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NO.723                Ryo Onishi              3/21/2010  

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雑貨屋のひとり言

土曜日は初夏のような陽気の一日でした。やっぱり暖かいと身体が楽でいいです。ちょっと散歩しただけで汗をかきますが気持ちのいいものです。公園の桜もつぼみが大きくなってきました。いろんな花が咲き始めています。いよいよ春です。
≪R.O≫

クライシス・イーター

アメリカ発のトヨタ自動車への非難は日米だけでなく、世界を巻き込む大問題に発展しました。日本のトヨタ自動車をめぐる今回の問題は、一民間企業の問題にとどまらず、ものづくりニッポン全体の危機管理、問題処理能力に対する姿勢が問われる案件であると同時に、アメリカ自動車業界から仕掛けられた日本ブランド自動車に対するなりふりかまわぬ挑戦であったような気がします。

トヨタがアメリカで騒がれるきっかけとなったのは、ブレーキがマットに絡み暴走した結果、死亡事故を起こしたことから始まったと記憶しています。当初、トヨタ側はその対応に迅速性・適切性を欠き、問題をこじらせてしまった感は否めないと思います。

この事故当時、トヨタ側は「アメリカの運輸当局も車両自体には問題はないと認めている」という文書を出したとニュースで報じていたのを私は記憶していますが、この問題は技術的に問題があったかどうかではなく、さらにその奥に潜むアメリカ側の意図を的確に把握すべきだったのではないでしょうか。また、死亡事故が発生したという事実をメーカーとして、もっと重く受けとるべきだったと思います。
ドル箱車種であるハイブリッド車のブレーキ不具合の苦情に対しては当初、「運転者の感覚の問題だ」とし、その実、裏で設計変更をしていたことが明るみに出てしまったとのこと。メーカー側によるこれら一連の対応は米議会の取り上げることになってしまいました。

これら一連の流れは、このところ不振を続ける米国ブランドに対し、一人勝ち傾向にあるトヨタと、技術立国ニッポンに対するバッシングの側面も感じられます。ひと昔前までの日米自動車貿易摩擦のころは日本側の『輸出自主規制』によって対応しました。しかし現地生産の拡大にともない、日本からの輸出規制に意味がなくなってしまった現状では日本ブランドそのものをバッシングするのが最も効果的な方法なのです。

今回はそういうバッシングに対する迅速・適切な対応が必要だったはずです。トヨタほどの日本を代表する大企業にして、結果として後手にまわる鈍い対応となってしまい、悔いの残るものとなったと思います。

日本には“禍を転じて福となす”という諺があります。経済・産業分野においても戦後の荒廃からの脱却ののち、二度にわたるオイル危機や為替の急速な円高など日本を襲った危機に際し、国をあげて智恵を出し合い、省エネ技術や効率化、コストダウンに取り組み、危機を克服しました。日本は危機に直面したとき、その危機をむしろ糧として強固な体質を作る“クライシス・イーター”としての素質があるのです。そして危機が去ったあとには以前にまして強固になるのです。トヨタ自動車も今回の問題をネガティブにとらえるのではなく、より前進のチャンスととらえ、反省すべき点は反省し、改善すべき点は改善し、より透明性と消費者目線にたったメーカーとして、今回の危機を餌として今後さらなる飛躍をとげる“クライシス・イーター”であることを期待したいと思います。
次の新車モデルは『トヨタ・クライシスイーター』という名で発表してはいかがでしょうか。 
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「」

今週はお休みです。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

もういいかい土手のつくしが風に聞き

路地で咲き蝶の情と戯れる

保護色にほんのり紅を差すも春

本命のチョコと信じていた喜劇

開幕日皮算用がはしゃいでる


( ニュースやぶにらみ )

「仕分け」
副幹事長も −民主党

「困った」
5月まで政権が持ちそうだ −鳩山首相

「鳩山元総務相離党」
一人相撲? −政界三月場所

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

句会場(千駄木)散歩(35)
*山本安英                             
 山本安英の自宅兼劇団稽古場は、駒込千駄木町2番地で、木下順二の50番地のすぐ近くでした。お二人がズボン姿で散歩されているのをよく見かけ〜と谷根千の94号にも書かれています。 
木下順二との関りは安英が順二に東大の演劇部で指導ををしたことが始まりだそうです。  戦前「新劇の聖女」と言われた 彼女らしい逸話です。生方たつゑ 『娶らざる詩人』より 昭和四十三年の秋、T会館のパーティの席で私は偶然山本安英さんに逢った。夕鶴のおつうの面影と重なったような、控え目な安英さんは、人混みのなかでは決して目立つことはなかったけれど、拓次(大手拓次・詩人)のあこがれであったYさんの面影そのものであった。「拓次の日記をしらべていますとYさんYさんと、毎日のように思慕をつづった文章が書かれていますけれど、昔ライオン(ライオン歯磨き)でご一緒でいらしたそうですね」こんな昔のことを、唐突にきき糾そうとする私を、つつましい目がちらとふれただけで俯き、口ごもるように、「あのー、あの方が、あのようにお想い下さっていることを、若いころの私はちっともうけとれないでいまして、申しわけないことをした、とそう思いますわ」その言葉をきいただけで、私は拓次になりかわったように、充たされていくのであった。一方で戦前の婦人運動にも熱心でした。宮本顕治著「網走の覚え書き」より 今晩数寄屋橋の三好野の二階か何かで、銀行につとめている勤労婦人の集会があり、彼女(注:顕治と結婚する前の中條百合子)が山本安英さんと行くことになっているが、一緒に出ないかと誘われた。 戦後上演された木下順二の『蛙昇天』で「戦争はいやだ」と叫んで客席を走ったのは芝居だけでなく、安英の真の叫びでもあったと思います。 大河少女漫画「ガラスの仮面」の登場人物(月影千草)は山本安英をモデルにしたと言われています。

森田さんから

今週はお休みです。
               

龍翁余話

龍翁余話(122)「春分の日」

高校時代、漢文で習った孟浩然(8世紀、中国唐時代の代表的詩人)の『春暁』に“春眠暁を覚えず 処々啼鳥を聞く 夜来風雨の声 花落ちること知る多少”という有名な抒情詩がある。ところが昨夜(20日)から続いた春の嵐は“春眠暁を待たず 処々不穏な物音を聞く 夜来暴風雨の声 ベランダの植木の草花落ちること知る多々”だった。今朝(21日)4時半に起き、テレビニュースを視る。西日本をはじめ各地の強風による死者、ケガ人、交通機関の乱れなどが繰り返し報じられている。瞬間風速では東京・江戸川区で35m、八王子市で33m、府中市で30mなど3月の観測記録を大幅に塗り替えたそうだ。嫌でも“不況の嵐”と思い重なる2010年の「春分の日」である。

「自然をたたえ、生物を慈しみ、祖先を敬い、故人を偲ぶ」が春分の日(彼岸の中日)の趣旨であるが、どちらかというと一般的にはお墓参り(先祖・故人供養)の感覚と習慣が強い。無宗教の翁でさえ、昨夕、スーパーでボタモチを買って来て仏様(母と兄の遺影)に供え、お香を焚いた。今朝も桜の匂い(お香)が部屋中に広がっている。

“ボタモチ”と“オハギ”、どこが違うのか・・・粒あんがボタモチで、こしあんがオハギとか、米粒が残っているのがオハギで、完全に餅になっているのがボタモチなど諸説あるようだが、実は基本的には同じもので“食べる時期”が違うだけ、だそうだ。つまり牡丹の季節、農耕が始まる時期・春の彼岸に食べるのがボタモチ(牡丹餅)で、萩の季節、収穫の時期・秋の彼岸に食べるのがオハギ(御萩)と呼ばれるとか。どうでもいいが、翁はオハギよりボタモチの呼び名が好き。それも、子どもの頃(故郷=大分で)食べた、ご飯茶碗一杯分の大きさの、デカ・ボタモチが懐かしい。

ボタモチ、オハギは、江戸時代に彼岸や四十九日の忌明けに食べる習慣が定着したそうだ。
もともと、小豆の赤色は、災難が身に降りかからないようにするお呪いの効果があると信じられていて、古くから邪気を祓う食べ物としての信仰が先祖の供養と結びついた、と伝えられている。お祝い事のお赤飯もその流れだろう。仏教では彼岸(彼の岸=あの世)は悟りの境地、苦しみに満ちている此岸(こちらの岸=現世)と対(つい)になる言葉。そこで仏教家や熱心な信者は彼岸中(中日をはさんで前後3日の1週間)に仏道修行に励み、祖霊崇拝の慣習から先祖を慰めるためのお供え物にボタモチやオハギを用いた。本来は自分たちで食べるものではなかったそうだ。何と、もったいない話、不信心の翁は(春分の日は)人並みにお香を焚いて亡き母と兄を偲びボタモチをお供えするものの、正直なところ、自分が食べたいがための“供養の真似事”であるから、あまり功徳にはなるまい。

“暑さ、寒さも彼岸まで”と言われるように、彼岸はちょうど春分、秋分の季節に行なわれる。気候は暑からず寒からず、昼と夜の時間は同じ(実際は昼が長い)、これらはお釈迦様の教えである“中道を守り、何事も極端を避けよ”に通じるそうだ。たまたま翁の手元に、昨年、翁たちの企画集団APPが企画した『平成の遣唐使・長安(西安)を往く』のイベント・番組企画に際してアイデア提供などをしてくれた奈良市在住の旧友(元ジャーナリスト)が送ってくれた『平城遷都1300年記念 大遣唐使展』の資料がある。その資料に同封されていた『(釈迦の)自他共に幸福を得る到彼岸6つの教え』がなかなか面白い。布施(ふせ)=物心共に人に喜びを分け与えること、持戒(じかい)=規律を守り節制ある暮らしを行なうこと、精進(しょうじん)=目的に向かってたゆまぬ努力を払うこと、禅定(ぜんじょう)=常に平常心を持ち続けること、忍辱(にんにく)=心を動揺させずに耐え忍ぶこと、智恵(ちえ)=人生の真実を見極め、迷いを捨てて無上の境地(真の悟り)を得るべし・・・

言葉の意味は容易に理解出来るが、実行はかなり難しい。ヘソ曲がりの翁、畏れ多くもお釈迦様にいささか反論。物心共に人に喜びを分け与えよと言うが、喜び自体の実感が得にくい世の中(人生)、他人に何を与えよというのか?よしんば、他人に物心の喜びを与えるモノがあるにせよ、時としてそれは上から目線(傲慢、慇懃無礼)と誤解される。同時に、翁、他人から喜びなるものを与えて貰おうなどという気持ちにもなれない。ただ、互いに信じ合って心が重なり合う交流ならば、どんなに不運な話・厄介な事柄でも、共に考え解決に向かうプロセスは“喜びの分かち合い”である、と翁は考え歓迎する。持戒・精進については反論なし。翁の年齢(とし)になれば禅定・忍辱も大切な修行課題であると納得。しかし、人生の真実を見極め、迷いを捨てて無上の境地を得よ、は、翁ごとき凡人(俗人)には、どだい無理難題ですぞ、お釈迦様・・・

とは言え、お彼岸の中日「春分の日」、お香の匂いの中でお供えのボタモチ(のお下がり)をいただきながら、静かに釈迦の教えに耳を傾ける(思いを寄せる)のは、良しとしよう。私たちの命は無数の誕生と死によって支えられている。先祖、そのまた先祖、その先の先祖と、ずっと辿っていくと幾つの命があったことだろう。私たちもまた、いずれは子孫にとっての先祖となる。お彼岸の今日、命のつながりとその尊さを思い、生かされているこの人生を省みるのも心地いい。煩悩を脱して悟りの境地に至る、と錯覚するのも彼岸の時期、お釈迦様もお許しあるだろう・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。
 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

 

今週も、どのアルバムを紹介しようとあれこれ悩んだのですが、Don Grusinのアルバムにしました。Don Grusinは先週ご紹介したDave Grusinの弟です。
アーティストになる前は、経済学の教授をしていたそうです。
このDon Grusinのアルバムも西海岸のさわやかなイメージの曲ばかりです。

Traveling Fancy('04)  Don Grusin Trio

1 All Blues 06:53
2 Autumn Leaves 07:08
3 Traveling Fancy 03:29
4 Stella By Starlight 04:51
5 Someday My Prince Will Come 06:50
6 Road House 03:53
7 Carribean Son 06:13
8 Tranquil Waters - My Romance 06:29
9 Dos Lados 04:34
10 Moonlight Vermont 06:04
11 Somewhere Over The Rainbow 05:10
12 Someday My Prince Will Come 01:01


雑貨屋ウィークリー537号から紹介をはじめたジャズのアルバムをリストにしました。
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

朝は黄砂で六甲山がまったく見えませんでしたが、午後になると見えるようになってきました。いったいあの黄砂はどこに行ってしまったのでしょう?

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.723

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com