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NO.597                Ryo Onishi              10/21/2007  

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LAの観光スポット ホームページ バックナンバー
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雑貨屋のひとり言

ブラックマンデーから20年目の10月19日、サブプライムローン問題が尾を引き、ニューヨーク株式が大きく下げました。このサブプライムローン問題がわれわれの生活にも影響を与えています。世界中の余ったお金が今度は、原油、穀物、金などに投機資金として流れ込み、原油高、穀物高を招き、それが今回のパンの値上げにつながっていると思うといい加減にしてくれといいたくなります。
(R.O.)

あまり知られていないL.A. 観光スポット(203)

カリフォルニア・カジノシリーズ
アメリカ西部劇映画では、荒くれ者たちがギャンブルに興じるシーンがしばしば登場します。
私たち日本人の中にも賭けごとが好きな人を多く見かけますが、アメリカ人もギャンブル好きな国民であるようです。合衆国として独立以来、アメリカのいたるところにカジノ(ギャンブル場)があったようです。

 しかし、こうした公営・私営のギャンブルは19世紀末には「公序良俗に反する」ということで殆どの州において禁止されることになりました。

ただ、ネバダ州では砂漠で何の産業もないところから例外的にカジノが許され、その後ラスベガス(ネバダ州)はカジノ、ショウビジネス、コンベンション、ファミリー・リゾートの街として世界中的に有名になり、また全米でも有数の成長都市になっています。

また、1970年代後半にはニュージャージー州がアトランティック・シテイにカジノ・ビジネスを認め、「東のラスベガス」ともいわれるカジノ街が出現しました。

 さらに1988年、アメリカ連邦議会は米国先住民の福祉や教育施設充実などを目的とした法律を成立させ、先住民族(所謂「アメリカ・インディアン」)が居留地の中でカジノを開設することを認めたため、現在では全米26の州で「インディアン・カジノ」が開設されるまでになり、中でもカリフォルニア州には米国内でも最大級のカジノが多数出現しました。

 この「観光スポット」欄でも、これから何回かにわたり、「ロサンゼルスから日帰りで行けるカジノ」をシリーズでご紹介いたします。

カリフォルニア・カジノシリーズ(1)Viejas Casino
Zakkaya Weekly No.417(2004年5月9日発行)の「Viejas Outlet Center & Casino」の中でもご紹介しましたが、アウトレット(Factory Outlet)と称するショッピング・センターが併設されたカジノ・センターです。サンディエゴの市街地から東へドライブで約30分、Alpine 市にあり、フリーウエイ#8に沿ったところです。

ここはViejas 先住民族居留区(Indian Reservation)内であり、ショッピング、カジノ両センターともに建物、雰囲気がまさに砂漠とアメリカ先住民の町といった趣で、一風変わっています。

ショッピング・センター敷地内には、到るところに先住民の生活様式を模したランドスケープ、彫刻、デザイン等が施され、私達を珍しい世界にまぎれ込んだ気持ちにさせてくれます。センターの中央正面には大きなテント張りの噴水広場と憩いの場所があり、一日数回、音楽
に合わせて見事な水の芸術ショウを披露してくれます。

カジノ・センターはショッピング・センターから道路一つ隔てたところにあります。ここには2,000台を超える最新式スロット・マシンを中心に60台以上のカード・テーブル、キノ・ゲームその他各種ゲーム施設が整っており、客を飽きさせないように工夫された館内はさすがといえましょう。またレストラン・バーも 6 店が揃っています。

多くのスロット・マシンがペニー(1セント)マシンですので、比較的少ない金額で長時間、また多種多様なマシンを楽しむことが出来るのが特徴です。ホテルは併設されていません。

●住   所 :5000 Willow Road, Alpine, CA 91901
●オープン日 :毎 日
●時   間 :年中無休、24時間オープン
●電   話 :1 (800) 847- 6537
●Web Site :http://www.viejas.com/

行き方は次の通り(Torrance方面よりの場合)
(1)FWY#405(南)→ Orange County, Irvineで FWY#405 は FWY# 5と合流、FWY# 5 となる。
(2)FWY# 5 になってからさらに南下、San Diego Countyへ入り、FWY#805(南)を経由し、FWY#8(東)へ入る。(Torranceから約115マイル)
(3)FWY# 8(東)へ入って約30マイル進み、Willow Rd./ Alpine Blvd.出口でFWYを降りる。
(4)FWYを降りたらWillow Rd.を左折(北、東へ)、約2.5マイル進むと道路の右側にOutlet Center、左側に Casinoの建物がある。
(5)ここまでの行程 ;(Torrance方面からの場合)約145マイル、ドライブ約2時間30分。  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「信じる」

「シンジテマシタァ〜!」と、歓声に湧く北海道ドームいっぱいに響いた。今月17日、パ・リーグのクライマックスシリーズにてロッテを下し、日本シリーズ進出を決めた日本ハム・ファイターズの監督、トレイ・ヒルマンの喜びの一声だ。昨年10月12日、同じくパ・リーグを制した際に絶叫し、2006年新語・流行語大賞トップ10にも入賞した「シンジラレナ〜イ!」は、私たちの記憶に新しいところ。“人”と“言”が組み合わさったこの“信”、意味深いものだと再認識する今日この頃。

「シンジラレナイ」を英語で言うと”unbelievable”、この言葉が口癖のアメリカ人がいた。その人は、自分の思いや計画がその通りにならなかった時、もしくは思いもかけない事象が発生した時、これを連発していた。私はその様をお茶目に「しんじられな〜い」と外国語イントネーション的な日本語で真似し、それは周りのアメリカ人に大ウケしたものだ。これも懐かしい米国生活の想い出のひとつとなった今、よくよく考えてみると、感嘆語として「信じられない」は使っても「信じていた」はあまり使っていなかったように思える。ところが、思いがけないところで「信じていた」が飛び出した。先日発覚した“赤福問題”に愕然としたさくらの第一声が「信じていた・・・」。愛知県出張の多い私も赤福ファンの一人。300年の伝統と『その日に作ったものをお届けしている。明日中にお召し上がりください』を「信じていた」・・・この場合の「信じていた」は、たちまち「信じられない(ことをしでかした)」に変化する。同じ「信じていました」でも、これじゃあ意味が全く違ってくる。いやはや、寂しい限りである。

さて、冒頭で紹介したトレイ・ヒルマン監督、「シンジラレナ〜イ」にも代表されるように、野球ファンだけではなく多くの人の心に残る、印象的で影響力のある言葉を発する人として注目されている。彼は、自分が発したい言葉をまず英語で考え、その言葉を日本語ではどういうのかと、自分専従の通訳者に訊き、その言葉を自分の言葉として、発しているという。つまり、母国語で考え、それを異国の言葉に代え、その異国の言葉に魂を入れているというわけ、これこそ言霊。彼の発する言葉だけではない。日本ハムの監督就任後、最初に彼がしたことが『キャンプ場のロッカールームとブルペンの掃除』だったことは有名だし、日本ハムの拠点を北海道に移転することが決まった時、彼が最初にしたこと、それはまず、移転に先駆け住居を北海道に定めたとことも印象に残る行為だった。このような彼の言動には、単なる北海道民や球団への期待ではなく、自分への決意表明を感じるから不思議だと思う。今年9月、「一こどもを持つ父親としての責任を全うしたい」という強い意志から退団を表明したことに対し、賛否両論、注目をあびた。しかしこれもある意味、彼なりの、決意表明であり、徹頭徹尾貫かれている彼の信念の具現化だと私は思う。

ところで、某漢和辞典によると「信」という漢字は、「人+言(はっきり言う)」の会意文字で、一度明言したことを押し通す人間の行為を意味し、途中で屈することなく、まっすぐにのび進むことを含むという。そういえば、私が毎日めくっている『K作日めくり』にある『信』のページには、『信・・・信じるとは、人への期待ではなく、自分への決意なのだ』があったことを思い出す。こんなことをつなげて考えると、“信”という言葉は、本当に深く、しかも具体的決意と行動の伴うエネルギーを持ったものだと思えてくる。そしてまた、「信じられない」という否定語の感嘆符より、「信じていた」という肯定的で揺るがない言い方の方が、希望と愛に満ちているように聞こえる気がする。だから今日から、まず自分自身に向かって言い始めてみようと思う、「シンジテマシタァ〜」っと、呟く、さくらの独り言。

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )

雨の日もチャリンコという自家用車

ワイドショー仕込みの舌がよく喋る

叩いても塗っても肌の曲り角

ビー玉が転がる床にまだローン

ドングリのままで昔の顔が寄り

( ニュースやぶにらみ )

「守屋前次官殿」
弾も球もうっちゃだめ −防衛省

「一年間資格停止」
よかったあ 切腹じゃなくて −亀田大毅

「各国で輸出禁止」
うなぎの稚魚でよかった −日本の食料自給率

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

 

森田さんから

                    

龍翁余話

龍翁余話(8)「アマチュア無線」

元来、翁は“有言実行”をモットーとしている。日本男子は古来、“不言実行”を美徳としているが、黙っていれば何もしなくても(何も出来なくても)責任は伴わない、という“逃げ“が大嫌いで、「言ったらやる、やらないこと(やれないこと)は言わない。言ってやれなかった(あるいは失敗した)ら、自分の不徳、未熟を省み、やれたら自分を褒めればいい」を通してきた。いつか、もう一つのエッセー『龍翁の独り言』でも紹介したように、翁が子どもの頃から敬愛してやまない西郷隆盛の遺訓「天を相手にして己れを尽くし、人を咎めず、我が至誠(まこと)の足らざるを尋ぬべきなり」を、座右の銘としている所以(ゆえん)かもしれない。

実は、今年の春に発足したNPO法人・日本災害情報サポートネットワーク(略称D-JINS
=渡辺 実理事長)の初理事会で、発起人の一人・親友のチャーリー(米国ロス在住)から「龍翁さん、アマチュア無線の資格(国家資格)を取りましょう。日本国内はもとより、顔も名前も知らない世界中のアマチュア無線有資格者と交信でき、こんな楽しいことはありませんよ」と勧められた。「楽しみはゴルフ、ドライブ、(たまに)釣り、もうこれ以上の趣味は要らない。それにこの歳(老齢)になって今更“受験”など、億劫な話だ」と一笑に付した。ところが、7月に起きた新潟中越沖地震で地元FMラジオ局やアマチュア無線愛好家の活躍の目覚しさが、(即刻現地に飛んだ)渡辺理事長から報告された。「つまり、我がNPO法人とアマチュア無線とは密接な関わりを深めることになる。ならば、翁も理事の一員としてその波に乗り遅れないように・・・」と、ここでやっと、チャーリーの提言を素直に聞き入れることにし、友人各位に“受験”を公言した。ちなみに、法人本部(事務局)には既に地上高20メートルの所にアンテナが建ち、丸一日電源確保を可能とする無停電電源装置を設置、本格的な無線局の体(てい)を成している。さらに各都道府県アマチュア無線クラブとの連携を進めたり、某テレビ局との無線交信感度訓練を行なったりもしている。

さて過日(2日間)、いよいよ(日本アマチュア無線振興協会=JARD主催の)講習・試験を受けることになった。初日は法規の講義、2日目は無線工学の講義と法規・工学両方の試験。翁、自慢ではないが“工学”という文字を見ただけでアレルギー反応を起こすほどのニガ手。ましてや午前9時から午後5時までの硬い木椅子に座らされての“缶詰授業”は、翁にとって、かなりの精神的・肉体的苦痛を強いられた。受講者(受験者)は54名、定年を控えた(あるいは迎えた)団塊の世代がかなりいたように見受けた。最年少は小学6年生の女の子、最年長は(多分)翁。“こんな小さい子が頑張るのだから、翁も負けてはいられない”と妙に励まされたものだ。受講中、ふと、上杉鷹山の『なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」を思い出した。その途端、不思議なことに工学へのニガ手意識が遠のいた。法規はもともと好きな分野だから問題はない。合格すれば11月末に第4級アマチュア無線の“免許状”(ライセンス)が届くことになっている。

ところで無線通信は1864年、イタリア青年マルコーニが無線通信実験に成功して以来、船舶、軍事、アマチュア無線の普及などによって発展したと言われる。1912年4月14日の深夜、豪華客船『タイタニック号』が氷山に接触、15日未明にかけて沈没、乗客乗員千五百数十人の犠牲者を出したが、その時、『タイタニック号』から当時制定されたばかりの新しい救難信号“SOS”が世界で初めて発信された、と伝えられている。しかし、それより3年前の1909年、『リパブリック号』(アメリカ船)と『フロリダ号』(イタリア船)の衝突事故の際、『リパブリック号』から発信された“SOS”が初めて、という説もある。どちらでもいいが、軍事以外に海・山の遭難事故、火災、地震などの災害時にアマチュア無線家の活躍によって大事を防げた事例が沢山ある、と聞く。ならば翁、晴れて有資格者となった暁にはNPO法人日本災害情報サポートネットワークのためだけでなく(勿論、法的範囲内で)社会のお役に立てるアマチュア無線家になれれば、と夢は膨らむ。口さがない友人たちの「ご自分がSOSを発する目に遭わないように」の冷やかし声が聞かれるかも、っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズの魅力−今週のお奨めジャズ

今週もピアノジャズです。
聴いたことがあるメロディーがいくつかあります。
Besame Mucho, Somewhere Over The Rainbow,
Gone With The Windなどがそれです。

George Cables Trio
But Beautiful


1 My Ideal
2 But Beautiful
3 Smoke Gets In Your Eyes
4 Besame Mucho
5 My One And Only Love
6 Star Eyes
7 Looking For The Light
8 Tete A Tete
9 Somewhere Over The Rainbow
10 Gone With The Wind
<R.O.>

編集後記

液晶テレビのサイズが大きく、薄く、軽くなってきています。私のPC用ディスプレイは15インチでデュアルで使っていましたが古くなってだいぶ色あせてきたのとちょっと観づらくなってきた(これは歳のせいかも)ので、22インチワイド液晶ディスプレイを買いました。さすがに観やすく快適になりました。インターネットでオーダーしたのですが値段は8年前に買った15インチの4分の1でした。8年後はどうなっているでしょうか?

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Zakkaya Weekly No.597

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com