前回のこの欄(Zakkaya Weekly
No.637)に寄稿された龍翁氏による玉稿『龍翁余話(41)ああ、情けなや大分県教育界』で、龍翁氏は昨今の大分県教育界を蝕む不祥事に対し、痛恨なる危惧の念を表明されていました。
私もまったく同感です。教育システムを根底からゆるがす、このような不正は絶対に許すことのできない犯罪であり、国の将来にも不安をのこす不祥事です。教育界もついに落ちるところまで落ちたという絶望感すら感じました。教育先進国であるはずの日本は世界に向かってなんと言えばよいのでしょうか。
ところで、この玉稿に紹介されていた敬天の士(師)広瀬淡窓の文字を見て、私は思わず息を呑みました。なぜなら私もこれまでに何度かこの広瀬淡窓という名前に出会い、親しみを感じていたからです。
私はビジネス引退後、趣味のひとつとして詩吟のクラスへ通い、吟詠を学んでいます。広瀬淡窓師作の漢詩も何度かお目にかかりました。私の心ひかれる作者のひとりです。
前回のこの欄で龍翁氏も述べていましたが、淡窓師は江戸後期の儒学者であり、教育者また漢詩人としても後世に名をとどめている人物です。
師は生地・日田に私塾『咸宜園(かんぎえん)』を創設する前の2年間ほど、その前身となる『桂林荘(けいりんそう)』を創設したと聞いています。この桂林荘時代に学寮生活の厳しさと楽しさを詠った「桂林荘雑詠諸生に示す」と題する漢詩が四首残っており、このうち冬の情景を詠ったもの、いわゆる「休道の詩」はのちに教科書にも採用されたことのある有名な詩です。私も大好きな漢詩のひとつです。
休 道 他 卿 多 苦 辛
同 袍 有 友 自 相 親
柴 扉 暁 出 霜 如 雪
君 汲 川 流 我 拾 薪 |
道(い)うを休めよ 他郷(たきょう)辛苦(くしん)多しと
同袍(どうほう)友あり自(おのずから)から相(あ)い親しむ
柴扉(さいひ)暁(あかつき)にいづれば 霜(しも)雪のごとし
君は川流(せんりゅう)を汲め 我は薪(たきぎ)を拾わん
(大意)
志を立てたのだから、他郷での勉学は苦しみ多いなどと愚痴ってはいけない
ひとつの着物を分けあって着るうちに友ができ、親しみあうものだ。
朝早く粗末な柴の扉を開いて外に出れば、雪のように霜が降りて冷たいが、さあ朝
餉の支度だ。君は川に水を汲みに行け、僕は薪(たきぎ)をとりに行く |
学を志し、修行をすることの厳しさと、互いに学びあい励ましあう楽しさ・喜びがにじみでた詩であると思います。私はこの詩を吟ずるとき、『男児志を立てて郷関を出づ・・』で有名な
『壁に題す(釈 月性作)』を思いうかべます。
男子たるもの(人間たるもの)、ひとたび志を立てて故郷を出たからには、学業が成るまではたとえ死んでも決して帰らない決心だ。広い世間には、どこへ行っても骨を埋めるところがあるではないか。――― 昔の人は人生の修行をどれほど真剣に考えていたか。現代の私たちもこの精神を大切にしなければならないと痛感します。
ところで、私はこれまで学んだ詩吟のクラスで広瀬淡窓師作の漢詩はまだ『隈川雑詠(其の二)』、『桂林荘雑詠諸生に示す』『同(其の二)』『故国の春(桂林荘雑詠諸生に示す、其の四)』などですが、どの詩にも心打たれるものがあり、これらの漢詩は私にとって一生の宝といえるものばかりです。
河合将介(skawai@earthlink.net) |