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NO.703                Ryo Onishi              11/1/2009  

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雑貨屋のひとり言

11月になりました。スポーツするのにいい季節になりました。 先週はフィットネスクラブでいろんなクラスに挑戦してみました。ちょっと疲れた一週間でした。フィットネスクラブが歩いていける距離にあるのは実にいいですね。銭湯みたいな感覚で プールに行ってそのあとお風呂とサウナでリラックスしています。驚くのはたくさんの人が夜遅くまでジム、プール、その他で汗を流しています。駅に近いので会社帰りの方も多く見受けられます。 今はお金を払って運動不足やストレス解消する時代なんですね。≪R.O≫

11月です

前回のこの欄で、11月を「いい(良い)月」と読みかえ、前向き発想の日々を過ごそうという趣旨のことを書きました。コンピューターで『今日は何の日』を検索してみたところ、11月には私と同じ発想の『記念日』がたくさん実在することを発見しました。興味深い項目がいくつもあるので、以下にそれらの実在の記念日を列記してみました。

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《11月1日》
★『犬の日』:ペットフード工業会等6団体が1987(昭和62)年に制定。犬の鳴き声「ワン、ワン、ワン」の語呂合せ。犬についての知識を身につけ、犬をかわいがる日。
★『川の恵みの日』:三重県多気町の川魚を扱う会社「うおすけ」が制定。「111」が「川」の字に似ていることから。川に感謝し、川の環境と自然を考える日。

《11月3日》
★『いいお産の日』:「いいお産の日実行委員会」が1994(平成6)年から実施。「いい(11)おさん(03)」の語呂合せ。出産の現状をもっと多くの人たちに知ってもらい、今のお産の状況を少しでもより良いものにして行く日。

《11月5日》
★『電報の日』:電報を申しこむ時の電話番号「115」から。

《11月8日》
★『いい歯の日』:日本歯科医師会(日歯)が制定。「いい(11)は(8)」の語呂合せ。
★『刃物の日』:岐阜県関市ほかが制定。「いい(11)は(8)」の語呂合せと、ふいご祭が行われる日であることから。
★『八ヶ岳の日』:八ヶ岳を愛する人々が結成した「八ヶ岳の日制定準備委員会」が制定。
「いい(11)やつ(8)」の語呂合せ。

《11月9日》
★『119番の日』:消防庁が1987(昭和62)年に制定。電話番号119に因んで。消火活動、救急業務、救助活動等消防全般に対する正しい理解と認識を深め、防火意識を高める日。
★『換気の日』:日本電機工業会が1987(昭和62)年に制定。「いい(11)くう(9)き」の語呂合せ。最近の住宅はアルミサッシの普及等で気密性が高く十分な換気が行われないので、室内の換気を見直してもらうことが目的。

《11月10日》
★『トイレの日』:日本トイレ協会が1986(昭和61)年に制定。「いい(11)ト(10)イレ」の語呂合せ。
★『ハンドクリームの日』:ユースキン製薬が2000(平成12)年に制定。「いい(11)手(ten=10)」の語呂合せと、平年の最低気温が10℃を割ってハンドクリームの需要が高まる頃であることから。

《11月11日》
★『配線器具の日』:日本配線器具工業会が1999(平成11)年11月11日に制定。コンセントの差込口の形状を「1111」に見立て、また、「秋の火災予防週間」の期間中であることから。
★『電池の日』:日本乾電池工業会(現在の電池工業会)が1987(昭和62)年に制定。乾電池の+−を「十一」にみたてて。「電池についての正しい知識と理解を広め、常に正しく使ってもらおう」という日。
★『ピーナッツの日』:全国落花生協会が1985(昭和60)年に制定。新豆を使った落花生が市場に出始めるのがこの頃で、ピーナッツは1つの殻に2粒の豆が同居する双子であることから、11のぞろ目の日を記念日にした。
★『サッカーの日』:スポーツ用品メーカー・ミズノの直営店・エスポートミズノが制定。
サッカーが11人対11人で行うスポーツであることから。
★『くつしたの日』:日本靴下協会が1993(平成5)年に制定。靴下を2足並べた時の形が11 11に見えることから。1年で1度同じ数字のペアが重なる日であることから、恋人同士で靴下を贈り合おうと呼びかけている。
★『おりがみの日』:日本折紙協会が制定。世界平和記念日であることと、1を4つ組み合わせると折紙の形・正方形になることから。
★『下駄の日』:伊豆長岡観光協会が制定。下駄の足跡が「11 11」に見えることから。
伊豆長岡温泉に「カランコロン」と心地良い音を奏でる下駄に一年の感謝の気持ちを込めて、下駄供養祭が行われる。
★『鮭の日』:新潟県村上市が1988(昭和63)年ごろに制定。これとは別に、築地市場の北洋物産会も制定。「鮭」の旁の「圭」を分解すると「十一十一」になることから。

《11月12日》
★『皮膚の日』:日本臨床皮膚科医学会が1995(平成7)年に制定。「いい(11)ひふ(12)」の語呂合せ。

《11月14日》
★『いい石の日』:山梨県石材加工業協同組合が1999(平成11)年に制定。「いい(11)石(14)」の語呂合せと、石工職人が尊ぶ聖徳太子の命日であるこの日を「太子講」としていたことから。
     ――― 以下、次号へ続く ―――
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言after you

在米時代の英語における日常会話の中で、美しいと感じる言葉やフレーズがあった。言うまでもなく、日本語の“ありがとう”を意味するthank youや、真意的に“感謝する”という意味のappreciate などは、そのイントネーションや声色によって、深みや広がりをもつばかりではなく、マイナス・プラスの全てを包括する想像的な言葉だと思っていた。今でも、日常は勿論、この世の旅路の終点では、この言葉を言える自分でありたいと願う。さらに最近、私の心にとめているフレーズがある。それが”after you”、日本語でいうところの「お先にどうぞ」。美しい言葉だと思う。

自分がこの世の人生を全うして去る時に「さようなら」より、「ありがとう」と言える自分でありたいということは、言う相手がいたり、言える生き方をしたりするということ。逆に、親しい友人、愛する家族が先に旅立つ時も、それを別れの約束手形のように、言ってもらえる、言いあえる関係でいたいもの。だが、決して、お先にどうぞ、とは言わないだろうと思うと、この言葉は親しい人、愛する人の旅立ちにはなかなか使えず、日常生活の中だけで使うものだろう。最近のニュース・話題に上がる“結婚詐欺”だったら、オウム返しの様に連発したかもしれないが・・・

ところで、つい昨日、この「お先にどうぞ」の美しい光景を観ることができた。このほど開催された男子プロゴルフトーナメントの第3日目(土曜日)、石川遼のスコア提出における同組メンバーのスポーツマンシップだ。ホールアウトするや否や、金亨成(キム・ヒョンソン=韓国)はスコアカードを石川へ、そして甲斐慎太郎は「先に行っていいよ」と石川の背中を押した。同スコアの場合先にアテストしたほうが最終組(後ろの組)になるからだ。金亨成 も石川と同じ7アンダーだったが、最終日を最終組でまわりたい石川の気持ちを察しての行為だった。最終日をリーダーと同じ最終組で緊張とプレッシャーと戦いたいという石川のようなプレーヤーと、リーダーとの打差に一喜一憂するような最終組から距離をおいて、自分なりの緊張感やプレッシャーの中でプレーしながら着実にスコアを伸ばしていくという2タイプがあるそうだ。前者タイプの石川の意を察したこの二人のさりげない配慮は、若い石川にとって大きな贈り物だと私は思う。そしてこのようなさりげない、ささいな行為ができるのは、自信と勇気のある証拠であり、まさにプロフェッショナルなスポーツマンなのだろうと心を打たれた。まさに、「after you・お先にどうぞ」の実践版であった。

日本語の「お先にどうぞ」を意味する英語表現には、ほかに“Go ahead”もあるが、私はやはり”after you”がいいなと思う。競争、弱肉強食、スピード、最先端技術、それに加えてチャンスや運が最重要視される競技や経済の人間社会において、この言葉の意味を色々な行動で実践できる人は、どの世界に居てもプロフェッショナルだと思う。エレベーターの出入口や通路でよく使う「after you・お先にどうぞ」は、軽く小さく弱く、なんとなく女性的な響きを持つが、自信や勇気があってこそ口にしたり、行動したりできるもの、大きく力強い言葉だとも思う。日常生活で、この「after you・お先にどうぞ」を美しく、しかもさりげなく実践できる女性でありたい・・・っと呟く、さくらの独り言。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

パソコンが楽しいと知る定年後

団らんの輪からタバコが締め出され

缶ビール俺の本音を知っている

本音とは別のところでファンファーレ

土壇場で死語でなかった年の功


( ニュースやぶにらみ )

「円楽さん死去」
これって夢だよな −「芝浜」の主人公

「無駄の排除」
先ず仕分人を減らした −民主政権

「胴上げ」
球団に落とされた −野村監督

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

森田さんから

アメリカを知りたければ
              森田のりえ
 ラスベガスで一泊した翌朝、カジノを横目に見ながらホテルを出た。市中から、チャールストン大通りを西へ向かって走っていると、真正面にレンガ色の山が見えてきた。民家を離れ、しだいに山が近くなってくると奇妙な風景が目に入った。上の方はレンガ色、下は白っぽい色の山である。隣の山は色が逆になっている。まるで色違いの粘土を重ねたようにくっきりと色が違う。
「ああ、これが同行の友人から何度も聞いていたレッド・ロック・キャニオか」
と、私は思った。
市中から三十分も走っただろうか、公園の入口に到着した。さわやかな気候。スモッグのない真っ青な空。山肌がくっきり冴えて見える。訪れる人が意外に多いのに驚いた。
さ、これから山歩きだ。駐車場で登山靴に履き替え、飲み水を持つ。いつだったか軽い気持ちで砂漠へ行って熱射病寸前になったことがある。休む木陰もない。枯れかけた潅木にうずまって僅かの飲み水で身体を休めたことがあった。大の蛇嫌いの私は、ガラガラ蛇が出たらどうしょうと怯えつつ、先へ進んだ連れの友だちが帰ってくるのをひたすら待ったことがある。砂漠での飲み水は命綱であることを、あの時は身体で知った。
まず、仮設ビジター・センターで展示物を見てから、地図や案内書をもらう。係員の話では、レッド・ロック・キャニオンは、以前は国定リクリエーション・エリヤだったが、一九九〇年に国立保全地域になり、国立公園なみに格上げされ保護されているという。余談になるが、ラスベガス市中に四十エーカーの空地があった。国有地である。以前、この空地は民間人が砂利を採取するために鉱区申請をしたが国の調査官が調べた結果、申請は却下され空地として残った。この空地を売却したお金を公園拡張や整備の費用に当て、今年末には新しいビジター・センターも完成する予定だそうである。
公園内をまわる十三マイルのループを走る。最初のストップで外に出た。赤や白の砂岩の絶壁が目の前に見える。まるで、ミニ・グランドキャニオンだ。ロック・クライマーたちがいる。遠方には色とりどりの岩肌が展望できた。静かである。カジノとは別世界だ。その距離、たった三十分。
一九七〇年代にラスベガスの国土管理局に勤めて、レッド・ロック・キャニオンにも詳しい同行の友人がこんな話をした。
「ここは地質学的にも他に例を見ない、非常に珍しい場所です」
「というと?」
「キーストーン衝上断層という逆断層が広大に露出しています。この断層に沿って、古い古生代の地層が新しい中生代の地層にのし上がっています。灰色の地層が古い石灰岩で、赤色の地層が新しい砂岩です。ご覧なさい。その境界線が見えるでしょう?」
何十万年という膨大な時間をかけて造山運動がおき、地球の表面が圧縮され若い地層がじょじょに下にもぐりこんで古い地層が押し上げられ折り曲げられた結果、逆になったそうである。大自然のダイナミックな地層のうねりに、私は驚嘆するばかりだった。
再び車に乗った。つきたてのお餅が空気に触れて固まったような岩山に人が登っていた。奇岩である。ハイキングコースもある。アメリカ先住民の遺した岩絵があるというので車から降りて探検に出かけた。サインも目印も無い。道なのか水無し川なのか、ともかく石ころの道を上へと登った。行過ぎた気がしたので、出合った人に訊ねると、少し下がった潅木の向こうだというが、道がない。土手を這い上がり木立を掻き分けて入る。棘で腕が傷だらけだ。もう嫌だ。帰りかけると人声がした。声のする方角へ進むと、柵があった。見つけた。黒い岩肌に石器で削った絵らしきモノがある。動物でも人の絵でもない抽象的な模様だ。別の場所の岩肌には朱色の手形が四つほど描かれていた。掌に塗料を塗り、岸壁にペタリと押し当てたらしい。削った絵をベトログリフ、塗料を使った絵をペトリグラフというそうだ。人間は生きた証が欲しくて、絵を描いて遺そうとするのか、それとも祈りか、呪いの絵だろうか。
渓谷が一望できる丘に登った。雄大だ。
同行の友人は、日本からきた人たちにこう言うそうである
「アメリカを知りたければ、大自然が保護されている国立公園へ行きなさい。まず、土地の広さを体感すること。国立公園内にはプライベーな店や施設がなく、聖区域のような感じを受けるはずです。雄大な自然に接すると、人間以上の何かを感じさせ、崇高な気持ちになるのではないでしょうか」と。
               つづき

龍翁余話

龍翁余話(103)「秋の叙勲に想う」

『勲章』とか『褒章』などというものは、翁には、全く縁の無い話だが、春と秋には必ず叙勲のニュースが伝わり、それなりに“どんな人が選ばれたか”興味をもつ。国家や公共に対して功労のあった人、社会の各分野で優れた業績を残した人を表彰するものだが、その制度は大別して『勲章』、『文化勲章』、『褒章』の3種類がある。それぞれの概要について内閣府賞勲局(栄典制度の調査研究、勲章授与の審査などを行なう部署)の資料で調べてみた。

『勲章』には、春秋叙勲、危険物業務従事者叙勲、高齢者叙勲、死亡叙勲、外国人叙勲の5種類がある。春秋叙勲の中の大勲位菊花賞、桐花大綬章、旭日大綬章、瑞宝大綬章は天皇陛下から直接授与され、旭日重光賞、瑞宝重光賞は宮中で内閣総理大臣から伝達される。いずれの場合も受賞者は正装し勲章を着用して、配偶者同伴で天皇陛下に拝謁する。これらの勲章は、どちらかと言うと“お上色”が濃いので、翁には全く馴染めない叙勲だが、危険物業務従事者叙勲は多少の身近さを感じる。この勲章は警察官、消防官、自衛官など危険性の高い業務に精励した人に対する叙勲で、翁の大先輩Kさん(元・警察幹部、現在88歳)が15年前に受賞した。その時のKさんの話「私のタキシードと女房の黒留袖を買うのに大金を使い、勲章を着けて陛下に拝謁させていただいたが、殆ど下を向いたままで足が震え、お顔を拝むことも出来ず・・・名誉とは散財と疲労を伴うものだ」と笑っていた。(高齢者叙勲、死亡叙勲、外国人叙勲については割愛)

さて、秋の叙勲の花形は『文化勲章』だ。今年度の受章者の中に、我々がよく知っている古典落語の桂米朝さん(83歳)、歌舞伎の坂田藤十郎さん(77歳)、文化功労者15人の中に、相撲界から初めての元横綱大鵬幸喜さん(69歳)、作詞家の岩谷時子さん(93歳)、小説家の宮尾登美子さん(83歳)、文楽の吉田蓑助さん(76歳)らがいる。翁にとって特に喜ばしいのは大鵬さんの受賞である。とは言っても、直接会ったこともないし、何ら具体的な接点はないのだが、とにかく翁が若い頃(1960年代)は、大鵬は英雄的存在。“巨人・大鵬・卵焼き”の流行語を生んだほどの国民的スターだった。巨人は長嶋、王の活躍で第3次黄金時代を築き野球界をリード、大鵬は1961年に第48代横綱になるや連勝に次ぐ連勝で文字通り角界の王者(32回優勝)、では、何で“卵焼き”がくっついたのか?多分、卵焼きが自由に食べられるほど豊かになった戦後日本の高度成長期を象徴したのかもしれない。が、それはさておき・・・

大鵬(本名:納谷幸喜)――サハリン(旧樺太)生まれ。ウクライナ人の父と日本人の母をもつハーフ。少年時代、北海道弟子屈町(てしかがちょう)で育った。翁が1966年頃に北海道(道央・道北・道東)を取材した折り、摩周湖を観たくて弟子屈を訪ねた。役場の広報課長が案内してくれた。世界一級の透明度を誇るカルデラ湖(火山の活動で出来た大きな凹地に雨水がたまった湖)で“霧の摩周湖”と歌にあるくらい霧の多発地。幸いなことに翁は初訪問で“摩周ブルー”を堪能することが出来た。広報課長が「ついでに横綱・大鵬関が育った家をご案内しましょうか」と誘ってくれた。弟子屈が大鵬ゆかりの地であることを初めて知る。広報課長の説明によると、彼は1940年(昭和15年)生まれ、日本の紀年法で言うと“皇紀”(紀元)2600年、故に“幸喜”と名付けられたそうだ。「典型的な日本女性の母親に厳しく育てられたので、大鵬さんは、ハーフとはいえ、人一倍、日本精神の持ち主。双葉山(第35代横綱、69連勝記録保持者)に並ぶ昭和の大横綱です」と広報課長は自慢した。その後、大鵬は社会貢献にも尽力した。現役時代から老人ホームや養護施設にテレビを、日本赤十字社に血液運搬車『大鵬号』(1969年から毎年1〜2台、今年までに70台)を贈った。もっと早く受賞してもよかったくらいの“社会功労者”だ。

叙勲にはもう一つ『褒章』がある。その中の『春秋褒賞』の部に、自己の危険を顧みず人命救助に尽力した人を対象とする『緑綬褒章』、その道一筋に業務に精励した人を対象とする『黄綬褒章』、学術・芸術・技術開発などに功績のあった人を対象とする『紫綬褒章』、教育・医療・社会福祉・産業振興・保護司・民生児童委員、調停委員などに尽力した人を対象とする『藍綬褒章』がある。先月亡くなられた(翁の師)財団法人日本余暇文化振興会会長・佐野元生氏も、社会教育(生涯教育)功労者として20年前に『藍綬褒章』を受章された。その他『褒章』には、公益のために私財(500万円以上)を寄附した人を対象とする『紺綬褒章』、褒章条例によって表彰されるべき人が死亡した場合、遺族に銀杯・木杯を授与する『遺族追賞』がある。

冒頭に述べたように『勲章』とか『褒章』などというものは、翁には全く縁の無い話だが、実は翁、過去に2回『恩賜の煙草』を頂戴したことがある。一つは1986年、南米パラグアイ日本人移住50周年で常陸宮殿下・妃殿下の随行取材をした時に宮内庁から。その煙草を九州帰省の折り母にプレゼントしたら、明治生まれの母は感激しておしいただき、神棚に供えた。1本ごとに菊のご紋がついている。翁が「1本、吸ってみようか」と言ったら「バチあたりなことを言うもんじゃない。恩賜の煙草は天皇様からのご褒美、この煙草を吸えるのは国家のために死地に赴く将兵だけ。民間人が菊のご紋に火をつけるとは何事じゃ!」と叱られたっけ。母逝去の折り、その煙草をお棺の中に入れてあげた。

もう一つの『恩賜の煙草』は、1996年に『千年の森(人と自然の共生)国際シンポジウム』をプロデュースした時、そのシンポジウムにご臨席を賜った高円宮殿下・妃殿下から頂戴した。その煙草は、今も飾り棚の、母の遺影の脇に置いてある。8月から禁煙に努めている翁、1本吸ってみたい誘惑から開放されているが、母が言った「天皇様からのご褒美」、なら翁にとって正に名誉の“褒章”だ・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

 

半世紀前の1956年に録音されたClaude Williamsonのアルバムです。
どの曲もじっくり聴けるピアノジャズです。
1926年生まれのClaudeは83歳、今は何をしているのでしょうか?

'Round Midnight Claude Williamson

1 Stella By Starlight
2 Somebody Loves Me
3 I'll Know
4 The Surrey With The Fringe On Top
5 Polka Dots And Moonbeams
6 Hippy
7 Tea For Two
8 Stompin' At The Savoy
9 'Round Midnight
10 Just One Of Those Things
11 Love Is Here To Stay
12 The Song Is You

Claude Williamson piano
Red Mitchell bass
Mel Lewis drums


雑貨屋ウィークリー537号から紹介をはじめたジャズのアルバムをリストにしました。
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

毎週土曜日に参加しているヨガ教室は参加人数が増えてきました。男性も4名になりました。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.703

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com