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NO.732                Ryo Onishi              5/23/2010  

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雑貨屋のひとり言

4月にアメリカで発売されたiPadはずい分人気があるようですね。5月28日に日本でも発売が予定されています。この夏は、私の周りでiPadを使っている人が現れるでしょうか。私も電気店でどんなものか確かめようと思います。
≪R.O≫

年とともに 月日の経つのが早く感じるのはなぜ?

 「月日の経つのが なんと早いことか、それも 年を追って加速されている」 と つくづく感じてしまう今日この頃ですが、皆さんはいかがですか。私なんか 来客者・知人と顔をあわせた時、 挨拶の第一声は殆ど 「もう 今年も あと少し、ホント 月日の経つのは早いですネ。」 が ここ数日の口癖です。

ところで 「 人間は なぜ 年々、月日の経つのが早く感じるのか」 と言うテーマについて、興味を引く記述を見つけたので、それを 私なりに解釈したものを 以下ご紹介します。(織田一朗 著 「時計の針はなぜ右回りなのか」 より)

我々は 年をとり 大人になり、社会や組織や家庭で だんだん責任ある立場になって その結果、時が経つのも忘れて 仕事や家事や社会活動に没頭するあまり、結果として 月日が早く過ぎると感ずる。――― 私は 今まで このように理解して疑いませんでした。確かに これも決して間違いではないようですが、これ以外にも いくつかの学説が あるのだそうです。

例えば;
(1) ランスのある心理学者は、「人間の心理的な時間は、その人の年齢の逆数に比例する」と主張しているという。即ち、「10才の子供にとって 1年とは 過去の全人生の 1/ 10( 10分の1) だが、50才の人にとっては 過去の全人生の 1/ 50(50分の1)にしか過ぎず、その分 時間が早く感じられる――50才の人の一年間は、10才の時の 1/ 5(5分の1)にしか感じない。」 と主張しているのだそうです。

(2)イギリスの心理学者 ジョン・コーエン博士の説;「一般に生物は 体温が下がると新陳代謝が弱まる という事が知られている。人間の子供の体温は相対的に高く、 年をとるにしたがって温度は下がり 新陳代謝は弱まる。また 老化自体も 新陳代謝を弱める。新陳代謝が弱まると、人間の頭の中の 時計も それに合わせて ゆっくりと廻るようになり、相対的に時は 早く過ぎるように感ずる。」 ということのようです。

上記、コーエン博士の説は、たとえていうなら、「二台の自動車が高速道路を 同じスピードで並んで走っている時、自分の乗っている車のスピードを落とすと、相手の車の方がスピードをあげたように感じるのと同じ。」 と いうことなのだそうです。

中年になって、時の経つのが早く感じるのは、仕事が忙しいからでもなく 責任ある立場に なって 仕事一途に頑張っている為でもない。―――ただ単に アンタも 老化が進行している という、それだけの事サ!――― これじゃあ ちょっと 寂しいですよね。

それにつけても、お正月や遠足の日を待ちわびて 指折り数えた 遠いあの頃は 確かに一日一日は 長かったような気がします。(注:雑貨屋ウイークリー30号掲載を再掲)
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「」

今週はお休みです。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

関節に油を差して二度の職

制服のパパはお酒を飲んでない

定年の先も峠の二つ三つ

酒と言う名のガソリンを給油する

デジタルに俺の演歌が乗りきれず


( ニュースやぶにらみ )

「仕分け対象に」
検察審査会も −小沢幹事長

「政界番付」
横綱・・無党派。 大関・・民主党、自民党

「結局辺古野埋め立てに」
振り出しに戻る −鳩山スゴロク

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

句会場(千駄木)散歩(37)
*岩田専太郎 (1901〜1974)
先ずクイズです。美人画で知られ岩田専太郎が「百年に一人出るか出ないかの不世出の美人」と絶賛した歌手がいるのですがご存知でしょうか。
先日いつものように千駄木の街をぶらりと歩いていましたら、偶然、木下順二の旧居の近くに岩田専太郎コレクション館(金土日館)をみつけ、沢山の絵や遺品に出会い、なんとも懐かしい時間にひたりました。同館のパンフレットには「〜18歳で東京に戻り、印刷図案や玩具の絵付けをしながら仕事を探し、1922年挿絵画家として講談雑誌からデビューし、生計をたてる。その後伊東深水に師事する。吉川英治「鳴門秘帖」、川口松太郎「蛇姫様」等あらゆる雑誌や新聞、時代小説、現代小説等一世風靡し、昭和時代が生んだ挿絵画家の第一人者として、50年余りに亘って大衆を魅了し続けた」とあります。雑誌等で見た挿絵は当然白黒のなのですが、原画は岩彩というそうで、鮮やかな色彩で描かれていました。同館は今「富田常雄小説に見る専太郎の挿絵展PartT」として、「春色江戸巷談」「書生草紙」「鳴門太平記」「嵐来たり去る」等の作品に描かれた挿絵を、当時の連載新聞の写しと、一部書籍とともに展示公開されています。
千駄木の隣町とも言っていい田端は、大正から昭和にかけて文士村と言われ、芥川龍之介、菊池寛、久保田万太郎、佐多稲子、野口雨情、堀辰雄、室生犀星、等々。田端文士村記念館のホームページには90人ほどの錚々たる文人、芸術家の名前が見えます。私は岩田専太郎というと先ず川口松太郎を思い浮かべるのですが、両家はこの地で隣同士でした。、
ところで前述のクイズの答えですが、20歳の時の研ナオコだそうです。私みたいな凡人とは見る目が違うのですねえ。

森田さんから

お茶飲み友だち
              森田のりえ
わたしにはお茶飲み友だちのじいさまがいる。自分の代で八代続いている生粋の江戸っ子だそうだ。だから、というのかどうか彼の人生訓は「いなせ」である。いなせとは「鯔背」と書いて、男は粋で勇み肌でなくてはならないというのだ。地方育ちのわたしにはよく分からないが、じゃあ女はどうなの? と訊くと、即座に「おきゃん」と言葉が返ってきた。「お挟」と書く。女は活発で腰が軽くなくてはいけない、という。
「腰が軽いのと、尻の軽いのとは意味が違うよ。おきゃんのほうは腰が軽いんだよ」と、彼は注釈を入れた。
 たしかに「尻軽女」といえば、語感がよくない。「腰が軽い」といえば、きびきび働くイメージがある。
 彼の特徴は日本語にうるさいことである。
ちょっとした間違いでもすぐ指摘される。Eメールでさえ変換間違いを送信すると直される。一度など「先生」を「1000生」と打って、うっかり送信してしまった。
先日「古希」が七十歳であることくらいは常識であるが、彼が言うには、この漢字も文部省が決めた誤字当て字のたぐいだという。
もともと杜甫が「人生七十古来稀なり」とした言葉からきたのだから、いくら「稀」の字が当用漢字にないからといって意味の通らない「希望」の希を国民に強制的に使わせるのは憲法違反だという。
髪の毛が薄くなった頭のてっぺんから湯気を立てて怒っている。わたしに怒ってもしようがないと思うが、茶飲み友だちのよしみで適当に相槌をうちながら聞いてあげる。
 このじいさまは、日本語にうるさいくらいだから自分で書く文章にもこだわる。古今東西の事象についてもかなり詳しく、博学である。いまどきの日本の首相は漢字が読めなかったり四字熟語を知らないからとかくマスコミにからかわれている。この間も「朝三暮四」を「朝令暮改」と取り間違えて国会で答弁して笑われていた。実はわたしも知らないので「どういう意味ですか」と訊いてみると、即、答えが返ってきた。
「朝三暮四」とは、サルにリンゴを朝三個、暮四個与えていたが、それでは不足だとサルがいうので、それなら朝四個、暮三個にするがどうだと人間がいうと(バカ)なサルは、全体の数が増えたわけでもないのに満足した。
というお話から『口先で人をだますこと』。これに対し朝令暮改は、どこかの官庁か会社の経営者が、朝号令を掛けたことをその日の夕方には訂正の命令を出す不見識を言ったもで、この両方とも朝と暮使っているので混同しやすいが、意味はまったく違う。オボッチャン首相にように、間違えて恥を掻かないように」だって。
 このじいさまは現役のころどこかの社長をやっていたはずだから、同じような失敗を思い出しながらわたしに話して聴かせてたかもしれない。これを下衆の勘ぐりという。世の中には「歩く字引」という人はいるものだ。
 ところでわたしはさる大学の先生が主宰している読書会に出席している。この会で読みまわす本は政治など、わたしには難しい本が多い。割り当てられた本を要約して発表するのだが、わたしは、日常茶飯事を書くのならさほど苦にならないが、天下国家のことを論ずるのは苦手というよりできない。そこでじいさまにゴーストライターをお願いすることにした。
 すると、あっという間まとめてきた。内容もさることながら、一刀両断にすらすらと感想文まで書いて送り返してきた。わたしはシャッポを脱いだ。平伏、土下座である。
 彼へのお礼は、わたしの女友だちの集まりに呼べばいい。世の中に鼻の下の短い紳士はそうはいないと思うから。女だけの麻雀や食事会、女の集まりの講師などお願いすると喜んで薀蓄を傾けてくれる。
 この人の奥さんというのが、すごい。自前のヨットで海に出る。自家用機の操縦免許を取得しているから、たまに空を飛ぶ。スキーと水泳は指導員免許を持っている。
 なによりも立派と思うのは、亭主が女だけの集まりに黒一点で出席するといっても、干渉しないどころか「遊んで頂いて、ありがとうございます」と、お礼まで言われてしまう。
いうまでもなくわたしたちは微塵の邪念もない清い間柄である。彼ら夫婦はいい歳をして「ちゃん」付けで呼び合っている。腹が立つくらい仲睦まじい。
わたしの知り合いのご主人は、自分の奥さんがクラス会に行くといえば送迎、下手をすると車の中で待っているというらしい。世の中いろいろな人がいるものだ。
 気の置けない茶飲み友だちのじいさまは近々日本へ引き揚げてしまう。アメリカと日本の医療費を比べると、日本の方が安いし家庭往診などの小回りがきくという理由、もうひとつの理由は、彼らには子供も身内もアメリカにいない。いざとなれば兄弟姉妹のいる日本がいいのではないかという。
 身の回りの人が一人、また一人と帰国する。淋しいかぎりである。
               おわり

龍翁余話

龍翁余話(131)「丸の内・三菱一号館(美術館)」

友人(読者)たちから「毎週、エッセイ『余話』を書くのは大変でしょう」と同情されることがよくある。書くこと自体はそれほどでもないが、ネタ(テーマ)を考え、探すのは正直、かなり骨折る。政治家や文化人、スポーツ人・芸能人らを一刀両断にするのも悪くはないが、若い時からのドキュメンタリー映像製作の習性で、出来るだけ自分の足で現場に出向き、”歩いて・見て・確かめて“を心がけ、実践したい気持ちは山々。動き回るエネルギーもまだ残っているのに肝心のテーマを見つけるのが大変。そんな翁に同情を寄せてくれる友人たちから、たまに、ヒントを与えて貰うことがある。すでに『江戸情緒を今に残す下町探訪』、『東京スカイツリーの光と影』、『幕末史跡巡り』、『野鳥観察』など、翁の興味関心を強く惹くアイデアをいただいているので今後に”乞うご期待“と申し上げておきたいが、つい先日、美術館巡りが好きな親友・Jさんから「丸の内・三菱一号館(美術館)へ『マネとモダン・パリ展』を観に行った」とのメールを頂戴した。三菱一号館は今年4月6日に正式オープンしたばかり。翁、絵画より赤レンガの建造物の方が好きで、早くそこに行ってみたいと思っていたのだが、Jさんに先を越されてしまった。

視聴率23%でスタートした大河ドラマ『龍馬伝』、最近は18%そこそこで低迷している。史実とは異なる作り話の多さに視聴者も嫌気がさしてきたのだろう。しかし今のところ歴史学者(龍馬研究者)や全国の”龍馬会“からは何のクレームもついていない。翁、そのことはいずれ『余話』で吼えたいと思っているが、それはさておき、ここ丸の内一帯は、このドラマの狂言回し役・岩崎弥太郎(三菱財閥の創業者)が維新後に政商となるや、江戸城(皇居)に近い旧大名屋敷一帯(丸の内)に目をつけ、同じ土佐藩出身の明治新政府の重鎮・後藤象二郎や板垣退助らのバックアップを得て買収を試みた。しかし、この地には陸軍省や陸軍関連施設があったので弥太郎存命中は実現しなかった。彼の死(明治18年)後、弥之助(弥太郎の弟=2代目社長)、久弥(弥太郎の長男=3代目社長)の執拗な政界工作が功を奏して明治23年に岩崎家に払い下げられ、弥太郎の夢はついに現実となり、この一帯(丸の内、当時“三菱ケ原”と呼ばれた)を近代ビジネス街に変貌させた。
 
皇居前広場から見た丸の内ビル群 三菱一号館の正面

三菱一号館の建設は1894年(明治27年)、英国の建築家コンドル(東大工学部建築学科初代教授)のデザインによる。それから110余年経って、当時の建物そっくり、設計図や写真をもとに、230万個のレンガを特注して全国から職人を集め手造りで復元したという。
ベルト・モリゾの肖像(左)とエミール・ゾラの肖像(右)=いずれも外に展示されている写真 

 翁は本来、美術にはそれほどの興味も造詣も深くない。だが偶然にも、エドウアール・マネと彼の作品の幾つかは知っている。20数年前オルセー美術館(パリ)で『老音楽師(辻音楽師)』に出会ったのが最初。残念ながら、その絵は外になかったので撮影は出来なかった。
 

 中庭もいい。20世紀のイギリス芸術界を代表する彫刻家ヘンリー・ムーア(1898年〜1986年)の作品“裸女のブロンズ“が見学者を圧倒する。その中庭の前に数件のカフェが軒を並べる。ちょっとしたパリの街角の雰囲気。コーヒーでも、と思ったが(平日というのに)どの店も満席。4月6日の開館以来(開催実数)36日目で入館者が10万人を超えたそうだ。時期的には親友Jさんもその中の一人だったかもしれない。東京駅丸の内出口から線路に沿って有楽町方面へ歩いて5分、東京のど真ん中に位置する『三菱一号館』は、動乱の幕末を生き抜き、三井、住友に次ぐ日本の三大財閥にのし上がった岩崎ファミリーの逞しい商魂だけでなく、文化・芸術の香りを漂わせ”大都会のオアシス“としての憩いと安らぎを醸し出していることが心地いい。次回こそパリのコーヒーを・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

 

久々にArt Pepperはいかがでしょう?
Art Pepperは麻薬におぼれ、60年代は麻薬病院に収容されていましたが、それから復活して1978年に録音されたのがこのアルバムです。スタンダード曲ばかりですが、軽快ですっきりとした彼のアルトサックスが素敵です。
"Among Friends"  Art Pepper

1 Among Friends
2 Round About Midnight
3 I'm Getting Sentimental Over You
4 Blue Bossa
5 What Is This Thing Called Love
6 What's New
7 Besame Mucho
8 I'll Remember April
9 Blue Bossa


雑貨屋ウィークリー537号から紹介をはじめたジャズのアルバムをリストにしました。
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

最近、新しいプリンターを使い始めました。これまで使っていたものと比べると格段に進化しているので驚かされます。スキャナー、コピー機がひとつになって、プリンター単体で写真プリントやコピーができるのがいいですね。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.732

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com