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NO.711                Ryo Onishi              12/27/2009  

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雑貨屋のひとり言

今年も残すところ数日となりました。あわただしい年末ですがいかがお過ごしでしょうか?お掃除や片付けをされている方もおられるでしょうね。2009年は、娘の結婚式から始まり、大型液晶テレビの購入、5年ぶりに再会した友人夫婦3組での出雲旅行、初めて行ったバリ島、家の前に出現した巨大ショッピングセンター、フィットネスクラブへの入会、そしてブログをはじめたこと、などなど・・いろいろ変化がありました。幸いインフルエンザにもかからず、病気もせずに過ごせています(感謝!)。来年もどんな面白いことが起こるのか楽しみにしたいと思います。今年も一年、雑貨屋を盛り立てていただきました河合さん、成近さん、長尾さん、さくらさん、森田さん、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。読者の皆さん、来年も雑貨屋をごひいきによろしくお願いします。良いお年をお迎えください。≪R.O≫

2009年、年末

 今年の流行語年間大賞(2009ユーキャン新語・流行語大賞)に『政権交代』が選ばれ、鳩山首相が受賞しました。8月末の総選挙の結果をふまえ、民主党の鳩山新政権発足は日本にとって、まさに大転換の瞬間でした。

 あれから3ヶ月、いわゆるハネムーン期間も終了し、前例にとらわれない政治の可能性を国民に知らせ、選挙を通じて政治は変えられるのだと強調する意気込みは了とするのですが、残念ながら首相の決断や国民に向けて自分の口から語りかける 政治主導、実行力がまだ伴なっていないようで準備不足の感が否めません。スローガンの羅列にすぎない、理念の共有がない新与党と新政権に奮起を促したく思います。

これまでサプライサイド(供給側)に主点がおかれていた経済に対し、家計を直接支援する政策で経済再建をはかろうとする新体制のようですが、内外の注目をあびて華々しくスタートしたにしては鳩山内閣は問題山積であり、はたして吉となるか凶となるか不安をおぼえながらも来年に注目しています。

 私たちの仲間内で毎年行ってきた『年間大予測』(内容、項目は当Zakkaya Weekly No.662を参照ください)で、今年初めに私がした予測の的中率は50%にも達しませんでした。年初には私なりに持てる知識と情報を総動員して予測した2009年でした。私もそれなりに確信をもって予測表に書き込んだはずです。にもかかわらず、このような結果になったということは、私の無知無能もさることながら、この一年間で経済、世相がいかに予想以上に急変したかをも語っていると思います。

 上記『年間大予測』は私が予測すべき項目の原案を作成、参加メンバーの皆さんと話し合いで項目の追加・削除をした上で決めるのが毎年のならいです。今年(2009年)年はじめ予測項目を決める話し合いのとき、メンバーの一人であるJALのロス支店長からの強い提案で『2009年中に鳥インフルエンザの人への感染による世界的パニックが起きるか?』という項目をつけ加えることになりました。

前年(2008年)には世界各所で『鳥インフルエンザ』が散見されていましたが、さほど深刻には受け止められていなかったので、私としては「なんで、こんな項目を含める必要があるの?」というのが偽らざる心境でした。そして、私がそのとき書き込んだこの項目に対する答えはもちろん「ノー」でした。

ところが、どうでしょう。それからわずか数ヶ月の4月には『鳥』ではありませんでしたが『豚』を媒体とする『新型インフルエンザ』がメキシコから発生、世界的に感染が広まり6月には世界保健機関(WHO)がパンデミック(爆発的流行)宣言を発し、パニックが世界を駆けめぐったのでした。私自身も4月と5月の日本行きの際、成田空港での水際防疫作戦に巻きこまれたり、宿泊先のホテルまで所轄保健所からの追跡調査をうけたりと散々で、これも以前当欄(678号)に記した通りです。

年末恒例のニュース報道各社が伝える「今年の十大ニュース」でも日本国内ではトップの「政権交代」についで「新型インフルエンザ」が大きくとり上げられました。(時事通信社が選んだ2009年十大ニュースでは「新型インフルエンザの感染広がる。全国で猛威」が国内第2位、「新型インフル、WHOがパンデミック宣言」が海外第1位)

 年初の段階で『インフルエンザ』による世界的なパニック発生を強く予測したJAL支店長の慧眼には感服せざるをえません。些細な情報でも敏感に反応し、ビジネス判断につなげる日ごろの訓練の結果が彼をしてこのような世界的パニックを予感させたのでしょう。

 さて、当地アメリカ合衆国も年初にオバマ大統領が誕生し、アメリカ国民だけでなく、世界中からその力量と指導力に期待がよせられました。しかし一昨年から世界的に吹き荒れている不況風はあいかわらず厳しく、米国失業率10%に達しています。経済だけでなく、アフガニスタンへの兵力増派など、テロへの対応もふくめ、アメリカ国民から政権に対する風当たりも強くなっているようです。任期があとひと月のFRB(米連邦準備制度理事会)バーナンキ議長も再任される見通しとはいえ厳しい見方もではじめています。年明け早々、日米ともにひと波乱の様相です。

穏やかな年の暮れとは程遠い世相ですが、こんな時だからこそ、私たち庶民は逆に元気をだして明るく生きようではありませんか。

当「雑貨屋ウイークリー」も1996年5月の創刊(予告)号以来13年半、2009年を締めくくることになりました、この間、今回の711号まで一度の休刊もなく、楽しい話題満載のメルマガを毎週発行されてきた店主 大西さんのたゆまぬ努力に心から敬意を表します。

 みなさん、今年もお付き合いいただきありがとうございました。どうか良い新年をお迎えください。
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「甥の結婚式」

あれよ、あれよと慌しく走り回りながら一日が終わるというこの数日、文字通り“師走”なのだと、師でもないのにうなずく。薄くなった日めくり(暦)を見て、いよいよ今年も終わりか、と、また焦り、あくせくと走り回る私。その日めくりの薄さの裏に、2009年の厚き日々の重なりが甦る。あんなこと、こんなこと、小さなこと、大きなこと、よかったこと、そうでないこと、などなどが、次から次へと思い出され、それはまるで走馬灯のごとく私の脳裡を駈け巡る。そんな一年の出来事の中でも、特に甥K(姉の息子)の結婚式と披露宴は心に沁みる慶事であった。

挙式は、甥が幼いころから通った教会で行なわれた。甥の幼少から成人するまでの成長段階で、家族同様に接してくれた教会メンバーの手作り結婚式。神聖な中にも暖か味があり、神と人からの祝福に溢れたものとなった。また披露宴は、両家の親族と、ごく親しい友人、甥の直属の上司だけという小さな宴ではあったが、甥のKらしい創意・工夫が散りばめられ、心温まるものだった。高校時代に父親が病死した時から、自分の結婚式はこの日と心に決めて生きてきたという。その日、とは、言うまでもなく彼の父の命日。式の締めとしてプログラムされた新郎の挨拶によってそのことを初めて知らされた出席者は、新郎の言葉「天国の父も、こうして皆さんに祝って頂いていることを、きっと喜んでくれていると思います」に胸を打たれた。鳴り止まない拍手がそれを物語る。こうして父親の命日は悲しみを超え、祝福と新たな絆の深まりの日となった。彼は、生まれ育った「家」(家庭・家族)から自分の「家」への旅立ちの一歩を、明確に宣言した、と私は感じた。

ところで、挙式司式者の牧師の説教の中で、現代の結婚式の原型が、実は2600年前の太古の昔に始まっていたことが紹介された。当時の結婚式は夜間に行われていたそうだ。闇と光を象徴したものだったといい、真っ暗な神殿内には、式司者である神の使い(神父)と新郎新婦のみ。神前に誓い合った新郎新婦は、神父からその手にろうそくの火を灯してもらい、真っ暗な神殿の出口(入口でもある)へと向かう。その扉を開けると、そこには彼らの結婚を祝う親族や村人たちがろうそくを持って立っている。その参列者のろうそくに、誕生したばかりの新郎新婦は、二人の手に灯るろうそくの炎を、参列者一人ひとりのろうそくに点火する。闇夜に光明を照らす瞬間だ。そうして新郎新婦は新居へと向かう・・・現代の結婚披露宴の中に、参列者テーブル上のローソクに点火して回るというスタイルの原点は、まさにこのような昔にあったことを連想させる。なお、日本におけるろうそくの歴史は6世紀の半ば、仏教伝来とともに大陸より伝えられたそうだから、2600年前のろうそくに代わる点火物は、多分、松明のようなものだったのでは、と想像する。ともあれ、
大切なことは、結婚が光なのではなく、闇の中に光を見出せる生き方や生活が出来るかどうかを問われていること。まさに結婚式は、誰の結婚式であろうと、新家庭に光をもたらす決意表明の時なのだろうと、私は思う。

さて、結婚式や披露宴では、日本国内外に離れ住む親族や友人知人が集う時のひとつ。幼かった者がおとなになり、おとなだった者がさらに年をとり、苦労や幸せを重ねながら皺を刻む。そこに、闇と光の間を生き続けている人間の成長があり、喜びがある。私たち家族は大家族で育った分だけ、しがらみも人間模様も多く、だから苦労も幸も多いのだろうなと思わされた。このことを、二十代後半の甥が既に知っており、その想いが披露宴のプログラム細部に散りばめられていたことに、新たな光を見出した叔母馬鹿の私である。一年を振り返るこの時、真っ先に甥の結婚式を挙げられることを私は嬉しく思う。さてさて、アンデルセンではないけれど、今年もいいこと、そうでないことが沢山あった、だから幸せだった、っと呟く、さくらの独り言。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

ペンよりも剣とうそぶく核兵器

お互いの神が停戦案を蹴り

戦争反対サツマイモが叫ぶ

米櫃で楽観論が踊ってる

凡々の俺にも昭和史の波乱


( ニュースやぶにらみ )

「国債で子ども手当」
将来利子を付けて返すんだね −子ども

「ガソリン税率維持、たばこ増税」
のるならすうな すうならのるな −家計簿

「トラ年」
タイガー年じゃないな −ウッズ

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

 

森田さんから

今回はお休みです。
               

龍翁余話

龍翁余話(110)「祈り」

「思えば、翁が、周辺の人や物、自然、先祖に対して感謝することを“意識”するようになったのは、そう遠い昔のことではないような気がする。若い時分は、ガムシャラに行動し、身の丈以上に威を張り(思い上がり)、それこそ翁の座右の銘であるはずの『天啓愛人』(天を敬い、人を慈しむ心=西郷隆盛の思想)が少しも身についていなかったように思えてならない。恥ずかしいことだが“翁”になって、ようやく人や物、自然、先祖への感謝、即ち、ありがたさを実感して、その気持ちを素直に言葉や態度に表わすことが出来るようになった・・・」これは、昨年(2008年)末の『龍翁余話』(63)に書いた「感謝」の1節である。早いもので、また“1年の感謝”を噛み締める時が来た。

もともと特定の宗教を持たない翁だが、神社に詣でれば2礼2拍(手)1礼、お寺に行けば合掌、教会では静かに頭(こうべ)を垂れてお祈りをする。祈りの内容は、普段は自分、家族、友人の健康・安寧を願うし、初詣の時は(健康・安寧のほかに)会社の安定を祈願する。この不景気のご時勢、隆盛とか繁栄などはとても望めないから、せめて会社が無事であることだけをお願いする。このように「祈り」とは、神社仏閣や神格化された対象物(例えば太陽、月、星、霊山、霊木、霊岩、火、水など)に何かを祈願することだが、同時に「祈り」には、自分がこの世に生を受けたことは先祖のお陰、無事に生かされていることは家族、友人、会社(を支援してくれるクライアントやスタッフ)のお陰、日本が今日の平和を築くことが出来たのは礎となられた戦没者や戦後の先輩たちの愛国心に基づく国家再建への情熱と努力のお陰、などに思いを馳せ真摯な気持ちで神仏に感謝の誠を捧げる意味合いもある、と翁は考える。

24日のクリスマス・イヴに、親友でクリスチャンのI君のお誘いを受けて世田谷のT教会(ルーテル教会)へ“キャンドル・ライト・サービス”(降誕前夜燭火讃美礼拝)に行った。2年ぶり4度目の礼拝である。牧師を始め、数人の知人たちと握手を交わした。約80人の善男善女が、さほど広くない聖堂を埋めた。聖歌隊のコーラスに続いてキャンドルに点火、皆で讃美歌を歌う。5曲の讃美歌の中で、何と翁、3曲は歌えた(1番の歌詞だけ)。子供の頃(戦時中)、家の近くの教会の“日曜学校”に通ったことがある。別に洗礼を受けたわけでもないし信心を培ったのでもないが、牧師さんの息子と仲良しだったこと、ステンドグラスの窓が美しかったこと、オルガンの音色が好きだったこと、それと何よりキャンディが貰えたことなどが“日曜学校”通いの理由だったのかもしれない。その教会も戦況が悪化するにつれ「敵国(欧米)の宗教はまかりならぬ」とばかり閉鎖に追い込まれた。その後、牧師家族がどこへ行ったか知る由もないが、しばらくは、空き家になった教会に忍び込み、寒々とした聖堂の椅子に座ってステンドグラスを眺める日曜日が続いた、そんなことを思い出しながら『神のみ子は今宵しも』、『もろびとこぞりて』を歌った。あとの1つは誰もが知っている歌『聖夜』。

『愛について』の牧師のメッセージもよかった。「愛すること、愛されることの喜びを知ろう」は、無宗教の翁にも充分に響いた。「愛こそが、七つの大罪を鎮める」という言葉があるそうだ。翁、七つの大罪の中の嫉妬・怠惰・強欲・暴食・色欲は遠のいたが、憤怒と傲慢だけは、どうしても抜け切れない。キリストの教えに逆らうわけではないが、憤怒がなければ改革(革命)は望めない。憤怒こそ、己れ自身や人の道、世の中を正す源泉である、と思っているからだ。そして傲慢は“謙虚を踏まえた節度ある傲慢”と自分勝手な理屈をつけている。しかし、翁の傲慢や憤怒は、それを赦してくれる周囲の人の寛容さに救われていることを翁自身は充分に自覚しているし、前述の“感謝”の中に“お詫びの心”が含まれることは言うまでもない。

その自覚が足りないのが政治家たちだ。とりわけ民主党幹事長の小沢一郎は傲慢(不遜)を絵に描いたような男。例の習中国副首相を天皇陛下に(強引に)謁見させた問題で多くの良識人が怒った。『国家の品格』の著者・藤原正彦氏(お茶の水女子大・名誉教授)は、
“俺が話せば天皇も嫌はおっしゃるまい”は「不敬・不遜の極み」と激怒した。“党(俺)が言うことは全て国民の声だ”と威を張る傲慢ぶりに、評論家の立花 隆氏は「小沢一郎は国家主席にでもなったのか」と鉄槌を下し、その小沢の傲慢さに怖れおののき憤怒も覚えない鳩山総理の無力さを痛烈に批判した(週刊現代・新春号に特別寄稿)。同号に掲載された『民主党議員423人は小沢の子分なのか。なぜ、誰ひとり“反小沢”で立ち上がらないのか』という記事も読み甲斐があった。翁の傲慢なんか足元にも及ばない“日本一の傲慢男・小沢”に対して、また、国家運営の素人集団・鳩山政権の幼さ、軟弱さに対して、更に(かつての“小泉チルドレン”もそうだったが)小沢がかき集めた(愛国心や国家国民への忠誠心のない、ましてや何の政治理念も持たない)烏合の衆を国民の血税で養う愚かさに対して、翁、言い知れぬ憤怒を覚える年末である。

とは言え、静かにこの1年を顧みれば、個人的には今年もまた多くの人のご厚情によって生きてこられたことに喜びと感謝の念を新たにする。昨年末も同じことを書いたが『龍翁余話』2009年の書き納めに際し、紙面を借りて読者各位に深甚なる感謝の意を表すとともに、2010年が各位にとって更なるご多幸、安寧の年となられるよう祈りたい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

 

あっという間にクリスマスが終わって、お正月に向かっています。このコーナーも今年最後の紹介となりました。
ランダムに探したジャズアルバムをご紹介します。
ジャズ・フュージョンで活躍するテキサス生まれのJoe Sampleです。
私がロスでよく聴いていたニューウェイブジャズに近い、歯切れのいいジャズが好きです。

Oasis  Joe Sample

1. Oasis
2. New Places, New Faces
3. Teardrops
4. Asian Eyes
5. Survivor
6. Love's Paradise
7. Wonderland
8. Mirage

雑貨屋ウィークリー537号から紹介をはじめたジャズのアルバムをリストにしました。
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

昨日から長い冬休みに入りました。今年も家の中の片付けから始まっています。
片付けは、要るか要らないかの決断だけです。決断します。
年末に吉田拓郎の歌を思いっきり歌えるバーに二度も行きました。カラオケではない生の演奏はいいですね。すっきりしました。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.711

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com