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NO.637                Ryo Onishi              7/27/2008  

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LAの観光スポット ホームページ バックナンバー
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雑貨屋のひとり言

日本列島は毎日猛暑が続いていますがみなさんお元気ですか?
こう暑いと運動するのが億劫になります。でも食欲はあるのでお腹周りが気になってきました。今日は朝のうちに歩きましたが、暑さ対策として水を含ませるだけで冷たさが持続するスカーフをして歩きました。このアイデア商品「マジクール」は通信販売で購入したのですがなかなかいいと思いました。
http://www.daisaku-shoji.co.jp/p_magicool.html  (R.O.)

インターネット と 日本語

インターネットの世界では 使用言語は圧倒的に英語が幅を利かせています。少し古い新聞情報ですが、世界のインターネットのホームページは 82%が英語によるものであり、更に電子メールなどの情報のやりとりとなると、約90%までが英語を介したものなのだそうです(読売新聞、July24,'97)。

現在では英語の比率はさらに大きくなっているのではないでしょうか。まさに英語はネット上の 「地球共通語」 になっていると言っても過言ではないと思います。

英語が理解できなければ世界の情報の大半は得られないのだから、この際、いっそのこと日本も英語を国語にしたらどうかといった提案を真面目にしていた日本人を見掛け唖然としました。

確かにインターネット言語を含め、世界の言語の中で、日本語は完全に少数派です。 しかし私達日本人には長い歴史を通して身についた素晴らしい文化が存在し、その文化は日本語という媒体を通して伝えられ、育(はぐく)まれてきました。日本語のない日本文化などありえません。(これまでの日本文化を完全否定し、英語圏の文化に変えようと言うのなら話しは別です)

 インターネットなどの情報量だけを問題にするのなら、何も英語を国語とする必要は全くありません。英語と言う外国語を身につけさえすればいいことです。日本はこれから若者を中心に海外との接触が増えるにつれて、日本語以外の言葉も自然に生活の中に入ってくるでしょう。また自動翻訳の技術もどんどん開発され、機械が助けてくれるようにもなるでしょう。

情報社会の「地球共通語」が英語になっているのなら、それだからこそ英語圏にはない日本語による文化の果たす役割が大きく重要になってくるのです。 日本人は先ず日本語をしっかり母国語として身に付け、その母国語である日本語によって、より洗練された日本文化を育(はぐく)み、築いて世界に通用するレベルまで高めるよう努力をするべきではないでしょうか。英語ほかの外国語はそのための手段として多いに学ぶことにしましょう。
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「」

 

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )

合従連衡 切り札が背伸びする

難問の山 前例がうろたえる

五十歩と百歩互いに飛ばす泡

敵味方 笑顔の裏が読み切れず

日和見に二者択一という踏み絵

( ニュースやぶにらみ )

「白鵬、13日目で優勝を決める」
遅い 遅い −小沢民主党代表

「六ヵ国協議」
参加することに意義がある −北朝鮮

「土用のうなぎ」
体にいいものばかりと限らない −平賀源内

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

 

森田さんから

     行って、見た
              森田のりえ
「観光旅行じゃないのよ。フィリピンの田舎に一週間行くけど・・・」
 U子に誘われたのは四月中旬だった。出発は一ヵ月後。興味のある国ではないけれど「チャンスがあれば旅行しろよ」といっていた亡夫の言葉に背を押された。
 五月下旬、マニラに到着した翌朝、五十人乗りのプロベラ機に乗せられ五十分ほど北方へ飛んだ。高度を下げると、峰伝いに道が走り、両側にレンガ色の屋根の建物が群がる風景が機下にひろがっていた。標高一五〇〇メートルの高原の町バギオである。バギオは、太平洋戦争末期に日本軍が防衛陣地を設けた所でもある。軽井沢のような避暑地だそうで、肌寒ささえ感じる。山間に靄がたなびき木々の緑が色鮮やかだ。澄み切った空気が身体に染みこみ、さわやかな風が吹く。
 U子が「センセイ」と呼ぶフィリピン人の中年男性が空港に出迎えていた。
一体何の先生だろう。
U子とセンセイの会話は英語である。この国はスペインの植民地のあとにアメリカの植民地であったこともあり世界で三番目に英語を話す人が多い。共通言語はタガログ語である。ふたりの英会話が耳に入る。
「スピリチュアル・ヒーリング」とか「ヒーラー」という言葉がでてくる。
ともかくホテルに荷物を置くと、再び車に乗り込む。道幅は狭く曲がりくねり、道端では新聞紙の上に小魚を並べて売っている。大粒のぶどう葉のついたライチが並ぶ。とある狭い急坂を下って車が止まった。センセイの家だという。駐車場から階段を上がると応接間になっていた。正面にイエス昇天の像や十字架から下ろされたイエスをマリアが膝に抱きかかえたピエタ像があった。その前にお供え物があるから祭壇にちがいない。
なんとなく居心地の悪さを感じていると、いきなりU子がこういった。
「これからスピリチュアル・ヒーリングを受けるから傍でよく見ていてね」
スピリチュアル・ヒーリングとは、呪術治療、手当、手かざし治療、浄霊治霊、心霊手術で、日本では違法医療行為である。
U子は医者でも治せないといわれた病を抱えている。ワラをもすがりたい「生への執着」がここへ来させたのであろうか。驚く私を尻目に、U子は隣の部屋へさっさと着替えを持って入っていった。
狭い台の上に局部だけをおおったU子が仰向けに横たわる。センセイ、つまり「ヒーラー」である心霊術者は、半袖シャツの格好で、枕もとに置かれた洗面器でまず手を洗った。両手を開いて軽く振りながら神に祈る仕草をして何か呟いたあと、U子の下腹部に両手の指を立てた。と思うと体内に指を差し込むようにした。そのとき、血が吹き出た。血は床にまで飛び散った。
「えっ! なに?」
 術中は黙っているように言われたのをすっかり忘れ、叫んでしまった。
 患部からピンポン玉大の血にまみれた脂肪のようなぶよぶよしたものが出てきた。ヒーラーが掴み上げて容器に入れた。手を洗う。助手が血を拭き取る。患部に傷口はない。
「やっぱりインチキ、フィリピンの心霊手術。簡単なトリックに過ぎなかった。施術台の下に豚の血液などを仕込み、摘出した臓器を分析すると人間の臓器ではなかった」
 などと物議をかもしだしたのは十数年前だった。現代人の常識では考えなれない心霊手術が目の前で行われている。騙されているのではないだろうか、私は位置を変えヒーラーの手の内を傍でみた。何もない。わき腹、胸、腿、背中と同じことを繰返す一部始終を凝視していたが、トリックやインチキなどを発見できなかった。
 U子の伯父は日本で外科医をしている。心霊手術を暴いてやると勢い込んでフィリピンに乗り込んでいった結果、なにも見破ることができず「不思議だ、不思議だ」と呟いていたという。だから私も信じるというのではない。病気が治るなどとは決して思ってはいない。だが、目の前で展開された事実は事実として認めるしかないかもしれない。もし、この現場に立ち会って、トリックだと証明できる人がいればお目にかかりたいものだ。
フィリピンには数百名を越える心霊術師がいるといわれているが、トリックの可能性が疑われる治療師も多いと案内してくれたフィリピン人が話してくれた。
帰国後、友人に話すと、
「あのねぇ、そんな話をすると知性が疑われるよ。見破られるようなヘマはしないに決まっているじゃないか。バーカ!」
 一笑されてしまった。
              つづく                                    

龍翁余話

龍翁余話(41)「ああ、情けなや大分県教育界」

最近、久しぶりに会う友人たちのうち何人かがニヤっと笑って「龍翁さんのお国は大分県でしたね」と言う。その“ニヤ”は、『大分県教委汚職事件』を指す。その都度、翁、顔を曇らせる。“ニヤ”に対するムカつきではない、恥ずかしいのだ。その恥の主たるものを改めて列記してみる。(7月の読売新聞より抜粋)「長女の教員採用で金券百万円贈る、大分県教委の夫婦逮捕」(5日)、「大分県教委汚職で5人逮捕(管理職任用試験疑惑)」(6日)、「10数人の点数改ざん」((7日)、「起訴の参事に別の校長、教頭も商品券」(8日)、「採用には“議員枠”(国会議員、県議会議員関与か)」(10日)、「佐伯市立小校長を懲戒免職」(10日)、「不正採用“謝礼しないと受からない”」(10日)、「私大教授も関与」(13日)、「元副知事が口利き、県議らに合否連絡」(19日)、「地元紙幹部も長女の口利きを依頼」(23日)、「被告夫婦の長女が自主退職」(23日)、「大分大教授、採用試験で教え子14人のリスト郵送」(24日)、「元参事が部屋独占して人事作業」(25日)、「大分地検、県教委ナンバー2のN容疑者と妻の佐伯市立小教頭を収賄罪で大分地裁に起訴」(26日)・・・・ああ、情けなや大分県教育界!

長年、慢性化していた大分県教委の恥ずべき不正事件、これは大分県に限ったことではなく、“叩けば埃(ほこり)の出る体”は大同小異、各地に見られるだろう。だとすると、日本の教育界の権威・品格は地に堕ちてしまったことになる。むろん、実力で教員になり、人格・指導力を培い、次代を担う子どもたちへ愛と期待をもって熱心に教育に携わっている教師もたくさんいる。が、不正採用された教師たちは(それを知っていようがいまいが)彼らの背後には、間違った権力を持つ親、そこにたむろする教委や政治家どもが控えているので、教育現場で“虎の威”を振りかざそうとする作用が(無意識の中でも)働いてくる、それが怖い。このような教育界の頽廃が教師の質の悪化を招き、日本人の文化・教養レベルの低下(人間・社会道徳の欠落、人格欠陥者の増産)をもたらし、ひいては昨今頻発する若者の無差別殺傷事件、などの遠因にもなっているのでは、と危惧するのは翁だけではあるまい。

江戸時代、豊後(ぶんご)の国・日田(ひた)=現在の大分県日田市=に、広瀬淡窓(ひろせ たんそう)という儒学者・教育者・漢詩人がいた(1782年〜1856年)。淡窓の思想は『敬天』である。“道は天地自然のものなり。人は天を敬い、天の道に従って正・善を行なえば、天また人を救うなり“。翁が子どもの頃から尊敬してやまない西郷隆盛も『敬天愛人』を彼の思想の柱とした。”天を敬い、人を愛し、天を相手にして己れを尽くし人を咎めず、我が至誠(まこと)の足らざるを尋ぬるべし“(龍翁の座右の銘)。
広瀬淡窓は23歳の時(1805年)、生地・日田に全寮制の私塾『咸宜園(かんぎえん)』を創設した。『咸宜』とは“皆、よろしい”という意味。したがって『咸宜園』では入学金を納入し名簿に必要事項を記入すれば、身分や性別を問わず誰でもいつでも入塾でき、平等に学ぶことができたので、士農工商を問わず好学心の厚い若者が全国からやって来た。ここでは儒学のほか数学、天文学、医学、漢詩などさまざまな分野の講義が行なわれた。毎月試験があり“月旦評(げったんひょう)という成績評価が発表され、入学時に無級だった者が、1級から9級まで成績により上がり下がりした。翁、今年の6月に帰省した折、約30年ぶりに『咸宜園』を訪ね、当時のまま残されている“月旦評”を見せてもらった。また、塾生名簿の中に、高野長英(陸奥の国・仙台藩=現・宮城県出身。江戸時代後期の医学、蘭学者)や、大村益次郎(長州藩=現・山口県出身、幕末期の西洋学者、兵学者、日本陸軍の創始者)の名を見た。
漢詩人でもあった淡窓は、授業に詩吟を採り入れ、塾生たちの情操と士気の鼓舞の一助とした。いわゆる吟詠の家元であり、淡窓流または宜園調として、全国の吟詠の源となった。また、淡窓は一貫して塾生たちの個性を尊重した。「鋭きも鈍きも共に捨てがたし、錐(きり)と槌(つち)とに使い分けなば」(淡窓作)は個性尊重 の一端を表している。『咸宜園』は淡窓(74歳で)没した後も、弟たちや優秀な卒塾生によって明治30年(1897年)まで存続、92年間の塾生5,000人を超える日本最大級の私塾であった。このように『咸宜園』は、大分県の教育史上で最も重要な意義を持つばかりでなく、近代教育制度(実力主義・個性尊重の教育システム)のモデルにと、多くの教育者や教育行政に携わる者が『咸宜園』を研究し参考にした。それなのに、昨今の大分県教育界は、何たる様(ざま)か!

現在の大分県知事・広瀬勝貞は、淡窓の弟(九兵衛)の子孫である。『平成20年度の県政推進』の中で、広瀬知事は、3つのテーマに取り組むことを宣言した。その中に、皮肉にも“教育の環境整備推進”が謳われている。「公平・平等・実力主義・個性尊重」を塾是とした『咸宜園』創始者および塾主を先祖にもつ広瀬知事よ、日本中はおろか世界に恥をさらした県教育委員会の不祥事を、どう始末なさるおつもりか?そして、県下の教育者たちよ、政治家たちよ、“天の道”に背く不徳を、子どもたちに、県民に、どう申し開きをするのか?どう、わが身を処するのか?・・・“大分の先哲・淡窓先生の教育理念”を再び天下に示す日の早やからんことを願ってやまない、っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズの魅力−今週のお奨めジャズ

先週に引き続いて「Jazz The Best Legendary Box」の インスツルメント編をご紹介します。
■インストゥルメンタル編

01)Art Pepper/You'd Be So Nice To Come Home To
from UCCO-5004 「Meets the Rhysm section+1」(Contemporary)
Art Pepper(as), Red Garland(p), Paul Chambers(b), Philly Joe Jones(ds)
★1957年1月19日、ロサンジェルスにて録音

02)Wes Montgomery/Four On Six
from UCCO-5010"Incredible Jazz Guitar"(Riverside)
Wes Montgomery(g), Tommy Flanagan(p), Percy Heath (b), Albert "Tootie" Heath(ds)
1960年1月、ニューヨークにて録音

03)Sonny Rollins/Solitude
from UCCO-5018"Way Out West+3"(Contemporary)
Sonny Rollins(ts), Ray Brown(b), Shelly Manne(ds)
1957年3月7日、ロサンジェルスにて録音

04)Phil Woods/Be My Love (MONO)
from UCCO-5091"Woodlore+4"(Prestige)
Phil Woods(as), John Wiliams(p), Teddy Kotick(b), Nick Stabulas(ds)
1955年11月25日、ニュージャージーにて録音

05)Bill Evans/Autumn Leaves
from UCCO-5003"Portlait in Jazz+1"(Riverside)
Bill Evans(p), Scott Rafalo(b), Paul Motian(ds)
1959年12月28日、ニューヨークにて録音

06)Chet Baker/Everything Happens To Me
from UCCO-5046"It Could Happen To You Chet Baker Sings+2"(Riverside)
Chet Baker(tp, vo) Kenny Drew(p)George Morrow (b)Philly Joe Jones (ds)
1958年8月、ニューヨークにて録音

07)John Cortlane/Theme For Ernie (MONO)
from UCCO-5013"Soultrain"(Prestige)
John Cortlane(ts) Red Garland(p)Paul Chambers(b)Art Taylor(ds)
1958年2月7日 ニュージャージーにて録音

08)Nat Adderley/Work Song
from UCCO-5057"Work Song"(Riverside)
Nat Adderley(cor), Wes Montgomery(g), Bobby Timmons(p), Sam Jones(cello), Percy Heath(b), Louis Hayes(ds)
1960年1月、ニューヨークにて録音

09)Stan Getz/What's New (MONO)
from UCCO-5063"Stan Getz Quartet"(Prestige)
Stan Getz(ts), Al Heig(p), Tommy Potter(b), Roy Heynes(ds)
1950年1月6日、 ニューヨークにて録音

10)Modern Jazz Quartet/Softly As In A Morning Sunrise (MONO)
from UCCO-5030"Concold"(Prestige)
Milt Jackson(vib), John Louis(p), Percy Heath(b), Connie Kay(ds)
1955年7月2日、ニューヨークにて録音

11)Miles Davis/It Never Entered My Mind (MONO)
from UCCO-5019"Workin'"(Prestige)
Miles Davis(tp), John Coltrane(ts), Red Garland(p), Paul Chambers(b), Philly Joe Jones(ds)
1956年5月11日、10月26日 ニュージャージーにて録音

12)Johnny Griffin/Hush-A-Bye
from UCCO-5075"The Kerry Dancers"(Riverside)
Johnny Griffin(ts), Barry Harris(p), Ron Carter(b), Ben Riley(ds)
1961.12.21、62.1.5、29 ニューヨークにて録音

13)Barney Kessel with Shelly Manne & Ray Brown/Volare
from UCCO-5131"The Poll Winners Ride Again"(Contemporary)
Barney Kessel(g), Ray Brown(b), Shelly Manne(ds)
1958年8月、ロサンジェルスにて録音

14)Kenny Dorham/My Ideal
from UCCO-5024"Quiet Kenny"(Prestige)
Kenny Dorham(tp), Tommy Flanagan(p), Paul Chambers(b), Art Taylor(ds)
1959年11月13日、ニュージャージーにて録音

<R.O.>

編集後記

一ヶ月に2回もの大きな地震に見舞われた東北の皆様に心からお見舞い申し上げます。一日も早く復興できるようにお祈りしています。
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.637

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com