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NO.636                Ryo Onishi              7/20/2008  

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雑貨屋のひとり言

蝉の声がやかましく聴こえてきて、子供たちの夏休みが始まりました。蝉の声は夏らしいのですが余計暑く感じます。
朝から猛暑の三日連休ですが、みなさん一体どのように過ごされているでしょうか?私たちは暑いので涼みがてらショッピングに行っています。バーゲンセールからクリアランスセールに変わっていくのがわかります。プライスは下がってきますが、服などはサイズや色がなくなります。みんな良く観察して買っているようです。もうひとつの夏の風物詩、花火大会も各地で行われています。土曜日は芦屋浜の花火大会を食事しながら楽しみました。6000発の花火は見事した。でもスポンサーは一体誰なんだろうと余計なことを考えてしまいました。(R.O.)

新ニッポン人

 第二次大戦後(注:私のようなシニア世代の人間が「戦後」という場合、それは「第二次大戦後」すなわち、1945年8月以降という意味で使うことで暗黙の了解済みと理解しているのですが、最近の20歳代を中心としたニューエイジと語る場合、「戦後」とは朝鮮、ベトナム、湾岸、イラクなどの、どの戦争、または動乱の後なのかをきちんと言わないと通用しないのだそうです)の物資のない時代に育った私たちは「モノを持つありがたさ」を知っています。というより、物欲の中で育ったといっても過言ではないでしょう。

車が欲しい、テレビが欲しい、カメラが欲しい・・と、必死に働きました。かつてはその時代々々にあこがれた三種の神器(たとえばカー、クーラー、カラーテレビの3Cなど)があり、そしてモノや旅行などに「なけなしのお金」をつぎ込んだのでした。

 ところが先日、私が日本滞在中に見たテレビ(久米宏経済スペシャル“新ニッポン人現る”)によると、現代の若い人たちはお金を使うことに興味がうすく、あまりお金を使わないのだそうです。彼ら彼女らが生まれたその時には既にカラーテレビも冷蔵庫もあり、最近では自家用車は単なる「足代わり」であって、ステータス・シンボルでもなんでもなくなっています。

 このとき観た番組では、今の20歳代の「新ニッポン人」は、3人に1人は酒を飲まず、海外旅行をする人は12年前に比べて160万人余り減ったといっていました。また、7年前と比べて「自分だけの専用で持っているモノ」は携帯電話とパソコンを除きすべて減っているとのことでした。そして彼(彼女)らはもっぱらお金を貯金にまわしているとのことで驚きでした。

 今時のニューエイジは将来のため、堅実に貯金をしているといえば誠に聞こえはよく、非難される筋合いではないといえばそれまでですが、果たしてこれでよいのか、私には少々疑問に思います。

 二度と来ない青春時代は自分自身への投資の時代です。少ない収入を工夫しながらも、本を買って教養を高め、旅に出て見聞を広め、そして友人・知人の輪を広げ仲間作りに励む・・。これこそ若いうちにしかできないことです。

純粋で吸収力の旺盛な心身の上昇期にこれらへの投資を怠ると、年齢を重ねた後に必ずひずみが出てきます。お金が貯まっても身体と心が硬くなってからでは手遅れになることがたくさんあるはずです。

 「そんなことはわかっているヨ! 我々は何もすき好んで若いうちから貯金に励んでいるわけではなく、これから必然の少子高齢化に向かって、年金制度をはじめとし、経済的に悲観材料ばかりだからやむを得ない自己防衛なのサ」と、ヤングからブーイングが飛んできそうです。

まったくヤングの皆さんのおっしゃる通りです。将来への経済的不安に加え、今はガソリン、食料品をはじめ生活に身近な商品の値上がりが続いているご時世で、ヤングに限らず日本人全員が購買意欲を失っています。この消費者心理の冷え込みも「モノ離れ」の一因であることは確かでしょう。

「外食費」、「娯楽費」だけでなく、「スポーツ活動費」や「自己啓発費」への支出減は日本と日本人の将来のため憂慮されるべきではないでしょうか。若者たちにもっと将来の生活に安心感を与える国と政府と社会の仕組みつくりの必要性をつくづく感じるこの頃です。         
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「」

 

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )

検査 検査 検査がただの風邪でした

発泡酒コピーのカニに褒められる

普通車を軽に年金替えさせる

確かこの辺と記憶の行き止まり

お宝は元気印の旗でいい

( ニュースやぶにらみ )

「後に続く」
野茂投手の背中を見て −野球少年

「国際化」
芥川賞お前もか −大相撲、プロ野球

「ビールの味」
今年は特別旨い −タイガース

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

 

森田さんから

 悲惨な出来事
              森田のりえ
 長袖ばかりを持参した私はあわててTシツを買い求めなければならないほど、九月末の広島は暑かった。
 ロサンゼルスから沖縄の実家へ里帰りしていたK子と私は広島駅で待ち合わせ、原爆記念館のある平和公園へ向かった。広島は私のふるさとである。渡米した三十七年前、爆心地北側の河岸にはバラックが立ち並び、金網で囲まれた原爆ドームのまわりには瓦礫が散乱していた。ところが、原爆ドームは崩壊を防ぐ補強が施され、河岸はすっかり整備され公園のようになっていた。メモ用紙を持った修学旅行中の生徒や外国人が多い。以前はこうではなかったと思い出しながら、川沿いを歩き原爆死没者慰霊碑前に立った。
「安らかに眠ってください。過ちは 繰返しませぬから」
 この主語のない碑文について、建立前から『過ち』は誰が犯したものであるかについて議論があった。一九五二年八月、時の広島市長は議会で「戦争という人類の破滅と文明の破壊を意味している」と答弁した。同年十一月、広島を訪れた極東国際軍事裁判の判事の一人であったインド人のパール判事は、主語はアメリカ人であると解釈する発言をした。後にけんけんごうごうの議論の末「再びヒロシマを繰返すなという悲願は人類のものである」として、主語は『世界人類』となった。
ごく最近まで「原爆を落とす過ちは」だと、私は勝手な解釈していた。だからアメリカは市内を見下ろす小高い丘に被爆者のために治療施設ABCC(原爆傷害調査委員会)を建てたのだと思っていた。しかし、そこで働いていた人の話では、原爆の人体への影響を調べる所であって、被爆者の治療はまったくせず、被爆者男子の精子の数まで調査の対象にしたというのを聞いて驚いた。
青春時代、深い緑でおおわれ市民の憩いの場所となった平和公園を私は勤めの帰りに散歩をし、ボートに乗って遊んでいたが、原爆について深く考えることはなかった。
 だが、広島市の郊外に住んでいた私は、原爆の落ちた日のことは覚えている。
 その朝、私は八歳年上の兄と二階にいた。市内の学校に通っていた兄は、毎日勤労奉仕にかりだされ、八月六日は市役所横の道路作業に行くはずであったが、駅まで行くと腹痛になり家に引き返したのである。兄がふとんをしき、押し入れの蚊帳をぽんと投げた、その時、蒼白い閃光が窓いっぱいにはしり、ピカッと光った。つぎの瞬間、「ドォーン」と、ものすごい音がした。気がついた時、私と兄は階段の下り口にたっていた。けがはなかった。障子の窓が吹っ飛んでいた。母や妹がどうしていたのかまったく記憶にない。覚えているのは、夕方になって大人たちが庭先に立ち、真っ赤に染まった山の向こうを緊張した面持ちでいつまでも眺めていたことである。幼いながら、大人たちのただならぬ雰囲気を肌で感じ、薄気味悪さと恐怖のようなものを抱いたことは脳裏から消えない。
 子供のころ、顔半分がケロイドで唇の歪んだおばさんが家にきては両親と話すことを、傍で恐々と聞いていた。
原爆資料館を訪れたのは高校一年の春だった。幼い頃から原爆の悲惨な状況を聞かされ過ぎて神経が麻痺していたのかもしれないが、大きな感動はなく見たくもなかった。その後なんども訪れた。その都度、思いが深まっていったように思う。
今回は、なぜ日本は太平洋戦争へ突き進まなければならなかったのか。当時の国際状況はどうだったのか。また、広島に続いて長崎まで原爆を投下する必要があった理由について、戦争を早く終らせるため原爆投下はしかたなかったという考えは間違ってないのか。また、勝者による東京裁判は正しいものであったかどうか、多くの問題を提起されたような気がした。
 K子は、十数年前、アメリカ生まれの息子三人を連れてここを訪れたという。
「突然、七才になる次男が泣き出して・・・」
 焦土と化した瓦礫のなかで、焼けただれた皮膚がスダレのようにぶら下がり、逃げ惑う被災者の人体模型が展示している場所だった。感受性の強い子だから、子供なりになにかを感じたのでしょうねとK子はいった。
ホテルに戻ってテレビを点けると、おりしも、沖縄戦の『集団自決』の件について、抗議集会が沖縄の宜野湾市で行われたニュースを報じていた。集まった人は十一万人。
六十数年前、珊瑚焦の美しい海の見える読谷村に米軍が上陸し、恐れた村の人たちがチビチリガマで集団自決をした。地獄絵のような悲惨な出来事やヒロシマの原爆について、私とK子は夜遅くまで語り合ったのであった。
              つづく                                    

龍翁余話

龍翁余話(40)「迷人会(寄席)」

翁の親友・Cさんが幹事役を務める『なだ作迷人会』という寄席イベントが、年に3〜4回開かれている。“明日の名人”を夢見る落語・講談の若手噺家(はなしか)に発表の機会を提供し、みんなで応援しよう、というのが趣旨。『なだ作』というのは東京・西銀座にある家庭料理の店。年配の女将(おかみ)さんを頭に、気のいい女性たちが働く小料理店。数年前、Cさんに案内された翁、女将が作る名の通りの家庭料理が気に入って、たまに友人たちと一緒に飲みに(下戸の翁は、食べに)行く。50人ほどで満席となる小さな店、『迷人会』の時は貸し切りで、口演と家庭料理を楽しむ。いつも定員オーバーの盛況ぶりだ。この『迷人会』から、これまでに2人の“真打(しんうち)”が誕生した。落語では、柳家小三治一門の柳家三三(やなぎや・さんざ)と、講談では故・神田山陽の弟子、現在、5代目柳亭痴楽の門下の日向(ひゅうが)ひまわり。真打になるまでは、神田ひまわり、と名乗っていた。今回の出演者は、落語の立川談志の弟子・立川談幸門下で“二つ目”の立川吉幸と、講談の宝井琴星門下で“前座”の女流宝井琴柑(きんかん)。

ところで、落語や講談の世界では、前座・二つ目・真打という階級があることは、各位ご存知の通り。前座(ぜんざ)とは、もともと仏教の高僧が弟子を連れて歩き、高僧が本説教を始める前に、前座(まえざ)で説教をする修行僧のことらしい。落語や講談の世界では、弟子入りを許された新人は、師匠から“前座名”を貰い、楽屋入りするまでは(日常)、師匠のあれこれの面倒をみなければならない。そういう時間帯は“見習い”と呼ばれる。そして、師匠が高座に上がる時“前座”となって、呼び込み太鼓・鳴り物、めくりの出し入れ、小道具の用意、マイクのセッティング、茶汲み、着物の管理など楽屋作業をすべてこなす。たまに師匠から指導を受けることもあるが、ほとんどが師匠の芸を“盗み学習”する。それも、わずかな時間。そのかわり、食べることと、少しのお小遣いは保証されている。
この下働きの修業を終え、やっと噺家として人前で紋付の羽織を着て口演することが許されるのが“二つ目”。ダルマに二つの目を入れられるほど芸が上達(開眼)した、という意味だそうだ。上方では“中座(なかざ)”と呼ぶ。昇進の挨拶に配る手拭いを作ることも許される。しかし、真打とは天と地ほどの違いがある。真打を目指して血の滲むような稽古に励まなければならないし、師匠からのお小遣いが貰えるわけではなく、仕事らしい仕事もそうたびたびはないので、前座時代にやってきた雑用をしなくてすむ分、アルバイトをして自分で生計を立てなければならない。噺家として一番苦しい時代だ。
そして“真打”・・・落語や講談の世界で最高の地位を誇る演者。そもそも真打とは、日本刀を打つ(製作する)際、数本打った中で、一番出来のいいものを“真打”として依頼者に納品する。あまり出来のよくない刀は“影打ち”として作者の手元に残す。落語・講談の世界では、真打昇進試験に合格するまで“影打ち”的存在に甘んじなければならない。つまり、まだ、陽の目を見ないのだ。そして真打ともなれば、定期、不定期を問わず寄席(よせ)出演が頻繁となり、お客さん(スポンサー)からも声が掛かる。テレビ・ラジオ出演も多くなる。経済的にもラクになり、いずれは弟子をもつことも許される。前述の講談師日向ひまわり、二つ目の神田ひまわり時代、一度、翁がメンバーとなっている某異業種経営者懇談会のパーティに(Cさんの紹介で)出演して貰ったことがあった。安いギャラでお願いしたのだが、真打になった今、また出演依頼をするなら、あの時のギャラの5倍は用意しなければなるまい。最近の彼女の活躍ぶり(芸の広さ、深さ、上手さ)を考えれば、当然の報酬と言えるだろう。

“石の上にも3年”という諺(ことわざ)がある。石は冷たく、ゴツゴツしていて硬く、居心地は悪い。しかし3年(長年)経てば(座っていれば)石は温まり、硬さにも慣れ、
居心地もよくなり、人様に評価される地位に付くことも出来る。つまり、何事も辛抱しなさい、という教訓だが、落語や講談の世界は3年どころの話ではない。下働き(前座)でも3年から5年、二つ目になってから、真打に昇進するまで10年かかるのは当たり前、それも、試験に合格して、のことだ。その間、修業に耐えられず、逃げ出していく門人も多いという。相撲の世界も同じことが言えるだろう。古来、芸・技の世界に生きる者は、人としてもその人格には光るものがあり、尊敬を受けたものだが、昨今の芸人、力士はどうだろうか?低俗番組に出て芸人(タレント)を気取ったり、強ければ人徳など必要ない、と言わんばかりの馬鹿横綱がいたり、また、それらを甘やかす低能な番組プロデューサーや親方がいたり・・・そんな風潮の中で、落語・講談の世界は、依然として規律を守り、芸と人(人間性)を磨く昔ながらの伝統文化が継承されている。嬉しいではないか・・・

今回、『なだ作迷人会』に出演した二つ目の立川吉幸(落語)と前座の宝井琴柑(講談)、芸はイマイチだが、対人との礼儀作法、ステージマナー、観客への気配りなど、人物的にはすでに同年輩の一般社会人とはひと味ふた味違う雰囲気を醸し出していた。だから翁も
応援したくなる。しかし、ただ、彼らの成長を見守るだけではない。『なだ作』で出会ったせっかくの縁故に、一言、二言、彼らに“愛の苦言”を呈したい。翁は(映像製作の経験から)発声法や身振り手振りの演技上の問題点を・・・
近々、Cさんと『なだ作』で暑気払いをやることになっている。その時、翁、Cさんに提案しようと考えている。「この『迷人会』に出演した若手に対して、“なだ作観客”はすでに彼らを身内芸人と受け止める。だから彼らに対して身内的励ましと檄(げき)を届ける“感想分”を募ったらいかが」かと。そのことは、今後の彼らの修業に大きな参考になること間違いない。そして、近い将来、彼らが再び『なだ作』へ・その時は『迷人会』ではなく『名人会』として・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズの魅力−今週のお奨めジャズ

先週に引き続いて「Jazz The Best Legendary Box」のピアノ編をご紹介します。
私の大好きなピアノジャズがいっぱい入っています。

01)Bill Evans/Waltz For Debby (LIVE)
from UCCO-5001「Waltz For Debby+4」(Riverside)
Bill Evans(p), Scott LaFaro(b), Paul Motian(ds)
1961年6月25日、ニューヨークにてライヴ録音

02)Wynton Kelly/Willow Weep For Me
from UCCO-5016「ケリー・ブルー+2」(Riverside)
Wynton Kelly(p), Nat Adderley(cor), Benny Golson(ts),
Bobby Jasper(fl), Paul Chambers(b), Jimmy Cobb(ds)
1959年2月19日、3.10 ニューヨークにて録音

03)George Walington/Our Love Is Here To Stay (MONO)
from UCCO-5089「JAZZ FOR THE CARRIAGE TRADE」(Prestige)
George Walington(p), Donald Byrd(tp), Phil Woods(as), Teddy Kotick(b), Arthur Taylor(ds)
1956年1月20日、ニュージャージーにて録音

04)Thelonious Monk/'Round Midnight (MONO)
from UCCO-5014「Thelonious Himself」(Riverside)
Thelonious Monk(p), John Coltrane(ts), Wilbur Ware(b)
1957年4月、ニューヨークにて録音

05)Tommy Flanagan/In A Sentimental Mood
from UCCO-5056「Tommy Flanagan Trio」(Prestige)
Tommy Flanagan(p), Tommy Potter(b), Roy Heinz(ds)
1960年5月18日、 ニュージャージーにて録音

06)Mal Waldron/Yesterdays (MONO)
from UCCO-5066「Mal−1」(Prestige)
Mal Waldron(p), Idrees Sulieman(tp), Gigi Gryce(as),Julian Euell (b), Arthur Edgehill(ds)
1956年11月9日、ニュージャージーにて録音

07)Kenny Drew/When You Wish Upon A Star (MONO)
from UCCO-5034「Kenny Drew Trio」(Riverside)
Kenny Drew(p), Paul Chambers(b), Philly Joe Jones(ds)
1956年9月、ニューヨークにて録音

08)Art Tatum/Gone With The Wind (MONO)
from UCCO-5127「Art Tatum 〜 Ben Webster Qurtet」(Pablo)
Art Tatum(p), Ben Webster(ts), Red Callender((b), Bill Douglass(ds)
1956年9月11日、ロサンジェルスにて録音

09)Red Garland/C Jam Blues (MONO)
from UCCO-5005「Groovy」(Prestige)
Red Garland(p), Paul Chambers (b), Art Taylor (ds)
1957年8月9日録音

10)Dave Brubeck Quartet/Stardust (MONO)
from UCCO-5110「Brubeck-Desmond」(Fantasy)
Dave Brubeck(p) Paul Desmond(as) Wyatt bull Ruther(b)
Fred Dutton(b) Harb Barman(ds) Lloyd Davis(ds)
1951年8月〜52年9月、サンフランシスコにて録音

11)Don Friedman/So In Love
from UCCO-5033「Circle Waltz」(Riverside)
Don Friedman(p), Chuck Israels(b), Pete La Roca(ds)
1962年5月14日、ニューヨークにて録音

12)Ray Bryant/Golden Earrings (MONO)
from UCCO-5029「Ray Bryant Trio」(Prestige)
Ray Bryant(p), Ike Isaacs(b), Specs Wright(ds)
1957年4月5日、ニュージャージーにて録音

13)Bobby Timmons/Moanin'
from UCCO-5058「ジス・ヒア+1」(Riverside)
Bobby Timmons(p), Sam Jones(b), Jimmy Cobb(ds)
1960年1月、 ニューヨークにて録音

<R.O.>

編集後記

この暑いエネルギーを何かに使えないかなーと考えています。
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.636

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com