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NO.623                Ryo Onishi              4/22/2008  

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雑貨屋のひとり言

雑貨屋ウィークリーの発行が遅れました。16日からハワイに行っていたからです。昨年もこの時期にワイフと宮古島に行ったのですが、今回は息子がハワイで挙式をしたいということで両家の家族で行くことになりました。ホノルルはロスに駐在して半年後に出張で行ったことはあるのですがまったく初めてと同じでした。ホノルルに4泊6日の旅行でしたが、思い出の多い旅行になりました。なぜみんながハワイに行きたがるのか、よーくわかりました。(R.O.)

説 得 に よ る 納 得

 自分の生まれ育った国を離れ、海外で生活するメリットのひとつは自他の比較により、自国を客観的に観察出来ることでしょう。

 私も滞米期間22年を越えました、中年を過ぎてからのアメリカ生活のためか、日米文化の違いにとまどい、いまだにカルチャー・ショックの多い毎日です。

以前、当地の日系新聞の人生相談欄で読んで私も納得しましたが、一般論としてアメリカでは対人関係において、よほど親しい人を除いて以心伝心に頼ることは不可能に近いようです。

この新聞の人生相談担当者は私も親しい日本生まれの女性ですが、彼女のようなクロス・カルチャー専門のコンサルタントがアメリカで存在すること自体が異文化との交流がいかにむつかしいかを物語っている証拠でしょう。

 人が何かを発言する時、「何を言うのか」 が重要であるのは当然ですが、日本人の場合、それと同じ位、またはもっと重要なのが 「どういう言い方をするのか」 だったりします。

 「私はその案には反対だ」 と明確に言うより 「私はどうもその案には必ずしも賛成しかねるのですが・・」 などと歯切れの悪い婉曲的な言い方をしがちであり、こちらの方が受け入れられやすい日本語と言われています。

 英語の世界(と言っても私はほんの一部しか知りませんが)でも当然、相手の立場を充分配慮した言いまわしはしますし、気を遣うことを重視されますが、それでも最重要なのは内容をいかに論理的に説得するかでしょう。

 日米の差は、相手を出来るだけ傷つけずにこちらの気持を察してくれるのを待つか、それとも気持を明確に伝えた上でお互い納得し合うかの差といえるでしょう。

論理的に説得するためには曖昧な言い方より明確な表現の方が都合が確かに都合がよいといえます。

 私自身も何か意見を述べる時、英語での場合はイエス、ノーも含めて比較的明快な言い方をするくせに、まったく同じ内容を日本語で言う場合はなぜか言葉の語尾に余計な言い回しを付けたりしているのに気付きます。

尤も私の場合は英語の語彙不足のため、英語で微妙な言い方が出来ないのが最大の理由なのでしょうが、でも “どうもその理由だけとは必ずしも限らない、と言ってもあながち正しくないとは言い切れないと思うのですが・・”(?!)
「正しい日本語と、良い日本語」は同じではないのが日本語の特徴ではないでしょうか。
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「音・・その2」

自分の都合のいい音を収集している私たちの耳(脳)であるが、時に、いやな音を遮断・拒絶しようとしてもそれができないこともある。つまり、そのまま聞こえる音を、聴いたり“見たり”しなければならないことがある。音を聴く、は分かるが、“音を見る”という表現を敢えて使うところに今回のポイントがある。先週に引き続き、今週のテーマも「音」、特にマナーやエチケットに関する音に触れてみたい。

音の中には、人を心地良くさせてくれるものとそうではないものがある。小川のせせらぎや、そよ風に吹かれて小枝や葉っぱの擦りかう音、小鳥のさえずりや虫の声など自然の音、そして楽しげな人の笑い声や美しい音楽などは、いつ聞いても心地いいし、人の心に潤いや夢を与えてくれる。一方、ガラスや金属の摩擦音、救急車や消防車など緊急自動車のサイレン、そして人の怒りや悲しみの音などなど、人の心を逆なでしたり、不安な気持ちにさせたりする。さらに、不快という点では、チューインガムや食事中のムシャムシャ、クチャクチャという音、これは周囲の人に不快感を与える下品な音だ。そういった意味では、文化や慣習のもつエチケットと音は、どこか関連しているものがあるように思う。

食卓での会話を大切にする欧米の家庭では、その日の出来事や感想などを夫婦同士が、または親子や兄弟・姉妹が、とにかく、よく、おしゃべりをする。黙々と食べる日本のお膳とは、随分雰囲気が違う。このことは海外生活の経験がない人でも、欧米の映画などで知っていることだろう。しかし、そこに一つのルールがあることに気がついている人は多くないのではあるまいか。にぎやかに弾む食事中での会話のエチケットは、欧米の子供たちが幼児の頃から厳しく躾けられる1つ、それが“音”。食べ物を口に運ぶナイフやフォークの音、食べものを口に入れてから食べる時の音、そして食べ終わったあとの後始末の音。食器は、みだりに音を立てたりふりまわしたりしないことは言うまでもない。洋食食器の使う順番を気にする日本人とは違い、順番より静かに食器を使うことに気を配るのは、食事と会話を楽しむエチケットの大切な要素だ。そして食べ物を口に運んだ後は、音や食べ物が口からこぼれないように唇は閉じたまま。会話(言葉)は、食べ物が口へ運ばれるまでとその食べ物が喉を通り過ぎた後の、ほんの短い“間”に発する。このテクニックを自然に身につけているのは、やはり子どもの頃からの習慣があればこそ、だろう。“口の中に食べ物がある間は、おしゃべりをしない”とは、日本人の私たちも小さい頃からうるさくいわれたものだが、日本人は歳をとるにしたがってこれを忘れるらしい。口を半開きにして食べてクチャクチャと音を立てたり、口いっぱいにほおばりながらお話をしたりすると、汚い音や口からこぼれ出る食べ物のせいで、同席者を不愉快にさせてしまう。これじゃあ、せっかくの美味しい料理も台無しだ。幼稚園児でさえもできるこのお作法、歳をとっても忘れない美しい躾の日本人でいたいもの。さらに、食後に、歯に挟まった食べかすは、席を立ってから洗面所へ移動、フロスを使って取り除く欧米人。それに比べて、日本人のオジ様方、歯に挟まった食べかすを取り除くのに、人前であろうが、どこであろうが、チュッチュとかシーシーとかいう音をたてたり、使った爪楊枝を口にくわえてすすったり、あげくにはお茶を口に含んでグチュグチュとうがいをしてゴクリと飲み干す・・・これは決して美しい情景とはいえない。エチケットを知らないこんな姿には、汚い音がいっぱいだ。

さて、歳をとると、色々なことが面倒になったり、凛としていることが辛くなったりする。身体の五感も鈍り始め、それがまたきりりとした自分の感性や習慣を鈍感にしてしまう。だからこそ、他の人と居る時、なるべく不快感を与えないようにエチケットを身体に覚えさせておく必要がある。それは、普段から気をつけ、訓練しておかないと、いざ、という時、間に合わない。クセとは、そんなものだ。私は日頃、歳をとった母にも、そして壮年期の主人にも厳しく言い続けている。クチャクチャ、もぐもぐ、これだけはいただけない・・・っと呟く、さくらの独り言。

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )

尻尾振る癖 肩書が寒すぎる

振る尻尾持たず辿った脇の道

アナログの脳を狂わす二進法

初期化した名刺に消えたバカの壁

雑魚なりに職退いた後の水が合い

( ニュースやぶにらみ )

「善光寺出発式を辞退」
牛も引いてくれない −聖火

「漢字変換」
一部違憲  −名古屋高裁
一部の意見 −政府

「5月連休の予定」
福田首相も外遊を中止したのよ −やりくり家計

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

 

森田さんから

                                   

龍翁余話

龍翁余話(27)「親友の神主デビュー」

大手広告代理店の電通マンだった人が宮司に転身した例が2つある。1人は4年前、靖国神社の宮司に就かれた南部利昭氏。南部氏は、旧盛岡藩・南部家第45代当主。翁、数回お目にかかったが、物静かで“上品な殿様”。威を張る“我がまま殿様”の翁とは大違い。そして、もう1人は、今年、栃木県佐野市多田町の「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」(通称“雷電様”)の宮司になった毛利昭一郎さん。同神社は天智天皇の御代(669年)、山城国(京都)の上賀茂神社の姉妹社として、この地(菊沢山)に社(やしろ)を造営、爾来、1340年もの長い歴史を経て作り上げられた格式高い神社である。毛利さんは、もともと同神社の長男で、國學院大學神道科の卒業だから神官への資格は持っていた。しかし、神社後継者の道は弟さんに譲り、自分はPRの世界へ。ところが、彼が2年前、電通を定年退職した後に、その弟さん(前宮司)が病気で倒れられ、結局、“長男が跡を継ぐ”という必然の形になった。急遽、神主修行に励んだ。そして今年(平成20年)4月の春の大祭が、彼の神主としての正式デビュー、となった次第。

毛利さんと翁の付き合いは30年を超える。翁が映像制作会社経営と専門学校の教師の2足のワラジを履いていた時代、翁が海外ドキュメンタリー取材で授業が出来なかった時など、たびたび毛利さんに代講をお願いしていた。それ以後、二人が組んでなした仕事は大小数え切れないほどあるが、記憶に残るのは、シンポジウム『千年の森〜自然と人間の共生への道〜』、『国民に親しまれる靖国神社の在り方』(10年前から靖国神社が使用している標語“やすくにの祈り、ともに未来へ“は翁の作)。ほかに社会問題としては『雪印牛乳事件』、『食品異物混入事件』、『北方領土問題(キャンペーン企画)』など。”我がまま翁“を上手に持ち上げ、こき使った(?)毛利さんの名プロデューサーぶりには脱帽、そして感謝である。その親友から、賀茂別雷神社の春の大祭(しかも彼の神主デビュー)の案内をいただいたのだから、これはお祝いに駆けつけなければ、ということで、4月15日、浅草から東武電車(8時50分発)特急『りょうもう5号』に乗り込んだ。

目的地の佐野線(東武・館林駅乗り換え)多田へ行くのも初めてなら、そもそも東武電車に乗るのも初めて。館林までの停車駅は北千住・東武動物園前の2駅。約1時間、都心を離れるにつれ、春陽を浴びるのどかな田園風景が広がる。車窓から手が届きそうな農家の、鮮やかに色づいた夏みかんやキンカンを眺めながらの“毛野(けぬ)の国一人旅”は、翁を童心に返らせた。手に持った『直江兼続(なおえかねつぐ)伝』(来年のNHK大河ドラマ『天地人』の主人公)は、とうとう1ページもめくらないまま館林に到着。館林と言えば、日本むかし話に出てくる『分福茶釜』(茂林寺)が有名だが、ここの茶釜はタヌキからの贈り物。山形県米沢市・常慶院の『分福茶釜』はキツネからの贈り物、いずれも“恩返し”の伝説で共通している。さて、館林駅から佐野線への乗り換え時間は、たったの3分。「体の不自由な人や小さい子ども連れは、間に合わない。1時間に1本しか走らない佐野線、何でこんなに余裕の無いダイヤを組むのか、東武よ、弱者にもっと親切であれ!」とブツブツ言いながら小走りでガラガラの3輌編成(後部車輌)に乗り込む。走り出した途端、翁の不機嫌は掻き消された。渡良瀬川(わたらせがわ)を渡った辺りから、日本の原風景が続き、ホッとする。まばらな乗客同士が、かなり大きな声で交わす会話も微笑ましい。館林駅から30分で多田駅へ到着。駅?無人駅だ。切符、どうするの?“使用済みの切符は、この箱へ”と書かれた箱が出口に置いてある。出口といっても四方、どこからでも乗り降り出来るのだから、のどか、そのものだ。“雷電様”は、駅から50メートル先(国道293号線沿い)の丘(菊沢山)の上にある。自宅(品川・戸越)を出て3時間、やっと辿り着いた。

大鳥居から御社(おやしろ)を見上げると長い石段(100段)、左右に、ほぼ等寸法に削られた石で築かれた石垣。これは、まるで城砦だ。友人知己の多い毛利さんの“神主デビュー”を祝って奉納ぼんぼり(提灯)130個が、石段から拝殿広場にかけてビッシリ。翁の名入り提灯も2個、いい場所に下げられていた。拝殿はこじんまりしているが、何しろ敷地が広い(1万3000坪)。境内には菊水川の源流となる霊水が湧き出ており、近郊の水田を潤す五穀豊穣の守護神として今でも住民から尊信されているという。定刻の11時半、社務所玄関前に現れた正装の毛利宮司と翁は目と目で挨拶。3人の神官(毛利さんを支援、指導する近在の宮司)を先導役に、伶人(雅楽奏者)3人、祭り関係者、来賓、一般参列者を従えて参道(石段)を上る行列は、ちょっとした平安絵巻。修祓の儀に始まる式典は厳かに執り行なわれ、クライマックスの宮司祝詞奏上も実に格調高く見事であった。感動した。
「我が友の 神に仕えし 運命花(さだめばな) 菊沢山に 咲かせまつらん」・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズの魅力−今週のお奨めジャズ

今週はお休みです。

<R.O.>

編集後記

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Zakkaya Weekly No.623

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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