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NO.705                Ryo Onishi              11/15/2009  

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雑貨屋のひとり言

今晩も散歩しましたが、風が強くてちょっと寒く、冬を感じました。
ヒートテックのシャツを着用していたのですが上着が薄いとあまり効果がないのかもしれません。
近くに巨大ショッピングセンターができ、近所の人に良く会います。みなさんそれなりにちょっとおしゃれをして出かけられているのがわかります。ショッピングも楽しみですが、オシャレも楽しんでいることもいい事だと思っています。もちろん私も楽しませていただいています。≪R.O≫

子 曰 く

日本からのテレビ番組を観ていたら「孔子の教えを子供たちに」という特集放送をしていました。日本ではいま、孔子が弟子たちに語った教え「論語」が大人だけでなく子供にも大人気なのだそうです。(フジ・サンケイTV「アイ・リポート」)

子供たちにとって、その意味が理解出来なくとも、孔子の教えを暗記しておくだけで、彼(彼女)らが成長した後、なにかの折に思い出すことができれば、それは決して無意味ではないと親たちが考えるようになったからのようです。私はたいへん良いことだと思います。厳しい時代の今だからこそ、論語の言葉をこれからの世代を担う子供たちに伝えることは必要です。論語にはさまざまな人生哲学、処世訓がこめられているからです。今や、日本では巷に論語塾まで出現し、毎回大勢の受講者が集まるほどに人気ぶりのところもあるようです。

むつかしいと思われるところも子供たちにとっては、これら論語の言葉を大きな声を発して斉唱するところが楽しいようです。先生が読み上げる言葉をただ繰り返す、意味を考える必要がない、――― これが「素読」とよばれる昔からの論語の学び方といわれます。

「子曰く・・・」と短い言葉を繰り返すだけなので、文字を読めない幼児でも簡単に出来るのです。論語の持つ“音”としての響きのよさや親しみやすさが子供たちをひきつける理由なのでしょう。

ところで、この特集放送の中でいろいろな場面で子供たちが学んでいた「論語」ですが、最初から最後まで「子曰く」の読み方を「子(し)曰(のたまわ)く」と発音していました。私が中学・高校で学んだ時は「子いわく」でしたので、「子のたまわく」という読み方に若干の違和感がありました。手もとの漢和辞典によると「子曰く」の「曰」は「いう」「いわく」「のたまう」「のたまわく」など読むことができるようです。さらに論語の場合の「子曰く」はどうであろうとインターネットで調べてみました。

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 あたりまえのことですが、論語は二千数百年も前に中国でまとめられたものですから、原文は古代中国語であり、私たちはその日本語訳を読み下し文として発音しているわけです。したがって「子曰」もいろいろな読み方が可能なわけで、テキストによっていくつかの読みに分かれているようです。

私の少ない検索で知りえたことは、そもそも論語とは、儒教で秩序の大事さを説く教えとされていたものであり、師の言葉をまとめた孔子の門人たちは「子曰く」に最高の敬意を表し、「子(孔子聖人)がおっしゃられた」という意味をこめたことは確かでしょう。そこで後世、日本で論語の素読を習った人たち、特に昔の人や戦前の日本人は孔子を神格化し、「子のたまわく」と最高の敬意を込めて発音したようです。

 第二次大戦後は孔子先生も神格化の枠から外され、「子いわく=孔子が言った、or 言われた」が一般的になり、その頃の教育を受けた私などにとって「子いわく」があたりまえの読み方になったようです。こんなところにも戦前、戦後の教育の影響があったのですね。そして、またその戦後派に対する反動が最近の「子のたまわく」に現れているのではないでしょうか。

私にとって論語はやはり「子いわく・・・」が身に染み込んでいるので、いまさら「子のたまわく」に変更したいとは思いません。「いわく」のほうが孔子に対する人間としての親近感を感じられますし、その上、論語を素読するの時にリズム感があり、心が弾みます。

ところで「曰(いわ or のたまわ)く」と月日の「日」とはまったく別の漢字なのですね。私は恥ずかしながらこれまでこの区別を知らず意識していませんでした。

★子曰く、過ちて改めず、是を過ちと謂う
★子曰く、過ちては則ち改むるに憚ること勿かれ
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言兄の上京

『ふるさとは、遠くにありて想うもの』とはいうけれど、国内、海外のどこにいても故郷を“近くに”感じることがある。それは3つ、文が届く時、産物が届く時、そして家族・友人知人が訪れて、ふるさとのかほりを届けてくれる時。そんな時は“時空”を超えて、自分が生れ育った土地の“ふるさと”を、しみじみと感じることができる。『思えば遠くへきたものだ』と思いながら日々の生活を振り返る時も、この“ふるさと”との絆を実感できる時、どこにいても根を張る力が沸いてくる。“ふるさと”は、単に育った土地や想い出のみならず、両親や兄弟姉妹はもちろんのこと、親戚、幼馴染み、友人知人たちとの絆の強さや深さによって“ふるさと”への感謝の心を耕すことができるのだろう。

このほど、九州の実兄が出張で上京してきた。その出張の翌日に休暇を取り、私たちのところへ寄ってくれ、少しだけの時を共有した。1年ぶりのこと。兄と共有したその短い時間、様々なことを感じ、想い、そして考えた。4つ違いの兄と妹なので、幼い頃一緒に遊んだことは稀ではあるが、将棋盤の上で将棋倒し、プロレスごっこ、腕相撲、キャッチボールなどが思い出される。妹の私と町なかを連れだって歩くことも嫌がるほど、はにかみ屋で世間体を気にする性質(たち)の兄だった。高校入学と同時に親元を離れ、下宿生活を始める我が家のならわしによって、兄も田舎を旅立った。その時から、ひとつ屋根の下で過ごすことはない。接点が少なかったその兄から教えてもらったことは、幾つかの勉強方法だった。例えば、英単語を使い捨て紙の裏にボールペンで何度も何度も書いて覚える、ボールペンの芯が無くなったら、それぐらい自分が書いたのだと自分自身で叱咤激励し奮起するという少年らしいおまじないだった。また、兄が大学進学で上京した頃は、私も親元を離れた高校生だった。兄は“読んでおいた方がいい”書籍の数々を推奨してくれた。例えば「お前も女性ならこの本は読んでおけ」と言って渡された本、山崎豊子の『サンダカン八番娼館』。私はその年、これを題材にした読書感想文コンクール高等学校の部で、全国大会最優秀賞をもらった。兄は、スポーツは得意ではなかったが、4人兄弟姉妹の中でも一番生真面目で優秀、男勝りでお転婆のハチャメチャな妹・私とは大違いの“おぼっちゃま”だった。

ところで、私が高校3年生の頃読んだ本の中に、ロシアの文豪ドストエフスキーの『アンナ・カレーニナ』(上下2巻)がある。ストーリはすっかり忘れてしまったが文頭の『幸福な家庭はみな一様にそうだが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸だ』だけは覚えている。在米時代はよくこの文を想い出したものだ。父の事業失敗による破産で私たち家族は故郷を無くし、また持病の心臓病で父が逝ってしまい、様々な出来事が重なり合った時代、人やモノがちりぢりばらばらになった頃だ。そして長兄が喉頭がんのため、52歳という若さで逝ってしまって、忍の渦が母や私たちを呑みこむように不幸な時が流れた。でも、なぜか、私たち兄・姉妹は、失うものが大きければ大きいほど、近くて、深い絆で結ばれるようになっていった。それは単に歳をとったという簡略的なことではなく、血の繋がりとそれぞれの努力・祈りだったに違いない。そこに、亡き父や長兄の名代として“男”の役割・任務を果たしてきてくれた次兄の存在、その愛は大きいと思うこの頃なのである。

さて、成人してからの兄との接点はというと、自由奔放に生きる私をかばって、いつも父に談判してくれていた。小学校教諭を辞職して大学院へ進んだ時も、高校教諭を辞職してアメリカ留学した時も、国際結婚の話の時も、兄が父を説得してくれた。新聞記者の兄の話しはいつも、論理的且つ明瞭で説得力があった。そして何よりも妹に対する愛情が頑固一徹の父の心を動かした、と、私は思っている。短い東京滞在、寸時の我が家訪問を終えて、兄は九州に帰って行った。さっきまでここに兄が居たその空間が、なんとなく暖かく、そして愛おしく、まるで少女時代に味わったホームシックのような心寂しい余韻が充満している。今はそれぞれの家庭や生き方の中で、それぞれに幸せな時が流れている。この兄の上京の度に“兄妹の絆”はさらに深まり、そのことを(九州に住む)母と姉も喜んでくれている。「ああ、はやり家族とはいいもんだなぁ」・・・っと呟く、さくらの独り言。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

職退いてなおも手形が夢に出る

例の件義理が断り切れずいる

義理欠きを自称し外す肩パット

方円の水で器を越えられず

百歳を歩く気でいる万歩計


( ニュースやぶにらみ )

「民主党のマニフェスト」
賞味期限切れ −普天間基地

「スパコン予算大幅削減」
チャンス −中国

「ジャイアンツ日本一に」
100円おにぎりで祝った −わが家の夕食

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

森田さんから

今週はお休みです。
               

龍翁余話

龍翁余話(105)「着物の心」

純日本的な物を見ると、直ぐに“日本精神”だとか“日本伝統文化”に結びつける。それが翁のいいところ(自賛)。『着物』もその一つ。さほどの知識はないが、とにかく着物姿が好きだ。国籍不明のカッコウをした茶髪の女の子が着物を着た途端“ヤマトナデシコ”に変身する。かように着物は“日本人”を象徴する伝統衣装だ。翁も、たった1着だが長着(着流し)と我が家の家紋(剣方喰=けんかたばみ)入りの羽織を持っている。若い頃、母にプレゼントして貰ったものだが、近年、着る機会がないので紙製の衣装箱に入れっ放し。もしかして虫食いが起きているかもしれない。物を大事にするくせに、手入れの仕方や仕舞い方を知らない。これでは大事にしている、とは言えないかな?

先日、友人Rさんに誘われて『ザ・きもの博』を見に行った。場所は東京・目黒雅叙園。エントランスの廊下の脇に設けられた小池の淵に、まるで平安絵巻を思わせる絢爛豪華な着物が4着展示されているのに目を奪われた。『ザ・きもの博』のプロローグに相応しい、なかなかの演出だ。

会場の正面は、まず『巨匠展』――人間国宝・久保田一竹の“辻ケ花”に圧倒される。“辻ケ花”は桃山時代に花開き、江戸時代に忽然と姿を消した幻の染物。それ

を一竹が新たな技法で蘇らせ、独自の美の世界を造り上げた至芸。案内のFさんに「これ、いくらするの?」と訊ねたら「売り物ではありませんが、値を付けるとしたら、多分、億の単位でしょう」とのこと。これはもはや単なる着物ではなく美術品だ。一竹さんはフランス芸術文化勲章シュバリエ章を受章したり、スミソニアン国立自然史博物館(アメリカ)で個展を催すなど欧米でも高い評価を受けた。(2003年、85歳で他界)“一竹辻ケ花”の隣りに友禅の森口邦彦、刺繍の福田喜重、羅・経錦の北村武資ら巨匠(いずれも人間国宝)たちの作品が並ぶ。翁には、それぞれの解説を行なう知識はないが、至高の芸術作品に接し、身震いするような感動だけは覚えた。

Fさんに京友禅と加賀友禅の(それぞれの)特徴を教えて貰った。白地に花鳥風月などの模様を染め上げ、その華やかさを強調するのが京友禅。加賀友禅の彩色は蘇芳(すおう)・
藍・黄土・草・古代紫の“友禅五彩”を基調とし、その技法は江戸時代からの伝統が引き継がれているとのこと。展示されているそれぞれの作品を見て、翁は、華の都を謳歌する京友禅、しっとりと落ち着いた加賀友禅、つまり”動“と”静“の印象を受けた。
ところで、翁、だいぶ以前に某きもの学院を取材したことがある。「日本には、茶道や華道という“道”がある。いずれも5百年、6百年に及ぶ風雪の中で磨き上げられた日本固有の文化だ。ならば、装い(着物)にも“道”があっていいのではないか。装いの文化は普段の生活の中で祖母から母へ、母から娘へと、着物の着方や仕舞い方、礼儀作法までも伝えられてきた。しかし世の移り変わり(西洋化)によって、その文化は次第に消え去ろうとしている。日本独自の文化を消滅させてはいけない。『着物の心』すなわち愛・美・礼・和を次世代へ、更には後世へ伝え続けなければならない」という理念で創設された学校だ。
確かに、着物には美しさのほかに優しさがある。和みもある。そして幾つかの礼もある。それらは人間にとって不可欠の“徳”とも言える。『ザ・きもの博』に集う和装のスタッフ、見学者の会話や動きを見て、そのことを改めて痛感した。

“山形・米沢織”の展示場を覘いた。『余話』で何回か取り上げた大河ドラマ『天地人』が、
米沢を舞台に、いよいよエピローグを迎えた。米沢織は景勝、兼続の時代からの主要産業。江戸時代中期、上杉鷹山(上杉藩第9代藩主)の時代に隆盛を極めた。自然の素材(絹糸)を自然の染料で染め上げ(草木染)、織り上げるという伝統技法は今も変わっていない。出展している織物工房のスタッフが言った「主役の妻夫木聡(兼続)さんと北村一輝(景勝)さんに、米沢織をプレゼントしました。ドラマの中で着てくれると嬉しいのですが・・・」
多分、着てくれたのではないだろうか、もう、とっくに撮影は終わっているが・・・

さて、『ザ・きもの博』会場の目黒雅叙園は、リニューアル(1991年洋館増築)以前の木造館時代、純日本庭園をはじめ、国の有形文化財に登録されている“百段階段”は“昭和の竜宮城”とも呼ばれ、太宰治の小説『佳日』にも登場している。翁、実はこの“百段階段”へ行くのは初めてだ。階段廊下の南側には7つの部屋があり、各部屋の天井や欄間には、有名な画家たちが創り上げた究極の美の世界がある。それを見たくて訪館した。ところが、何ということか、その“究極の美の世界”の中で『假屋崎省吾の世界展』がおこなわれているではないか。これでは、せっかくの新旧の芸術が殺し合いをしていることになる。何で、この有形文化財の場所でやるのか、主催者(目黒雅叙園)と出展者(假屋崎)の無神経さに呆れる。假屋崎作品も損をした。「凄いねえ、あの絵、誰の作品だろう」と、假屋崎作品の隙間から天井や壁面の絵画を覗き込む見学者。「ここは別世界、まるで皇族か大名の部屋のようだ」と部屋そのものの造りに興味関心を抱く見学者。正直、翁自身、假屋崎作品がどんなものだったか全く記憶に無い。

ともあれ、友人Rさんのお陰で『ザ・きもの博』で着物の奥の深さを知り“愛・美・礼・和”の『着物の心』を実感することが出来た。これから正月くらいは、母からの贈り物・長着に袖を通し“日本人”に浸りながら、亡き母に愛と礼を尽くそう・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

 

ハードディスクが壊れて消えてしまった音楽を少しずつ復元しているところです。かなりの数なので時間がかかっています。でもこの整理もけっこう楽しいことだと思っています。ようやく7000曲くらいまで復元しました。音楽を整理しているといろいろなアルバムが次から次と出てきます。そんな中、おやっというアルバムを見つけます。私にとってあまり馴染みのないアーティストですが今日は、岸ミツアキのアルバムをご紹介しましょう。

Another Break  岸ミツアキ

1 Ac-Cent-Tchu-Ate The Positive 03:46
2 As Long As Live 04:04
3 Comes Love 05:05
4 In The Wee Small Hours Of The Morning 04:08
5 Charade 05:55
6 How About You 03:51
7 I Surrender Dear 04:31
8 I Can't Believe That You're In Love With You 04:49
9 What Is There To Say 04:30
10 Don't Get Around Much Anymore 04:20
11 Everything Happens To Me 04:32
12 Dream 05:35


雑貨屋ウィークリー537号から紹介をはじめたジャズのアルバムをリストにしました。
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

以前からから思っていましたが、自転車に乗っている人のマナーが悪すぎます。あれじゃ事故が起こって当たり前だと思います。自転車に乗っている人は免許がいらないからなんでもOKだと思っているようですが、事故を起こせば大変なことになるということをまったく理解していないし、教育されてもいません。いい年をした大人もそんな状態ですからとんでもない国になったものです。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.705

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com