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NO.665                Ryo Onishi              2/8/2009  

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雑貨屋のひとり言

娘の結婚式が迫ってきました。だからどうしたということもありませんが、ちょっと落ち着かないのも事実です。親戚の方が萩から来られるので、近くのホテルを手配して、前日と当日の食事をどうしようかと考えたりしています。もちろん私自身がそれでどう楽しむかが大事なのですが・・・・≪R.O≫

F.D.R メモ(2)

――― 前号よりの続き。以下の覚え(メモ)はすべて下記からの引用(または参照)であり、私自身がフランクリン・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt、以後の記述では「F.D.R.」とします)を知るためのメモであることをお断りしておきます。―――

「ルーズベルト、ニューディールと第二次世界大戦」(新川健三郎著、清水新書)
「パクス・アメリカーナの光と影」(上杉 忍著、講談社現代新書)
「ルート66、アメリカ・マザーロードの歴史と旅」(東 理夫著、丸善ライブラリー)
「フランクリン・ルーズベルト」(T.V.番組、知ってるつもり)、その他、インターネットからの情報

〔U〕経済・社会的背景とF. D. R.
  F. D. R.が生きた19世紀末から 20世紀前半にかけての60余年間は、アメリカにとってのみならず、世界全体にとって、変動の大きい時期だった。この時期、アメリカは、

(1)独占資本の成長のもとで多くの社会問題に直面し、特に 1929年からは経済機構を根底からゆるがすような深刻な経済恐慌に見まわれた。
(2)世界情勢も帝国主義列強間の対立が深まる中で、第一次世界大戦をむかえ、また、ロシア革命が起こり、さらにファッシズムの台頭により国際秩序は崩壊の危機に瀕した。
 
  【注】:ファシズム(fascism)= @、第一次大戦後、イタリアに起こったファシスタ党の主張。反民主的、暴力的、排外的な政治思想・運動・体制のこと。A、急進的な国家主義、軍国主義。

アメリカは建国以来、100年以上にわたって、発展を遂げ、19世紀末には、世界の一の工業生産力を誇る大国となった。だが、産業資本の成長につれて独占的企業への経済力の集中が強まると、アメリカ国内に、連邦政府の手で経済規制を行い、富と権力の集中に伴って生じた種々の弊害を是正しようとする改革運動が起こった。この運動は 20世紀の初め、革新主義の風潮が広まる中で著しい盛り上がりをみせた。当時政界入りをしたF. D. R.も、この改革の気運に少なからず影響を受けた一人であった。

 1914年第一次世界大戦が勃発するや、アメリカ社会は再び大企業の利害が中心となって動かされるようになり、1920年代にアメリカ資本主義が繁栄を謳歌する中で、保守的な風潮に支配されるようになった。だが、やがて 1929年10月24日(暗黒の木曜日)をスタートに大恐慌が起こると、アメリカの経済機構は全面的な破綻をみせ、これまでにない大がかりな改革が必要になった。

F. D. R.がアメリカ国民の期待をになって政権についたのは、まさにこの重大な危機の最中だった。彼は優れた政治力と比類なき行動力をもって国民の信望をかちとり、経済のほとんどあらゆる分野にわたるニューディール政策を実施して、その後のアメリカ経済社会に大きな影響を及ぼす重要な改革をなしとげた。

 彼は社会構造を根底から変えるような急進的な改革のプランや、一貫した理論的な政策思想は持ち合わせていなかったが、大胆な実験をもおそれぬ勇気と実践的精神を備え、現実の状況に巧みに順応する柔軟性を持っていた人だった。

 アメリカは19世紀末以来、従来の孤立主義の殻から抜け出し、国際社会で重要な役割を演ずるようになった。国内の経済力の発展を背景に、海外市場の獲得にのりだし、米西戦争では自ら植民地を領有して、帝国主義列強の仲間入りをした。海外進出の気運の中で成長した彼も、早くから国際的感覚を身につけていた。

 帝国主義諸国間の勢力争いは1914年、遂に第一次世界大戦を引き起こしたが、当時のアメリカはウイルソン大統領の指導のもとに国際連盟の設立を提唱するなど、国際秩序の再建に尽力する姿勢を示した。結局、アメリカは自ら提唱し、設立した国際連盟に加盟せず、孤立主義的態度に戻ったように見えたが、世界一の経済力を持つアメリカなしでは世界は動かないまでになっていった。

 大恐慌は第一次世界大戦後の国際秩序をも破綻させ、世界はいくつかのブロックに切断され、この混乱の中でファシズム勢力が台頭する。こんな時代背景のもとでF. D. R.が存在していた。
――― 以下次号に続く ―――
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言

今週はお休みです。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

 廃線の脳裏にSLの挽歌

SLも駅員も消え風の駅

ポッポ屋で老い 諳んじた時刻表

ブルートレインいつか時代に追い越され

母さんの駅 終点の縄電車

( ニュースやぶにらみ )

「義理チョコ」
小沢さんに −福島社民党党首

「郵政見直し」
ポストをいじりたい −麻生首相

「お互いさま」
世襲議員なんかに負けるか −渡り官僚

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

句会場(千駄木)周辺ぶらり散歩(12)
--★ 青鞜社発祥の地
 句会場を出て左へ200メートルほど行った左に、NTTの建物があり、句会場の方から行くと壁の陰になって見逃しがちですが、文京区の[青鞜社発祥の地]の記念プレートがはめ込まれています。 『青鞜社は, 平塚らいてう (雷鳥・1886〜1971) の首唱で, 木内錠子(ていこ)・物集(もずめ)和子・保持(やすもち)研子(よしこ)・中野初子ら 20代の女性 5人が発起人となり, 1911年 (明治44) 6月1日に結成された。事務所は ここ旧駒込林町9番地の 物集和子宅におかれ, その裏門に「青鞜社」と墨で書かれた 白木の表札が掲げられた (後略)』 婦人解放運動の旗揚げです。
月刊「青鞜」創刊号は雷鳥の「元始, 女性は実に太陽であった」の発刊の辞で始まり、表紙絵は、後に高村光太郎と結婚した 長沼ちゑが描いています。 『元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。さてここに「青鞜」は初声を上げた。女性のなすことは今はただ嘲りの笑いを招くばかりである。 私はよく知っている、嘲りの笑いの下に隠れたるあるものを〜』
 また創刊号には与謝野晶子も詩を寄せています。1989年社会党が選挙で大躍進をし、時の委員長土井たか子氏のセリフ「山が動いた」の元になった詩です。                  『そぞろごと』                                                                     山の動く日来(きた)る。                                                          かく云えども人われを信ぜじ。                                                     山は姑(しばら)く眠りしのみ。                                                     その昔に於て                                                                山は皆火に燃えて動きしものを。                                                  されど、そは信ぜずともよし。                                                    人よ、ああ、唯これを信ぜよ。                                                すべて眠りし女今ぞ目覚めて動くなる。
ここ千駄木は「保険所通り(9)」でも紹介したように、当時の錚々たる政治家、実業家、芸術家が住まいをした地でありますが、その一方で講談社の野間清治、青鞜社の平塚雷鳥といった明日の日本を切り開こうとした若い力の芽生えた地でもありました。

森田さんから

今回はお休みです。
                                                                                                            

龍翁余話

龍翁余話(67)「ダニエル君と日本精神」

翁の友人にダニエル君(29歳)というニュージーランド出身の“ニッポン大好き”青年がいる。故郷・オークランドの大学(映像学科)在学中から日本映画に魅せられ、溝口健二、内田吐夢、小津安二郎、成瀬巳喜男、マキノ正博、黒沢 明、今井 正など日本映画史に輝く名監督たちの代表作品を研究してきた、という。今でも監督名と作品名がスラスラと口から飛び出すほどの日本映画通(ツウ)。翁の知らない(観ていない)作品名もある。もっとも日本題名と英語タイトルが異なるので、ストーリーを聞いているうちに、思い当たる作品もあるのだが、とにかく彼の日本映画知識は、まさに“評論家”並みだ。そして彼の将来の夢は、「日本精神をベースにした映画を母国ニュージーランドで作ること」だそうだ。外国の若者に“日本精神”などと言われると、古風な翁、それだけでも嬉しくなる。だから毎月(1〜2度)会うことにしている。

彼は4年前に来日して都内の高校の英語講師に。3年前(外資系企業に勤務している)Yさんと結婚。Yさんとは、ダニエル君が大学時代、Yさんがオークランドに語学留学していた時に知り合い相思相愛の仲に。Yさん帰国後、ダニエル君は大学を卒業して間もなくYさんを追っかけて来日、結婚した、という純愛物語の主人公だ。彼の”ニッポン大好き“の原点は、どうやら日本映画とYさんにありそうだ。翁が彼と出会ったのも3年前、別の外国人(アメリカ人)の紹介だった。いまだ日本語を話せないダニエル君、ヘタクソな英語しか話せない翁、二人の会話は、けっしてスムーズではないが、どういうわけかウマが合い、最初の頃こそ彼は翁のことを“サムライ”と言って多少怖がっていた様子だったが、最近は“ジャパン・ファーザー(日本の父)”と呼んで親しんでくれている。

彼が(日本映画によって)イメージした“日本精神”とは「日本人は礼儀正しい、約束を守る、家族や友人を大切にする、弱い者を助ける、国を愛する」などであったが、4年も東京暮らしが続くと、彼が抱いた“日本精神”に疑問が生じるようになった、という。つまり、映画で知った日本人像と現実の日本人像にズレを感じ出したのだ。先日、彼に会った時のこと、彼から質問が出た。「家族や友だちを大切にする国民、弱い者を助ける国民であるはずなのに、何故、子が親を殺し、親が子を殺すのか、学校などで、何故、イジメをするのか」、「愛国心の強い国民であるはずなのに、何故、国歌や国旗を大切にしないのか」など、痛い質問を翁に浴びせる。それらの説明は、日本語でも難しいのに、翁の貧しい英語力では、とうてい適切な解説はなしえない。でも何とか“ジャパン・ファーザー”のメンツにかけて、と、苦し紛れに翁流の考えを伝える。「第2次世界大戦後(1945年以降)の日本の学校教育から道徳教育が消えた。伝統的日本精神が崩壊した根本的な原因が、そこにある」。更にダニエル君の質問は続く「道徳教育とは何か」・・・

そこで、昨年暮れに書いた『龍翁余話』(63)「感謝」の一節を彼に紹介した。それは、
教育勅語12の徳目、すなわち1.親孝行をしよう。2.兄弟姉妹は仲良くしよう。3.夫婦はいつまでも仲睦まじくしよう。4.友だちは互いに信じ合おう。5.謙遜の態度を失わず。6.全ての人に愛の手を。7.勉学に励み職業を身につけよう。8.知徳を養い才能を伸ばそう。9.人格の向上に努めよう。10.世の中の人や社会のためになる仕事(や奉仕)に励もう。11.法律や規則を守り社会の秩序に従おう。12.正しい勇気をもって国のために真心を尽くそう・・・するとダニエル君「そんなこと、当たり前の教育でしょう、僕の国では幼児から教えています。どの小学校でも、どの家庭でも」と笑った。日本は、その当たり前の教育が出来なかったのだから恥ずかしい。

日本映画通(ツウ)のダニエル君、“日本精神”のほかに“BUSHIDO(武士道)”を口にする。その説明が、また難しい。“武士道”とは、古くは“武士(もののふ)の道”、“丈夫(ますらお)の道”、“兵(つわもの)の道”、“侍道(さむらいどう)“と呼ばれたが、明治以降は”武士道“に統一された、と、新渡戸稲造(1862年〜1933年、教育者・農政学者)の著書『武士道・日本の魂』に書かれている。この本は1899年(明治32年)、アメリカ(フィラデルフィア)から『Bushido, the Soul of Japan』 という英文で出版され、世界中に大きな反響を呼んだ。その中に説かれている『義・勇・敢為(物事を思いきって行なう)・堅忍(我慢強さ)・仁・礼・誠・名誉・忠義・克己(自分の心に生じる欲望、葛藤を意志力で抑えつける)』などの徳目は単に武士だけのものではなく、人間形成における普遍的規範である、とされている。そのことをダニエル君に教えるのは、翁、もはや不可能。『Bushido, the Soul of Japan』の本を探して彼に読ませる以外に方法はない。ただ「日本精神と武士道は、同じ意味を持つ」ことだけは伝えておいた。

日本人同士、“日本精神”だの“武士道”だのを語り合うことが少なくなった昨今、紀元節(2月11日)を前に、外国の青年によって“日本精神”を呼び覚まされたことは有意義であった。しかし疲れた。喉はカラカラ、コーヒーを3杯もおかわりした。彼もさぞかし疲れたことだろう、翁のヘタな英語解説で¬――彼にそう言ったら「僕の心に響きました。ファーザー(翁)は、やはりサムライです」嬉しいことを言う、優しい青年だ。

実はダニエル君、Yさんと戸籍上夫婦になっているものの、まだ結婚式を挙げていなかったそうだ。それで今年3月末に挙式する、という。「ニュージーランドから両親も来日する。“ジャパン・ファーザー“にも是非、出席して貰いたい」と招待を受けた。式場は(翁もよく知っている)東京・白金台の『八芳園』。徳川家康没後も将軍家に忠誠を貫き、万民のための政治を、と幕府にモノ申し続けた“天下のご意見番”大久保彦左衛門の別邸跡。日本の伝統美を誇る庭園。時季(とき)は桜。“日本精神”に魅せられたダニエル君に、何とふさわしい式場ではあるまいか・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

身近に音楽仲間ができまして、お互いの秘蔵?CDを貸し借りしています。嗜好が違うもの同士ですが、それでも共通点はあるものです。新しい発見があり、音楽の幅が拡がっています。ほとんど聴くことがなかった手持ちのアルバムも貸す前に、その友人の嗜好に合うかな?と考えながら聴くようになり、あらためて音楽の良さを認識したり、自分の好きな音楽を確認できたりしています。その友人の薦めで最近ファンになったのがMeja(メイヤ)です。"Life Is A River"から始まるアルバム"Mellow"を聴いて、感動しました。初めて聴いたアルバム"my best"も良かったですが、このアルバムを聴いてからはすべてのアルバムがすばらしいと思うようになりました。お勧めします。是非お聴きください。

Life Is A River  Meja

1.Agua De Beber
2.Kiss Me Again
3.O Leaozinho (Little Lion)
4.Red Light
5.Wake Up Call
6.Too Late
7.The One
8.Dindi
9.The Circle Game
10.Venus

<R.O.>

編集後記

最近、またワイフと楽しみながら歩くようにしています。
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Zakkaya Weekly No.665

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com