当Zakkaya
ホームページに掲載された私の『あまり知られていないL.A.周辺の観光スポット』シリーズも200回を超えました。尤もそれらの中には、お花見情報のような同一場所を毎年紹介しているものもあるので、スポット(場所)としては200個所までは達していませんが・・。
先日、当地Palos Verdesにある日本人駐在員子弟の保護者団体である「ペニンスラ父母の会」幹事さんから私に10月に開催される会の定例ミーティングのアトラクションとして講演依頼がありました。「何か参加者に有意義な楽しいお話をしてくださる方はいないかと、いろいろ話し合いを重ねていましたところ、数年前に河合様に講演していただいたのがとても好評だったと伺い、また、参加者の顔ぶれも転勤などで入れ替わってしまったこともあり、もう一度お願いできないものかとメールを送らせていただいております。・・」と記されており、誉め言葉に弱い私は即、承諾の返信メールを送りました。
そういえばこの会の皆さんには以前にも講演をさせていただいたことがあり、その時はロサンゼルス周辺の観光スポット案内をしました。
教育関係のミーティング定例会に招かれての講演なので、なにか教育に資する話ができればよいのでしょうが、私にはそんな高尚なテーマなどはじめから無理であるし、主催者側も主題ミーティング後のアトラクションとして期待しているようなので、今回も「周辺の観光スポット」をテーマにすることにしました。
この会のメンバーは日本からの企業駐在員が多いと聞いています。その性格上、数年で多くの人は入れ替わっているはずなので、今回も前回とまったく同じ内容でよいかとも思いましたが、200箇所近い場所を羅列しても意味がないし、講演時間の制限もあり、今回はテーマを絞り「L.A.周辺の、日系人・日本人にゆかりの深い場所を訪ねる」とすることにしました。
これまで私が取材したスポットからこのテーマに即した23箇所を選び出し、さらにそれを6つのカテゴリーに分類しました。6つのカテゴリーは、
(1)White Point / Royal Palms Beach
(2)ターミナル島
(3)オレンジ郡農業・日系博物館
(4)日米戦時の跡
(5)周辺の日本庭園
(6)日本語図書館、ほか
としました。
上記6つのカテゴリーと23のスポットを選び出す基準としては、(1)当地にある日本庭園など日本文化を表現した場所の紹介する。(2)19世紀末から日本人がこの地に移住し、苦労しながら今の私たちの基礎を作ってくれたゆかりの場所や、特に米国に滞在する私たちにとって戦時中に先輩者達がたどった苦難の道を知り、感謝の想いを忘れぬための場所を知ってもらい訪ねてもらう。・・・というところに絞りました。
例えば、戦前3千人以上も住み付いていたターミナル島の日本人・日系人が開戦とともに立ち退きを命じられただけではなく、戦後も土地に帰ることを許されず散逸させられた歴史があり、現在は記念碑のみが存在しているのです。また、各地のミュージアムや戦時博物館には日米戦下での航空機、戦利品、記念品などが多く展示されています。
それらは日本人にとって決して楽しいところではなく、むしろつらい場所です。でも現在の良好な日米関係もこのような戦争という悲劇を経験したのちにたどりついたものであり、米
国に滞在し、米国のお世話になり、米国民と友好関係を築くためにも、私達は過去の歴史は歴史としてきちんと認識しておく必要があると思います。特に若い日本人の駐在員の皆さんには、このような歴史の跡もぜひ訪れてみて欲しいと感じています。
日系人や日本人の歴史を訪ねるとき、ロサンゼルス・ダウンタウンにある全米日系人博物館(Japanese American National
Museum)やマンザナ強制収容所跡(Manzanar National Historic
Site)は必須場所ですが、これらはすでに多くの案内書に掲載されており、私が改めて紹介するまでもないので今回は敢えて省略しました。
会の当日、会場には80名近い会員(当日が火曜日の午前中であるためか「父母の会」といっても、私が確認した限り全員が女性であり、これでは父抜きの「母の会」でした)が席を埋めていました。
地元学校区の教育委員会からのオリエンテーションや会の新役員紹介など予定された内容がすべて終了したあと私の出番となりました。23箇所それぞれのスポットで私の撮った写真(ただし、場所を示すための上空写真はGoogle
Earth写真を借用)をパワーポイントに収めスクリーンに映し説明する私の話を皆さん熱心に私の説明を聞いてくれました。終了後、会から礼状と記念品をいただき大切に保管させていただいています。 河合将介(skawai@earthlink.net) |