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NO.690                Ryo Onishi              8/1/2009  

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雑貨屋のひとり言

サンクロレラクラシック最終日、石川遼選手がBジョーンズに追いつかれ、どうなるのかなあと見守っていましたが、18番ホールの劇的なバーディーで見事優勝しました。インタビューの中でBジョーンズにもちゃんと感謝するかれの言葉は素晴らしいと思いました。イギリスで行われている全英女子オープンも宮里藍を元とする日本勢の快進撃が期待できそうです。楽しみです。≪R.O≫

ルート66覚え書き(3)

  ――― 前号からの続き ―――
第3章:ルート66の誕生

(1)、「ルート66の生みの親」と言われたサイラス・アヴェリー<注1>は、アメリカ大陸南西部を走る独自のルートを、USハイウエーの中に組み込みたいという意欲にかられ、中西部の大都市シカゴを起点に、太平洋岸の未開発の、だが将来性豊かで土壌の肥えたゴールデン・ステート、カリフォルニアへと通じる道を計画した。
    <注1>サイラス・アヴェリー:1871年、ペンシルヴァニア州で生まれ、14才の時オクラホマに移住、後、石油業に携わり資産を築いた。1921年、彼は全国の42のハイウエイの連合体である、全米統合ハイウエイ連盟(Associated Highways of America Association)の会長となり、1923年にはオクラホマ州の州ハイウエイ委員会の初代委員長に任命された。

(2)、1925年、インターステート合同委員会に持ち込まれ、ルートが確定した。

(3)、当初ロード・ナンバーは“60”にすることが考えられたが、その道が大陸横断道路でなく、また既に別の道路に“60”という番号が振り当てられる計画になっていたので、再検討され、“シクスティ・シックス”という語呂の弾むような感じの“66”にすることになった。(1926年)

(4)、1926年道路が正式に“ルート66”と名付けられた時、全長2,448マイルのうち、舗装済みはわずか1/3(800マイル)で、残りは無舗装の泥道や砂利道、アスファルトを流し入れたレンガ道、それにごくわずかの板敷きの道であった。

(5)、1927年、“ルート66”の舗装化推進と沿線住民に対するハイウエイの周知を目的とする「US66ハイウエイ全国連盟(National US66 Highway Association)」が結成され、第1回会合で、このハイウエイに“Main Street of America”というニックネームを付けることに決まった。そして初代会長にウッドラフトが決まり、彼はやがて「ルート66の父」と呼ばれた。

(6)、1938年、“ルート66”全線の舗装が完了。この道路で行われた工事技術が標準化され、1車線9フィート幅の2車線対向の舗装道路がアメリカ中にひろまった。
   この時代、アメリカ政府は、失業者解消の問題と道路建設という2つの難問を一挙に解決することが出来た。道路を建設することによって、景気を浮上させ、同時にアメリカの夢の実現も 可能にした。

(7)、例えばオクラホマを例にとればわかりやすい。まず多くの貧困農民がこの道を使ってオクラホマの荒れた土地を出て、カリフォルニアに逃げ出して行けた。同時に残された人々をして、この地に留まる事を可能にした。さらにこれまでの道路では考えられなかった類の仕事を人々に提供した。それは“ルート66”を通って行く人たちを相手にした土産物店、カフェ、モーテル、ガソリンスタンドといった沿道での商売だった。
――― 次号へ続く ―――

  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「」

今週はおやすみです。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

前列のその真ん中にブルータス

起承転からのやる気の空回り

逃げ水をなお関節の錆が追い

不器用に生き擦り切れた旗をなお

晴れて今日出世払いの倍返し

( ニュースやぶにらみ )

「ボーナス前年並み」
ゼロです −不況社員

「景気底打ちの音」
カラ カラ −製造業

「花火大会」
身につまされる −マニフェスト

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

 

森田さんから

今週はお休みです。

龍翁余話

龍翁余話(91)「反射神経」

龍翁余話(92)「さらば、煙草よ」

8月―――例年のことだが、青森ねぶた祭り(2日〜7日)、秋田竿燈祭り(3日〜6日)、仙台七夕(6日〜8日)、高知よさこい祭り(9日〜12日)、徳島阿波踊り(12日〜15日)、岐阜・郡上おどり(13日〜16日)など、各地で催される伝統的な“日本の祭り”と、高校球児の夢の祭典・夏の甲子園(8日開幕)が日本列島を熱くする一方、広島(6日)・長崎(9日)原爆の日、そして終戦記念日(15日)の厳粛な式典を通して日本は世界にどんなメッセージを発信するのか。更にもう一つ、今後の国家・国民の命運を左右する与野党激突の衆院選(18日公示、30日投開票)が行なわれる。
現野党の代表が、一度出したマニフェストを(どこかの知事にイチャモンをつけられ、慌てて)「あれは正式のマニフェストではない(あとで付け足す)」と言ってみたり、その党の幹事長が「政権担当の期間はせいぜい数年。それなのに5年先、10年先の政策を掲げても、それは絵空事だ」と現与党のマニフェストを批判したり・・・政権交代を訴える野党の党首や幹事長が、こんな腰の座らない、近視眼的発想では、いくら国民に受けそうな、当面的おいしい話を並べ立てても、とてもとても日本国の運命を託すに値する責任政党とは言い難い。日本の未来像(ビジョン)をしっかりと描き、その実現に向かって内政・外交の短・中・長期の戦略戦術を立てるのが政権政党の務め。そのためには、政治・行政・財政(経済)大改革の断行と同時に、国民にもある程度の窮屈さを強いなければなるまい。それを明言出来る政党を、翁は信用する。ともあれ、今年の8月は例年以上の“熱い夏”になりそうだ。

日本列島が熱風に覆われようとしている8月の始まりに、翁もまた熱い思いで自己革命を起こした。生涯、お前とは離れなれない、と思っていた煙草との訣別である。そんなことを“革命”と言うのは、いささか大げさに聞こえるかもしれないが、半世紀以上も嗜好し喜怒哀楽を共にしてきた煙草との“さよなら”は、翁にとっては一大決心であり一大革命なのだ。

近年、翁の周辺で、同輩・後輩を問わず、タバコを止めた友人が多い。その理由の殆んどが“病気”だ。彼らは翁に忠告してくれていた「煙草は百害あって一利なし。龍翁さんも大事に至らないうちに禁煙したほうがいいですよ」と。翁、その都度「酒が飲めない俺にとって煙草こそが唯一俺の癒し薬、俺の意志は固い。煙草を止めないという意志が」と、つまらない強がりを吐いていた。確かに煙草の箱には「疫学的な推計によると、喫煙者は心筋梗塞により死亡する危険性が非喫煙者に比べて約1.7倍高くなります」とか「たばこの煙は周りの人の健康に悪影響を及ぼします・・・」などの注意書きが印刷されている。しかし、そんなことは俺とは無関係な能書きだ、と無視していた。ところが6月の初め頃から急に“煙害”によるガンの話が、翁の身辺を襲い、あれほど頑固に「煙草は止めない」と言っていた“かたくなな意志”が揺らぎ始めた。正直、煙害が怖くなったのだ。そうなると、臆病風は加速する。「もう止める時期が来たのかもしれない」と自分に言い聞かせるようになった。だが、その程度では、多分、止められないだろう。そこで、この際、徹底的に煙害への恐怖心を植え付けようと、煙害体験者(大病に罹った友人)や医者の話を謙虚に聴いたり、資料(『たばこの害』)を読んだりして、6月、7月の2ヶ月間、少しずつではあったが煙草離れに挑戦していた。

医者の話や資料によると、煙草には4000種以上の化学物質が含まれ、そのうち発ガン性が分かっているものだけでも43種類あるという。そして喫煙は単独で、ガンの原因の約30%を占めているそうだ。呼吸器系の肺ガン、喉頭ガン、口腔・咽喉ガン、消化器系の食道ガン、胃ガン、肝臓ガン、膵臓ガン、泌尿器系の腎孟ガン、尿管ガン、膀胱ガン、ほかに循環器系の虚血性心疾患(心筋梗塞、狭心症)、大動脈瘤、末梢血管閉塞症(閉塞性動脈硬化)、
脳血栓、クモ膜下出血・・・まだある。喫煙により歯槽膿漏や歯周病、脳萎縮、白内障、難聴、味覚・臭覚の低下、骨粗鬆症、体液性免疫の低下、老化の促進などもみられる、とある。そして恐怖の決定打は「喫煙による余命の短縮」だ。厚生労働省のデータによると、
男性で5年、女性で4年、非喫煙者より喫煙者の寿命が短いとされている。脳も体も元気で、出来るだけ長くゴルフがしたい、旅もしたい、エッセイも書き続けたい、と欲張りな翁、これだけ脅されれば、もはや臆病(恐怖)も頂点に達する。

2009年8月1日を『さらば、煙草よ』の記念日とするために、数日前から準備に取り掛かった。そして遂に前日(7月31日)で翁の身の回りから煙草が完全に消えた。やれば出来るものだ。今、このエッセイを書いている仕事部屋には、タバコの煙に替わって“お香”の煙が桜の香りを放ちながら部屋いっぱいに広がっている。と、気取り屋の翁、ここまでは軽く言ってのけたが、翁の一大決心、一大革命は、まだ始まったばかり。これから先、いつ、魔の手が忍び寄るか、その時こそ、誘惑に立ち向かう本当の勇気が試される・・・
っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

 

今週も引き続きジャズのアルバムをお届けします。
今回はギターのKenny Burrellです。
1931年7月31日ミシガン州デトロイト生まれのギタリスト。1955年にオスカー・ピーターソン・3に短期間在籍の後にニューヨークに出る。ベニー・グッドマンのグループなどを経て59年には自己のコンボを率いてニューポート・ジャズ・フェスティヴァルにも出演。70年代初頭にはニューヨークでジャズ・クラブ「ギター」を経営した時期もあるが、以後ロサンゼルスに移り西海岸を中心に活動。ブルース感覚溢れる当代屈指のギタリストとして現在までギター界の第一人者として存在している。

God Bless The Child -Remaster

1 Be Yourself (05:53)
2 Love Is the Answer (04:57)
3 Do What You Gotta Do (09:27)
4 Ballad of the Sad Young Men (02:14)
5 Child Is Born (09:21)
6 God Bless the Child (08:00)
7 Lost in the Stars (02:25)
8 Child Is Born (alt. take/previously unreleased)


2006年8月27日発行の雑貨屋ウィークリー537号から紹介させていただいているジャズのアルバムをリストにしました。
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

毎朝、6時前に起きます。そしてブログのアクセス状況を見るのが日課になりました。6月は脅威の3600アクセス、7月は2400アクセスありました。反応があるってうれしいですね。もちろん雑貨屋もチェックしていますよ。毎日、着実にアクセス数が増えています。うれしいです。
雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.690

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com