――― 前号からの続き ―――
第6章:ルート66黄金時代
(1)、第2次世界大戦中、軍関係の交通量が多く、その分ツーリストは減少していたが、沿道の商店のビジネスは変わらず賑わった。さらに兵士がこの道を走りまわったことは、間もなく“ルート66”にとって良い結果を生むことになった。彼らはこの道の良さ、楽しさを知り、やがて兵役を終えると家族を連れてこの道に戻ってきたからである。
(2)、戦後の一時期、西への移住が再び盛んになり、これを「戦後移民(Post War
Immigration)と呼んだ。記録によると800万人がミシシッピーを越えて西に移り住み、カリフォルニアだけでも350万人が移住しているとある。
(3)、そのブームのひとつのきっかけとなったのが、1946年に発表され、ナット・キング・コール・トリオによって歌われ、大ヒットした“ルート66”(Bobby
Troup詞・曲)であり、またそんな時に出版された「A Guide Book To
Highway66」は、またたく間にこの道を旅する人のバイブルになった。
(4)、戦後の好景気から、アメリカがそのアメリカらしさを謳歌する興隆期を迎えた時期、その好景気を支える輸送網の中心、主要幹線道路が“ルート66”であり、この時代、“ルート66”は最も忙しく、最も人目を引き、最高のハイウエイだった。
(5)、戦後から1950年代は“ルート66”にとってビジネス・ブームの年だった。
戦争中、兵士として世界のあちこちに送られ、かの地の洗練されたデザインを見てきた人々の趣味に合うような「モダンでソフィスティケート」が、沿線の合言葉になった。亜流のアール・デコ調や、ストリーム・ラインと呼ばれる流線型のデザイン。また色も独特で、街並みを華やかにさせていた。そしてその頃の“ルート66”はゴールド・マイン(金鉱)であるという言われ方さえしたほどだった。
――― 次号へ続く ―――
河合将介(skawai@earthlink.net) |