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NO.641                Ryo Onishi              8/24/2008  

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雑貨屋のひとり言

ようやく真夏日から開放されてほっとしましたね。朝夕は肌寒いほどです。北京オリンピックが終わりました。中国はアメリカ、ロシアを抜いてメダル獲得数はトップでしたが、経済、その他の面で今後も世界に大きな影響を与えることは間違いないと思います。オリンピック後、中国はどのように変わっていくでしょうか?(R.O.)

日本語の発想、英語の発想

日本語、特に日本語による会話では 多くの場合、 主語は省かれます。 先日もある日本人だけのパーティで自己紹介をするのに、「どうも こんにちは 河合でございます」 と挨拶したのを覚えています。 こんな私でも 相手がアメリカ人だと 、ちゃんと “Hi, my nane is Kawai” とか、“ I am Kawai” とか言って 主語を付けてしゃべっています。

英語では大抵の場合、「それは・・・・です」 とか、「私は・・・・と思います」 のように 主語を最初に持ってきて、話し手や話題の焦点を明確にしながら話を進めるのが普通です。もちろん英語にも命令形とか日常挨拶、慣用句などには主語がないのがたくさんありますけれど・・・。

私に言わせれば、日本人は元来、察しの良い民族であり、どこかの国の英語と違って日本人の日本語はいちいち主語を最初に持ってこなくても、ちゃんと察して理解できるんではないかと思っています。

私はドイツ語はまったくダメですが、ある言語学者に言わせると、ドイツでは 例えば、「昨日 いつもの カラオケ・バー へ入っていったら そこには誰もいなかった」 と(ドイツ語で)いう言い方は間違いだそうで、「昨日 いつもの カラオケ・バー へ入っていったら そこには 『私以外には』 誰もいなかった」。と言わなければならないのだそうです。なぜなら、その場所には『私』がいたのであり、『誰もいなかった』わけではないからだそうです。(私はそんなバカなことと、今でも思っていますが、どなたかドイツ語に詳しい人、これは本当ですか。教えて下さい)

その点日本語はファジー(あいまい)な表現が多く、ちょっと微妙な状況になると 主語なし、明確な肯定・否定なし、目的語なし・・ そんな日本語が立派に幅を利かせます。そんなファジーな日本語をそのまま和文英訳してみても、英語としては 不完全で、「一体 お前は何が言いたいのだ」 と言われるのが落ちでしょう。よく アメリカの人から 「日本人は何を考えてわからない」 といわれる 一つの理由はこんなところにもあるのかも知れません。

よく日本人ほど英語の修得と上達が遅い民族はいないと言われる事がありますが、これもファジー発想の日本語と、論理発想・自己主張主体の英語との本質的な違いによるところも多いのではないでしょうか。

(陰の声: ところでお前は いったい何をいいたいんだね。 言いたいことが さっぱり理解できなヨ)
(私の声:要するにだねえ、詰まるところ、何と言ったら良いか、つまり、いわゆる、エート ・・・・ )
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「」

 

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )

娘に言われ今日は女房の誕生日

記念日に子の励ましの電子辞書

若いねと子のお下がりが言われてる

同期会名 簿櫛の歯こんな欠け

ジグゾーが虫食いのまま喜寿 米寿

( ニュースやぶにらみ )

「メダルの色」
無色があったとは −星野ジャパン

上野トウシュ3連投で悲願達成」
よし! 俺もも三連投 −小沢トウシュ

「総合優勝」
スピード社の水着 −水泳競技

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

 

森田さんから

   お供の男たち
  森田のりえ
 軽井沢のような避暑地バギオでチャーターしたマイクロバスで、南の街ダグバンに向かっている。なぜか、U子がセンセイと呼ぶ人や彼の助手ふたりも乗り込んでいた。
山の峯を走る道路は舗装されているが、両側の雑木林の木々はへし折られ、また、根こそぎ掘り起こされているのもある。山肌はあちこち崩れて赤土が露出していた。ときどき倒れかけたトタン屋根の民家があらわれては、また車のうしろへ消えていく。
「どうしてこんなに荒れているのですか?」
するとセンセイは、三日前にこの辺りを通過したサイクロンの被害だといった。
サイクロンとは、インド洋、南太平洋で発生する熱帯性低気圧で蛇のトグロのように回転する暴風。日本では台風。アメリカなどの北中米ではハリケーン。
「うちも屋根が吹っ飛んでしまって、まだ直していないんだ」
 といって、助手が笑った。
笑っている場合じゃない。用もないのについてきて、家の修理などやればいいのにと思うが、当人たちはいたってのん気で、気に止めるようすもない。
途中から、マニラ空港で警察官をしている男が乗ってきた。U子の友人である。私たちのために休暇を取ったそうで、彼の実家へ案内された。門構えの立派な二階家だ。両親が亡くなった後、住む人がおらず月二十五ドル払ってメイドさんに家の管理をしてもらっているが、週一度は帰ってくる。飾ってある写真から判断すると、父親は土地の名士。姉の一人はロスアンゼルス近郊の病院で看護婦をし、もう一人はマニラ郊外にある二十四時間の世界平和祈祷で有名な大寺院の尼僧院長を努めているという。玄関を入ると応接間で、正面の階段を上がると民家にしては場違いと思えるほどの立派な礼拝堂になっていた。スペインの植民地時代に持ち込まれたキリスト教は、母性的なやさしいマリヤ信仰である。聖母子像はあるが、十字架上で血を流す磔刑のイエス像はない。
「大木にマリヤさまが現れた」
という場所が近くにあった。
当時は数千人の信者が集まってミサが行われ大変にぎわった。いまは以前ほどの賑わいはないが、いずれ実家に帰って、この霊的な場所を礼拝所として盛りたてていくのが夢だと警察官が話していた。この国の人たちは奇跡が大好きのようだ。
 ふと、こんな思いが脳裏をよぎった。
 16世紀半ば、ヨーロッパの知識人であったフランシスコ・ザビエルによって日本へキリスト教が初めて伝えられた。のちに豊臣秀吉が「キリシタン追放令」を出し、それに続いて徳川家康による「禁教令」がなかったなら、日本もフィリピンと同様、スペインの植民地になりマリヤ信仰がひろまっていたのだろうか。しかし、歴史に『イフ』はないというから、考えてもせん無いことだ。
田舎のおばさんの家に連れて行かれた。
おばさんの言葉はタガログ語である。年子のような子どもが七人。外国からの客が珍しいのか、私たちを遠巻きにして眺めていた。持参したお土産の筆記用具を渡すと、はにかんだような顔で受け取った。きれいな目の子どもたちだった。放し飼いのアヒルや鶏を追っかけて遊び、おもちゃは犬や猫である。地べたに転がっていたココナッツに穴を開け、一個づつもらった。精一杯のおもてなしであろう。ストローで果汁を吸ったあと、割って内皮を剥がすと柔らかい白いものがでてきた。ココデナツだ。空腹になればバナナ、マンゴウ、ライチィ、ココナッツ、ブドウなど自生する木の実を取って食べていればいい。豊かな自然の恵みは、昼間は暑くて働けない国へ神さまがプレゼントをしたにちがいない。
このおばさん、じつは心霊手術のヒーラーだった。脱脂綿を肌にあてがい身体から錆びた釘やボルト、針金、生姜の切れっぱなしとか紐などを出すから面白い。村人が三、四人、待機していた。治療費はその人の気持ちだから、高額な医療費を払えない人にとっては救いでもある。病は気からのたとえもある。
 街に入った。
 異様な匂いで息苦しくなってきた。バイクに二人乗用の箱をつけたタクシー、後から飛び乗る乗合バスがひしめいている。排気ガスのせいだと思ったのは間違いで、倒れた木々を集めてあちこちで燃やす匂いだった。サイクロンの被害で電線が切れ垂れ下がっていた。幸い、街のホテルは自家用発電機を備えていたが、復旧には一ヶ月はかかるという。
 ぞろぞろと私たちについてきた男たちは久々の遠足気分を味わい、レントランで食事をし、気前のよいU子から各々チップをもらうと嬉々として帰って行った。                                                  

龍翁余話

龍翁余話(45)「英連邦捕虜戦没者の追悼礼拝」

7月中旬にお盆行事を行う地方も多いが、翁の田舎(大分県)は8月がお盆。翁、過去25年間、お盆の時期は必ず帰省していたのだが、今年は6月に兄の七回忌法要を(田舎で)済ませたばかりなので、今夏は東京で酷暑に喘いでいた。
過日、翁の友人・中條さんにうかがった“戦中、戦後史”2題のうち、前号で永瀬 隆さんの『戦場にかける橋“最後の巡礼”』を紹介した。今号は、もう一つの話題『英連邦捕虜戦没者の追悼礼拝』について、であるが、実は、この話も永瀬 隆さんが関わっている。そのことは後述するとして、“迎え火”の13日の昼下がり、横浜市保土ヶ谷区狩場(かりば)の『英連邦戦没者墓地』へお参りに行った。ここは、エリザベス女王夫妻、ダイアナ妃、サッチャー首相が来日時に訪れたことでも知られている。
駐車場横の土蔵のような記帳舎で記帳簿のページをめくる。この時刻までの参拝者はゼロ。おもむろに記帳を済ませ、墓地に向かう。芝生の手入れがよく行き届いた美しい広大な墓地。ここには、大東亜戦争(太平洋戦争、第2次世界大戦)時、日本軍に捕虜として強制連行され、過酷な労働を強いられたのちに各地の収容所で亡くなった英連邦及び旧連合軍兵士約1900人が眠っている。墓地内は、イギリス区、インド区、オーストラリア区、ニュージーランド・カナダ区などに区画され、それぞれが高い塔の十字架に見守られている。炎天下、翁は、何と1時間半もかけて全区を廻り“たった一人の追悼礼拝”を行なった。

ここ『英連邦戦没者墓地』で毎年8月の第1土曜日に『英連邦捕虜戦没者の追悼礼拝』が行なわれている。戦後50年に当たる1995年に、前号で紹介した『戦場にかける橋“最後の巡礼”』の永瀬 隆さん、青山学院大学名誉教授の雨宮 剛先生、それに今年6月に急逝された国際基督教大学名誉教授の斉藤和明先生らの呼びかけで始まったもので、今年(8月2日)で14回目を数える。永瀬さんは、中條さんの母校(青山学院大学)のOBであり、雨宮先生は中條さんの恩師。お二人を通して中條さんは斉藤先生とも面識があった、というのは、彼もまた、毎年の追悼礼拝には欠かさず出席しているから。この追悼礼拝の話、実は、彼から数年前に聞かされていた。だが、前述のように、翁、毎年8月は(大分県へ)帰省していたので、今日(8月13日)が初めての墓参となる。

翁がメールで中條さんに墓参を知らせたところ、彼から“第14回追悼礼拝プログラム“が送られて来た。それによると、毎年、イギリス、オーストラリア、オランダ、インドなどの在日大使館関係者が参列するほか、若い人たち(横浜市内の高校生)や青学OBを含む一般社会人も加わり、今年は約100人で厳かに追悼礼拝が行われたそうだ。(8月2日午前11時)奥津隆雄先生(新宿ホライズンチャペル伝道師)の司会で始まり、関田寛雄先生(青山学院大学名誉教授)の追悼の辞、祈祷(平和の祈り)の後、英連邦を代表してオーストラリア大使館付武官と、旧連合国を代表して駐日オランダ王国臨時代理大使が挨拶。そして主催者代表挨拶は『”最後の巡礼“』の永瀬 隆さん、の予定であったが、体調不良のため当日は参列できず、メッセージが代読された、とのこと。「永瀬さんはご高齢(90歳)で、この暑い8月、倉敷(岡山)からお出でになるのは大変。今年が“最後の挨拶”にならなければいいが」と、中條さんは大先輩の健康を気遣っている。
この追悼礼拝には毎年、東京農業大学のコール・ファーマー(合唱団)が讃美歌を歌う。コール・ファーマーは、国内定期演奏会は勿論、オーストラリアなどでの海外公演も行なっている(40年の)歴史ある合唱団だ。ライブ録音のCDも出している。讃美歌だけでなくシューベルトの歌曲や日本の歌、ポピュラー曲などレパートリーは広い。そのコール・ファーマーの讃美歌が墓地内にこだまし、追悼礼拝を更に荘厳な雰囲気に包んだであろうことは、容易に想像出来る。

翁、いくつかの墓標(プレート)を見て廻った。国籍・所属部隊(陸・海・空)・死亡年月日・名前・年齢(19歳から25歳までの若者が圧倒的に多かった)。そして父母からのメッセージが刻まれている。「異国の地に眠る我が息子に神のご加護を」、「私たちは、あなたを永久に忘れません」、「祖国のために犠牲となったあなたを誇りに思います」、「平和の太陽が、いつまでもあなたを照らし続けますように」・・・大切な息子を失った親の心情は、国籍、人種を問わず皆同じ。翁、こみ上げるものを抑えながら、一つ一つの墓標に合掌した。気がつけば翁、汗びっしょり、喉はカラカラ、持ち歩いた“日田の天領水”もあと一滴、その一滴を最後の墓標にかけ、冥福を祈って“たった一人の追悼礼拝”を終えた。

8月2日の『追悼礼拝』で英連邦を代表して挨拶をしたオーストラリア大使館付武官(海軍大佐)ティム・ジュレルさんの言葉の一部(要旨)を拝借しよう。「私たち生きている者、そしてその子孫たちは、戦没者の(犠牲の)恩恵を享受する身として、彼らを記憶し追悼する義務がある。過去を取り戻すことは出来ないが、過去の教訓を得れば、同じ過ちを繰り返さずにすむ。戦没者を慰霊、顕彰することで、私たちは節度や人間性を回復することが出来る。私たちが悲しみを分かち合い、他の国や人と理解し合えば、そして謙虚に話し合えば、紛争は起きない。そういう世の中にすることが、全世界の戦争犠牲者に対する(生きている者の)報恩であり務めである」・・・
翁、まったく同感である。靖国神社に祀られている(戦争で散華した)英霊たちを慰霊、顕彰し、彼らに感謝の誠を捧げることは日本人として当然のことだが、同時に、日本が関わった過去の戦争で犠牲となった世界の人々のことも、けっして忘れてはいけない。そして願い、祈る「靖国神社や英連邦戦没者墓地のような施設を、これ以上増やさない平和な世の中(世界)をつくってもらいたい」・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズの魅力−今週のお奨めジャズ

久しぶりに邦楽ジャズの女性ボーカルはいかがでしょう?
572号(2007年4月29日)でこのアーティストを一度、紹介しています。

どの曲も癒される曲です。だれでも楽しめると思います。
ジャズというよりイージーリスニングの感じです。

My Fairy Tale   Noon

1)Tea For Two
2)Here,There And Everywhere
3)Raindrops Keep Falling On My Head
4)Someone Watch Over me
5)I've Got Just About Everything
6)So Far Away
7)Tears In Heaven
8)What A Difference A Day Made
9)Recipe For Love
10)Sunny
11)When You Wish Upon A Star
12)Will You Still Love Me Tomorrow?
13)Close To You-TOYOTA Home CM Version

<R.O.>

編集後記

土曜日の夜はすごい雨と雷の音でにぎやかだったのですが今夜はそれが伊丹で開催されている花火大会の音に代わっていました。もう花火もおわりですかね?
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.641

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com