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NO.652                Ryo Onishi              11/9/2008  

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雑貨屋のひとり言

ついに史上初の黒人大統領が誕生しましたね。大きな期待の中で選出されましたが、悪化してきているアメリカ経済をうまく立て直してほしいものです。そして世界にいい意味で影響を与えてほしいと思います。
≪R.O≫

フェアネスと大統領選挙結果選挙

アメリカで生活していると「フェア(FAIR)」という言葉にしばしば出会います。「それはフェアではないぞ!」、「アンフェアだ!」といった具合です。

一般的なアメリカ人にとって、フェアであることはあらゆる状況において、たいへん重要なことであり、アンフェア呼ばわりされることは人格の否定にもつながりかねません。「君はアンフェアだ」と言われるのは「君は人間ではない」と同じ扱いになるのです。なにかにつけて正義(JUSTICE)を振りかざすアメリカですが、国家が唱える正義に対し、国民はフェアネスをモラルの原点と考えているのではないでしょうか。

フェアネス(FAIRNESS)の意味を和英辞典で調べてみると、「公正」といった意味が先ず目につきます。日本でも「公正であること」は重視されますが、日本人が「君は公正でない!」と非難されても、言われたほうは人格、人間性の否定とまでは受け取らないでしょう。

それでは、アメリカ流のフェアネスとは何だろう? ――― 私なりの体験をもとに敢えて定義してみると次の通りです。(1)みんなで客観的なルールを作り、全員がそのルールに従うこと。(2)状況の変化により現実がルールに合わなくなったら、まずルールを変更し、改めて変更したルールに従う。――― とういことになるのではないでしょうか。すなわち、アメリカ流のフェアネスとは先ず共通のルールをつくり、それに従うことが基本となっているように思えます。

日本のように比較的均一な人たちで形成された集団と違い、アメリカは多文化・多民族による移民国家であり、価値観や常識の幅が大きいところです。したがって「そんなことは言うまでもないこと、常識だ」は通用しません。あらゆる事柄について皆で合意されたルールが必要なのです。
作ったルールは全員が守らなければ社会の秩序は保たれないので、これを遵守するためにアメリカ流フェアネスの概念が生まれたのではないでしょうか。

私が日本企業のアメリカ駐在員であった時、現地法人内では業務内容に関するルール(マニュアル)が詳細につくられていただけではなく、必要に応じて随時書き換えられ従業員がそのマニュアルに従って働いているのに驚きました。日本にいた頃は業務処理基準などのルールは存在しても個人のノウハウが優先し、処理基準など忘れられがちでした。

ところがこのアメリカ流フェアネスの原点として重視されるルールも、感情に支配される人間がつくるものであり、時としてホンネとタテマエが顔を出すことがあり、中でもこの国の成り立ちとも関係し、人種に関する差別・偏見がフェアネスの邪魔をしてきました。こちらでは公民権法により人種、宗教、性別などによる差別をしないのがルールであり、フェアネスのはずですが、近年大きく改善されてきたとはいえ、人種による差別はまだ残っているのが事実といわざるをえません。

そんな状況の中で、今回の大統領選挙の結果、黒人系のバラク・オバマ氏が見事当選に必要な代議員数を獲得し、次期大統領になることが確定したことは歴史的な出来事として後世に記憶されることは間違いないでしょう。
 
 私は前回のこの欄で「かつてエリート支配層の象徴とされた《ワスプ(WASP)》という言葉は、表面的にはその色が薄くなっているようです。尤も“表面的”という言葉の裏には“立て前として”という見えざる影が付きまとっている感がなきにしもありません」と書きましたが、その見えざる影も今回の選挙でさらに薄くなったように思います。加えてオバマ氏にとって、現政権に対する不人気と、最近の金融危機という与党(共和党)に対する超逆風が大いに利することになったことも否めない事実でしょう。

また、これも前回のこの欄で書いた「ブラッドリー効果」についても結果的には直前のほぼ予想通りの差でオバマ氏の勝利となりました。民主、共和各党の政策や主義主張は別としても、「ブラッドリー効果」が表面化しなかったことについて、今回の選挙結果はアメリカの歴史を大きく前進させた画期的なものだったと評価できると私は思っています。

 もっともオバマ氏は黒人系といっても母親は白人であり、自身も選挙運動期間中、あくまでアメリカ合衆国の代表として人種や党派の違いを超えた「統合」を訴え続け、国民の共感を得るように努力していました。

アメリカの指導者はそのまま世界の指導者としての責務を負う立場です。新大統領がアメリカと世界の平和と繁栄のため、尽くして欲しいと願わずにはいられません。
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言マラソン

人生や結婚生活を、マラソンに例えて話されることが多い。短距離ではなく長距離であること、平坦ではなく山谷・凹凸があること、往復設定の折り返し地点などがあること、そして時間制限があること等、マラソン(コース)の特徴が人生や結婚生活のそれに重なる点が多いからだろう。ただ、マラソンコースにはない障害物が、人生や結婚生活にはおまけとしてついている場合もあるから面白い。歳若い結婚や初婚ならマラソンに例えるが、ある程度の年齢や初婚でない場合は、しがらみも想い出も多く、マラソンはマラソンでも長距離障害物競走に例えたいと思う。さて、マラソンを今までにない形で意識しながら生活した今年もあとふた月、まずは08年を完走・完歩するぞと、つぶやいている。


今年の年初に掲げた目標のひとつに、「(夫婦で)ホノルルマラソンに参加して完走・完歩する」があった。言い出しっぺは、もちろん主人。昨年ホノルルマラソンで完走した友人夫妻からもらった賀状の写真があまりにも清々しかったことに触発されたらしい。お屠蘇の酔いに拍車がかかったのか、夫婦会談にて異議なく合意。それから私たち夫婦の合言葉は、「夫婦そろってホノルルマラソン完走(完歩)」となり、早朝もしくは夜になると、ストップウオッチ片手に隅田川周辺のコースを速歩する。また晴れた休日は、夫婦そろって皇居1周もしくは2周のランニングに出かけ、フゥフゥと汗をかいたりする。この二つのコースに共通することは、東京のど真ん中コースなのに、信号がないこと、そして多くの発見があること。隅田川周辺も皇居周辺も、歩いたり走ったりするトレーニングコースとしては、予想以上に面白くて楽しいものだ。

ところで、今までは車の中から遠目に眺めていただけのこの皇居一周、幾つかの発見をご紹介したい。約5qの皇居一周の地面には、100メートル置きに50都道府県の県花のレンガと名前が敷かれてあり、自分の位置と走行距離の概算ができることに加えて、フウフウいいながら下を向いても楽しめる。この約5q線上には、公衆トイレが3箇所、交番が4箇所、水のみ場が5箇所あるため、自分のペースやスピードの管理がしやすく、安心して走ったり歩いたりできる環境だと私は思う。お城を囲む水と森は、私たち凡人には想像もできない世界ゆえ、なんとなく異国にさえ感じる。そしてつま先上がりや下がりの坂から見える東京の街、ひしめき合って立ち並ぶビルディングもタワーも、走り去る車の波も、行き交うビジネスピープルも観光客も、物語から飛び出してきた舞台のように美しい。東京のど真ん中の皇居の森とその周辺に彩りかほる江戸今昔の風が、かいた汗さえ心地よく感じさせてくれる、忍者の魔法みたいなものがある。もしかしたら、時計回りと反対に走るコースの流れ(暗黙のルール)が、時を交差させてくれているのかもしれない。

さて、残念だが、今年12月のホノルルマラソンは見送ることにした。準備不足が第一の理由。これも夫婦異議なく同意。皇居1周ではなく連続10周ぐらい出来なきゃ、カメハメハ大王領地への挑戦は失礼だね、と(笑)。来年の目標のひとつがホノルルマラソンであることだけは確実、来年こそは参加・完走したいもの。そしスタートしたばかりの私たち夫婦、障害物競走にも似たマラソンだが、長く生きている分、障害物対応への知恵と経験も豊かだと信じ、“我が家のほのぼのマラソン”も完走を目指してみるとするか。人生の折り返し地点、でもマラソンは始まったばかり・・・っと、つぶやく、さくらの独り言。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

 男一匹茶柱に遊ばれる

一寸の虫で脱皮も出来ぬまま

一瞥にもう言い分が負けている

一筋の道に健気な足のマメ

一匹と二人互いに歳を取り

( ニュースやぶにらみ )

「パナソニック・三洋連合」
昔のナショナルに戻ったな −松下幸之助

「yes we can]
yes I do −日本の政治家

「営業益74%減」
ギヤチェンジが間に合わない −トヨタ

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

 

森田さんから

K-8  犬も歩けば
              森田のりえ
「ほら、真正面に灯が見えるでしょう、あれがうちです」
 駅に迎えにきたY子に言われても、山の斜面にはいつくばるように二十六軒が肩を寄せ合う家々から、一軒を見極めるのは難しかった。福岡県の南部にある玉露の三大産地の一つ「八女」の奥まった山村に住んでいるY子宅へ着いたのは小雨がぱらつき、日が落ちて薄暗くなりかけた「逢魔が時」である。
やがて本道を外れ、急坂をのぼったところで車は止まった。いかにも旧家を思わせる重厚な瓦葺の家だった。
数十年前、Y子が短期留学生としてロサンゼルスへきていた時、ホームステイ先の居心地が悪くて一時我が家に身を寄せていたことがある。その時、実家は江戸時代からお茶の栽培をしている農家で、珍しい物があると話していたことが私の記憶の糸にずっと引っかかっていた。訪日前に古い住所録をたよりに連絡をとると、
「懐かしい、博多までお出でになるのでしたら、ぜひ、お寄り下さい。なにもない田舎ですが、アメリカの風を持ってきてくださるだけで、嬉しい」
楽しみにしているというので、早速、訪問日まで決めてしまったのだ。
この話しをA氏にすると、
「あのなぁ、社交辞令で日本人はいうんだよなぁ、それを真に受けるとは・・・、しかもきみの方から押しかけて行くんだろう。どうかと思うよ。普通はさ、二、三回押し問答をしたのちに、それでもお出で下さいといわれてから行くものじゃないのか。全く、君という人には呆れて物が言えないよ」
と、笑われた。だからといって八女行きを取り止める気はさらさらなかった。

車から降りると、Y子の父親に迎えられた。八十代前半だと思うが背筋が伸び身体の引き締まった風格のある人だった。
その夜は、心のこもった夕食をご馳走になった。たらの芽のてんぷら、筍とワラビの煮物などなど山菜料理は殊の外美味しく、満腹で難儀するほど食べてしまった。そして床の間の飾り棚に置いてある紫色の袱紗に包まれた家宝を見せて頂くことになった。
それは掌ほどの桐の薄い箱に入っていた。
・・・文政九丙戌年正月吉日 二十八文
   十五代目○○伝右衛門
   子々孫々に伝えるべし・・・
箱の裏にこう書かれていた。
文政九年は西暦一八二六年である。日本史を紐解くと、オランダ人が将軍家斉に謁見し、シーボルトが随行した年である。
ある日、十五代目の伝右衛門さんは山向こうの隣村へ行くため峠にさしかかった。すると、キツネが罠にかかって鳴いていた。かわいそうに思い伝右衛門さんがキツネを放してやると、礼をいうように頭を振りながら山の中へと帰っていった。それから数日後、同じ峠を通りかかった伝右衛門さんは、くだんのキツネに出会った。おいで、おいでをするような仕草なので後をついて行くと小さな祠があった。祠にはお金が置いてあった。
「キツネのお礼」
伝右衛門さんは思った。数えると、十文が二つと一文が八枚。当時の通貨は西日本では銀、東日本は金であった。
桐の箱に入っていたのは、黒ずんで持ち重りのするキツネにもらった二十八文の銀貨だったのである。
子どものころに引き戻されるようないいお話しだった。もう一つ、床の間に一抱えもある大きなこげ茶色の瓶があった。
茶壷だという。
「これがわらべ歌に出てくる茶壷なのか」
 と思うと、江戸時代に将軍へ献上するための茶壷道中を歌ったメロディがしぜんに身体のなかで流れはじめた。
 
 ずいずいずっころばし ごまみそずい
 茶壷に追われて とっぴんしゃん

 八女茶の起源は一休さんや世阿弥が活躍した室町時代、明に学んだ周瑞禅師が茶の実を持ち帰り、霊厳寺境内に植え、茶の作法、喫茶法を伝えることにより広まったという。
翌朝、五月雨のなか霊厳寺に行くと日本三大奇岩といわれている高さ十二メートルの男岩(珍宝岩)があった。それはそれは、天に向かってそそり立った、立派な岩であった。
帰国後、この話をA氏にすると、
「君なぁ・・・」
 といって、また呆れかえった顔をされてしまった。しかし「犬も歩けば棒にあたる」の喩えもある。非礼をかえりみず、行ったからこそ面白い体験をしたのである。
                おわり                                                                               

龍翁余話

龍翁余話(56)「タンゴ&ピアノコンサート」

前号(『ハーモニカ』)に続いて今号も音楽の話題。タンゴのライブとピアノコンサートを
立て続けに聴く機会を得た。タンゴは、翁の住むマンションの隣人T・Hさんのお誘いで
六本木に。ピアノコンサートは、翁が若い頃、10年間ほど勤めた某専門学校教師時代の仲間の一人T・Oさんのお誘いで代々木上原に。お蔭で、ちょっぴり“芸術の秋”を味わうことが出来た先週末であった。

20数年ぶりに歩いた夜の六本木は異様な雰囲気、まるで“黒人の街”だ。翁が1980年代に頻繁に訪れたニューヨークのハーレムやブロンクスを思わせる。1960年代から芸能人、若者、外国人向けのバーやクラブ、キャバクラ、ディスコが林立、旧防衛庁跡地に昨年3月にオープンした『東京ミッドタウン』は六本木ヒルズと並ぶ人気スポットだが、不夜城・ロッポンギは今もなお暴力、麻薬、賭博などの違法行為が後を絶たない。
タンゴ演奏の開始時間は夜9時。こんな遅い時間から始まるライブもニューヨーク風だ。ライブの前にまず腹ごしらえ。六本木交差点の一角に古くからある有名なレストラン喫茶『アマンド』の直ぐ裏側(地下)に『シシリア』というイタリアン・レストランがある。そこのピザが美味い、ということで夜7時、T・Hさんの友人たちと6人でその店に入った。こじんまりした店で常連客が多く30分以上も待たされたが、なるほど評判通りピザの味は格別。皆はワインを飲み、話を弾ませていたが、飲めない翁は、ひたすらパクパク。ピザにはいささかうるさい翁を充分に満足させた。めざすタンゴ・ライブ・ハウス『トロピカーナ』は2ブロックほどの距離、我がもの顔に歩道をふさぐ黒人たちにムカつきながら歩き、ちょうど9時にハウスに入った。

バンドネオン、バイオリン、ピアノ(『タンゴトリオK』)の演奏。曲目は『ラ・クンパルシータ』、『カミニート』、『ブエノス・ノーチェス』など、いずれもアルゼンチンタンゴの名曲ばかり。久しぶりにナマの演奏を楽しんだ。アルゼンチンタンゴの演奏は、非常に鋭いスタッカート(音を切り離し、歯切れのいいリズムを表現する)が特徴だ。演奏形態は通常、オルケスタ・ティピカ(標準構成=バンドネオン、バイオリン、ピアノ、コントラバス)、キンテート(五重奏団=バンドネオン、バイオリン、ピアノ、コントラバス、ギター)、ほかにクラシック・オーケストラのスタイルを持つ楽団もあるが、どういうわけか、タンゴ演奏にはリズム楽器(ドラムス)を付けない場合が多い。つまり、演奏家たちの呼吸合わせ一つで、あの歯切れのいいスタッカートが生まれるのだ。

実は翁、小学校6年生の時からタンゴに魅かれ、町のタンゴ・アンサンブルのメンバーに加わってアコーディオンを弾いていた。神戸時代(中学3年〜高校)は弾く機会はなく、東京ではアルバイトをして中古のアコーディオンを月賦で購入、W大合唱団の“青年歌集”伴奏者としていつもデモ隊の先頭に立った。ある日、日比谷公園(霞ヶ関口)で機動隊と激突、アコーディオンを壊されて以来(弾く機会を失い)、もっぱら“タンゴの女王”藤沢嵐子が歌う『早川真平とオルケスタ・ティピカ東京』、『原孝太郎と東京六重奏楽団』、『坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ボルテニア』のライブを追っかけた。そして“いつか、ブエノスアイレスに行って、本場のアルゼンチンタンゴを聴きたい”・・・長い間、そんな夢を持ち続けていた。その夢が実現したのは1986年、南米パラグアイ日本人移住50周年記念行事に出席された常陸宮殿下・華子妃殿下の随行取材(テレビ番組撮影)の時だった。両殿下がパラグアイをお発ちになられた後、翁、(スペイン語の通訳を連れて)アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに飛んだ。下戸の翁、酒は通訳に任せ、タンゴ・バーを梯子(はしご)した。どのバーでも、聴き応えのある演奏に感動したが、今でも忘れられないのが、街角で奏でる二人っきりのタンゴ。通訳の説明ではバイオリンが老父、バンドネオンがその息子。身なりは貧しく楽器も古びていたが、哀愁を漂わせた音色(演奏)に翁、しばし足を止めて聴き入った。知らない曲だったが、胸に熱く響いた。その演奏が終わって1500ペソ(約1000円=当時)を缶の中に入れた。バイオリンの老父が翁に握手を求め「リクエストはないか」と言った。翁、『ラ・クンパルシータ』をリクエストした。ピアノもない、コントラバスもない、バンドネオンとバイオリンだけで、無理な注文をしたかな?と危惧したが、その老父、微笑んで息子に合図を送り演奏を開始した。驚いた!バイオリンの音色が踊り、バンドネオンが唸った。石畳とレンガの家が震動するほどの迫力!翁、それまでに数多く『ラ・クンパルシータ』を聴いたが、これほど強烈にして感動的な演奏を聴いたのは初めて。これこそが翁が夢に見たアルゼンチンタンゴだ・・・そんなことを思い出しながら『タンゴトリオK』の演奏を楽しんだ。

一方、こちらはクラシックのピアノコンサート。教師時代からの友人T・Oさんの姪御さん(I・Mさん)たち音楽学校同窓生9人(女性ばかり)のジョイント・コンサートだ。会場は小田急線代々木上原駅に近い『MUSICASA』。イタリア語の音楽(MUSIC)と家(CASA)の造語で“音楽の家”という意味らしい。キャパ100席の小さなホールだが、抜群の音響効果で、I・Mさんたちの新鮮で磨かれたテクニックに、翁、ブラームス、ショパン、リスト、シューマンらの世界を存分に満喫することが出来た。

ホールの目の前の、柿ノ木の葉は落ち、熟しきった鈴生りの柿は今にも落ちそう。人々はコートの襟を立てて急ぎ足、冬はもう直ぐ。ジャンルの異なる音楽を立て続けに2回楽しむことが出来た晩秋である。今夜もまた、翁の大好きなCD『アルゼンチンタンゴ・ベスト・セレクション』と『魅惑の歌姫・DIVA』で“芸術の秋”に浸ることにしよう・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズの魅力−今週のお奨めジャズ

今週はジャズボーカルで行きましょう。
Cacilie Norbyはデンマークの女性ジャズボーカリストです。
ボサノバタッチの軽快なリズムに美しく流れるような歌声が魅力的です。
食事のときはつまらないテレビ番組なんか観ず、ジャズを聴くようにしています。平和で心豊かになります。

Queen Of Bad Excuses  Cacilie Norby

1 Cuban Cigars
2 Fly
3 Psyko Pippi
4 Everyone Beneath the Sun
5 You
6 Thick Blue Glass
7 Newborn Broken
8 Milkman
9 Remember Rosa
10 Himalaya's Bijou
11 Meet the Monotone
12 Our Day Will Come

下記のURLで視聴できます。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/973466

<R.O.>

編集後記

秋もぐっと深まったという感じです。木が多いところは枯れ葉がすごいのではないでしょうか?トロントにいたとき枯れ葉ひろいをよくやりましたね。
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.652

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com