weekly

NO.617                Ryo Onishi              3/9/2008  

 weekly

 

LAの観光スポット ホームページ バックナンバー
 .
雑貨屋のひとり言

日曜日は穏やかな天気で、春を思わせる陽気でした。やわらかい陽射し、心地よい風、気持ちよかったです。
週末は一万歩のペースで歩いているのですが、ウィークデーはなかなかうまく行きません。健康を強く意識していた2年前は、お酒もご飯も控え、ウィークデーでも一日一万歩を達成していたのですが、最近ちょっと怠けています。それが体重の増加に現れています。ちょっと油断するとこれですから、ダイエットやっている人は、よほど意思が強くないと続かないと思います。今日は大阪淀川のYAMADA電器まで歩いていきました。入り口にあるマシンにポイントカードをいれるとスロットルマシンでポイントが当たります。いつもは10ポイントの残念賞ですが今日は300ポイントをゲットしました。こんなことで喜んでいる単純な私です。
(R.O.)

デイライト・セービング・タイム

米国では一部を除いていわゆる『夏時間』(米語では"Daylight Saving Time《DST》"デイライト・セービング・タイムと呼びます)が採用されています。州の集合体である米国では各州の独立性が強く州の権限が強いため、独自の判断で夏時間を採用しないことも許されています。その結果、ハワイ州、アリゾナ州の大部分ほかいくつかの地域では夏時間は採用されていません。

DSTは日照時間が長くなる時期に時間を進めることで、太陽の出ている時間帯を有効活用しようというものであり、電力ほかのエネルギーを節約することを目的としています。

昨年までは1986年 に修正された"The Uniform Time Act"により、4月の第1日曜日午前2時から 10月の最後の日曜日午前2時までがDSTと定められていましたが、2005年に新たな法案が議会を通過し、昨年(2007年)よりこの期間が延長された結果、現在は3月の第2日曜日より11月の第1日曜日までとなっています。この期間は時計の針を1時間進めることになります。したがって私の住むカリフォルニア州を含め、DST採用地域は1年のうち4分の3に相当する8ヶ月間は通常時間ではなく夏時間で過ごすことになるわけです。

今年(2008年)は、3月9日(日)にDSTがスタートします。この日から朝が1時間早く始まります。3月初旬はまだ日の出時間も充分早くなっておらず、多少戸惑うことがありますが、この日から日没が1時間遅くなるわけであり、明るいうちに仕事が終わり得をした気分になれます。

ただ、一般家庭で面倒なのは家にあるすべての時計(もちろん腕時計から車のダッシュボードの時計、その他各種機器についているものも含め)を1時間修正しなければならないことです。尤もパソコンなどはあらかじめプログラムが内蔵され、自動的に修正してくれますが、我が家の場合、ビデオ・デッキは手動式のため、時間の修正だけでなく、録画予約の変更までしなければならず一苦労です。

私にも記憶がありますが、日本でも戦後の一時期、占領軍の施政下で1948年から4年間夏時間が実施されたことがありました。しかし充分な効果が得られなかった(または日本には馴染まなかった)ため1951年に廃止されています。

日本で夏時間がうまく機能しなかった理由は地理的条件によることもあったと思いますが、日本の場合は昼間が1時間長くなったぶん、労働強化につながってしまったことも大きな要因だったようです。

一般的に米国の労働者の場合、労働と労働時間に対する概念がはっきりしているので、昼が長くなったと言うそれだけの理由で長時間働く人はいません。決められた時間を働けばあとは自分と家族の時間であり、その点は比較的明確です。職場から家に戻り、夕方から家族で公園にでかけ楽しむ人々の姿はどこにでも見られる自然な風景です。

CO2排出増などによる地球温暖化、環境破壊、石油をはじめとするエネルギー価格の高騰化にともない、近年日本でも対策のひとつとして夏時間の導入が検討されているようです。

ますます複雑化する今の日本社会では、夏時間の導入にはマイナス要因も多く、例えば切り替え・移行コスト、生活リズムの乱れ、日本独特の生活や労働習慣の壁などなど、必ずしも利点ばかりでなく、無条件で実行することが良いかどうか議論の余地がありそうです。また日本には伝統的に夏の強烈な日差しは避けることが良しとされ、花火、夕涼み、夜店、蛍狩りなどは夏の風物詩として尊重され、夜を大切にする風習もあります。

逼迫する省エネ対策の一環として、はたしてこの制度が日本の今と将来にとって有効であるかどうか議論・検討されると同時に、日本人の労働に対する考え方も変わってゆくことになるのではないでしょうか。 
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「働」

働いて、働いて、そして働いた。なんだか大げさな言い方だが、これが本音。とにかくガムシャラに働き続けた気がするこの25年あまり・・・そんな月日だった。アメリカでも日本でも。どんな時も、どんな仕事でも、どこに居ても、誰とでも、どれだけでも、働いた。団塊の世代より一回り若いが、団塊の世代人に負けないくらい働いた。そして今、今までとは全く違った意味での、“働く”ことを考え始めている。だって人は、一生、何らかの形で働き続けるものだろうと思うから。

2008年3月7日(金)、人事部へ退職届を提出した。4月をもって会社人間ではなくなる。つまり、会社を辞めることにした。今勤務している会社Kを辞めて転職や起業するのではなく、仕事そのものを辞める。お客様のために仕事をして報酬を得る“働く”ことからの卒業である。同時に、長年の夢でもあった“専業主婦”への第一歩を踏み出すこと、おくればせながらの入学である。“人が動く”と書いて『働く』と読む。お金を貰っても貰わなくても、人が動く時、人はなんらかの目的や価値をもとめ、見える意味でもそうでなくても報酬や見返りを頂く。それが人の幸福感や生き甲斐や喜びなどを生み出したりするものである。だから、経済的報酬を得る“仕事・ビジネス”だけが働くという意味でもなく、人間が生きるということ、動くということそのものが、『働く』ということだと思う。そして人が自分のためや人のために動く時、見える形や見えない形の報酬、成果物、つまり創造物ができあがるのだと思う。

そういえば、『働』という文字を強調した人の中でも、私の印象に強く残っている人が二人居る。一人は、株式会社豊田織機始祖、豊田佐吉である。彼が世界最高品質の自動織機をはじめ多くのオートマチックの生産機を発明したことは周知の通りだ。しかし、豊田佐吉がそのオートマチックを自動ではなく、“自働”に拘ったところに、完全ではない機械が不良品と無駄を創出しないものにするための「人」の働きが不可欠だとする哲学・科学的見解が、そこに投入されている。名古屋市にある産業技術館へ行った数年前、このことを知り感激したことを思い出す。また、もう一人は、同じ目的を複数の人や団体が共有し働いて成果を出すという、いわば、コラボレーションまたはパートナーシップ的な『働』の活動を協働という形で定義・論じた政治学専門のビンセント博士(インディアナ大学経済学部所属)だ。私が縁のある大学だということもあるが、互いの不足を補い協業し問題解決することがより効果的で推進力があるというコンセプトが、コンサルティングやアドバイザーといった私が勤める会社の特性に、あてはまるものがある。

さて、退職する、となると、様々なことに遭遇し、困惑する。その中でも一番の戸惑いは、お客様と部下である。彼らへの想いが深くまた大きく、真実であればあるほど、私の心は乱れ、そして揺れる。今まで以上の色々な決断や判断も求められ、且つ、責任が重い。まだまだやりたいこと、やり残したことなどが、頭や心を揺れ動かす。でも、静かに、激しく想いながら自分に言い聞かせる・・・『後ろを振り向かない』っと。日曜日の名古屋国際女子マラソンで、初挑戦初優勝を飾った中村友梨香の走りぶり、それは「いつものように」と「後ろを振り向かない走り」(高校時代から監督に教えられていた姿勢)ではないかと想う。働くということは人が生きることそのもの、そして、優勝・勝利・成功の鍵は、『後ろを振り返らないこと』なのかもしれない。仕事を辞める、でも、働くことはやめない、っとつぶやく、さくらの独り言!

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )

卒業を待って少年島を出る

駄菓子屋のばあちゃん遠い町へ越し

成田離婚 大安なんて嘘っぱち

お別れも絵文字が泣いている程度

ちゃんで呼ぶ友一人逝き二人逝き


( ニュースやぶにらみ )

「空転・空白」
空虚 −国民

「融資先2300社破たん」
破たん状態が1社 −新銀行東京

「バイオ燃料」
乗るなら食うな、食うなら乗るな −トウモロコシ

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

 

森田さんから

                                    

龍翁余話

龍翁余話(21)「ルーヴル美術館展」

翁、旅をすると、たいがい、その国・街の美術館や博物館に行く。美術・工芸品に特別の思いや造詣が深いわけではない。いや、むしろ、作家名や作品名は無知に等しい。まず、覚える気がない。なのに、どういうわけか足が向く。歴史が好きなのと、館(さまざまな建築様式の外観と内観)の雰囲気が好き、ただ、それだけかもしれない。久しぶりに上野の東京都美術館で開かれている『ルーヴル美術館展』へ出かけた。パリのルーヴルには数回訪れたが(最後は1998年、ちょうどその時、サッカーの世界大会・第16回ワールドカップがパリで行なわれていた)、行くたびに館内で迷ってしまう。ガイドでも付けなければ、とても効率よく回ることはむずかしいほど広い。若い頃、初めてルーヴルに行った時のこと、他の日本人観光グループに混じって(ガイドの説明を盗み聞きしながら)、とある展示室に入った。その時、初めて本物のモナリザを見た。が、何と、普通の展示壁に、普通に展示されている“お粗末な扱い”に、ちょっとビックリ。モナリザの前で、画家の卵らしき若い日本人女性が、モナリザを無心にスケッチしていた光景が印象に残っている。

ご存知のようにルーヴル美術館はセーヌ川の右岸沿いにコの字に建てられている。川岸に近い建物が中世イタリアの絵画・美術工芸品の展示場、隣の建物がフランス、対面の建物がオランダ、ベルギー、ドイツ、イギリスなどの展示場に分けられている。翁は、セーヌ川沿いの建物しか知らない。それも全部知っているわけではない。行くたびに「あれ?また同じ場所に来たんだ」の繰り返し。それでも、それなりに“知ったかぶり”が出来るから可愛いものだ。ところで、800年の歴史を持つルーヴルは、その昔は、パリ防衛のための城砦であったことをご存知だろうか?かすかな記憶だが『ルーヴル』というのは『砦』を意味するらしい。最も安全な場所ということで王の住居としても使われたという。美術館になったのは、1789年のフランス革命後のこと。1985年から1989年にかけて、ミッテラン政権下の“ルーヴル大改修プロジェクト”により、地下城砦が蘇った。こののちルーヴルを訪ねる機会があれば、是非とも、この地下城砦巡りをしたいものだ。

さて、上野の『ルーヴル美術館展』は小物ばかりで、正直、つまらなかった。案内書に「ルイ15世の寵愛を受けたポンパドゥール夫人やルイ16世の妃マリー・アントワネットら、美を愛する女性たちがサロンを彩り、ロココ(曲線を多用する繊細なインテリア装飾)や新古典主義などの芸術様式が展開された。当時、宮廷人が特注した装身具や調度品には、高価な材料と高い技術が惜しみなく用いられ、フランスの美術工芸はここに一つの頂点を極めた。宮廷で使われた品々の多くはフランス革命によって失われたが、ルーヴル美術館には貴重なコレクションが残されている。本展ではその中から選りすぐった名品約140点を展示し、華麗な宮廷美術の粋を紹介。ポンパドゥール夫人好みの繊細な金銀細工や、マリー・アントワネットの趣味が色濃く表れた私室の書き物机、旅行用携行品入れなど、多くが日本初公開である」と書かれているが、翁は、その価値を認識・理解するほどの知識も興味もない。翁が唯一、足を止めたのは『嗅ぎタバコ箱』の前。ダイヤモンドをあしらったこの『嗅ぎタバコ箱』(1740年代の作品)は金ピカの全面に浅浮き彫りの装飾が施されているが、そんなものより“嗅ぎタバコ”そのものに興味を抱いた。
タバコはもとも南北アメリカ大陸(原住民)が発祥だが、ヨーロッパのタバコの歴史には、こんな話がある。1560年ごろ、当時フランスの駐ポルトガル大使ジャン・ニコが“新世界からもたらされた万能薬”として母国フランスに伝えた(ニコチンは、ジャン・ニコの名から付けられたもの)。その後(1570年)医療効果とリラックス効果を享受できるということで貴族から庶民へと広がった。しかし、快楽や慰みに耽ることは背徳行為だと考える人々によってタバコの乱用を戒める声が高まった時期もある。理由は多少異なるが、今の世の中に似ているのでは?タバコの煙(と臭い)が他人に迷惑をかけるというのなら、愛煙家の翁にとって、煙を出さないこの“嗅ぎタバコ”は魅力的だ。以前、翁は“ピーカン”(缶入りのピース)が好きだった。蓋を開けた時の、あの甘く香ばしい匂いは忘れられない。(今も、あるのかな?)

ほんの1時間の参観で表に出た。途端に、『ローレライ』のメロディが聞こえてきた。
当美術館の出入り口広場の片隅で、中年の男が何やら楽器を奏でている。近寄ってみると、何とノコギリではないか。テレビで見たことはあるが実演は初めてだ。聞き惚れた。翁の好きなシューベルトの『アヴェ・マリア』をリクエストした。大・中・小のノコギリの中から“中”の大きさのノコギリを選んで奏でた。お見事!そのあと数曲聞いた。演奏者はソーヤ谷村。1000円でCDを買った。上野駅へ戻る途中、もう一つ、おまけ。動物園入り口近くの十字路の端で津軽三味線に出会った。弾き手の大内和己(青森県出身)は、自らを“津軽坊様(つがるボサマ)”と呼んでいる。ボサマとは、盲目の門付芸人の呼称で、津軽三味線は、明治の初期に彼ら門付芸人が暮らしのために創作した芸であるとのこと(彼は盲目ではない)。全国行脚をしているせいか身なりはお粗末だし、演奏も荒っぽいが、何故か、哀愁のこもった曲に聴き入った。投げ銭入れ(缶)の中に500円玉を入れてその場を去ったが、しばらくはその哀曲が翁の背中を追った。ノコギリ演奏といい津軽三味線といい、思いがけない音楽を、しかも奏者と近距離で向かい合って聴くことが出来たことは、“おまけ”以上の満足。ならば、期待はずれの『ルーヴル美術館展』にも感謝しなければ・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズの魅力−今週のお奨めジャズ

土曜日に六甲道のTSUTAYAに行きました。リラクゼーションのコーナーで三味線奏者の上妻宏光(Agatsuma Hiromitsu)のアルバム"AGATSUMA"を見つけました。聴いてみてこれもジャズではないかと思いました。今週はこのアルバムをご紹介します。
6歳より津軽三味線を始め、14歳で「全日本津軽三味線競技大会」優勝、「津軽三味線全国大会」にて95年、96年と2年連続優勝するなど、純邦楽の世界で高い評価を受けています。三味線の伝統楽器の新しい可能性を追求するため、国内外にて数多く他ジャンルとのセッションに参加し、注目を集めています。1973年、茨城県出身。
 
津軽三味線の歯切れの良い響きと繊細な音に惹きつけられます。

01:風
02:津軽じょんがら節
03:游
04:津軽あいや節
05:雅
06:津軽よされ節
07:夕立
08:津軽音頭
09:津軽三下り
10:夜明け前

<R.O.>

編集後記


雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.617

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com