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NO.743               Ryo Onishi              8/8/2010  

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雑貨屋のひとり言

iPadを入手したくて、土曜日にヨドバシカメラ梅田に行きました。はじめ係りの人に話を聞いていると予約してから、一ヶ月くらいの待ちといわれ、がっかりしていたのですが、私の希望したWiFi+3Gの64GBモデルはちょうど入荷したばかりで在庫があり、予約なしで手に入りました。iPadにはハガキの大きさの取り扱い説明書が一枚しかありません。iPadをポータブルのパソコンだと思っている人は理解しにくいかもしれません。私ももっと直感的にわかるだろうと思っていたのですが、そんなに簡単ではありませんでした。でも面白い製品であることは間違いありません。新しい発見をこれからみなさんにお伝えしていきたいと思います。≪R.O≫

構成吟『明治維新』(3)

――― 前号から続く ―――
〔V〕長州の尊皇攘夷
  長州藩は 文久三年(一八六三)八月から一年ほどの間にたてつづけに五つの不運を味わった。 ひとつは、朝廷での力を失ったこと。 八月十八日の政変で公武合体をめざす会津・薩摩の藩により朝廷から追われ、攘夷派の七人の公卿もろとも命からがら長州へ逃げ帰った。

  ★ 題七卿落図(しちきょうおちのずにだいす) 角光嘯堂作
  公武合体湧激論(こうぶがったいのげきろんわき)
  佐幕諸藩不所容(さばくしょはんのいるるところとならず)
  単蓑破笠断髪改服(たんさかさをやぶって だんぱつふくをあらため)
  回天抱望向天涯(かいてんののぞみをだいて てんがいにむかう)
  天辺大月知何処(てんぺんのたいげつ いずくにかしらん)
  報国赤誠存万古(ほうこくのせきせい ばんこにそんす)
  慷慨紅涙嗟七卿(こうがいのこうるい しちきょうのなげき)
  錦片京還数幾更(きんぺんのきょうかん いくこうをかぞう)

  二つに池田屋の変。新撰組が尊皇攘夷派の浪士を次々と血祭りにあげていく中、池田屋に集まって謀議をこらしていた二十数名もやられた。これで長州は多くの有能な人材を失った。

   ★ 憶近藤勇(こんどういさみをおもう) 杉田国峯作
  維新動乱挺其身(いしんのどうらん そのみをていし)
  報主忠誠驚世人(しゅにむくゆるのちゅうせい せじんをおどろかす)
  又見近藤神技剣(またみるこんどう しんぎのけん)
  今猶頻説武勇誉(いまなほ ぶゆうのほまれをとくことしきりなり)

 三つに、禁門の変での敗北。京都池田屋で主だった志士たちが殺されたと聞いた国元の長州では皆、激昂し、会津・薩摩の手から朝廷をとりもどそうと三人の家老が三千の兵を率いて京に登った。待ちかまえていたのは八万の軍勢。長州勢は総崩れ。 この戦で、京の街は三日三晩燃えつづけ、京の三分の二が灰になったと申します。
  
 四つに英・仏・蘭・米の四ケ国連合艦隊が下関を砲撃してきたこと。外国船をバンバン撃ちまくった報復であります。長州はわずか三日ですべての砲台を占拠されてしまう。この大敗北で、攘夷が不可能であることを長州藩は身をもって知り、藩論は開国へと転向する。
  
 五つに、幕府軍の長州征伐。 禁門の変で、朝廷に武力で迫った罪だ。長州は三家老の首をわたし、藩主父子が隠居して恭順の意を示し、かろうじて総攻撃をまぬがれた。

 長州は、これだけの連続パンチによくぞ耐えた、と思う。しかも尚、高杉晋作は意気軒昂。烏合の衆を集めて調練し、最強の近代軍「奇兵隊」に仕立てあげる。しかし、晋作自身は明治維新を待たず、肺結核で死んでしまいます。享年二十七才。

    ★ 辞   世(和歌一首)     高杉 晋作
   おもしろき こともなき世をおもしろく
                 住みなすものは心なりけり
    ――― 次号へ続く ――― 
【注】:この構成吟を含む「南カリフォルニア詩吟連盟主催の吟詠大会」は8月29日(日)午前9時からベニス日系人会館(12448 Braddock Dr., Los Angeles, CA 90066)にて開催されます。入場無料。 
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「終(つい)の住まい」

今週はお休みです。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

 原爆忌怒り祈りの鶴を折る

核廃絶署名のペンを重く持つ

条約もあるにはあるが核のエゴ

安らかにまだ眠れない原爆碑

進化とは?猿に問われる核兵器


( ニュースやぶにらみ )

「立秋」
秋風はだいぶ前から −民主党政権

「菅々諤々」
低姿勢に始終すること −政界四文字熟語

「真夏の怪談」
一人消え、二人消え…… −百歳長寿者

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

森田さんから

今週はお休みです。

龍翁余話

龍翁余話(142)「ああ、長崎の鐘〜永井博士を想う」

♪こよなく晴れた青空を 悲しと思うせつなさよ うねりの波の人の世に
 はかなく生きる野の花よ なぐさめはげまし長崎の ああ長崎の鐘が鳴る

丸坊主の中学1年生の少年が、大人のバンド(楽団)に混じって、顔が隠れるほどの大きなアコーディオンを抱えて『長崎の鐘』を演奏している。昭和24年(1949年)8月9日、
『原爆を許すまじ 被爆者大会』の会場(長崎市公会堂)(実は、催しのタイトルも会場もうろ覚えで定かではない)。ステージ下手(しもて)から晴れ着姿の娘さんたちが1人ずつステージに上がる。8人程だったろうか、娘さんたちの顔の全部、または半分が火傷(やけど)によるケロイド状、彼女たちはその顔を隠すことなく、むしろ凛としてステージに立つ。会場のあちこちから啜り泣きが・・・ピアノ(バンドリーダー)もバイオリンもトランペットもクラリネットもギターもドラムスも皆、泣いている。『長崎の鐘』は、この年(1949年)の7月にコロムビアから発売されたばかりだから、楽団メンバーはたいして練習はしていなかったのだが、少年を除いて皆プロ、演奏に狂いは生じない。アコーディオンの少年も涙で楽譜がぼやけたが懸命に弾いた。翁の約60年前の、胸が痛む回想である。

永井隆博士の随筆『長崎の鐘』(1949年1月出版)は、紙不足の当時としては空前のベストセラーとなった。同書をモチーフにした歌謡曲『長崎の鐘』(サトーハチロー作詩、小関裕而作曲、藤山一郎・池真理子歌)も大ヒット、その後、同名の映画化もされた。実は翁、
中学1年の頃は永井博士を知らなかった。その後、博士の著書『長崎の鐘』、『ロザリオの鎖』、『この子を残して』などを読み、大きな感銘を受けて数回、博士の足跡を訪ねた。

博士は明治41年(1908年)島根県松江市に生まれる(父は医師)。昭和3年に長崎医科大学(現・長崎大学医学部)に入学、浦上天主堂近くの森山家に下宿、昭和7年大学卒業後、
助手として放射線医学教室に残り放射線物理療法の研究に取り組む。翌年、満州事変に出征、昭和9年に帰国して研究室助手に復帰。洗礼を受け(洗礼名パウロ)森山家の一人娘・緑(みどり=洗礼名マリア)と結婚。その当時から無料診療などの奉仕活動が始まり、晩年の彼の行動に結びつく。緑との間に1男2女をもうける(長女は原爆投下前に夭折)。
昭和12年、長崎医大の講師に就任直後、日中戦争に出征、昭和15年に凱旋して長崎医大助教授(物理的療法科部長)に就任。昭和19年、『尿石の微細構造』で医学博士号を取得、しかし、昭和20年6月、長年の放射線研究による被曝で白血病になり余命3年を宣告される。そして8月9日午前11時02分、原爆投下、爆心地からわずか700メートルの距離にあった長崎医大の診察室にて被爆、右側頭動脈切断という重傷を負いながら、自分は頭に布を巻いただけで被爆者の救済にあたる。翌日(10日)やっと我が家に戻る。台所跡から骨片だけの状態になっていた妻の遺骸を発見、その骨片を拾って屋敷内に埋葬。
『長崎の鐘』2番の
♪ 召されて妻は天国へ 別れてひとり旅立ちぬ かたみに残るロザリオの
  鎖に白き我が涙・・・
が悲しい。

長男・誠一(現・長崎市立永井隆記念館館長)と次女・茅乃(作家)は疎開していて助かったが、最愛の妻・緑を失い、自分も重傷の身でありながら博士は12日に救護班を組織して被爆者の救護にあたる。その姿、想像するに(まさに)気高く、壮絶である。9月に入って何回か昏睡状態に陥るが、その間に『原子爆弾救護報告書』を作成、長崎医大へ提出。
昭和21年同大学教授に就任後、長崎医学会にて『原子病と原子医学』を発表、間もなく病床に臥す。

翁、永井博士が死を迎えるまでの3年あまりを過ごした“如己堂”(にょこどう)を数回訪問した。2畳一間の小さな一軒家、浦上の人々やカトリック教会の協力で(永井博士のために)建てられたもの。博士は、ここで寝たきりの状態で数々の医学研究レポートや随筆を書いた。二人のお子さんもここで一緒に暮らしたそうだ。この場所は昔、長い間、キリシタン弾圧に耐えた浦上地区キリスト教徒の最高指導者の家“帳方屋敷跡”でもある。なお、“如己堂”の命名は、自分のために家を建ててくれた人々の心を忘れまいと、新約聖書にある“己れの如く人を愛せよ”から博士自身が名づけた。この場所にヘレン・ケラー、ローマ教皇特使ギルロイ枢機卿やフルステンベルク大司教が見舞いに訪れた(ローマ教皇からロザリオが下賜される)。昭和26年(1951年)5月1日、容態急変、長崎大学付属病院に緊急入院するも、その夜、逝去、享年43。市内国際外人墓地に眠る。

数年後に『原爆(を)許すまじ』(浅田石二作詞、木下航二作曲)が反戦・平和運動のテーマソングになった。
♪ふるさとの街焼かれ 身寄りの骨埋めし焼け土に 今は白い花咲く 
ああ許すまじ原爆を 三度(みたび)許すまじ原爆を 我らの街に・・・・
翁、この歌と『長崎の鐘』は何百回、何千回弾いたことだろうか、だから、今でも楽譜なしで演奏出来る(と思う)。前号で紹介した「被爆ピアノコンサート」(長野県信濃町)でオペラ歌手の熊坂牧子さん(ソプラノ)が『アヴェマリア』、『さとうきび畑』、『花』を歌った。次回、この種のコンサートの時は、同じ声楽家のご主人・良雄さん(バリトン)と一緒に『長崎の鐘』と『原爆を許すまじ』を是非、歌っていただきたい。♪・・・貧しき家の柱にも 気高く白きマリア様 なぐさめはげまし長崎の ああ長崎の鐘は鳴る・・・
8月は、国家のために散華した戦没者の霊を慰め感謝の誠を捧げる月、そして戦争の悲惨さ、空しさ、平和のありがたさ、命の尊さを考える月。思想や宗教の違いを超えて“歴史の声”にじっくり耳を傾けようではないか・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

長い盆休みに入りました。
毎日好きなだけジャズが聴けます。でもまだまだ暑い日が続きます。
こんな時はボサノバのリズムで暑さを吹き飛ばしましょう
これまでにも雑貨屋で紹介させていただいた、Sax演奏者のHarry Allenのボサノバを集めたアルバム、"Once Upon A Summertime"です。
Harry Allen "Once Upon a Summertime"

1 The Girl From Ipanema 06:05
2 Song Of The Jet 05:11
3 Caminhos Cruzados 06:30
4 Agua De Marco 05:08
5 I've Got You Under My Skin 04:30
6 Agua De Beber 06:28
7 Menina Flor 06:00
8 How Insensitive 05:18
9 One Note Samba 06:35
10 Falsa Bahiana 04:17
11 Once Upon A Summertime 03:24
12 Bolinha De Papel 05:10
13 This Happy Madness 04:47

雑貨屋ウィークリー537号から紹介をはじめたジャズのアルバムをリストにしました。
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

本当に暑い日本です。長い休みに入りましたが、一日をどう過ごすかが課題です。
土曜日のヨガ教室は先週から夏休みで9月までありません。しかたが無いので、スポーツジムのヨガ教室に参加しています。先週は水曜日と金曜日のヨガクラスに参加しました。これまでの週一から増えたので、ちょっときついですが、身体がなまっているのでちょうどいいかなと思っています。この暑い時期、ハイキングは無理そうなのですが装備だけはそろえていこうかなと思います。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.743

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com