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NO.702                Ryo Onishi              10/25/2009  

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雑貨屋のひとり言

家の前に巨大ショッピングセンターがオープンしたことは先週お知らせしましたが、20日にグランドオープンしてからも毎日すごい人でにぎわっています。同じエリアにオープンしたフィットネスクラブにワイフと入会しました。平日の午後8時から使用出来るメンバーシップに入会しました。夕飯を済ませてから行くのですが、いつも結構な人でにぎわっています。特にジムはいつもいっぱいなので、われわれはプールを楽しんだり、エアロビクス、アクアビクスのクラスに参加したりしています。どのクラスも結構な運動量で終わるとぐったりです。このあとのお風呂やサウナが気持ちがよくて病み付きになっています。短い期間ですごい運動量だったので、朝起きたら体中が痛い毎日です。まだまだ青春しています。≪R.O≫

もうすぐ11月

次週末のハロウイーンにむけて近隣の家々では賑やかな飾り付けがなされ、子供たちがうれしそうにはしゃいでいます。年末商戦を控えた商店街、ショッピング・モールやマーケットでも外見だけは派手に飾り付けをはじめていますが、昨年来の不況の影響から脱しきれていないのが現実のようで、どこまで売上を達成できるか他人事ながら心配です。

 ハロウイーンがあければ翌日は11月。秋の日は「つるべ落とし」といい、ただでさえ日の暮れる時間が早くなるのに加えて、今年は11月1日をもってカリフォルニアを含む多くの米国州では夏時間(デイライト・セービング・タイム)が終了し、一気に日没が一時間早まることになります。
ところで「つるべ落とし」の「つるべ」とは井戸水を汲むために、縄や竿(さお)などの先につけておろす桶(おけ)、「つるべ」が井戸にストンと落ちることから秋の日暮れが早いことをさした言葉といわれます。

先日、日本からのNHKラジオを聞いていたら気象予報士が「夏至の頃、6月の末ですと日暮れの時間が1分変わるのに5〜6日かかるのに、この時期は毎日1〜2分ずつ日暮れが早まってゆくのです」といっていました。また「夏は太陽が沈んだあともしばらく夕焼けが赤く残っていますが、秋はあっという間に暗くなります。夕焼けは太陽の光が空気中の水蒸気や塵にぶつかって散らばることで赤く見えるのですが、秋は空気中の水蒸気や塵が少ないため、赤く見える時間が短いのです」という説明もありました。日が暮れそうで暮れないでいる状態のことを「暮れ泥(なず)む」と表現しますが、これは春や夏の空をさす言葉であることを知りました。

さて、10月末までハロウイーン用のパンプキン売り場の広場も、月がかわればクリスマス・ツリー売り場に変身し、あとは年末モードへ一直線。ついこの間、新年の誓いを新たにしたばかりなのに・・・。光陰矢の如しとはよく言ったものです。

でも、矢の如く過ぎ去る光陰を嘆いてもはじまりません。また、今年は新型インフルエンザという得体の知れぬ脅威が私たちを狙っているようで不安です。しかしせめて気持ちだけでも前向き発想で11月を迎えることにしたいものです。

以前にもこの欄で書いたことがあったように記憶しますが、前向き発想のすすめとして、11月を「いい(良い)月」と読みかえてみたらどうでしょうか。そういすれば、11月1日は「いい一日」と読め、きっと良い一日になることでしょう。さらに11月には次のように読める日々があります。

11月5日(いいぞGO!)、11月11日(いちいちいい日)、11月13日(いい父さんの日)、11月22日(いい夫婦の日)、11月23日(いい兄さんの日)などなど。

読者の皆さんも自分にふさわしいものを作ってその日を迎えてみてはいかがでしょうか。念ずる心は実現への第一歩といわれます。こんなこじつけでも前向き発想のきっかけになるはずで、自分を励まし家庭や友人関係がさらに向上するのであれば、こじつけであっても、あながち悪いものではなく、人生の潤滑油になるのではないでしょうか。

無為に過ぎ去る時を嘆くだけでなく、前向き発想で日々を過ごしたいものです。また、11月は自分の想いを積極的に語り、他人により良く理解してもらう月にもなるはずです。なぜなら、11月はおおいに意見をノーベンバ(述べねば)なんて、 ―― こんな発想はいかがでしょうか。

  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言♪力を抜いて〜♪

思えば、「力を抜いて〜」と、よく言われたものだ。物心ついた頃から、真実と事実の狭間をさまよい続けた青春の頃も、海を渡り異国の生活に身を置いた頃も、再びこの母国の地に足を踏み入れた頃も、癌を宣告され手術入院した頃も、愛する人(家族や友人)との別れ、そしてこの地(東京)に根を張ろうと決心した頃も・・・思い返せば、私の生活の中で、いつも張りつめた糸のように“力み続ける“ことが、当たり前のようになっていたのだろうと思う。それは、その時々や出来事を乗り切るために自らがしがみついた命綱みたいなものだったのかもしれないし、知らず知らずのうちに身につけた鎧だったのかもしれない。今“力”について学んでいる――

力を抜くこと・・・それが少しだけだけど、はっきりと実感できる出来事が起きた。力を抜くことを身体で感じたのだ。まさに、初体験だった。ある日、主人と二人でゴルフのドライビングレンジ(通称、打ちっぱなし)での練習中、食道辺りに激痛が走り、その痛みでスイングができなくなった。どうやら胸筋を壊したようだった。私の後部打席に居る主人にどう言おうかと考えながら、暫く休憩するふりをした後、恐る恐る、ゆっくりゆっくりスイングしてボールを打った。ところがどうだ、なんとも信じられないほどのグレートショット、その時、初めて、“力を抜く”というスイングを体感した。頭も心も身体も、空っぽになったような、でも、とても安楽であるような瞬間だった。違う言葉で表現すれば、自分は存在するが“我(が)”が不在という感じ。後部打席でその瞬間を観ていた主人は言った、「どうしたの?」、私にしてはあまりにもいい“当たり”だったからだ。この時、ふと分かったような気がした、“力を抜く“ということ・・・まさに怪我の功名だ。

ところで、このゴルフスイングで“力を抜く”とスイングも綺麗で、弾道も美しく、飛距離も出る、は知っていた。しかし、知っていることと出来ることは大きく違い、どうすれば力を抜けるかというhow toが皆目解らなかった。だから、力を抜こうと願っても力を抜けなかった。それがどうだろう、あの激痛のお蔭で“力を抜く”ことを実体験してから、その成果は、ゴルフだけでなく様々な分野・サイドでの功名を得ることにも繋がった。例えば、ピアノのタッチ。鍵盤を叩くその指が、叩くのではなく鍵盤の上を滑るのである。そうなると、何が違うって、まず音が違う。柔らかい、まろやかな音の色味。オタマジャクシが秋風に揺れるコスモスの様に、音が甘く揺れる。たとえ『アラベスク』のようなスタッカートの多い曲を弾いても、その音は優しく(ソフトで)温かい。力を抜くことは、スポーツや楽器に加え、私自身の身体にも。長くお付き合いしている肩こりや頭痛も極端に減り、不眠の悩みも吹っ飛んだ。ちょっとしたはずみで知った“力を抜く”テクニックが、私の生活や心身に思わぬ効果をもたらしている。

年をとるということは、こんなことかもしれないと思ったりもする。働きすぎるなよとか、頑張りすぎるなよとか、誰かが誰かに助言する言葉を耳にする。確かに、私たちの生涯の中で、身体が壊れるくらいがむしゃらに働く(働いていた)時期、心が張り裂けるぐらいの悲しい出来事に遭遇する(遭遇した)時期、そしてそれが壊れたり切れたりする(した)時期はある。しかし、加齢は、何かしらの次のステージ、力の入れ具合、抜き具合を知り、さらに調和(バランス)・調整(コントロール)できる知恵を私たちに与えてくれるのではないだろうか。“力を抜く”とうよりは、力まない、張りつめないコツを覚えてから、鏡に向かう自分の顔もどことなく、いままでとは違うような気がする。皺は増えても『し・あ・わ・せ』なのかもしれない。♪涙を拭いて〜♪(歌:三好鉄生)の替え歌で、♪力を抜いてグリップ握れば〜・・・っと、つぶやく、さくらの独りごと。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

胴上げをされそう俺が死んだなら

がみがみが戻った妻がありがたい

プロの目にアマのゴルフが楽しそう

息抜きの酒に聞かせる胸の内

不器用に生き啄木とおんなじ手

( ニュースやぶにらみ )

「中心が二つ」
です −民主党ロゴマーク

「変更」
‘民間’を‘民官’に −民主党マニフェスト

「ご無沙汰」
たまにはUSO放送に出して −自民党

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

森田さんから

今週はお休みです。

龍翁余話

龍翁余話(102)「吉田松陰没後150年」

翁が、『吉田松陰』や『松下村塾』に出会ったのは、中学3年生の時だった。翁が(大分県の田舎町から)神戸に遊学する年の春休みに、学友たち3人で維新の町・萩市(山口県)を旅した。翁に歴史、特に幕末史に興味を持たせてくれたのが、その萩旅行だった。松蔭生誕の家、松下村塾、松蔭幽閉時代の旧宅・松蔭歴史館などが松蔭神社の境内および周辺
にかたまっていたように記憶する。記憶、と言えば(それは多分、松蔭歴史館で見た松蔭略年表だったと思うが)「松蔭15歳の時(1844年・弘化元年)、藩主(毛利元周公)の前で『孫子虚実篇』を講義した」が目に止まって、翁は大きな衝撃を受けた。中学3年生の翁、『孫子』の名くらいは知っていたと思うが『孫子虚実篇』なんて知る由も無い。(後年、知り得た『孫子虚実篇』というのは、”孫子の兵法“の中の1扁であり、”敵の虚実を探り、敵を虚にし、味方を実にする、即ち実の敵を避け、虚の敵を撃つ“というのが大要)僅か15歳の少年が、こともあろうに(当時、雲上人であったであろう)藩主の前で『孫子』を論じた――これは同年輩の龍少年にとって完全に打ちのめされるほどの驚き(ショック)だった。が、同時に”歴史を学び、歴史に学ぶ“ことの大切さを痛感させられた。龍少年に大きな指標を与えてくれた松陰、今年(10月27日)は没後150年目にあたる。

『吉田松陰』30年の生涯を語るには、翁、未だその力及ばず、ただ『親思ふ こころにまさる親ごころ けふの音づれ 何ときくらん』(親を想う心の大切さ)『身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂』(日本精神の有りよう)の松蔭遺詠が、翁のこれまでの人生に大きな影響を与えた、その感謝の一念で、松蔭没150年の節目に際し、彼が眠る小塚原回向院(東京・南千住)に墓参した。ここは、鈴が森刑場(大田区大井)、板橋刑場(板橋区板橋)と並んで江戸3大刑場の1つ小塚原(こづかっぱら)刑場の跡。

大老・井伊直弼による“安政の大獄”で処刑された松蔭(写真:左)、橋本左内(福井藩士)(写真:中左)、頼三樹三郎(儒学者、頼山陽の3男)(写真:中右)ら多数の憂国の志士たちがここに眠っている。いや、志士ばかりでなく、斬首の刑に処せられた犯罪者も多い。例えば怪盗・鼠小僧次郎吉、明治の毒婦・高橋お伝、その他、行き倒れになった無縁仏、地震や大火の犠牲者も埋葬されている。なお、この地は、江戸時代の蘭学医・杉田玄白が『解体新書』を完成させた場所としても有名である。
ところで読者各位は、『雲井龍雄』という名をご存知だろうか?戊辰の役(慶応4年〜明治2年、王政復古で成立した明治新政府が薩長土肥の軍事力を用いて親徳川幕府勢力を一掃した内戦)の時期、上杉藩政の中枢にいた雲井は“討薩檄”(官軍の主隊・薩摩軍を討つ檄文)を起草し、奥羽越(現在の東北6県と新潟)列藩同盟の奮起を促すが敗れて郷里・米沢にて禁固、維新で一時、集議院(明治初期の行政諮問機関)議員に登用されたが、新政府の方針に反発、旧幕臣救済の道を与えよと新政府に迫る。新政府はこれを“政府転覆罪”と見做し問答無用で小塚原刑場にて斬首の刑に処す(明治3年2月15日、享年27)。

翁が『雲井龍雄』を知ったのは5年前の米沢市訪問の時。翁の雅号が“龍雲”、その2文字の名を持つ彼に親しみを覚え、以後“雲井龍雄研究”を行なっているのだが、その成果は、いずれかの機会に披露するとして、回向院で彼の墓(写真:右端)を見つけた時は感激であった。でも、何故ここに『雲井龍雄の墓』が?――翁の想像だが、橋本左内の墓の套堂(さやどう=墓の囲い)を造った伊藤忠太(明治〜昭和期の建築家米沢出身)が同郷の志士を顕彰するために建立したのでは?――それにしても、彼の墓が鼠小僧や高橋お伝と並んで建てられていることに翁、大いに不満。但し、ちゃんとした墓は米沢市の常安寺にあり、雲井龍雄を愛する“雲井会”によって命日に合わせ墓前で雲井祭を催し遺徳を偲んでいると聞く。                     
                           
さて「吉田松陰没後150年」を記念して、東京・世田谷の松陰神社では今月24、25の2日間「第18回幕末維新祭り」を開催。それにさきがけ(23日)、翁、同神社に参詣、松陰先生坐像、松陰ほか烈士墓所を参拝した後、神職に話を聴いた。小塚原回向院の墓には松陰の毛髪、萩の松陰神社には松陰が終生愛用した赤間硯と父兄に宛てた手紙が納められ、唯一、松陰の遺骨収納は、ここ世田谷の松陰神社だけ、ということだそうだ。拝殿横に建てられた『松下村塾』(レプリカ)(写真)の中から、松陰門下生・久坂玄瑞(攘夷倒幕活動家、禁門の変で自刃、享年25)、高杉晋作(倒幕活動家、奇兵隊創設者、慶応3年病死、享年29)、桂小五郎(木戸孝允、尊皇攘夷派の中心人物、坂本龍馬の計らいで薩摩の西郷隆盛と薩長連合を成し遂げた、明治新政府の重鎮、明治10年没、享年44)、品川弥二郎(新政府の内務大臣、信用組合法案起草者、日本の産業経済の礎を築く。明治33年没、享年58)、伊東博文(初代内閣総理大臣、明治42年ハハルピン駅にて暗殺される。享年69)、山縣有朋(松蔭最後の弟子、第3代、第9代内閣総理大臣、大正11年没、享年85)らの“日本国家百年の計”を激論し合う情熱の息吹が漂ってきそう。

語り尽くせないが終わりに、政治家諸君に松蔭遺訓を贈りたい。『自非軽一己労 寧得致兆民安』(自分の苦労をいとうような者に、どうして民の安らかな生活を築くことが出来ようか、けっして出来はしない)・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

 

今週もソニーの”X‐アプリ”で”秋に会うジャズ”の中から選びました。ものすごい数の曲が選ばれているのですが、どれを聴いても秋の曲に聴こえるのはすごいですね。このアルバムにはAutumn In New Yorkというタイトルの曲が入っているのでそれもキーワードのひとつのようです。

New York Concerto  George Cables

1 Autumn In New York
2 Out Of Africa
3 Fugue In G Minor
4 Prelude To A Kiss
5 That's What Friends Are For
6 Novturne No.2
7 Manhattan
8 Polka Dot And Moonbeaams
9 Double Or Nothing
10 Traumerei


雑貨屋ウィークリー537号から紹介をはじめたジャズのアルバムをリストにしました。
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

Windows7が発売されましたね。私も近いうちに導入したいと思っています。なぜかワクワクします。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.702

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com