も訪問するようになると、不慣れな私たちでも、職員は勿論、入居者の数人とも顔なじみになり、自然な対応姿勢とノウハウが身についてくるものだ。その対面する時々を通して、人権や生命の尊さを考えさせられる。さらにそれは、授かった生命の長さや深さというものを、理解することではなく、信じたり受けとめたりすることなのだと自分の心が静かに悟り始めている。それは、私より何十年も多くの時を生かされた人の今が私に語りかけてくれているように思えるのだ。

ところで、義両親が一軒家での完全自立した生活を諦め、自分たちの意志ではあるが渋々老人ホーム入居を決心した今年の春頃、義両親がポツリと言った言葉がある。それは、「長く生きすぎた」だった。それは、自分たちが完全自立の生活が今までのようにできなくなった衰えを、認めたくない悔しさだったと私は思った。後に「まるで牢獄に居るようだ」と公然と義父が連発する程、安全管理と介護作業負担の効率化を第一とするがゆえの、規制厳しい老人ホーム生活をする高齢義両親の毎日に、何を楽しみに生きる喜びとしてもらえるかと、悩まざるを得ない日々が続いていた。そんな時、軽度の認知症の症状が出始めた義母の言動や、それ以上の介護度の高い人に直面し、「自分があるようでないようなこんな状況の中でも“生きる”ということは、この人にとってどういう意味があるのだろう、自分がそうなったらどうなのだろう」という疑問がグルグルと頭を回った。しかし、その時、自分の視点の間違いに気がついた。「生きる」という視点ではなく、「生かされる」という視点がなければ、真実は分からないと。「生きる」という視点に留まっている限り、自部はその疑問の虜になってしまい、生も死も薄いものになってしまうだろと思えた。

さて、“生きる”のではなく、“生かされる”という言い方をすると、何か宗教的なニュアンスに受け取られるかもしれない。でも、新生児の誕生や永眠する人の時と同様に、認知症であってもなくても、高齢になってなおも命ある時、その様は人の力や思いを遥かに超えた何かを信じられずにいられないものだと、私は思う。日本語で生命の存在する期間を表す言葉に、“寿命”がある。まさに“生かされる”という視点に立った時、“寿の命”には“尊い命”という意味合いが在ることを感じる。なんと美しい言葉なのだろう、っと、呟く、さくらの独り言

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

 ああすればこう完璧な机上論

エリーとはエリートなりに酒の愚痴

両方へ二足のわらじ替えて行き

妥協する火種にそっと蓋をして

後略のそこに企み潜ませる


( ニュースやぶにらみ )

「有言実行内閣」
ほんとにやるの −消費税

「党、内閣人事」
裏にいろいろ走り書きがあった ―白紙

「乾杯のコップ」
ひびが入っている −民主党

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

森田さんから

今週はお休みです。

龍翁余話

龍翁余話(148)「菅改造内閣に思う」

菅が意地を見せた。代表選では鳩山・小沢が提示した“トロイカ+1”案を拒否、選挙中は「私が勝ったらノーサイド(挙党体制)を」と言っていたが、勝利後、幹事長や国会対策委員長など党の重要人事のほか、組閣でも“脱小沢”色を鮮明にした。「小沢派と呼ばれる人たちは政治経験が浅い。国難を乗り切るために熟慮しての適材適所」ということらしいが、本音は“菅内閣を無難に乗り切るための論功型人事”だろう。それにしても、民主党には(いや民主党に限ったことではないが)“国家国民を背負うべき政治家”が少ない。小粒と軽薄な輩(やから)が多い。そんな国会議員を選んだ国民の責任は大きいのだが、それでも翁が微かに期待を寄せている民主党議員も少しはいる。彼らの入閣と片山(前鳥取県知事)の登用に安堵した反面、その他の顔ぶれを見て翁は吼えた「こんな奴が大臣?国難を乗り切る?冗談じゃねえ、国難を乗り切るどころか(中に)国難を増幅させかねない“危険な人物”が入閣しているではないか!」そのことは後で述べることにして・・・

代表選で菅が圧勝した翌日(15日)、各紙の社説は次のように論じた(要旨)。「菅氏の勝利は小沢氏の多くの“弱点”に救われた。“政治とカネ”問題を抱えて3ヶ月前に辞任したばかりの小沢氏が、同時期に総理大臣を辞任した鳩山氏の支援を受けての“小鳩”による代表(首相)挑戦、という構図が不可解だ。菅氏は代表決定後“ノーサイドの挙党体制”を強調したが、もし、小沢、鳩山両氏を重要ポストに起用する“トロイカ体制”を組めば、鳩山内閣当時の“権力の二重構造”になりかねない。菅氏が思う適材適所を貫き、円高と景気対策を急げ。公約を大胆に見直せ」(読売)
「今回の代表選は民意を反映した、まっとうな結果である。民主党の地方議員、サポーターたちは、強引に数の論理を追い求め、説明責任はそっちのけにし、バラまき的手法をいとわない選挙至上主義の、小沢氏の古い政治体質を嫌った。小沢氏は“一兵卒として頑張る”と言明した。そうするべきだ。裏舞台から党運営や内閣を惑わす二重権力構造だけは避けよ」(朝日)
「財政再建、円高への対応、普天間問題・・・。課題は山積し、ねじれ国会への対応も、まだ手探りのままである。参院選の大敗後、この日の代表選に至るまで事実上の政治空白を招いた責任は大きい。菅首相は今度こそ性根を据えて政策課題に取り組み、昨年の総選挙で多くの有権者が期待した政権交代の“実”を上げるよう強く求めたい。敗れた小沢氏の周辺には、なお待望論もあるようだが“政治生命をかける”と語って臨んだ代表選で予想以上の大敗を喫した以上、もはや一線から退くべきではないか。いったんは政界引退を表明したはずの鳩山氏も同様であろう」(毎日)
「マニフェストの修正は行なわず、消費税増税論は否定するという小沢氏や小沢支持議員の主張は非現実的。政策面で“脱小沢”を進めよ。直面する円高や景気対策は勿論、財政赤字は危機的状況にあり、社会構造の変化に対応するための消費税増税論も避けては通れまい。中でも年金、医療、介護など社会保障の改革は待ったなしである。菅首相は、これらの答えを早急に提示する責任がある。自民党は、菅氏との間で政策協議を行なう余地を残している。同時に、5年後10年後の日本に対して若者が希望を持てる基本戦略を構築する必要がある」(産経)

17日に閣僚の顔ぶれが出揃い、菅改造内閣が船出した。前述の通り“脱小沢”色が鮮明になり、各紙も概ねこれを歓迎した。翁も消極的ではあるが、それなりに評価する。代表選で“小沢支持“を叫びまわった海江田万里が入閣(経済財政担当)したが、安倍首相(当時)を批判しまくっていた桝添要一が安倍改造内閣で厚生労働大臣に抜擢され、以後、福田、麻生政権でも(真面目に)厚労相を勤めた、その状況とよく似ている。ただ気になるのは9月の代表選で海江田は”首相“への色気を出したことだ。海江田よ、思い上がるな、身の丈を知れ。今は菅内閣(閣僚)の一員としてキミの専門である経済財政分野で粉骨砕身しながら”国家国民を背負う政治家“を目指せ。

さて、冒頭に述べた“国難を増幅しかねない危険な人物”――それは、岡崎トミ子だ。彼女は何故か在日朝鮮人、韓国人との付き合いが深い。外国人からの寄付が政治資金規正法で禁止されているのに朝鮮学校経営者(北朝鮮籍)やパチンコ店経営者(韓国籍)らから寄付を受け問題になった。また、福島瑞穂(社民党党首)や円より子(元民主党参議院議員)らと共に従軍慰安婦に対する日本の謝罪と賠償問題を執拗に取り上げ中国・韓国・北朝鮮から喝采を浴びた。2003年の韓国視察の際、元慰安婦関係者が行なう日本大使館への抗議デモに参加し、応援のコメントを述べた。当時の産経新聞は「国費を利用しての反日デモ参加は日本の国会議員としての見識を疑う」と報じた。その他、日本の戦争責任を検証する勉強会の立ち上げ、竹島問題に関する韓国側の言い分容認、尖閣諸島問題に関する中国寄りの発言など日本の国益を著しく損なう彼女の非国民的言動に、翁、かねてより“お前はそれでも日本の国会議員か”と腹立たしく思っていたのだが、中でも絶対に許せないのは“外国人参政権問題”だ。この『余話』でも何回か吼えた“日本を滅ぼす獅子身中の虫”の小沢・山岡・輿石らと同じ穴のムジナ。そんな危険分子が、こともあろうに国家国民の安全を守るべき国家公安委員長のポストに――おいおい、菅よ正気か?産経(18日)も「警察の指導・監督に相応しい人物かどうか」と疑問視している。岡崎の蔭に仙谷(官房長官)が見え隠れするが、翁の気のせいだろうか。

「岡田新幹事長よ、新しい政治文化の先頭に立て」(朝日)、「脱小沢政治を確立せよ」(読売)、「ねじれと“挙党”の試練を乗り越えよ」(毎日)、「“脱小沢”を貫き現実路線を」(産経)と各紙とも菅改造内閣への期待感を滲ませるメッセージを送った。この限りにおいて日本のマスメディアの健全性(世論との同波長)に安堵した。幾つかの不安材料を孕んだ菅政権だが当分は静かに見守ろうか・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

私の気持ちを知っているかのように、この週末もTSUTAYAからの半額メールが届きました。もちろん喜んで行きました。行くたびに7〜8枚のジャズCDを見つけては聴いています。
今週もそんな中から見つけたアルバムをご紹介します。
Gerry Mulligan Quartetの"Gerry Mulligan"です。
このカルテットの特徴はピアノがなくそのかわり、マリガンのバリトンサックスがジェリーマリガン(1927年生−1996年)はジャズ界では珍しくバリトンサックス奏者で、ピアニストでもあります。
このアルバムは1952年に録音されたもので、2008年にリイシューされています。こアルバムの特徴はピアノレスのカルテット(バリトンサックス、トランペット、ベース、ドラムス)ということでしょう。

"Gerry Mulligan"  Gerry Mulligan Quartet 

1 Bernie's Tune 02:55
2 Walkin' Shoes 03:13
3 Nights At The Turntable 02:55
4 Lullaby Of The Leaves 03:16
5 Frenesi 03:11
6 Freeway 02:47
7 Soft Shoe 02:40
8 Aren't You Glad You're You 02:54
9 I May Be Wrong 02:53
10 I'm Beginning To See The Light 03:38
11 The Nearness Of You 02:54
12 Tea For Two 02:47
13 Utter Caos #1 00:37
14 Love Me Or Leave Me 02:45
15 Jeru 02:32
16 Darn That Dream 03:52
17 Swing House 02:54
18 Utter Caos #2 00:31

Gerry Mulligan(bs)
Chet Baker (tp)
Bob Whitlock (b)
Chico Hamilton (ds)
Carson Smith (b)
Larry Bunker (ds)
[Recorded 1952.8.16,10.15-16]

雑貨屋ウィークリー537号から紹介をはじめたジャズのアルバムをリストにしました。
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

朝7時ころ、JR六甲道の駅前にはハイキング姿の人が結構いました。おそらく六甲山に登るんだと思います。涼しくなると行動しやすいですからいいですね。でもまだ熱中症には気をつけて行動したいものです。
i≪iPad使用記≫
iPadはいろんな場面で使えます。先週ご紹介しましたiThoughtsHDというマインドマップで「iPadを活用できる場面」を整理して見ました。便利なアプリがいっぱいあるので、どんどん試したくなります。すでに70くらいのアプリをダウンロードしていました。


雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.749

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com