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NO.697                Ryo Onishi              9/22/2009  

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雑貨屋のひとり言

南さん、松本さん夫妻と5年ぶりの再会を果たしました。お互い変わりなくいつもと同じ気楽さでした。松江市内にある「季節の風」という名前のお店で絶品のしじみ丼をいただいたあと足立美術館で素晴らしい庭園美と横山大観をはじめとする数々の美術品を味わいました。ものすごい入場者(ちょっと高い入場料にも)に驚きました。玉造温泉で温泉を楽しみ、翌日は松江城の堀川めぐり、松山城、小泉八雲館などを見学したあと、出雲大社に参拝しました。平成の大遷宮が行われていて、仮殿での参拝でした。気候のいい連休で人 出も最高だったのではないかと思います。「アラカン」6人のずーっと楽しい旅になりました。5年後の再会を約束してお別れしました。

≪R.O≫

ルート66覚え書き(8)

  ――― 前号からの続き ―――
第8章:ルート66の終焉
(1)1934年、「ヘイデン・カートライト条例」制定。
   これは、1920年から1930年にかけての工学・土木技術の進歩が生み出したもので、ハイウエイの利用状況の科学的調査にもとづいて、長期的展望にたったハイウエイ計画を作るための法令だった。その科学的調査の結果、全国ハイウエイ網の改善と充実のためには小さな町をバイパスすることが最良である、という指摘がなされ、決定した。
それが“ルート66”最初の小さな不幸の始まりだった。

(2)1956年、アイゼンハウアー大統領による「州間及び国防ハイウエイ全国網」建設は、“ルート66”のような古いルートを、より効率良く、より安全を考えてバイパスさせ、路線を変更させようと言うものなので、“ルート66”はあちこちで、この新しいスーパー・ハイウエイ建設のための、工事用アクセス道路に成り下がってしまった。

(3)当初“ルート66”関係者は、これほど有名で、しかも「アメリカの今」を代表するハイウエイを、政府も国民も放っておくはずがないと考えていた。しかしそれは、1940年〜 50年代の繁栄の故の驕りに過ぎず、新しいインターステート・ハイウエイの工事は彼らの思惑を置き去りにして進んでしまった。

(4)1960年代の、新旧交代と価値観の変化の時代、そして“Main Street of America 
(ルート66)“に代わって、はるかに無機質で、その分効率的なインターステート・ハイウエイが主役の座を奪い始めた時、失われゆく古き良きアメリカへの挽歌とも言うべきテレビ番組が放映され始めた。スターリング・シリファントというTVプロデューサーの制作する「ルート66」という番組だった。
    1957年型のシヴォレイ・コルヴェットを駆る、バドとトッドという2人の若者が、この道の沿線に住む人々の人間模様に絡んでいくシリアスな青春物語で、世代間の諸問題、都市化の波にもまれる人間関係など、まさに当時のアメリカが抱えていた悩みを描いていて、多くのファンを獲得した。

(5)、“ルート66”は単なる「道の名前」を越えて、ひとつの文化、ひとつの時代をあらわしており、従って、その時代の終焉と共に終わる運命にあったと言えるかもしれない。
     そして“ルート66”は死に、わずかに“Historic Route 66”として名を残す事になった。  
――― 次号へ続く ――― 

  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「」

今週はおやすみです。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

通知表笑顔と食がいいとあり

妻に似てきた娘にも叱られる

震度5に日曜大工褒められる

迷子札代わりケイタイ持たされる

与太郎の知恵が素朴なリサイクル

( ニュースやぶにらみ )

「地価下落拡大」
一番下がったのは我が党の地盤 −自民党

「八ッ場ダム中止」
水に流せと言われても −地元関係者

「リーマンショックから1年」
まだ続くの −麻生前首相

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

 

森田さんから

今週はお休みです。

龍翁余話

龍翁余話(97)「敬老の日」

翁には親しいゴルフ仲間が沢山いるが、特に近しいのはI君、M君、T君の3人だ。月に2〜3回は、たいていこの3人と一緒にプレーする。3人とも翁より歳下だが、いずれも孫持ちの“おじいちゃん”。孫の話をする時、3人とも一様に目じりを下げる。“そんなに可愛いものかねえ”と、孫を持たない翁にはその実感は湧かないが、多少、羨ましさもあって「ジイちゃん、ジイちゃんと寄り付くのは今だけだよ、そのうち、クソジジイ、と嫌がられるから」と悪口を言うと、彼らは笑って「それでも可愛いいんですよ、孫というのは」あ〜あ、孫の話になると3対1、ケンカにならない。そういえば、数年前にヒットした、こんな歌があった。
♪ なんでこんなに 可愛いのかよ 孫という名の宝もの 
じいちゃん あんたにそっくりだよと 人に言われりゃ 嬉しくなって
下がる目じりが 下がる目じりが えびす顔(荒木良治作詞、大泉逸郎作曲・歌)
翁、平成になってからの歌謡曲(流行歌)はあまり知らないが、この歌の出だしは、時々、口ずさむことがある。しかも替え歌だ。例えばゴルフが上手く行かなかった時など“なんでこんなに 口惜しいのかよ ゴルフという名の 遊びなのに”ってな具合に。もっとも、今は翁、術後の療養中の身なので、その替え歌を口ずさむこともないが・・・

今号の主題は孫ではない。孫から見た祖父母の話。9月第3月曜日、つまり今年は21日が『敬老の日』。アメリカにも『祖父母の日』という、日本の『敬老の日』と同じような祝日がある。最初に提唱したのはヴァージニア州に住むマリアンという主婦。動機は「老人ホームにいる寂しいお年寄りたちを元気付ける」ことだったそうだが、もっと広く「老人たちが培った生活の知恵や文化遺産を、孫の世代に継承させたい。そのためには、孫たちに、祖父母を敬愛する心を育ませなければならない」という目的に進展したという。アメリカ第39代大統領のジミー・カーターが、1978年に9月第1月曜日『労働の日』の次の日曜日を『祖父母の日』と制定したそうだ。

療養中の退屈しのぎに、日本の『敬老の日』の始まりを調べてみた。戦後間もない1947年(昭和22年)、兵庫県多可郡野間谷村(現・多可町)の当時の村長と助役が「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村を再建しよう」と、気候のいい、しかも農閑期の9月15日を『年寄りの日』と定め“敬老会”を催した。この行事が3年後に兵庫県全体で行なわれるようになり、それが全国に広まった。その後“年寄り“という表現がよくない、ということで1964年(昭和39年)東京オリンピックの年に『老人の日』と改称され、1966年(昭和41年)に9月15日を国民の祝日『敬老の日』と制定した(2003年から現行の9月第3月曜日に)、と資料にある。祝日法の主旨は「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」とされている。敬愛の心を育むことは大切だが、アメリカの『祖父母の日』の「老人たちが培った生活の知恵や文化遺産を孫子の代まで継承させる」という精神や、多可郡野間谷村で始まった当初の「老人が持つ経験や知恵を活用する」という、老人を、まだまだ社会の必要層として認めるという積極的な思想が全く見当たらないのが実に残念だ。

近年“老人”という言葉が嫌われるようになり、多くの場合“高齢者”が使われる。翁はどちらでも構わないのだが、流れに従ってここでは“高齢者”と表現する。改めて言うまでもなく『高齢者問題』は年々、深刻度を増している。年老いた者には貧乏と病気が大敵である。子どもの出生率が高かった時代には、日本人の多くの家庭は多少の生活苦はあったにせよ敬老思想や祖先崇拝によって高齢者の老後生活はある程度守られていた。しかし
戦後の経済優先社会、日教組の無徳教育で日本人の精神構造と家族構成が個人主義化し、加えて少子化・長寿化(4人に1人という高齢者化社会)の到来で『高齢者問題』は極めて深刻な社会問題となった。以前、信州のある寒村を舞台に、70歳になった老人を山(姥捨て山)に捨てるという伝説をもとに描いた小説『楢山節考』がベストセラーになったり、その映画がカンヌ映画祭でグランプリをとって話題になったことがあるが、翁に言わせれば、これは国辱ものだ。そんな非人道的慣習(文化)が日本にあってはならない。

新政権の厚生労働省は、いち早く「失われた年金記録、救済拡大」、「後期高齢者医療制度の廃止」などを打ち出し高齢者対策へ本腰を入れる姿勢を見せた。歓迎である。しかし『高齢者問題』の根幹は、高齢者を一律に“養い者”と看做すのではなく、豊かな経験を持つ健康な高齢者には、もっと社会的活動の場を提供する『高齢者雇用促進法』を検討すべきである。つまり“生き甲斐のある老後生活”へのステージづくりである。更に大切なことは、家庭教育、学校教育で“お年寄りを敬う心”を養う徳育が重要だ。新政権の文部科学大臣がどれだけ(日本精神復活のための)道徳教育に力を入れられるかを注視したい。

そろそろ最終章に入ろうか、という矢先、突然、翁が役員を務める財団法人日本余暇文化振興会(文部科学省・生涯学習局認可法人の創立者)会長・佐野元生氏のご逝去の悲報が(ご子息から)もたらされた(享年90)。佐野氏は、日本の実践的社会教育(生涯学習)、つまり“生き甲斐のある人生設計”を提唱し推進してこられた社会教育者。各種の人材育成や能力開発にも尽力された。自らもつい最近まで絵画(スケッチの会主宰)や旅、野菜作りなどを楽しまれた。翁にとっても35年間の長きに亘る師であり父とも慕う間柄だった。翁が『敬老の日』を執筆中、しかも、何でその『敬老の日』にお見送りしなければならないのか、悲しい偶然だ。が、今となっては氏への敬愛と感謝の念を深めながら、静かにご冥福をお祈りするのみ。「運命(さだめ)とて 親しき人との 別れ悲しき」(合掌)・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

 

アサヒのおいしい旨茶」のテレビコマーシャルで使われています。
ボサノヴァアルバムでピアノの美しいジャズです。

Siesta 木住野佳子

1 Siesta
2 Red Bicuss,The
3 Primavera
4 Antonio's Song
5 So Many Stars
6 Poco Brazil
7 Siesta-Vocal Version
8 Norwegian Wood
9 Day Will Come,The
10 Corcovado
11 Mas Que Nada
12 Pray For Them


雑貨屋ウィークリー537号から紹介をはじめたジャズのアルバムをリストにしました。
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

旅行の前日にETCを自分で取り付け、阪神高速に乗って動作確認を行いました。ゲートが開くまでちょっぴり心配でしたが開いた時はほっとしました。ETC割引のお陰で遠くまでコストがかからず行けるのは歓迎ですが、渋滞で運転が疲れます。輸送車両はずい分迷惑していると思いました。行きは宝塚ICで渋滞がありましたが4時間くらいで松江に到着。しかし帰りは米子から米子道に入った途端ものすごい渋滞で帰宅したのは夜中の1時過ぎでめちゃくちゃ疲れました。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.697

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com