龍翁余話(61)「東京国際柔道大会」
北京オリンピックが終わり、4年後に向けた新たな日本柔道の再スタートと銘打った『嘉納治五郎杯・東京国際柔道大会2008ワールドグランプリ』が、38カ国・地域から273選手がエントリーして12月12・13・14の3日間開催。翁、初日の12日(金)に東京体育館(千駄ヶ谷)に出かけた。当日の試合は、男子60kg級、66kg級、女子78kg級、78kg超級。試合は、1回戦、2回戦、3回戦、準決勝・3位決定戦、決勝の順で行なわれる。試合場(畳)は8m×10m。安全地帯を含め1面の大きさは14m×16m四方、それが4面ある。1回戦から3回戦までは、4面で同時に試合が行なわれるので首を左右に振らなければならず、けっこう疲れる。東西に大型モニター(スクリーン)があり、選手たちの表情がアップで映されるので、それを見るほうがラクだが、せっかく会場に来ているのだから、やはり首を左右に振ることになる。おまけに、多少は疲れても、これまでのオリンピックで活躍した選手(当日は男子66kg級の内柴正人、女子78kg級の中澤さえ)や監督(篠原信一)、コーチ(井上康生、阿武教子)、ゲスト(山下泰裕)らを翁のデジカメに収められたのだから、やはり会場に足を運んだ甲斐があった、というものだ。
ところで、柔道をご存知ない読者のために『嘉納治五郎と講道館』について触れておこう。
嘉納治五郎(1860年〜1938年)は、講道館柔道の創始者、つまり”日本柔道の父“であり明治・大正・昭和にかけて柔道のほか教育分野の発展にも貢献、日本のオリンピック初参加に尽力するなど、わが国のスポーツ界を世界の道へと拓いた功労者。『精力善用』『自他共栄』の言葉を掲げ1882年(明治15年)に創設された講道館(東京都文京区春日)は、言うまでもなく柔道の総本山。現在の館長(4代目)は治五郎の孫・嘉納行光氏(全日本柔道連盟会長)である。
嘉納治五郎と講道館の名を、一般的に高めたのは1943年(昭和18年)に作られた映画、のちの巨匠・黒沢明監督のデビュー作『姿三四郎』だ。姿三四郎とは講道館四天王の一人・西郷四郎をモデルにした実話であり、嘉納治五郎は映画では“矢野正五郎”の役名。ちなみに原作者の富田常雄(1904年〜1967年、小説家・柔道家)は、同じく講道館四天王の一人・富田常次郎の次男であり、子どもの頃から姿三四郎(西郷四郎)との交流が深かったそうだ。黒沢映画『姿三四郎』の主演は藤田 進(姿三四郎)、大河内伝次郎(矢野正五郎)のほか轟 夕起子、月形龍之介、志村 喬ら。若い人は全くご存知なかろうが、当時の、そうそうたる銀幕スターばかり。東京都青梅市は、古い映画の看板を復元して町中に掲げてあることで有名だが、その中に『姿三四郎』のポスターがあったように記憶している。
戦後、同名『姿三四郎』の映画はたくさん作られた。波島 進(昭和30年)、加山雄三(昭和40年)、竹脇無我(昭和45年)、三浦友和(昭和50年)が三四郎を演じたが、初代三四郎の藤田 進に適う役者は一人もいない。しかし、姿三四郎を主人公とする映画やテレビドラマの中で三四郎を演じた役者では、菅原謙二、本郷功次郎、勝野 洋らの演技が印象に残る。何故なら、彼らは実際の黒帯(有段者)だったから。
さて『嘉納治五郎杯・東京国際柔道大会2008
ワールドグランプリ』の初日、男子60kg級の優勝戦は秋元希星(きせい)(筑波大4年、22歳、3段)が一方的な攻めで韓国のG・Hチェに優勢勝ち。66kg級の決勝戦は、準決勝で頭から血を流しながら辛勝した江種(えぐさ)辰明(警視庁、32歳、5段)が頭に包帯を巻いて登場、これも韓国のJ・Hアンを圧倒、終了7秒前、豪快な払い腰で1本を決め、金メダルに輝いた。なお、期待されたアテネ、北京両五輪の金メダリスト内柴正人(旭化成、30歳、5段)は、あっけなく2回戦で敗退した。女子は78kg級で堀江久美子(兵庫県警、26歳、3段)が、決勝戦で中国の楊秀麗(北京五輪の金メダリスト)に1本負けし、金を逃した。五輪代表の中澤さえ(綜合警備保障、25歳、2段)は2回戦で敗退。78kg超級では日本勢(杉本美香、田知本愛、立山真衣)は総崩れ、07年世界選手権無差別級3位のイワシュシェンコ(ロシア)が優勝した。
2回戦までは、場内は比較的静かだったが、3回戦、準決勝・3位決定戦あたりから俄然、応援合戦が激しくなる。国際試合だから、いろんな国の言葉が飛び交うのは当然だが、中でも韓国語が群を抜く。翁が座っているアリーナ(指定席)の周辺に韓国勢が陣取っているから、なおさらボリュームが高い。日本の応援が激しくなったのは男子優勝決定戦だ。60kg級と66kg級は共に日本対韓国の決戦だけに“日韓応援合戦”の様相を呈した。この迫力はナマでなければ味わえない。
それにしても、日本本来の柔道(講道館柔道)は、国際ルールとやらで、今やその品格と“柔よく豪を制す”美しさを失った。まるでレスリングかシャモの喧嘩だ。おまけに審判員たちの未熟な判定が、いっそう興を削ぐ。投げ技67本、固め技29本の多彩な技(わざ)を見ることは、もう望めないのだろうか。翁は声を大にして言いたい。日本は、(講道館柔道を無視した)IOCルールを拒否、嘉納が築いた講道館柔道100年の歴史をあくまでも貫き、日本柔道の何たるかを世界に示せ。それが『日本の品格・誇り』というものだ。日本の柔道家たちよ、嘉納の柔道精神『心技体礼』の灯りだけは消さないで貰いたい。それは柔道だけでなく、日本魂(やまとだましい)にも通じる“珠玉の精神”だから・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |