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NO.698                Ryo Onishi              9/28/2009  

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雑貨屋のひとり言

出雲から帰ってきて、今度は息子夫婦といっしょにインドネシアのバリ島に行って来ました。朝から夜遅くまでバリを満喫してきました。バリ人たちは穏やかで英語も話せますし、日本語を話す人も多いので、日本人も安心していけるようです。日本人に人気がある理由がわかりました。とにかくのんびりできる癒しの島で、楽園です。悪夢の交通渋滞を経験した後だったので夢のような世界であっという間に一週間が過ぎてしまいました。(写真は宿泊したホテルのプライベートビーチ、波の音が今でも耳に残っています。)
     

≪R.O≫

ルート66覚え書き(9. 番外1)

  ――― 前号からの続き ―――
(番外1):F. ルーズベルト大統領とニューディール
 T.大恐慌の試練
(1)第1次世界大戦(1914-1918)後の好況にわく1929年3月、前年の選挙で圧勝したフーヴァーが大統領就任演説を行い、「未来は希望に輝いている」と述べて喝采をあびた。ちょうどその頃、政財界をあげて世界最高の超高層「エンパイア・ステイト・ビル」建設計画が着手され、それは当時のこの国の浮かれた気分を象徴していた。

(2)だが、そのわずか半年後には、金融恐慌が始まった。(1929.10.24-Black Thursday)

(3)1932年7月、F.ルーズベルトは民主党の大統領候補に指名され、シカゴでの指名受諾演説で、「アメリカ国民のためのニューディール(新規まき直し)」を提案した。

(4)経済危機が極限に達しつゝあった1933年3月4日、F.ルーズベルトの第32代大統領就任式の日には36州で銀行業務が停止されており、株式取引所も閉鎖され、アメリカ経済の心臓は鼓動を止めた。

(5)ルーズベルト大統領の就任演説は、「我々が今、恐れなければならないのは、ただ、恐怖そのものなのであります」 から始まり、強い調子のものだった。
 そして就任式の翌日(3/5)大統領は緊急命令を出し、銀行の4日間休業と金の輸出禁止を宣言した。

 U.「ニューディール」とアメリカ再生の夢
(1)新大統領は、最初の「100日議会」の間に15の重要法案を成立させた。
     ・農業調整法/・全国産業復興法/・TVA(テネシー河開発公社法や、その他失業救済事業諸立法等。

(2)金本位制度からの離脱、ソ連承認。

(3)禁酒法廃止(修正憲法第21条による、修正憲法第18条の廃止)

(4)大統領がラジオで国民に直接話しかける 「炉辺談話(ろへんだんわ)」の実行。

 V.「第二のニューディール」
(1)1935年春から夏にかけて成立した重要法案は「第二のニューディール」と呼ばれている。その中のひとつ、「緊急救済予算法」は、失業者のための大規模な公共事業の行政命令権を大統領に付与したもので、そこには公共事業局(後の事業促進局=WPA)も含まれ、WPAは1943年に廃止されるまでに、850万人以上の失業者を雇った。これによって、高速道路を含む道路65万マイル、公共建物12.万、公園8千、さらに多数の橋、飛行場、その他の施設が作られた。
――― 次号へ続く ――― 

  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「」

今週はおやすみです。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

愛と書き哀と書いてる砂の文字

失恋が趣味です車寅次郎

色と欲 手のなる方へ向きを変え

人間が忙しすぎる牛の視野

夢物語ですか与作の平和論

( ニュースやぶにらみ )

「鶴マーク失速」
なんとか鳩で −日本航空

「鳩山首相の英語力」
YESの発音はどうかな −オバマ大統領

「実感」
与党から余党 −自民党

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

 

森田さんから

今週はお休みです。

龍翁余話

龍翁余話(98)「自然植物園をリハビリ散歩」

退院して間もなく1ヶ月になる。その間、1度、外来で主治医の診察を受けた。「極めて順調に回復しています」の診断が下された。早期ゴルフ再開への“希望”が出て来た。次回の外来診察(10月6日)の時は、「もう大丈夫」の太鼓判を押して貰いたく、リハビリにいっそう精を出しているのだが、外を歩く時は、どうしても杖を頼りにする。確かに坂道や階段は杖1本が大きな支えとなる。近くの商店街を歩く時、他の人が杖つきの翁を気遣って(道を)譲ってくれることもある。ありがたいと思う反面“いつまで、こんなぶざまな格好を続けるのだ、そろそろ杖離れしなければ”と、見栄っ張りの本性が頭をもたげる。そんな矢先、友人Tさんから「目黒・白金台の自然教育園を散策して来ました」というメールを頂戴した。『自然教育園』?ああ、もしかしたら、時々降りる高速道路の目黒出口の“植物園”のこと?そこなら、翁の家から車で5分、徒歩でも30分で行ける場所だ。なのに、まだ1度も行ったことがない。いいヒントをいただいた、リハビリ散歩に出かけるか、と思い立ち、一昨日(金曜日)の昼下がり、ジーパン、Tシャツ、帽子、ウオーキング・シューズの軽装、それに愛用のカメラ(バッグ)を肩に引っ掛けて出かけた。退院後、初めての“杖なし散歩”である。

その日は、秋晴れ、というより気温29度の夏日。マンションを出た一瞬“タクシーで”と思ったが、それではリハビリにならない、と思い直して、ゆっくり歩き始める。通常だと家から地下鉄浅草線・戸越駅まで6分だが、10分かかった。道路から改札まで下り階段、改札口からホームまで、また階段。この駅には下りのエスカレーターはない。下り階段の怖さを実感する。三田駅で三田線に乗り換え、白金台へ。改めてエスカレーターのありがたさを知る。駅員に(教育園への)出口を訊いて目黒通りへ出る。車で通り慣れた道だが、歩きだと、まるで初めて見る町並みに思える。白金台駅から教育園まで徒歩4分のところ、信号の待ち時間を含め10分かかって、やっと園の入り口へ。“65歳以上の方は無料です”の告知板にニンマリ。窓口で(65歳以上の)証明となる自動車免許証を提示して赤いリボン(入園証)を貰う。

入るとそこは小さなミュージアム。園の歴史資料や、この地で発掘された縄文時代(約2500年前)の土器などの展示、売店、更に園内を仮想体験できるバーチャル機器が備えられている。この園の正式名称は『国立科学博物館付属自然教育園』だ。何で『教育園』などと
“お上的名称”が付けられたのだ?例によって翁のイチャモン癖が出る。ここは明治時代に陸・海軍の火薬庫として使われ、大正時代には宮内省所管の皇室専用“白金御料地”となった。戦後(昭和24年)文部省の所管となり、天然記念物及び史跡に指定され一般公開されるようになった。現在名称は昭和37年からだそうだ。

資料を見ると、確かに、人手を加えない自然観察(研究)の貴重な宝庫だ。プログラムにも日曜観察会、鳥類講座、小動物の生態講座、植物学講座など“教育的イベント”も多く行なわれている。しかし一方、東京砂漠のど真ん中に存在する市民のオアシスでもある。目くじらを立てるほどのことでもないが、翁の性格上、教育を押し付けられるのはゴメンだ。『自然植物園』でいいではないか。ま、それはさておき、当日は(連休明けもあって)入園者はまばら。おかげで“杖なし散歩”がゆったり出来そう。案内板に従って砂利道を歩き始めると(写真左)すぐ右側に土塁の跡が見える(写真中)。約600年前の室町時代にこの一帯を治めていた豪族たちの館の跡と説明板にある。そしてしばらく行くと形のいい老木“物語の松”に出会う(写真右)。江戸時代、この地を水戸光圀(水戸黄門)の兄・松平讃岐守(高松藩主)が下屋敷にした。この老木や池などは当時の名残りであろう、と説明されているが、何で“物語の松”なのか、確たる物語が見えない。

館跡付近の土塁

それにしてもこの園、いくら“自然を大切に”と言っても自然過ぎて、まるで荒れ放題。
林の中の倒木は放置され、ひょうたん池、水生植物池、水鳥の沼などは枯葉や枯れ枝で水面は汚れたまま、周辺の草も伸び放題。学術的価値は知らないが、美的景観はゼロ。カメラを向ける気にもなれない。数人のスケッチ・グループの画板を覗いたら、目の前の実物とは大違いの、何とも美しい池が描かれている。アマチュア画家たちの美への願いが、実物とは異なる筆使いになったのではあるまいか?「人手を加えないのが自然だ」という意見もあろう。だが、凡人の翁は、多少の手入れがあってこそ自然の美が生きる、と考える。国立だから手が回らない(予算が足りない)?いや、長い間、党利党略、私利私欲に明け暮れた政治家たちや事なかれ主義の役人たちの目(意識)が届かなかっただけ。自然保護と自然放置は根本的に違う。こんな場所(自然公園や植物園などの公的施設)は全国に沢山あるのではないか?だとしたら新政権よ、即効的人気を狙うバラまき政策より、歴史を顧み、自然の恩恵を実感出来る先祖の貴重な遺産を後世に繋げることにも目を向けることが大切だと思うよ。

植物学などというものに無縁の翁には、花っ気のない植物園は味気ないし“手抜き管理”にもいささかガッカリしたが、リハビリ(歩行訓練)にはもってこいの場所。友人Tさんに感謝。帰路も地下鉄を利用した。延べ3時間“杖なし散歩”をやってのけた充実感が疲れを飛ばした。次回、主治医の診断が楽しみだ・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

 

バリのショッピングセンターでCDの店に入ってみました。
Basiaの新アルバムとSmomaというグループのアルバムを買いました。
値段はどちらも119,000ルピーでした。日本円にすると1190円です。
私たちには安く感じますが、バリの普通の人にはずい分高価だと思います。
帰ってきて早速聴いてみました。Smomaはジャズっぽいのりでなかなかいいのでご紹介することにしました。
Smomaは女性ボーカルとトランペット、ベースギターでおしゃれな感じの音楽です。
"Georgy Porgy"はTOTOの初期の名曲をアレンジしているようです。

Songs to Remember Smoma

Give Me the Night
The Sweetest Taboo
My Baby Just Cares for You
Summertime
Like a Chameleon
Ain't No Sunshine
Why Can't We Live Together
Do It Again
Inner City Blues
Georgy Porgy
Change Your Mind
Sing It Back


雑貨屋ウィークリー537号から紹介をはじめたジャズのアルバムをリストにしました。
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

今回も帰ってきたのが月曜日となってしまったので雑貨屋の発行が遅れました。
この旅行に誘ってくれ、アレンジしてくれた息子夫婦にとても感謝しています。
写真: バリの友人に会いに行き、いっしょにバリのお酒Arac(椰子の実でできた強いお酒)を飲みました。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.698

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com