――― 前号よりの続き。以下の覚え(メモ)はすべて下記からの引用(または参照)であり、私自身がフランクリン・ルーズベルト(Franklin
Delano Roosevelt、以後の記述では「F.D.R.」とします)を知るためのメモであることをお断りしておきます。―――
「ルーズベルト、ニューディールと第二次世界大戦」(新川健三郎著、清水新書)
「パクス・アメリカーナの光と影」(上杉 忍著、講談社現代新書)
「ルート66、アメリカ・マザーロードの歴史と旅」(東 理夫著、丸善ライブラリー)
「フランクリン・ルーズベルト」(T.V.番組、知ってるつもり)、その他、インターネットからの情報 |
〔X〕小児麻痺との闘い、政界への復帰
(1) 小児麻痺(ポリオ)との闘い
1920年の選挙戦に破れたF.D.R.は、公職から身を引き、ふたたび弁護士としての生活に戻った。しかし、間もなく思いがけない病魔に襲われた。1921年の夏、彼は家族とメイン州のカンポペレー島の別荘で、水泳のあと、突然激しい寒気に襲われ、下半身の筋肉を動かすことが出来なくなった。小児麻痺(ポリオ)にかかったのであった。
長い闘病生活は精神的にも肉体的にも苦痛の連続であった。このような逆境の中にあっても、彼 が再起を果たせたのは、良い医師に恵まれたこと以外に、(a)
彼自身の勇気と決断力、野心の強さ、(b) 強靭な意思を持つエレノア夫人の献身的な看病
があげられる。そして、数年で立ち上がり歩けるまでに回復した。
この小児麻痺との闘いは、これまで名門の家に生まれ、特権階級的な高慢な態度が目だったF.D.R.が、闘病後は傲慢なところがなくなり、民衆の困っている問題にも耳を傾ける温かい人間に変ったという。したがって、彼の闘病生活は長期的にみて、彼の政治生活にとって大きなプラスとなったようだ。
(2) 政界への復帰
1928年アメリカは永遠に続くかと思われた好景気の中で、大統領選挙を迎えた。民主党では、ニューヨーク州知事のスミスが出馬の決意を固め、その際、F.D.R.に自分の後を継いで州知事に立候補するよう要請した。F.D.R.は政界復帰をまだ時期尚早とみて、辞退したが、スミスは強引に彼を引き出す策をとり、同意を得ないままに党大会でF.D.R.を州知事候補に指名してしまった。結果的には、スミスは共和党候補のフーバーに敗れ、F.D.R.は接戦のあげく、みごと当選を果たした。
そして彼がニューヨーク州知事に就任してから 8ヶ月も立たないうちに、アメリカと世界をゆるがす大恐慌が勃発したのであった。
――― 以下次号に続く ――― 河合将介(skawai@earthlink.net) |