――― 前号から続く ―――
〔V〕長州の尊皇攘夷
長州藩は
文久三年(一八六三)八月から一年ほどの間にたてつづけに五つの不運を味わった。 ひとつは、朝廷での力を失ったこと。 八月十八日の政変で公武合体をめざす会津・薩摩の藩により朝廷から追われ、攘夷派の七人の公卿もろとも命からがら長州へ逃げ帰った。
★ 題七卿落図(しちきょうおちのずにだいす) 角光嘯堂作
公武合体湧激論(こうぶがったいのげきろんわき)
佐幕諸藩不所容(さばくしょはんのいるるところとならず)
単蓑破笠断髪改服(たんさかさをやぶって だんぱつふくをあらため)
回天抱望向天涯(かいてんののぞみをだいて てんがいにむかう)
天辺大月知何処(てんぺんのたいげつ いずくにかしらん)
報国赤誠存万古(ほうこくのせきせい ばんこにそんす)
慷慨紅涙嗟七卿(こうがいのこうるい しちきょうのなげき)
錦片京還数幾更(きんぺんのきょうかん いくこうをかぞう)
二つに池田屋の変。新撰組が尊皇攘夷派の浪士を次々と血祭りにあげていく中、池田屋に集まって謀議をこらしていた二十数名もやられた。これで長州は多くの有能な人材を失った。
★ 憶近藤勇(こんどういさみをおもう) 杉田国峯作
維新動乱挺其身(いしんのどうらん そのみをていし)
報主忠誠驚世人(しゅにむくゆるのちゅうせい せじんをおどろかす)
又見近藤神技剣(またみるこんどう しんぎのけん)
今猶頻説武勇誉(いまなほ ぶゆうのほまれをとくことしきりなり)
三つに、禁門の変での敗北。京都池田屋で主だった志士たちが殺されたと聞いた国元の長州では皆、激昂し、会津・薩摩の手から朝廷をとりもどそうと三人の家老が三千の兵を率いて京に登った。待ちかまえていたのは八万の軍勢。長州勢は総崩れ。 この戦で、京の街は三日三晩燃えつづけ、京の三分の二が灰になったと申します。
四つに英・仏・蘭・米の四ケ国連合艦隊が下関を砲撃してきたこと。外国船をバンバン撃ちまくった報復であります。長州はわずか三日ですべての砲台を占拠されてしまう。この大敗北で、攘夷が不可能であることを長州藩は身をもって知り、藩論は開国へと転向する。
五つに、幕府軍の長州征伐。 禁門の変で、朝廷に武力で迫った罪だ。長州は三家老の首をわたし、藩主父子が隠居して恭順の意を示し、かろうじて総攻撃をまぬがれた。
長州は、これだけの連続パンチによくぞ耐えた、と思う。しかも尚、高杉晋作は意気軒昂。烏合の衆を集めて調練し、最強の近代軍「奇兵隊」に仕立てあげる。しかし、晋作自身は明治維新を待たず、肺結核で死んでしまいます。享年二十七才。
★ 辞 世(和歌一首) 高杉 晋作
おもしろき こともなき世をおもしろく
住みなすものは心なりけり
――― 次号へ続く ―――
【注】:この構成吟を含む「南カリフォルニア詩吟連盟主催の吟詠大会」は8月29日(日)午前9時からベニス日系人会館(12448 Braddock
Dr., Los Angeles, CA 90066)にて開催されます。入場無料。
河合将介(skawai@earthlink.net) |