龍翁余話(145)「二十四孝」
先週(8月22日配信)の『龍翁余話』(144)のエピローグで、「翁はまだ読んでいないが中国に『二十四孝』(24人の親孝行者の話)という古代の物語があるそうだ。『孝』の字は、老いかんむりの下に子、つまり“老いた父母を、子が支える”という儒教の教え。江戸時代の寺子屋で教材として使われたとか。父母や先祖を敬う気持ちが希薄になった現代、もう一度、寺子屋教育を復活させたら・・・」と結んだ。そうしたら――
翌日(23日・月曜日)読者のEさんから「今朝、テレビ朝日の“ちい散歩“(俳優・地井武男がレポートする番組)を視ていたら、偶然にも、二十四孝にゆかりのある神社が登場しました。地井武男の出身地、千葉県匝瑳市(そうさし)飯高地区にある飯高(いいだか)神社です」という情報を頂戴した。匝瑳市というのは初めて聞く地名、早速、地図を開いたら鹿島灘の犬吠崎(銚子)方面、これは遠い。でも、Eさんからのせっかくの情報提供なので(それほど忙しくもない)スケジュール表を見て、26日(木曜日)に行くことにし、実行した。その日も猛暑日。まず目指すは千葉東ジャンクションで京葉道路から分岐する千葉東金道路。翁、この道路は馴染み深い。千葉東金道路の沿線に点在するゴルフ場、たとえば袖ヶ浦カンツリークラブ、季美の森ゴルフ倶楽部、山武グリーンカントリー倶楽部などでは、これまでに数回プレーしたことがあるので、アクセスは心得ている。以前は、千葉東金道路の最終地は山武だった。それが少し延長されて現在の最終地は横芝光になっている。横芝光のインターチェンジを出て、カーナビに“飯高神社”をインプットしたが“該当地点検索不能”、仕方なく最寄りの八日市場駅(総武本線)へ。客町のタクシー運転手さんに“飯高神社”を訊く。早口で方言混じりの説明は、翁には半分も理解できないが、親切に感謝して、とりあえずの方向へ車を走らせる。その後“飯高神社”を尋ねること数箇所、中には(地元民でありながら)「まだ一度も行ったことがない」という人もいた。「何だ?その神社、それほどメジャーではないのか」と翁自身の調査不足を悔い、いささか、うんざりし始めた。
うんざり感を増幅させたのは道路標識の曖昧さ、不親切さ。道路標識というのは道路交通法に基づき都道府県の公安委員会が設置するものと、道路管理者(国土交通省、都道府県、NEXCO=旧日本道路公団)が設置するものがある。地方の小さな道路(場所)案内は、たいてい地元(市区町村)が行なうらしいが、それが実にいい加減、地方に行くと(他所からの来訪者にとっては)まことに不親切極まりない“やっつけ作業”が多い。それも“あればいい”ほう、肝心の分かれ道などで「さて、どっちに行くのか」標識が見当たらないことしばしば。腹立たしさの挙句、これも行政の怠慢、地元民の郷土愛の希薄(このことは何も匝瑳市に限らない全国的な問題だ)などとブツブツ呟きながら、やっと、目的地に着く。鳥居をくぐると急勾配の100石段が翁の眼前に立ち塞がる。「え?これ登るのか?」一瞬、たじろぐ。術後の体力減退、禁煙後のイヤシ食いがたたっての肥満体で、この100石段を登るには、かなりの覚悟を要する。だが、周囲の鬱蒼とした樹林から醸し出される霊気が、翁に勇気を与えてくれた。無事、拝殿へ(写真上右)。
境内の由緒板によると、この神社の祭神は天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ=日本神話に登場する“天地創造”に関わった5神の中の1神)。創建は江戸中期、敷地約650坪の境内には本殿(銅版葦神明造)(写真下左)、拝殿(瓦葦入母屋造)の2社が並ぶ。目的の『二十四孝』は本殿の瑞垣(みずがき=玉垣)に彫刻が施されており(写真下中・右)、それぞれに解説札が備え付けられている。この解説札は、多分、地元の中学生か高校生のボランティア活動だろう。ならば、父母への孝行を知るこの地には“父母・祖父母の死を隠し、食い物(年金横領)にする”不届き者はいないだろう。
『二十四孝』の中で最も有名なのが“孟宗竹”の語源となる『孟宗(もうそう)の孝行話』である。病身の母親に(冬場、季節はずれの)筍を食べさせたい一心で天に祈りながら雪を掘った。すると、あっという間に雪が融け土の中から筍が出てきた。その筍を食べた母親の病はたちまち癒え天寿を全うした。孟宗の深い孝行心が天に通じた・・・『二十四孝』とは、こんな素朴な、理屈に合わない“たとえ話”だが、本来『孝』とは理屈に合わない素朴なもの。しかし、そこから真理や人の道が生まれることを中国の古諺は説いている。それは道徳教育の一環であり、故に、江戸時代の寺子屋の教材に使われたのだろう。翁、再び言う「寺子屋(道徳教育)の復活を」。今の世相を見よ、人は忠孝を忘れ自己愛だけを優先する“身勝手社会”。その先鋒を行くのが政治家ども。「国家国民のため」は口先だけ。本音は全て自己愛に固まっている。「国家国民」を口にする資格のない連中が国会議員になっているのだから、日本の政治がよくなるはずはない。国会議員全員に観劇させる(地井武男主演の)“日本・二十四孝物語”を作ろうか?・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |