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NO.664                Ryo Onishi              2/1/2009  

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雑貨屋のひとり言

今年も早いもので一ヶ月が過ぎ二月になりました。暗いニュースばかり報道されていますが、そんな中で万能ワクチンの開発が進んでいたニュースは良かったですね。人類のために一所懸命考えて、知恵を出しているんだとうれしく思いました。それで自分にもなにかできるんじゃないかと考えています。そんな話をみなさんとやりたいですね。≪R.O≫

F.D.R メモ(1)

1月20日、アメリカ合衆国はオバマ新大統領の誕生により新たな歴史のページが始まりました。世界を震撼させた未曾有の経済・金融危機と世相の不安の中で、オバマ新政権がどのような政策をとるのか、アメリカだけでなく世界中が彼の力量と指導力に期待し、注目しています。

嘗て1920年代の末に経験した大恐慌の直後、アメリカ合衆国第32代の大統領に就任したフランクリン・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt=F.D.R.)は、後の世に有名な「ニューディール政策」を打ち出し、改革によって経済の立て直しをはかりました。彼は農業調整、失業救済事業、産業復興、公共事業他で法的整備をし、連邦政府の主導による産業の振興を実現させました。ただし、この「ニューディール政策」による“チェンジ”もその後の評価は必ずしもポジティブなものだけではなく、たとえば肝心の失業問題も最終的に解決するにいたったのは第二次世界大戦の勃発に負うところが大きかったといわれたりしています。

今のアメリカと世界を取り巻く経済金融環境は、ある意味で当時のアメリカと相通ずるところがあり、今回の危機的状況を解決するため、オバマ政権にもオバマ流の新「ニューディール」が期待されています。

オバマ大統領はしばしばフランクリン・ルーズベルト大統領にたとえられたり比較されたりされています。そこで、この時期にフランクリン・ルーズベルト大統領(以後の記述では「F.D.R.」とします)について学んでみればオバマ流改革の方向に対する何かのヒントが見えそうな気がしたので、F.D.R.の経済政策について参考になるような本やインターネットで調べてみました。参考資料として次の資料を使いました。以下の覚え(メモ)はすべてこれらの資料からの引用(または参照)であり、私自身がF. D. R.を知るためのメモであることをお断りしておきます。

*引用・参照資料:
    「ルーズベルト、ニューディールと第二次世界大戦」
          (新川健三郎著、清水新書)
    「パクス・アメリカーナの光と影」
          (上杉 忍著、講談社現代新書)
    「ルート66、アメリカ・マザーロードの歴史と旅」
          (東 理夫著、丸善ライブラリー)
    「フランクリン・ルーズベルト」(T.V.番組、知ってるつもり)
     その他、インターネットからの情報

 〔T〕F. D. R.について
F. D. R.は 1933年3月4日、アメリカ合衆国第32代大統領に就任し、1945年4月12日脳溢血のため死去するまでの12年間、アメリカ及び世界の指導者として生きた。世界の現代史における最も卓越した政治家の一人と言われている。
【注】:アメリカ合衆国は初代大統領のジョージ・ワシントンからの慣例として任期は2期(8年)となっていたが、唯一の例外がF. D. R.で、4期再選され、12年余り職務を遂行した。なお、その後1951年合衆国憲法修正第22条により、大統領の任期は2期を越えられないとする規定が設けられた。

 F. D. R.が、アメリカはもとより、世界の現代史における最も卓越した政治家の一人と言われる理由としてつぎのようなことがあげられる。

(1)、大恐慌の経済的破局に際して、アメリカ経済の体質を変えるような大胆な政策の実行。
(2)、第二次世界大戦において、連合国側の指導者として優れた手腕を発揮。

即ち、社会不安と国際紛争に揺れた危機の時代に、歴史とともに歩み、その中に偉大な足跡を残した。ニューディールを推進し、反ファッシズム戦線の先頭に立った彼は、「進歩的な改革者」、あるいは「民主主義の擁護者」と高く評価された。
 但し、他方では、その輝かしい業績は認めながらも、彼は確固としたイデオロギーや思想を持たない「日和見主義的な政治屋」にすぎず、共産主義勢力の脅威を充分に認識しなかった「楽観的な理想主義者」とも批判されている。

 また、彼がこれまでの危機的経済状況から、国を立て直すことが出来た理由として挙げられるのは、
(1)、アメリカ国民の圧倒的多数から支持された。
(2)、失政を恐れず、積極的に改革に挑んだ。
(3)、弱者救済を基本理念とした。   ――― 以下次号に続く ―――

  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言

今週はお休みです。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

 ヘルメットもベレーも似合う父が好き

反骨が父の背骨をピンとさせ

嫁がせて少し緩んだ父のネジ

おふくろは元気か北の雪便り

祝い膳母手造りの滋味風味

( ニュースやぶにらみ )

「減反見直し」
票田の荒れがひどい −自民党

「庭に埋めた3億6千万円盗難」
ボクじゃないよ −近所のポチ

「見晴らし良好」
見通しがねえ −かんぽの宿

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

句会場(千駄木)周辺ぶらり散歩(11)
-★ 講談社発祥の地
千駄木の地名の由来ですが、新篇武蔵風土記に、むかし雑木を伐り出し、一日に千駄にも及び千駄木と称した。また、太田道灌が栴檀の木を植えたので、栴檀木林から後に千駄木と改めたとの説もあります。 江戸時代、ここは太田道灌の子孫である太田摂津守の下屋敷で、その敷地は広大なものだったようですが、現在は「千駄木ふれあいの杜」という小公園に、屋敷内に連なっていた崖地の緑がわずかに残されているだけになりました。また団子坂上から途中までの左側に連なる石垣にその面影をみる気がします。先の大戦中この石垣の一部を外し中に防空壕を掘ったとか、現在石垣の一部色が変わっているのがその名残だそうです。
団子坂を下りきって、不忍通りに出る一つ手前の狭い道を左折してしばらく行くと、左側に講談社の瀟洒な高層社宅があり、その前に創業の時からあったという伊予青石に、第6代社長野間佐和子の揮毫になる、講談社発祥の地の石碑があります。かたわらの文京区のプレートには 『1909年(明治42年)11月、 青年・学生の弁論と精神修養のための雑誌「雄辨」発行を志した30歳の野間清治は, 東京団子坂下の借家(旧・本郷区駒込坂下町48番地, 現・文京区千駄木3丁目)の門柱に「大日本雄辨會」の看板をかかげた ―― 講談社の創業である〜』とあります。この石碑を前に目を閉じると、意気に燃えていた若き日の野間清治の面影が浮かんでくるようです。

森田さんから

今回はお休みです。
                                                                                                            

龍翁余話

龍翁余話(66)「呆れて、モノを言う」

「呆れて、モノが言えない」のが普通だが、ヘソ曲がりの翁、斜に構えてモノを言う―
相撲界に、だ。まずは『またもや各界に激震、日本人関取が大麻所持で逮捕』の新聞報道から・・・

神奈川県警薬物銃器対策課と中原署は30日、大麻取締法違反の疑いで、大相撲尾車部屋の十両・若麒麟(わかきりん)真一(本名・鈴川真一)(25)と、友人のミュージシャン平野力(つとむ)(30)を現行犯逮捕。若麒麟が所属する尾車部屋などを捜索した。同法違反容疑での日本人力士の逮捕は初めて。昨年8月のロシア出身力士3人による大麻事件以来、再発防止を掲げてきた大相撲にまたも激震が走った。

優柔不断、自分の言葉も実行力も持たなかった前理事長に比べ、今度の理事長(武蔵川)は就任早々から“立会い時の両手つき”、“勝敗後のお辞儀”(礼に始まり礼に終わる)など幾つかの改善を断行し、翁、かなり期待していた。しかし、この大麻問題に関しては“再発防止を掲げた“だけで実は具体的には何もしなかった、と見られても仕方あるまい。
昨年の大麻事件の教訓が少しも生かされなかったのだ。かねてから疑惑のあった若麒麟は昨年9月の抜き打ち簡易尿検査の際、2回の検査で陰性が確認できず計3回の検査を受けていた。協会は30日、当時の検査に問題はなかったとの見解を示したが、そこに問題があったのだ。簡易(キット)検査は、あくまでも予備的な検査方法で、キット検査だけで白黒を決めるのは早計、正式な検査をした上で結果を判断するのが基本中の基本である、と専門家は言う。つまり相撲協会は若麒麟に対して基本中の基本“正式な検査”をしていなかったことになる。そのことについて協会の伊勢ノ海理事は「専門家の先生が判断したことだから、素人がとやかく言うことではない」と開き直る。更に「(全力士に対して)改めて検査を行なう考えは?」の記者の質問に「今は考えていない。今後、検討する」・・・

事の重大性に、この程度の認識しか持てない伊勢ノ海の答えに、翁、また呆れる。“今後“
では遅過ぎるのだ。直ちに(序の口から横綱までの)全力士に対して正式な尿検査を敢行しなさい、と言いたい。「えっ?横綱まで?」当然デス、出来れば親方衆もだ。国技の名を汚し、これだけ世間を騒がせた社会的責任を考えれば「若麒麟にマゲを落とさせる」(若麒麟の師匠・尾車親方)だけでは済むまい。その尾車親方、記者会見での発言「大麻を吸ってはいけない、とは言っていないが、本当に残念、ぶん殴ってやりたい」・・・“大麻を吸ってはいけない、とは言っていない”? 呆れた言い草だ。指導責任を果たせなかった自分の頭を殴れよ、尾車さん。とまれ、相撲界をリードする人たちの国技への強い信念、社会的責任感、緊張感の希薄は、もはや日本相撲協会の“特技”になり果てたか・・・

指導者としての資質の低下が問われる中、翁がどうしてもヤリ玉に挙げたい親方がいる。
歴代横綱の中で最も品格のかけらもない傲慢男(朝青龍)を造り上げた高砂親方(元大関朝潮)だ。朝青龍のこれまでの不祥事・トラブルを思い起こせば、彼が関脇時代から今日まで、あるある。腹が立つのでここでは列記しないが、その不祥事・トラブルに対して高砂親方は何ひとつ指導しなかった。それどころか、師匠としての品位も貫禄も失わせたのは、2007年の夏、怪我を理由に巡業をサボり、モンゴルに里帰りしてサッカーに興じたことが問題になった時のこと(2場所出場停止処分)、朝青龍の本格治療の名目で再帰国する際、高砂親方も朝青龍に同行した。飛行機から降りる時、朝青龍は師匠を無視して(挨拶もしないで)堂々と?先に降り立った。親方はまるで朝青龍の付き人(荷物持ち)の存在にしか見えなかった。記者会見で発した第一声「モンゴルの夕陽が美しかった」・・・師匠としての威厳も責任感もなく、自分の立場や問題意識も上の空、こんな男が協会の理事(当時)か、と、呆れ返ったものだ。

朝青龍は(3場所欠場した後なので)初場所は勝ち越しがやっとだろう、と見くびっていたら(翁の期待?に反して)優勝してしまった。そのことに関しては翁も素直に拍手を送る。が、あとがいけない。ガッツポーズ問題で、武蔵川理事長から「横綱としての品位に関わる」として高砂親方ともに厳重注意を受けた。高砂親方いわく「私はテレビを観ていたが、あまり深く考えなかった、甘かった」そうなんだよ高砂さん、あんたは常に甘いのだ。だから天狗横綱の鼻も折れない。ついでだが29日の『相撲教習所卒業式』で副所長の高砂親方が卒業証書を授与する際、武蔵川理事長の下の名“晃偉(あきひで)”を読めずに詰まる一幕があったそうだ。呆れたもんだ高砂さん、自分の親分の名前ぐらい覚えておきなさい。

正直、翁は、ガッツポーズ問題は大して気にはしていなかった。進退がかかった場所での優勝に、つい、喜びが噴き出たのだろう。それより、あとの言動にうんざりした。「朝青龍が戻ってきた!」と胸を張って自画自賛。「おい、お前」と記者団を見下す。見下される記者たちも情けない。いや、もしかして、この礼儀知らずの男を造り出したのは、高砂親方や協会だけでなく、マスコミにも責任があるだろう。なにせ、腫れ物に触るような接し方だから「俺は偉いんだ」と錯覚するのも(社会的未熟者には)無理からぬことだ。

今号は、呆れ角界にモノ申した。日本相撲協会よ、大麻問題は協会の権威と名誉にかけて毅然たる姿勢を世に示しなさい。親方衆よ、もっと社会常識を学び、指導者としての修業を積みなさい。朝青龍よ、多くは望まない。唯一つ、懸賞を受け取る時、手刀で『心』を書きなさい。その心とは、スポンサーやファンに対する感謝、自分と闘ってくれた敗者への感謝と思いやりの心も含まれる。それが出来るようになれば、心・技・体の備わった名横綱に変身するかもしれない、伝統ある国技の発展のために、切にそう願いたい、っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。
 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

今週も先週に引き続いて女性シンガーソングライターのご紹介です。心地よい耳障りの良い歌声で、癒されます。1976年東京生まれ、2001年にデビュー。 
音楽以外にも、ラジオパーソナリティ・女優・エッセイスト・ナレーターなどマルチな分野で活躍中。特に、インターネットでの活動には定評があり、「ブログの歌姫」と称される。柴田淳のオフィシャルサイトのブログ"Dialy"
http://www.shibatajun.com/diary.php

アルバム「わたし」です。
柴田淳 
1 おかえりなさい。
2 白い世界
3 ゲーム
4 あの夏
5 ちいさなぼくへ
6 いつかの王子様も♪〜拝啓、王子様☆続篇〜
7 道端
8 また明日
9 幻
10 一人暮らし
11 わたしの夢

柴田淳の歌は下記で視聴できます。
http://listen.jp/store/albumList_1149893.htm
柴田淳のオフィシャルサイト
http://www.shibatajun.com/

<R.O.>

編集後記

今日は風があってちょっと寒かったですね。あと2ヶ月・・・です。
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

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Zakkaya Weekly No.664

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com