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NO.683                Ryo Onishi              6/14/2009  

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雑貨屋のひとり言

辻井伸行さんの国際ピアノコンクール優勝の快挙は、気分のいいニュースでした。
感動させてくれましたね。もっと聴きたいと思います。おそらくCDは売り切れだろうと思いますが。手に入ったら私のコーナーで紹介します。≪R.O≫

構成吟、菅原道真(4)

以下は、今年(2009年)夏の「南カリフォルニア詩吟連盟(南加詩吟連盟)」主催の吟詠大会で使用する構成吟「菅原道真」の台本での続きです。
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☆構成吟『菅 原 道 真』(4)

延喜元年(九百一年)正月七日の除目で道真が従二位になりますと、政敵たちはもう我慢ができない。藤原一族にいよいよ危機感がつのり、道真謀反説をでっちあげる。
除目からわずか十八日後の一月二十五日、事態は急転直下、「大宰府権の師(ごんのそち)に左遷」とのお達しが出る。こうなったら唯一の頼みの綱、宇多上皇に哀願するしかありません。

   ながれゆく われはみくずとなり果てぬ
   君 しがらみとなりてとどめよ

驚いた宇多上皇は「何!? 道真を左遷とな!? これは又どうしたことじゃ!! 帝は何者かにたばかられているに違いない。すぐに参内じゃ!!」 急ぎ牛車を走らせますが、内裏の門は固く閉ざされております。
「道真〜〜〜 !! 許せ!! 私の力も及ばなんだ〜〜」
大地にこぶしを打ちつけて号泣し、おのれの無力を思い知らされる宇多上皇でありました。
道真は何の弁解も許されず、それどころか旅装を調えるヒマもないまま、二月一日、京を追われます。同時に息子四人も配流が決まりました。

   楽天(らくてん)の北窓(ほくそう)三友(さんゆう)詩(し)を詠(よ)む(抜粋)   
   菅原(すがわら)道真(みちざね)作

   勅使(ちょくし) 駈(か)り將(い)て去(さ)つしより
   父(ちち)と子(こ)と一時(ひととき)に五處(いつところ)に離(はな)れにき
   口(くち)に言(い)うこと能(あた)はず 眼(まなこ)の中(うち)なる血(ち)
   俯(ふ)し仰(あお)ぐ 天神(てんじん)と地祇(ちぎ)とを

道真には二十三人の子があったと申しますが、中でいちばん幼い隈磨(くままろ)と紅姫だけを連れて屋敷を出る。お供はたった一人、門弟の味酒安行(うまさけのやすゆき)。幼い頃から親しんだ梅の木に別れを告げ、屋敷の高い梢が見えなくなるまでふり返りふり返り、家に残してゆく妻よ、娘よ、これからどうやって暮らしてゆくのか、心は千々に乱れます。

   和歌(わか)一首(いっしゅ)        菅原(すがわら)道真(みちざね)作
   東風(こち)吹(ふ)かば においおこせよ梅(うめ)の花(はな)
               あるじなしとて 春(はる)な忘(わす)れそ

未練、未練がうしろ髪をひく・・・
大宰府権師といえば、まだまだけっこうな地位のように思えますが、実態は悲惨、「追放」と言った方がいいかもしれません。

大阪から船で筑紫へ向かいますが、途中々々の港には「食料を与えるな、馬を貸すな」とお触れが出ております。役人は土地の人々と口をきくことさえ禁じました。まるで罪人扱いで、野垂れ死にせよ、と言わんばかり、三十日以上もかかりボロボロになってなんとか太宰府にたどり着きますが、そこで与えられた家を見て一行は又唖然とするばかり。縁側は腐り落ち、床も朽ちて、屋根は雨もりがする。おおう板もないから衣がぬれてしまう。竹垣はこわれているし、井戸には石やゴミが詰まっている。

   菅原(すがわら)道真(みちざね) 正岡(まさおか)子規(しき)作

   富貴(ふうき)高名(こうめい) 求(もと)むる所(ところ)に非(あら)ず
   長(なが)く 朝政(ちょうせい)に従(したが)い 深(ふか)き憂(うれ)いを抱(いだ)く
   如何(いかん)せん賢帝(けんてい) 終(つい)に悟(さと)られることなく
   却(かえ)って忠臣(ちゅうしん)をして 九州(きゅうしゅう)に謫(たく)せしむは

理不尽な運命を悲しみながらも、天皇や上皇への恨みつらみは一切ありません。いつかきっと誤解がとける、京へもどれると、一るの望みをつないで詩歌に思いを託しております。

   門(もん)を出(い)でず   菅原(すがわら)道真(みちざね)作

   一(ひと)たび謫落(たくらく)して柴荊(さいけい)に在(あ)りてより
   万死(ばんし) 兢兢(きょうきょう) 跼蹐(きょくせき)の情(じょう)
   都府楼(とふろう)は讒(わずか)に瓦色(がしょく)を看(み)
   観音寺(かんおんじ)は只(ただ) 鐘声(しょうせい)を聴(き)くのみ
   中懐(ちゅうかい) 好(よ)し 孤雲(こうん)を遂(お)うて去(さ)り
   外物(がいぶつ) 相(あい)逢(あ)うて 満月(まんげつ)迎(むか)ふ
   此(こ)の地(ち) 身(み)に檢繋(けんけい)無(な)しと雖(いえど)も
   何為(なんすれ)ぞ 寸歩(すんぽ)も門(もん)を出(い)でて行(ゆ)かん

   自(じ) 詠(えい)     菅原(すがわら)道真(みちざね)作

   家(いえ)を離(はな)れて 三四月(さんしげつ)
   涙(なみだ)を落(お)とす 百千行(ひゃくせんこう)
   萬事(ばんじ) 皆(みな) 夢(ゆめ)の如(ごと)し
   時時(じじ) 彼蒼(ひそう)を仰(あお)ぐ

   九月(くがつ)十日(とおか)   菅原(すがわら)道真(みちざね)作

    去年(きょねん)の今夜(こんや) 清涼(せいりょう)に侍(じ)し
   秋思(しゅうし)の詩篇(しへん) 獨(ひと)り斷腸(だんちょう)
   恩賜(おんし)の御衣(ぎょい) 今此(いまここ)に在(あ)り
   捧持(ほうじ)して毎日(まいにち) 餘香(よこう)を拝(はい)す

   旅雁(りょがん)を聞(き)く     菅原(すがわら)道真(みちざね)作

   我(われ)は遷客(せんかく)たり 汝(なんじ)は来賓(らいひん)
   共(とも)に是(こ)れ 蕭々(しょうしょう)たる旅漂(りょひょう)の身(み)
   枕(まくら)を欹(そばだ)てて 帰去(かえ)るの日(ひ)を思量(しりょう)すれば
   我(われ)は何(いづ)れの歳(とし)とか知(し)らん 汝(なんじ)は明春(みょうしゅん)
            ―――― 続く ―――― 
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「」

今週はおやすみです。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

初夏を行く越後路ゲレンデも緑

一面の早苗 魚沼コシヒカリ

トンネルが偲ばすダムの難工事

只見湖に緑の山の二重三重

万緑にここだけ赤い山つつじ

( ニュースやぶにらみ )

「続投」
郵政社長も…も −麻生首相

「株価1万円を回復」
諭吉さんもう出て行かないで −兜町

「透かし文字」
消費税増税 −公約、マニフェスト

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

 

森田さんから

              

龍翁余話

龍翁余話(85)「国旗」

拙宅(マンション)は、玄関を入って直ぐの部屋が仕事部屋になっている。初めての訪問者は、その部屋を見て、たいてい驚く。部屋の乱雑さに、ではなく、365日掲げてある大小1つずつの“日の丸”に、だ。時々やって来る友人たちも初めは奇異に感じたらしく「龍翁さんは右(右翼)ですか?」と、ストレートに尋ねた後輩もいた。翁いわく「右でも左でもない、俺は、こよなく日本国を愛する日本人だ。日本人だからこそ日章旗(日の丸)と国歌(君が代)に誇りと愛着をもち、大切にしている。それを右と言うなら、間違いなく右だろう。但し、街宣車でガナリたてる団体とは無縁だが・・・」最初いぶかった彼らも、今はごく自然に“日の丸の部屋”に入って来る。翁の“愛国心”を理解してくれている証拠だろう。と言うか、彼らも実のところ本質は“愛国者”なのだ。

また、ある後輩(団塊の世代)が言った。「龍翁さん宅に来るまでは、国旗や国歌については無関心でした。オリンピックなどで“君が代”に乗って掲揚される“日の丸”に感動を覚えることはあっても積極的に国旗・国歌を我が物とする気持ちにはなれなかった。正直、少しばかり抵抗感もあった。なにせ、日教組教育で育ちましたから。しかし近年は正月、建国記念日、終戦記念日、天皇誕生日などに我が家でも“日の丸”を掲げるようにしています。私が忘れていると、女房がちゃんと出してくれます」。

今日(6月14日)は、アメリカでは“フラッグデー(国旗の日)”。1777年にアメリカ初代大統領ワシントンは星条旗を正式にアメリカ合衆国の国旗と定め、1913年に就任した第28代大統領ウイルソンが6月14日を国民の祝日とし、1949年に第33代大統領トルーマンがこの日を“フラッグデー”と宣言した、と言う。

日本の国旗は(安津素彦著『国旗の歴史』によると)“日章旗=日の丸”は古くから軍扇などに、また、江戸幕府はこれを船印として用いたが、幕末の黒船来航によって我が国の国旗を明確にする必要から、水戸藩主・徳川斉昭(第15代将軍・徳川慶喜の実父)、薩摩藩主・島津斉彬、備後福山藩主・阿部正弘らの意見によって1854年(安政元年)に、日本総船印は“白地に日の丸”と定められた、とある。“白地”は、平和と汚れのない美しい心、
“赤い丸”は、不変の太陽、不変の国家安泰、丸は円満、赤は燃えるが如き愛国の心を表
すそうだ。日の本・日本の国旗としては真に体を成し、これ以上のデザインはない。翁、改めて先人の“日の丸”への思いに敬意を表したい。

1870年(明治3年)に太政官布告として日章旗を“御国旗”と規定したが、法的根拠はなく、慣習のまま“日の丸”を国旗として使用した。大東亜戦争終結(1945年)後、GHQ(連合国軍総司令部)の命令で日章旗の掲揚は(1949年まで)禁止されたが、解禁後も法
的制定は行なわれず、20世紀が終わろうとする1999年(平成11年)に、やっとのことで
『国旗・国歌法』が公布・施行された。それまでに日教組をはじめ共産党など左翼系が反・日の丸、反・君が代を扇動した。だから、前述の後輩のような“日の丸”、“君が代”に抵抗感をもつ日本人を生み出したのだ。

2003年に東京都教育委員会は、都立高校の校長に対して「教職員は国旗に向かって起立し国歌を斉唱する。職務命令に従わない場合は処分対象とする」旨を通達した。これに対し都の教職員が起こした訴訟で東京地裁は「国旗・国歌の強制は違憲である」との判決を出した。さもあろう、この愚かな裁判官たちは、いずれも日教組教育に毒された“国籍不明の輩(やから)”ばかりであったのだから・・・

言うまでもなく、思想信条の自由は憲法でも保障された権利だから、誰であろうと自分の考えを主張することは構わない。しかし、個人的思想・信条を教育の場で子供たちに押し付ける行為は許されない。彼らは言うだろう「政府や東京都は、我々に“日の丸”を掲げよ、“君が代”を歌え、と強制しているではないか」と。それは違う。これは法律で決められたことだ。それを受け容れられなければ、教職を去ればいい。子供たちにも思想・信条の自由はあるし、それが、いかに未熟であろうと、自主的・主体的確立を子供たち自身に委ねるべきである、というのが翁の考え方だ。ましてや、遵法の精神を教えるべき教師が法に逆らってどうする?

国旗は、自国民の誇りであり自尊心である。どこの国でも国旗・国歌を尊重する。それは単に自国の国旗だけでなく他国の国旗に対しても敬意を払わなければならない。どこかの国で、他国の国旗を焼いたり引き裂いたりする場面を(テレビで)見ることがあるが、彼らは己れの文化・教養レベルの低さ、低俗な国民性を露呈しているようなものだ。

♪白地に赤く 日の丸染めて ああ美しい(や) 日本の旗は・・・(明治44年に制定された尋常小学唱歌)はメロディともにシンプルで多くの日本人に親しまれてきた。『日の丸の歌』はもう1つある。かつて“日の丸”に反対の立場をとったことのある朝日新聞が、何と、戦後の昭和24年に『日の丸の歌』を公募した(後援・文部省、NHK)。林芙美子、中山晋平、佐伯孝夫ら15人の審査員によって下記の歌が入選した。(作詞・今井廣史、作曲・十時一夫)
♪明けゆく空の そよ風に 高く掲げた 日の丸が ああ晴れやかに ゆれている
   若い日本の ゆく道を 照らすこの旗 仰ごうよ・・・
実はこの歌、以前、年上の友人(元朝日新聞記者)に教えてもらったのだが、いい歌ではないか。今や“日の丸”は、絶対に軍国主義の象徴ではない。日本の行く道を世界に示す“平和への志標”であることを肝に銘じよう・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

世界的に有名なスウェーデンの男女4人グループ"ABBA"のアルバムはいかがでしょう?
聴きなれた歌が次から次に流れてきます。軽快な歌声がいいですね。

ABBA GOLD  Greatest Hits

1. Dancing Queen
2. Knowing Me, Knowing You
3. Take A Chance On Me
4. Mamma Mia
5. Lay All Your Love On Me
6. Super Trouper
7. I Have A Dream
8. The Winner Takes It All
9. Money, Money, Money
10. SOS
11. Chiquitita
12. Fernando
13. Voulez-Vous
14. Gimme! Gimmie! Gimmie!(A Man After Midnight)
15. Does Your Mother Know
16. One OF Us
17. The Name Of The Game
18. Thank You For The Music
19. Waterloo
《R.O.》

編集後記

新型インフルエンザのニュースはグッと減ってきましたが、今頃になって他の地域で発生しています。神戸や大阪で先に発見されただけで、ずい分神戸や大阪が悪者にされたなと腹が立っています。近所のホテルでもキャンセルが相次ぎビジネスがガタガタになったようです。
雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
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Zakkaya Weekly No.683

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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