weekly

NO.699                Ryo Onishi              10/4/2009  

 weekly
LAの観光スポット ホームページ バックナンバー
 .
雑貨屋のひとり言

邦人女性がバリで殺害されたというニュースが報道されていますが、バリから帰ったばかりだったので余計ショックです。サモアの大地震と津波、インドネシア、スマトラ島の大地震、フィリピンの台風など大きな被害のニュースが立て続けに報道されていてこれもショックです。自然災害ですが日本もこれらすべて起こる可能性があるだけに他人事ではありません。≪R.O≫

ルート66覚え書き(10)

  ――― 前号からの続き ―――
(番外2):戦後の経済成長とベビーブーム
 
(1)第二次世界大戦後、アメリカの経済は、かつてなく安定した長期の成長局面に入った。1945年〜70年まで、GNPは年平均3.5%成長し続け、この間に5倍になり、国民実質購買力も大幅に伸びた。

(2)出生率も急激に増加し、1946年〜60年までの出生数の 6,350万人は史上最大だった。そしてベビーブームは、住宅建設ブームへとつながり、政府の低金利住宅建設資金の貸付を受け、多くの中産階級向け住宅が建設された。そしてその多くが都市の郊外に建てられた。(1950年〜60年の間に建設された住宅1,300万戸のうち1,100万戸は郊外に建てられた)
 
(3)全国各地に、郊外型の広い駐車場に囲まれたスーパーマーケットやショッピングモール、ガソリンスタンドのある郊外コミュニティが出現した。

(4)この郊外コミュニティの誕生を可能にしたのは、アメリカに縦横に張り巡らされたハイウエイだった。

(5)1956年、アイゼンハワー政権によって「州間及び国防ハイウエイ全国網(National System of Interstates And Defense Highway)」が立法化され、インターステイツ・ハイウエイの建設費のほゞ90%が連邦予算、残りを州政府予算の分担され、大規模な高速道路建設計画は、アメリカ史上最大の公共事業であった。

(6)因みにこの時代に5万人以上の都市のほとんどを結ぶインターステート・ハイウエーの   着工を可能とする法案を起草したのが、1953年〜71年まで連邦上院議員を務めたアルバート・ゴア・シニア(現在のゴア副大統領の父)であるであったことはよく知られている。

(7)必然的に自動車需要は急増した。1960年代から70年にかけて、2台以上の自家用車を持つ家庭も珍しくなくなった。
     *自動車登録台数:1945年  約2,500万台、1970年  約9,000万台

(8)ハイウエイ沿いには宿泊設備が立ち並び、公園や、さまざまなリクリエーション施設が家族旅行客を受け入れた。(1955年 ディズニーランドがオープンした)

――― 次号へ続く ――― 

  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「」

今週はおやすみです。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

起承転からのやる気のから回り

欲の皮脱皮できないまま老後

逃げ水をなお関節の錆が追い

序列から外れて俺が俺になる

最高の笑顔描きたいた四コマ目

( ニュースやぶにらみ )

「東京五輪ならず」
結び方がゆるかった −招致ロゴマークュ

「東京,、シカゴ共に落選」
でもバラクには勝った −ユキオ

「3位に転落」
楽天に抜かれたなんて −ソフトバンク親会社

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

 

森田さんから

オアシスのペテン師
    森田のりえ      
フリーウェイ十五号線をラスベガスへ向かって走行していると荒涼としたモハビ砂漠に見飽きた頃、アルファベッドの最後の文字を拾い集めたような道路名が出てくる。
「ZZYZX RD」
カリフォルニアはスペインによる最初の植民地だったので地名や道の名前にスペイン語が多い。だが、これはスペイン語ではない。どう発音すればよいのか、この道を通るたびに疑問に思っていたから、何度も友人知人に尋ねたが誰もが「ジジジー・・・」と言った後で「分りません。どう読むのでしょうねぇ」という返事ばかりが返ってきた。ところが、滞米生活の長い友人が知っていた。
「ザイジックス」
 と、読むそうだ。おまけに、面白い話があるのでぜひ行きましょうと、今回のモハビ砂漠の探検に誘ってくれたのである。
私たちを乗せた車は十五号線から「ZZYZX RD」の標識の方角へと進路をとった。右は岩だらけの丘の斜面、左は地面が白っぽく見えるソーダ・ドライ・レイク。丘の裾に沿って通る道は狭いが舗装されている。白く見えていたのは塩であった。遠くが湖面のように見えるのは蜃気楼のせいだろう。五マイルほど走ったころに、死に絶えたような砂漠の中に緑の塊が見えてきた。
 駐車場の木立の向こうに平屋建ての長屋が何棟か見える。トラックが一台停まっていた。人影はない。等間隔に植えられた幹の太いパームツリーに囲まれた池が二つ、砂漠のド真ん中とは思えないほど水を湛えている。
 ザイジックスはオアシスであった。
「二十数年前にきた時には池の真ん中から地下水が噴き出ていたのですがねぇ・・・」
 友人は、懐かしそうにひとりごちた。
「どうしてこんな所へ?」
すると、国有地の鉱物資源の調査をする政府の役人であった友人は、
「ドライ・レイクの地下水はいろんな鉱物を含んでいます。だから、もしかして採取場があるのではないかと思ったのです」
 と、丁寧な言葉でいった。
 現在は大学の砂漠研究所になっているが、昔、この場所は採石場だったそうで石のヤジリや斧などが見つかるという。近くに古道「モハビ・ロード」が通っている。オアシスは内陸部と海辺に住む先住民の交易の場でもあったし、西部開拓時代、幌馬車を連ねて中西部からやってきた人たちへ安らぎの場を提供したに違いない。以前は駅舎やポストなどがあったというが、今はない。
 それから後年の一九四四年、ペンシルベニヤ南部からひとりの男がこのオアシスにやってきた。名を「カーチス・ハウ・スプリンガー」。自称ラジオ伝道師であり医者であった。彼はオアシス周辺の国有地一万二八〇〇エーカーというからパルロス・ベルデス半島くらいの広さを鉱区として申請した。そこに六十部屋のホテルを建て、教会や温泉、ラジオ・スタジオ、はては私設滑走路やお城のような建物を造りリゾート地を設立した。スプリンガーは、ここを「ZZYZX」と名づけたという。
彼は、ラジオを通じてアメリカ中に宗教音楽や福音を流し始めた。宣伝が効いたのか、藁にもすがりたい思いで病気に悩む人たちは特別な治療法を求めてやってきた。山羊のミルクや野菜ジュースなどを『命を救う薬』と偽って売っていたそうである。信じ難いが、日本の某新興宗教の教祖が入浴した後の水を信者に飲ませたのに比べれば、たとえ偽りの薬が法外な値段であったとしても身体に無害な飲み物だったから、病気の治療になった人もいるだろう。また、浮浪者を連れてきて仕事や寝る場所を与えたが、彼らはアルコールなしの規則正しい暮らしに耐えられず出でいったという話もある。ラジオを聴いた聴衆者から多額の献金が寄せられるようになり、政府の役人が注目しはじめた。
政府は、三十年も野放しにしていたスプリンガーを国有地の不法占有者、薬事法違反などで告訴したのである。それから二年後、たった六十日の刑を宣告されてこの事件は終焉を迎えた。スプリンガーは伝道師でも医者でもなく、人心を掌握する術に長けたベテン師だったことが判明。
ラスベガスへ向かう車中で友人からこの話を聞きながら、私は考えた。
奇想天外な洗脳に、教養や知性、学歴などとは関係なくどうして引っかかるのだろう。もしかすると、宗教的周波数を各々がもっている潜在的意識が捉えたときに洗脳が作動するのかもしれない。機会があれば宗教学者か心理学者に訊ねてみたいものである。
幸か不幸か、私の潜在意識はまだ、そのようなものに出合っていない。
つづく

龍翁余話

龍翁余話(99)「10月、コーヒーの香りひと際」

9月1日に翁が退院して数日後に、(突然)ハワイの親友・WさんとTさん(2人とも翁のゴルフ仲間)から真っ赤なアンスリウムと、紫のデンドロビウム(蘭)、それと同時に別便で翁が長年愛飲しているコナコーヒーが届いた。驚きと喜びで、早速、2人にお礼のメールを送ったら、Wさんの返信「ハラキリしても生き返ったサムライ・リュウにコーヒーで乾杯」、Tさんの返信「11月の定例ゴルフ・コンペに、あなたはきっとハワイに来る。でも術後だから、多分、いいスコアが出ない。可哀想だから、コンペの前に、あなたにブービー賞(ビリから1つ上=24人中、23位の賞)の花を贈った。我々アメリカ人はハンディキャップ(の人)に優しいから」・・・いずれもアメリカ人らしいジョークだが、心に沁みる励ましが込められていて、嬉しい。

翁のコーヒー好きは、ハワイの友人たちの間では、以前からよく知られている。アルコールが飲めない翁、パーティや会食の時はパッション・ジュースとコーヒーしか飲まない。ハワイのコーヒーと言えば、たいていコナコーヒーだ。翁がコナコーヒーに出会ったのは約30年前のこと。ハワイ諸島(8つの島)の中で一番大きい島・ハワイ島の西岸コナ地区のコーヒー園を見学した。そこはマウナロア山(標高4170m)の麓の火山エリア、そこで生産されるコーヒーだけがコナコーヒーと呼ばれ、全世界生産量のわずか1%にも満たない少量だが、世界一厳格と言われるハワイ州政府の格付けによって高い品質が守られ、ホワイトハウスの公式晩餐会に出されるコーヒーは、必ずコナコーヒーであるとか、日本でもブルーマウンテン、キリマンジャロと並んで“世界三大コーヒー”と称される希少高級品だ(ということは、実は最近知った)。コナ地区のコーヒー園を見学したあと、コナから北東へ1時間ほど走った所にある古い町ホノカアのコーヒー焙煎工場で飲んだコナコーヒーの味と香りが忘れられなくて、爾来、コナコーヒーの虜になり、この30年間、我が家では、コナコーヒーを切らしたことはない。

と、こんな風に書けば「龍翁は、よほどのコナコーヒー通(ツウ)」と思われるかもしれないが、とんでもない。コーヒーは好きだが、けっしてツウではない。その証拠に、外出すればどんなコーヒー(特にブレンド)でも飲むし、家にも数種のインスタント・コーヒーを置いている。ただ、30年前、ホノカアの焙煎工場で飲んだ100%純粋コナコーヒーの、あの名状し難い深い味わいに感動して以来、しばらくは100%のコナコーヒー『ライオン』に凝った。しかし、数年後に知った“バニラ&マカダミア”、“チョコレート&マカダミア”混入の『ロイヤル・コナ・シリーズ』の甘い香りとまろやかな味が気に入って、近年では、もっぱら『ロイヤル』を愛飲している。『ライオン』の半額という安さも嬉しい。ツウは、「ロイヤルは、まがい物、コナコーヒーではない」と言う。確かに、ツウにとっては『ロイヤル・コナ・シリーズ』は物足りないだろう。が、ハワイの法律ではコナコーヒーが10%以上使用されていればコナコーヒーという名称で販売してもいいとされている。我が家に来る客人の大部分は「いい香りですね、口当たりもいいし、これなら砂糖もミルクも要りません」と喜んでお代わりしてくれるが、中には「香りはいいのですが、どうも甘ったるくて、本来のコーヒー感がない」と敬遠する人もいる。“本来のコーヒー感“って何だ?と言いたいが、好みは人それぞれだから仕方ない。そんな客には、インスタント・コーヒーで我慢して貰う。

ところで先日(10月1日)「今日はコーヒーの日ですよ」と友人に教えられた。えっ、そんな日があったの?・・・で、早速、調べてみたところ、国際協定によってコーヒーの新年度は10月1日に始まる。(社)全日本コーヒー協会では、1983年から10月1日を『コーヒーの日』と定め、コーヒーの健全な普及は図るため、さまざまなキャンペーンを行なう、とある。ついでに日本でのコーヒーの歴史も覗いてみた。江戸時代の初頭の長崎・出島にオランダ商人が持ち込んだのが始まり。しかし、あんな焦げ臭くてニガイ飲み物を、当時の日本人が好むはずがない。普及のはしりは鹿鳴館時代(明治の中頃)からだと言われるが、当時は政治家、豪商など一部の上流階級だけ。それでも“文明開化”が花開く頃(明治20年以降)、長崎、神戸、横浜、東京、函館など全国各地にコーヒー店が開店、外国人相手の高級ホテルでもコーヒーを出すようになった。ハイカラ好きな都会人は、少しでも“西洋”に近づきたい一心でコーヒーを飲み始める。本格的な普及の足掛りは文士や芸術家たち。北原白秋、石川啄木、高村光太郎、佐藤春夫、永井荷風らが『パンの会』を結成し、毎月、東京・日本橋(小網町)にあった“鴻の巣”というフランス料理店に集まり、フランス料理とコーヒーを味わいながら文学論、芸術論を展開した、と資料にある。ちなにみ、この会の『パン』は、食べるパンではなく、ギリシャ神話の芸術の神だそうだ。

田舎(大分県)生まれの翁、学生時代はもちろん、社会人になっても、しばらくはコーヒーに馴染めなかった。コーヒーを飲むようになったのは25歳頃、甚だ晩生(おくて)だ。始めの頃は、苦くて砂糖を山盛り入れた。周囲の人が呆れていた。今でも喫茶店で飲む時は、砂糖を2匙入れる。とてもブラックでは飲めない。アメリカン(薄めのコーヒー)は砂糖こそ使わないが、ミルクをたっぷり入れる。同伴の連中は「まるで、ミルクコーヒーですね」と笑う・・・つまり、翁は、本当のコーヒーの味を知らない“似非(えせ)コーヒー党”なのかもしれない。だからツウから敬遠される『ブレンド・コナ・コーヒー』に満足しきっているのかもしれない。

秋の深まりと共に、コーヒーがひと際、美味しく思えるようになった。ハワイの友人から贈られた『コナコーヒー』の封を切り、感謝の思いで香ばしい匂いとまろやかな味を楽しむ。「秋の夕 ベランダに佇み 珈琲を このひと時に 何を思はむ」・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

 

今週はどんなアルバムにしようかなと考えながら一枚取り出したら国府弘子のPure Heartでした。
国府弘子のピアノは好きです。私の携帯オーディオプレーヤーにも入っています。
でもこのアルバムは覚えていませんでした。

ラテンっぽい曲で、うきうきするリズムでとてもさわやかでいいです。

Pure Heart 国府弘子

1 Barefoot Steppin' (04:45)
2 Luck in the Rain (04:51)
3 Smooth Struttin' (04:21)
4 Vitamina (03:26)
5 Once and Forever (05:48)
6 Carry Me With the Wind (04:06)
7 Mrs. Robinson (04:09)
8 Annabella (05:12)
9 Weekend (05:07)
10 It's Cool (04:16)
11 Happiest You (For Your Wedding) (05:41)


雑貨屋ウィークリー537号から紹介をはじめたジャズのアルバムをリストにしました。
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

テレビを買ったときにもらった500GBの外付けハードディスクをPCのデータのバックアップに使っていたのですが、突然認識しなくなるという不幸なことが起こりました。いろいろやってみましたがダメでした。その2週間後、今度はPCが突然壊れました。こんなことがあるだろうと思ってバックアップしていたのにそのハードディスクのデータがパーになるなんて信じられません。今度はこれらを考慮したPCシステムにしたいと思います。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.699

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com