日本語では何かを言う時、なるべく穏やかな言葉で表現するのが一般的に良い日本語であるとされています。例えば 「女中」 と言う代わりに
「お手伝いさん」 と呼び、「百姓」(この言葉はもともとは由緒正しい良い言葉なのですが)を「農業従事者」などと言い換えて満足しています。
私たち日本人は、何か問題が発生すると
基本はそのままにして、表現だけを変えて(即ち解釈を変更して)お互い暗黙のうちに納得・了解しあう癖があるようです。
1945年8月15日は日本にとって「敗戦の日」であるのに我々はこれを「終戦記念日」と呼び慣れています。
終戦(敗戦)と言えば当時、日本(帝国)政府はポツダム宣言を受諾するにあたり、最後の懸案だった国体の護持、即ち天皇制の維持について、連合国側からの回答の一部を敢えて「誤訳」して、軍部や徹底抗戦派を説得した一幕があったと言われています。
日本の終戦(敗戦)秘話について書かれた書物によると、1945年7月、日本は連合国側から、いわゆる「ポツダム宣言」 を突きつけられ
無条件降伏を迫られた時、日本の政府(当時の帝国政府)は最後まで「国体の護持」、即ち 天皇制の維持にこだわりました。
日本政府から「国体の護持」という条件について再考を求められた連合国側は、この件について次のように回答してきました。「・・・・降伏ノ時ヨリ、天皇及ビ日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ・・(略)・・連合国最高司令官ノ
“shall be subject to” トナルモノトスル。・・・・」
この“shall be subject to” が問題で、連合国側の意図は当然 「“shall be subject to”
=服従する/
支配される」であることは明らかであったのに、日本側はこの部分を敢えて「制限のもとに置かれるものとする」と翻訳したのです。そして勝手に
「国体は護持される」ことにして徹底抗戦派を説得しました。こういう意図的な「誤訳」がまかり通ったのです。
「日本国憲法」は施行されて満60年経過しました。その間一字一句どころか句読点すら変わっていません。
国家も社会も世界もこんなに大きく変化しているのに我々の憲法が不変なのは日本が変化に応じ、都合よくその解釈を変えているからでしょう。例えて言うなら長さを測る「モノサシ」を生ゴムで作っておいて、必要に応じてその「生ゴム製モノサシ」を伸ばしたり縮めたりして長さを測っているからだと言えるのではないでしょうか。日本とは実にフレキシブルで便利な国です。
元陸上自衛隊イラク先遣隊長で、先日の参議院選挙で当選した佐藤正久氏が、自分たちを守ってくれていた他国の軍隊が万一敵から攻撃を受けた場合、日本国憲法上認められていない「駆け付け警護」(戦場へ駆け付けて味方の外国軍隊を援護すること)を行う考えだったことを表明していました。正当防衛を超えるとして憲法解釈上で認められていない「駆け付け警護」も解釈と方法の変更で実行できるようです。
自分たちの目の前で、自分たちを守ってくれている味方の外国軍が敵側から攻撃された時に現実問題として傍観などできるはずがありません。日本はこのようにして「生ゴム製モノサシ」をうまく使いこなしてきたのだと思っています。
しかし、日本国内ではこれでも良いかもしれないし、私自身もこんな日本が大好きなのですが、国際社会という厳しい荒波の中で果たしてこれで耐えてゆけるのでしょうか。どうも心配です。
河合将介(skawai@earthlink.net) |