先週お送りした際、最後のパラグラフが切れていましたので、訂正したものを載せています。
龍翁余話(8)「アマチュア無線」
元来、翁は“有言実行”をモットーとしている。日本男子は古来、“不言実行”を美徳としているが、黙っていれば何もしなくても(何も出来なくても)責任は伴わない、という“逃げ“が大嫌いで、「言ったらやる、やらないこと(やれないこと)は言わない。言ってやれなかった(あるいは失敗した)ら、自分の不徳、未熟を省み、やれたら自分を褒めればいい」を通してきた。いつか、もう一つのエッセー『龍翁の独り言』でも紹介したように、翁が子どもの頃から敬愛してやまない西郷隆盛の遺訓「天を相手にして己れを尽くし、人を咎めず、我が至誠(まこと)の足らざるを尋ぬべきなり」を、座右の銘としている所以(ゆえん)かもしれない。
実は、今年の春に発足したNPO法人・日本災害情報サポートネットワーク(略称D-JINS
=渡辺 実理事長)の初理事会で、発起人の一人・親友のチャーリー(米国ロス在住)から「龍翁さん、アマチュア無線の資格(国家資格)を取りましょう。日本国内はもとより、顔も名前も知らない世界中のアマチュア無線有資格者と交信でき、こんな楽しいことはありませんよ」と勧められた。「楽しみはゴルフ、ドライブ、(たまに)釣り、もうこれ以上の趣味は要らない。それにこの歳(老齢)になって今更“受験”など、億劫な話だ」と一笑に付した。ところが、7月に起きた新潟中越沖地震で地元FMラジオ局やアマチュア無線愛好家の活躍の目覚しさが、(即刻現地に飛んだ)渡辺理事長から報告された。「つまり、我がNPO法人とアマチュア無線とは密接な関わりを深めることになる。ならば、翁も理事の一員としてその波に乗り遅れないように・・・」と、ここでやっと、チャーリーの提言を素直に聞き入れることにし、友人各位に“受験”を公言した。ちなみに、法人本部(事務局)には既に地上高20メートルの所にアンテナが建ち、丸一日電源確保を可能とする無停電電源装置を設置、本格的な無線局の体(てい)を成している。さらに各都道府県アマチュア無線クラブとの連携を進めたり、某テレビ局との無線交信感度訓練を行なったりもしている。
さて過日(2日間)、いよいよ(日本アマチュア無線振興協会=JARD主催の)講習・試験を受けることになった。初日は法規の講義、2日目は無線工学の講義と法規・工学両方の試験。翁、自慢ではないが“工学”という文字を見ただけでアレルギー反応を起こすほどのニガ手。ましてや午前9時から午後5時までの硬い木椅子に座らされての“缶詰授業”は、翁にとって、かなりの精神的・肉体的苦痛を強いられた。受講者(受験者)は54名、定年を控えた(あるいは迎えた)団塊の世代がかなりいたように見受けた。最年少は小学6年生の女の子、最年長は(多分)翁。“こんな小さい子が頑張るのだから、翁も負けてはいられない”と妙に励まされたものだ。受講中、ふと、上杉鷹山の『なせば成る なさねば成らぬ何事も
成らぬは人の
なさぬなりけり」を思い出した。その途端、不思議なことに工学へのニガ手意識が遠のいた。法規はもともと好きな分野だから問題はない。合格すれば11月末に第4級アマチュア無線の“免許状”(ライセンス)が届くことになっている。
ところで無線通信は1864年、イタリア青年マルコーニが無線通信実験に成功して以来、船舶、軍事、アマチュア無線の普及などによって発展したと言われる。1912年4月14日の深夜、豪華客船『タイタニック号』が氷山に接触、15日未明にかけて沈没、乗客乗員千五百数十人の犠牲者を出したが、その時、『タイタニック号』から当時制定されたばかりの新しい救難信号“SOS”が世界で初めて発信された、と伝えられている。しかし、それより3年前の1909年、『リパブリック号』(アメリカ船)と『フロリダ号』(イタリア船)の衝突事故の際、『リパブリック号』から発信された“SOS”が初めて、という説もある。どちらでもいいが、軍事以外に海・山の遭難事故、火災、地震などの災害時にアマチュア無線家の活躍によって大事を防げた事例が沢山ある、と聞く。ならば翁、晴れて有資格者となった暁にはNPO法人日本災害情報サポートネットワークのためだけでなく(勿論、法的範囲内で)社会のお役に立てるアマチュア無線家になれれば、と夢は膨らむ。口さがない友人たちの「ご自分がSOSを発する目に遭わないように」の冷やかし声が聞かれるかも、っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。
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