句会場(千駄木)周辺ぶらり散歩(12)
--★ 青鞜社発祥の地
句会場を出て左へ200メートルほど行った左に、NTTの建物があり、句会場の方から行くと壁の陰になって見逃しがちですが、文京区の[青鞜社発祥の地]の記念プレートがはめ込まれています。 『青鞜社は,
平塚らいてう (雷鳥・1886〜1971) の首唱で,
木内錠子(ていこ)・物集(もずめ)和子・保持(やすもち)研子(よしこ)・中野初子ら 20代の女性 5人が発起人となり, 1911年
(明治44) 6月1日に結成された。事務所は ここ旧駒込林町9番地の 物集和子宅におかれ, その裏門に「青鞜社」と墨で書かれた
白木の表札が掲げられた (後略)』 婦人解放運動の旗揚げです。
月刊「青鞜」創刊号は雷鳥の「元始, 女性は実に太陽であった」の発刊の辞で始まり、表紙絵は、後に高村光太郎と結婚した
長沼ちゑが描いています。 『元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。さてここに「青鞜」は初声を上げた。女性のなすことは今はただ嘲りの笑いを招くばかりである。 私はよく知っている、嘲りの笑いの下に隠れたるあるものを〜』
また創刊号には与謝野晶子も詩を寄せています。1989年社会党が選挙で大躍進をし、時の委員長土井たか子氏のセリフ「山が動いた」の元になった詩です。 『そぞろごと』
山の動く日来(きた)る。
かく云えども人われを信ぜじ。
山は姑(しばら)く眠りしのみ。
その昔に於て
山は皆火に燃えて動きしものを。
されど、そは信ぜずともよし。
人よ、ああ、唯これを信ぜよ。
すべて眠りし女今ぞ目覚めて動くなる。
ここ千駄木は「保険所通り(9)」でも紹介したように、当時の錚々たる政治家、実業家、芸術家が住まいをした地でありますが、その一方で講談社の野間清治、青鞜社の平塚雷鳥といった明日の日本を切り開こうとした若い力の芽生えた地でもありました。 |