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NO.695                Ryo Onishi              9/6/2009  

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雑貨屋のひとり言

衆議院選挙は民主党が大勝し、とうとう政権交代が実現してしまいました。国民の変わってほしいという願いや期待でこういう形になったのだと思います。すぐに良くなるとは思いませんが、よくしていこうという動きが出ることはいいことだと思います。批判や足を引っ張ることはやめてどうしたらこの日本がよくなるか大いに議論してほしいと思います。
≪R.O≫

秋 立 つ

暑い夏が過ぎてゆきます。日本の衆議院議員選挙は、予想されていたとはいえ、戦後最大の地殻変動ともともいわれる結果におわりました。今回の選挙結果は海外在住の私たちにとっても影響は大きく、これからの日本の国がどのようにチェンジするのか大注目です。

この選挙では私たち夫婦も当地で在外投票に参加し、貴重な一票を投じました。私はこの在外投票実現のため運動した一人として、また、そのため日本の最高裁へ上告した原告団の一人として、これからの日本の国政がどのように推移するか大きな関心を持って注視したいと思っています。

当地ロサンゼルスでは8月恒例の真夏の祭典、二世ウイークもフィナーレを迎え、私の関係した南カリフォルニア詩吟連盟主催の吟詠大会も無事終了しました。

南カリフォルニアでは一般に夏というと、独立記念日(7月4日)から始まり、レイバー・デイ(9月の第一月曜日)で終わるとされています。今や暦の上でも立秋を過ぎ数週間過ぎましたが、現実にはまだ夏のなごりか残暑厳しい日々が続いています。

しかし月が変ると、9月という言葉の響きが秋を感じさせてくれるから不思議です。この頃、見上げる青空がこころなしか高く感じるような気がします。風の感じや日差しにも少しづゝ変化が見えるようになりました。きつかった太陽の光が少し柔らかくなっているようです。ようやく「秋立つ」が実感となってきつゝあります。

センチメンタル(感傷的)とはあまり縁のない私ですので、秋という響きからは、旅行、運動、読書、食欲などなど、前向きな行動が私には似合っているようです。ところが、今年はこれら前向きな行動の前に立ちふさがる強敵の存在が心配です。それは『新型インフルエンザ』という脅威です。すでに暑い夏のうちから感染が広まりつゝあるこのウイルスですが、秋から冬にかけて猛威を振るうといわれているので、これからどれほどの災難を及ぼすのか心配です。

 私は今年5月に日本へ行った際、成田空港で機内検疫を受け、日本滞在中はホテルまで追跡調査までされた経験がありましたが、それでも残念ながら今や日本中にこのウイルスは蔓延してしまいました。空港の水際検疫での努力も無駄になるほどの脅威のインフルエンザだったわけです。

二十世紀初頭、世界的に流行したスペイン風邪では感染者数億人、死者数千万といわれています(当時の世界人口は20億人以下といわれる)。百年前と現在では確かに予防、治療医学は大きく進歩していますが、逆に交通手段が進み、交流の機会が多い今ではウイルスの感染は容易であり決して楽観は許されません。今のところ新型インフルエンザの毒性は弱いようですが、強毒性に変化するおそれもあるそうで心配です。

この季節は「旅行、運動、読書、食欲の秋」だけでなく「マスク、手洗い、うがいの秋」という項目も加えなければならないようです。

  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「」

今週はおやすみです。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

原宿を着てばあちゃんの気が若い

パソコンが楽しいと知る定年後

趣味の輪にいて納得の長寿国

預金残監視カメラに覗かれる

生かされて生きて春夏そして秋

( ニュースやぶにらみ )

「大勝」
武者震いでなく、貧乏ゆすり −民主党マニフェスト

「学なりがたし」
夏休み、学級カゼ閉鎖、9月の5連休 −生徒

「惨敗」
男子柔道お前もか −自民党

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

 

森田さんから

今週はお休みです。             

龍翁余話

龍翁余話(95)「龍翁、‘09夏の大異変!」

翁は本来、夏に強いことを自慢していた。若い時のテレビ取材(海外ドキュメンタリー番組取材)は、殆んど6、7、8.9月の暑い盛りに集中していた。老年になっても夏の暑さは、それほど苦にならず、今夏(8月)は、越前・越中・越後の“日本海沿岸ドライブ”を(密かに)計画していた。ところが5月下旬、突然、血尿を見た「何だ、これは?」・・・体のどこかが痛いとか、だるいとか、しびれるとか、体重が減るとか、食欲がなくなるとか、そんな症状は何ら発生していない。なのに、この血尿は、いったい何だ?・・・翁には、幸いなことに信頼すべき名ドクターがついてくれている。体調が崩れると真っ先に診て貰える米沢市の開業医・Y先生だ。早速、血尿のことを話したら「直ぐに来なさい」ということで6月4日早朝の山形新幹線で米沢市メディカルプラザ・Y医院へ。

採血、採尿の後、心電図・レントゲン、エコーなど約2時間に及ぶ諸検査の結果は『尿管ガン』。写真を見せられながら「これが尿管に出来ている腫瘍、おそらく腎臓や膀胱に転移しているか、あるいは転移する危険性がある」Y先生が淡々と説明してくれるのだが、どういう訳か、翁、いささかも恐怖心が湧かない。というより、初めて見る我が尿管・腎臓・膀胱の写真を、実に興味深く、まるで他人の病状を取材しているかのような錯覚でY先生のお話に聴き入ったものだ。だが、この時が、翁の“”09夏の大異変”の始まりである。

Y先生の紹介状と診断データを持って東京・信濃町の慶應義塾大学病院・泌尿器科ドクター・O先生を訪ねたのは6月8日。この病院は、翁にとって、ちょっと胸が痛む思い出の場所である。22年前(1987年)、俳優・石原裕次郎さんが、ハワイで『我が人生に悔いはなし』の収録を終えた直後(2月)、彼は帰国してこの病院に入院、翁が最初にお見舞いに行ったのが偶然にも6月のこの時期、2回目(7月初旬)の時は、もはやお目にかかれず、7月17日に永眠された(享年52)。裕次郎さんと翁の関わりについては、これまでにも『余話』に書いたのでここでは割愛するが、6月のお見舞いの時に見せてくれた人懐っこい笑顔が、いまだに忘れられない。

さて、O先生は、Y先生からのデータを見るや「あ、この病気は我が泌尿器科のK先生が適任です」ということで、ほどなくK先生を紹介された。以後、K先生と翁は“主治医と患者”の関係となるのだが、我が儘な翁、出会いの時から「担当医がコロコロ替わられては困る。K先生が最後まで俺を診てくれるんでしょうね?」と念を押した。K先生笑って「承知しました。担当させていただきます」いい主治医に巡り合えた、と内心、喜んだ。しかし、以後、幾度となく翁が癇癪を起こし、K先生を困らせることもあったのだが、この主治医、若い(40歳代)のに、なかなかの人物。この種の手術経験は豊富なベテラン外科医であるのだが、その時点では翁は、彼の腕(技術)のほどは知らない。しかし、翁、彼の人柄が気に入って、全てを任せることにした。

尿管、腎臓、膀胱だけでなく、あらゆる箇所の内視鏡検査、レントゲン検査、超音波検査、CT検査、MRI検査などを済ませ、7月13日から1週間、まずは“ガン組織抽出”、即ち生検のための検査入院があった。そこでまた翁の文句が始まった。「尿管ガンであることが分かっているのに、1週間も入院させて、何故、ガン部分を摘出しなかったのか」とK先生に食ってかかった。コンファレンス・ルーム(特定テーマを検討会議する部屋)で、K先生の辛抱強い説明(講義)が行なわれた。まるで医学部教室の教授対(出来の悪い)学生の図だ。翁の無知の領域に、だんだん正当な知識が投入されてきた。80%の理解が出来たところで翁は言った「分かった。もうゴチャゴチャ言わない。よろしく頼みます」K先生、にっこり笑って「承知しました。お任せ下さい」ああ、歳甲斐もない翁の短慮、恥ずかしく恐れ入った。それからの翁“聞き分けいのいい患者”に変身した(と思っている)。

8月17日入院、麻酔、手術等の承諾書に署名して、翌18日手術、右腎臓全摘、ガン発生の尿管全摘、膀胱の一部切除、右脇腹とヘソの右下の2箇所(各10cm)の開腹、6時間に及ぶ大手術は無事に終わった。術後、病室で初めてK先生と顔を合わせた時、翁、心から「先生ありがとう!」とお礼を述べた。K先生「早期発見、早期治療が功を奏しました」と謙虚に、しかも暗に米沢のY先生の適切な診断を評価してくれた。それから9月1日の退院まで、K先生以下手術に携わってくれたF、I,H(女医)の各ドクターが毎日回診、優しく声をかけてくれる。どれだけ励みになったことか。それと特記したいのがナースたちの献身的看護ぶり。「豊かな人間性と広く深い教養、患者を尊重し、患者の生活の質を高める看護実践・・・臨床看護実践において、いかなる領域・対象(急性期・慢性期・回復期・末期疾患・年齢など)においても基本となる専門知識と高度な技能を応用して役割を果たすジェネラリストナースと高度先進医療に対応できる専門的な臨床実践能力の高いスペシャリストナースの養成が慶應看護師の発達モデル」(慶應義塾大学病院看護部の教育プログラム)は当たり前のことだが、その当たり前を日々着実に実践することに意味と価値がある。ここのナースたちは、極めて自然に、その当たり前を実行し、多くの患者たちに感謝されている。医師は患者の命を救い、看護師は(医学的フォローを行ないながら)患者の心を救う。まことに頭が下がる思いをした。

『龍翁、'09夏の大異変』は、こうして感謝いっぱいのうちに治まり段階(自宅療養)に入った。早期発見をして下さった米沢のY先生やご家族への感謝、執刀主任・K先生とグループ・ドクターたちへの感謝、薬剤部のN先生にもお世話になった。そして、白衣の天使たちへの感謝。消えることのない手術の傷跡と体力の衰えは覚悟しなければならないが、この“大異変”で得た貴重な知識と関係者への感謝の念は、永久に忘れることはあるまい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

 

Freddie Hubbard  Open Sesame

昨日、私とワイフのバースデイのお祝いで娘夫婦がフレンチレストランでご馳走してくれました。大阪のうつぼ公園のそばにあるこじんまりしたお店ですがなかなかいい雰囲気でした。料理は文句なく美味しかったです。ジャズが流れていたのですが、そのなかで聞き覚えのあるトランペットジャズがありました。Freddie HubbardのOpen Sesameでした。
ジャズアーティストの中でもこのFreddie Hubbardのトランペットは大好きです。

ジャズ・トランぺット奏者であるFreddie Hubbardは1938年4月7日米国インディアナ州インディアナポリス生まれでこのOpen Sesameは彼が22歳のときの初リーダー作でブルーノートに録音されたものです。残念ながら彼は昨年12月にこの世を去っています。

Freddie Hubbard (Trumpet)
Tina Brooks (TenorSax)
McCoy Tyner (Piano)
Sam Jones (Bass)
Clifford Jarvis (Drums)

Recording Date : Jun 19, 1960

1 Open Sesame (Brooks) 7:10
2 But Beautiful (Burke, VanHeusen) 6:25
3 Gypsy Blue (Brooks) 6:23
4 All or Nothing at All (Altman, Lawrence) 5:33
5 One Mint Julep (Toombs) 5:53
6 Hub's Nub (Hubbard) 6:49

雑貨屋ウィークリー537号から紹介をはじめたジャズのアルバムをリストにしました。
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

先週は咳がでてつらい一週間でした。快復に時間がかかっているのがちょっと気になりますが、だいぶ良くなってきました。体調を崩すとなにもやる気が起きません。つくづく健康が大事だと痛感しています。昨日は久しぶり(夏休みで一ヶ月の休みだった)のヨガ教室がありました。身体がよろこんでいるって感じでした。でも今朝起きたら身体中が・・・・。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.695

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com